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2-第12話
 髪を優しくなでられている。
 自分より大きな手はゴツゴツしているがちっとも不快でない。
「お父さん……」
 と小鳥が呟くと、手が一瞬とまる。
 小鳥が顔を横にして額を暖かな手に押し付けるようにすると、またそっとなでられる。
 それに安心して小鳥はゆるゆると深い眠りへと潜っていく。

 
 父は茶色い髪に瞳、日本人とは造りから違う深い顔立ちをしていた。
 小鳥の住んでいた小さな山村では浮いていたが、小鳥にとって生まれから彼が父であり特に違和感をもったことはない。
「コトリは、鷹子さんによく似て美人さんデスね!」
 いつまでたってもとれない外国人独特のイントネーションで、大真面目な顔をして幼い小鳥に言い、次の瞬間に茶目っ気たっぷりにウインクする。
 母にはよく怒られたが、父からはほとんど怒られた記憶が無い。
 そんな彼に一度だけ本気で怒られたことがある。
 それも小鳥が物心つくかつかないかの幼いころだ。
 2歳年下の弟が生まれて最初は「弟ができた」と喜んだ小鳥も次第に腹が立ってきていた。
 大好きな母は幼い弟にかかりきり、父や祖母も自分たちの仕事で忙しい。
 小鳥はその頃から村の子らから避けられていたためいつも一人だ。次第に小鳥も一人で遊ぶのも飽きてくる。

(おかあさんもずっとちぃちゃんばっかり!ことりとぜんぜん遊んでくれない!)
 
 ふと、自分がいなくなったらみんな探してくれるのではないかと思い付く。
 幼い故の浅はかな考えだった。
 はじめは母の目の届く庭で遊んでいた。そのうちに弟が泣きだす。
 母の目は完全に弟に向く瞬間を狙った。

(今だ!)

 と小鳥は庭から駆けだす。
 何しろ山に囲まれた狭い田舎だ。
 小鳥は幼いながら畑に行けば、村の人にすぐ見つけられて送り届けられてしまうだろうと思った。
 それでもその時の小鳥の足では十分に広い。
 人気のないほうへほうへと闇雲に息が切れるまで走った。
 必然的に人のいない場所、森の前までたどり着く。
 小鳥は特に何も考えず森の中にてくてくと入っていった。
 しばらく歩いてうちに小鳥は喉が渇いてきた。
 しかし、気づけば周りに目印も見当たらずひたすら木が続く。
 近くで烏がギャーと鳴いた。
 その思った以上の近さに小鳥の小さな肩がびくっと上がる。
 こわごわと周りを見渡す。
 山道もない場所に入って行ったため帰り道もわからない。
 明るかった日も傾いて、だんだん暗くなってきた。
 小鳥はパニックになって元来た方に走りだす。
 しかし森は深くなるばかりで出口は見つけられない。
 日がとっぷり暮れ、月が顔を出した。
 そこで小鳥ははじめて自分がしでかしたことの重大性に気づく。
 その場に座り込み泣き始めた。
「おかあさん、おかあさん……おとうさん……おばあちゃん……」
 
 誰も探しに来てくれない、もしかしたら小鳥がいなくなったことにも気づいていないのかもしれない、と小鳥は泣きながら思う。

(あたらしい赤ちゃんがきたから、ことりはいらなくなったんだ!)

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

(だからことりはいらない子なの?)

「おかあさんのゆうことちゃんときくよ。ピーマンも食べるよ。いいこになるから……!」

 今までの不満が不安となって襲いかかる。
 まるで暗い森の中でおばけが大きな口をあけて待っているようだ。
 

「――とり!!小鳥!!!」

 突然明るい光に包まれる。
 懐中電灯で照らされたのだ。懐中電灯を持って立っていたのは父だった。
「お父さん!!」
「コトリ!どうしてこんなところに!?……ああ、でもよかった!!」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 小鳥は父に夢中でしがみつく。
 そんな幼い娘も父親もしっかり抱きしめる。
「お母さんも心配してあっちこっち探しているんだよ」
 父はしゃくりをあげながら抱きつく娘の背をなだめるようになでる。
「ちぃ、ちぃちゃんが生まれてから……」
「ちぃちゃんが?」
「ちぃちゃんが来たから、私はもういらないっなのっ?」
 母と一緒に病院からやってきた小さな小鳥よりもっと小さな弟、手は紅葉のようで奇妙な生き物を見たかのようにおっかなびっくりする小鳥の手を思いのほか強い力で掴んできた。
 そしてその小さな生き物は「あーあー」と意味不明な言葉を言いながら、キャッキャッと笑った。
 その小さな生き物来るまでは、周りの大人の目もお世話もなんでも小鳥が一番だった。
 でも、今は違う。
 何をするにも赤ちゃんが最優先、それから小鳥だった。
 大人からすれば、当然のこと、でもそれは小鳥が初めて味わった嫉妬だった。
「いらないはずないだろう!」
 小鳥の小さな両肩を押さえて父が大きな声で叫んだ。
 小鳥はびっくりして涙が止まる。
 父は膝折って小鳥と視線が合うような大勢でしっかりと両手で小鳥の小さな肩をつかむ。
「いらないはずないだろう……コトリ……」
 父の彫の深い顔立ちはいつになく真剣で厳めしく、見慣れていたはずの父が別人のように見えて小鳥は一瞬おびえる。
 小鳥を怖がらせてしまったことに気付いた父はあわてて表情を緩め小鳥の頭をなでた。
 父の手は大きく暖かく、それに促されるように小鳥は嗚咽を飲み込みながら口を開く。
「ご、ごめんなさい……!」
「コトリ……ボクも怒鳴ってごめん。でもね。お父さんもお母さんもおばあちゃんもちぃちゃんだってコトリが大好きだよ。だから、もう勝手にどこかに行ったりしちゃだめだよ」
 小鳥は泣きながらうなずく。
「コトリはちぃちゃんがいないほうがいいのかい?」
 小鳥は驚いて目を見開いて父の顔を見た。それからぶんぶんと首を振る。
「ことり、ちぃちゃんいなくなるの、いや!!」
 小鳥は弟を嫌いで家から逃げ出したのではない。ただ、寂しかったのだ。
寂しくて自分を見てもらいたかった。
「コトリ、誰かがいなくなるってことはね……とってもとっても悲しくて寂しいことなんだ。なくしてしまってからは遅いんだよ。その人にもう会えないしお話もできない……なくしてしまってからでは遅いんだよ……」
 その言葉に小鳥はまるで誰かがいなくなってしまうような気がして胸がとても痛くなった。
「だれかいなくなっちゃうの?」
 不安げに聞く小鳥に父が微笑む。
「だれもいなくならないよ。でも、いつか誰でも別れがある……だから今そばにいる人を大切にしなきゃならないんだよ」

 その時の父の表情を小鳥は今でも覚えている。
 笑っているのに泣いているような顔をしていた。
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