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ジロワ 反撃の系譜 作者:桐崎惹句

花と毒

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宴の夜(一)

 宴席の中心に子豚の炙り焼き(ロティ)が運び込まれた。
 飾り付けとして、イチジク・リンゴ・セイヨウナシ・ベリーなどの果実とその砂糖漬けなどが周囲に添えられている。
 酒類も、ワインをはじめ蜂蜜酒(ミード)、エールなどがふんだんに用意されていた。
 燭台に照らされたブリヨンヌ屋敷の大広間。
「これなるは、かの『眠らない番犬』メーヌ伯エルベール殿を破り名を挙げた話題の勇士、クルスロー卿ジロワ殿」
 ブリヨンヌ伯がジロワを来客へ紹介する。
 今宵の晩餐(サパー)には、ノルマンディー公家傍流の伯爵たちを中心とした来客が集っていた。彼らはブリヨンヌ伯の工作に応じてジロワ支持の意思を表明した人々である。

 リシャール一世の異父弟で、当代公爵リシャール二世の摂政を務めていた高齢のイヴリー伯爵ラウールを筆頭とする、ノルマンディー公家の傍流や非グンノール閨閥の有力貴族らであった。

 当時のノルマンディー領内において、伯爵位を与えられているのは主にノルマンディー公家に連なる一族である。直系のイエモア伯、エヴルー伯をはじめ、庶流のブリヨンヌ伯(兼ウー伯)、少し後の時代になるが、アルク伯やモータン伯なども同様である。
 一方で臣下筋はよほど功績のある家、リシャール一世の脱出に功績のあったコントヴィール家、西部の要衝を抑えるアヴランシュ家くらいが子爵を名乗る程度だ。
 通常は、領主として(シニョール)を称した。ノルマンディー南東部の大領主であるベレームでさえ称号は『卿』だ。

 日本では、明治維新で旧来の階級秩序に対して爵位(公候伯子男)を当てはめたため、階級の上下がそのまま爵位の上下となった。そのような日本での感覚とはかなり違うところがある。
 西フランク、フランス王国の領域で十世紀前後の頃の公爵というのは、異民族の首長らに与えられた称号であり、ノルマン人の首長であるノルマンディー公爵、ブルトン人の首長であるブルターニュ公爵、ブルグンド族の首長であるブルゴーニュ公爵、アキテーヌ王国を継承したアキテーヌ公爵ら、大雑把に表現するなら属国の君主の称号であった。

 これらの他にフランドル伯やトゥールーズ副伯、メーヌ伯、アンジュー伯やシャンパーニュ伯、ブロワ伯などのフランク王国由来の伯爵たちが同時代に存在したが、これら伯爵らと公爵らとの間に身分の上下は無い。
 さらに、ノルマンディー一門の伯爵たちは、フランドル伯やアンジュー伯、メーヌ伯らとは同じ伯爵でも同質ではない。後者はほぼ独立君主、王権州(自前の立法権を有する)の伯爵である。

 この場にグンノール妃の閨閥関係者が現れていないのは、ブリヨンヌ伯家の来歴が関係していた。
 ブリヨンヌ伯家の祖であるウー伯爵ジョフロワは、ノルマンディー公リシャール一世と名前不詳の愛妾との間の庶子として生まれた。
 つまりブリヨンヌ伯家というのは、グンノール妃から見ると、夫と愛人の間の子の家系となる。両者の間には、明確な確執こそないものの、因縁のある間柄なのは間違いなかった。 
 必然ブリヨンヌ伯の工作対象は、非グンノール系の公家一門が中心となる。

 酒精とジロワの武勇談で場が盛り上がる中、ブリヨンヌ伯がベレーム卿の隣に席を移して語りかけた。
「モンゴメリーの屋敷に寄ったそうですな」
「いかにも。よくご存じで」
「貴殿らの動静にはルーアン中が注目しておりましたから」
 ブリヨンヌ伯が監視を付けていたのは間違いあるまい。
「それで、奴めは何か言っておりましたかな?」
 ベレーム卿は、少しの間考えてから、さきほどのモンゴメリー卿との対話の内容をかいつまんで説明した。
「ほう? モンゴメリーはそのようなことを……まぁ、放っておいても問題なかろう」
「ですが、一応は公爵にとって母君の家の縁者。お気持ちが動かされぬとも、限りますまい……」
「いや、それはないな」
 ブリヨンヌ伯は断言した。
「公爵も大司教も、あの男のことは苦々しく思し召しておられる。ここで名乗りを上げても、自分の首を絞めるだけであろう」
「……何か、ございましたかな?」
「ふん。かの御仁、またぞろ博打で負け込んでおりましてな。借財で大司教の所にも泣き付きに行ったとか。門前払いだったそうですがね。久方ぶりの出仕で事情に疎い貴殿から、手っ取り早く財貨を掠めようと目論んだのでしょう」
「それは、またなんとも……」
「これでモルティメール卿あたりが欲を出していたらまた面倒ですがね」
「ほう?」
「だが、モルティメール卿は今、アミアン伯爵令嬢との婚約で、それどころではありませんからな。まぁ、大丈夫でしょう」
「では、今のところ特に支障となることは見当たらないようですね」
「ではありますが、ことは公爵のお心次第。群臣の反対を押し切って意を通そうとはされないでしょうが、大司教辺りが後押しすればどの様に転ぶとも予測はつきません。今のところ、有力な対抗馬はいないので見通しは明るいのですが、油断は禁物です」
「肝に銘じます」



 離れた席でベレーム卿とブリヨンヌ伯が会話するのを傍目に見ながら、ジロワはとある顎髭の立派な騎士に纏わりつかれていた。

 ノルマン人の習俗では、髭は伸ばさず剃るものだ。だが、長年の定住と交流を経て、ノルマン人社会にもフランクの習慣が流入した。
 多数派とはいえないが、当時ノルマン人貴族にも髭を蓄える者が出始める。そして、彼らは髭という特徴を渾名が付けられていることが多く、絵画に残された人物の同定の手掛かりにもなっている。
 代表的なところでは、ノルマンディー公ギョーム二世によるノルマン征服ノルマン・コンクエストの重要史料バイユー・タペストリーの中で、ヘイスティングスの戦い前夜の宴の描写において、中央のギョーム公から向かって左側二人目、豊かな髭の人物がボーモン・ル・ロジェ卿ロジェとされているのは、彼が『顎鬚(ラバーベ)』という渾名をもつ人物であったからだ。

 いまジロワの隣で熱心に話し掛けてくるのも『髭』の渾名を持つ人物であった。

 モンフォール卿ユーグ(一世)。

 ブリックベック卿タースティンの子でボーラック女伯の孫にあたり、兄のギョームがブルターニュ半島のブリックベック領を継承、自身はリスル河畔のモンフォール・シュル・リスルを受け継いだ。このモンフォールの領地は、リスル川沿いに位置し、ブリヨンヌよりも北北西、セーヌ川との合流点に近い位置にある。ルーアンからはそう遠くない距離だ。
 モンフォール卿とベレーム卿とは主従契約の間柄であり、ベレーム卿にとってはルーアン方面での戦力確保の意味がある。そのベレーム卿との縁でこの宴にも顔を出していた。

(それがし)も、やっと跡継ぎに恵まれましてな!」

 モンフォール卿は四十半ば、男性側の晩婚傾向が強かった当時である。この歳で長男を得たとしても遅いとはいえない。

「先が楽しみな事ですな」

 実は、先ほどからモンフォール卿は自分の跡継ぎ誕生のこと、帰路ぜひ我が館へ立ち寄って頂きたい、この二点を延々と繰り返していた。

 表情には出さないが、辟易していたジロワはすでに毎度違う返事を返すこともやめていた。相手も、こちらの返事など聞いていないようで、特に問題もなく無為で空虚な会話を続けていたのだった。

「そういえば、クルスロー卿のご子息はブリヨンヌ伯の下で騎士修業中とのこと。伯爵に目を掛けられて前途有望とか。お羨ましいことですな」
 助け舟なのか、第三者が会話に割り込んできた。

「おお、某も一度宴席にて拝見したことがござる。なかなかの美男子で……」
 そこで言葉を区切ってジロワの顔を一瞥。
「さぞや母君は美女にてあったことと推察いたす」
 一座に笑いが弾け、ジロワも苦笑する。確かに息子(フルク)は母親似であった。

 到着以来、ここまでジロワはフルクと一度も顔を合わせていない。
 今回の上洛の目的は、宮廷での支持獲得運動である。息子を訪ねてきたわけではないので、対面が後回しになったのは仕方のないことだ。
 ブリヨンヌ伯の館での宴席であるから、フルクも給仕の中に混じって立ち働いているかとも思ったのだが、その姿は見当たらなかった。

 フルクの事も心に掛かるが、今ジロワが考えているのは別の事だった。
 自分に向けた厚意で動いているベレーム卿の手前、有力者廻りにも言われるまま付き従っていたが、ジロワの本来の目的は暗殺者、およびその黒幕の手掛かりを得ることだ。

 あの禍々しい目付きのモンゴメリー卿は、今日会った中で最も疑わしい反応をした人物である。だが現時点での判断としては、その疑惑は否定的な方に傾いている。チグハグなのだ。
 親娘ともども暗殺、などという手段を採るからには余程の覚悟であるはずなのに、見返りを得られれば手を引くなどと……。その程度の執着で、この様なことを為すであろうか? 
 しかも、掛けた(つい)えに対する見返りは、危険を冒した割には決して大きいとは言えない。モンゴメリーがいくら頑張っても、他に強力な競争相手が現れれば、骨折り損になる見通しは高い。

 なかなか、黒幕の姿が見えてこない。いっそのこと、さっさと暗殺者が目の前に現れてくれたら、とさえ思う。 

「ジロワ殿、こちらへ参られよ」
 ベレーム卿から声が掛かった。

 周囲の客に中座の断りを入れ、席を移す。ベレーム卿とブリヨンヌ伯の傍には、伯爵家のお仕着せをまとった見習い騎士が控えていた。フルクである。ブリヨンヌ伯らの配慮であろう。
 ブリヨンヌ伯とベレーム卿に感謝の目礼を送る。

「用向きがあって使いに出てもらっていた。今戻ったところだ」
 給仕に出ていなかった理由を、ブリヨンヌ伯が言い足す。

「元気か?」
 関係が近しいが故の照れなのか。久方ぶりの息子に、ぎこちなく掛けた言葉は月並みなものでしかなかった。
 対する息子の反応も、言葉少なに型通りの挨拶を返すのみである。
 想いは溢れんばかりなのに、それを表す言葉が追いつかない。
 ふと、自分の父親が同じように口下手であったことを思い起こした。あれは、今の自分の姿だったのか。これが父親というものか。
 フルクが言葉少なに応えるその姿にも、過去の自分を重ねてみるべきだろう。
 (フルク)の素っ気ない態度はその故であると、そうジロワは理解しようとした。

 宴が果て退去する来客たちを見送ったあと、ブリヨンヌ伯はフルクにジロワらの宿舎への外泊を勧めた。だがフルクは、「ご厚情有難く存じますが、自分はまだ修行中の身」と固辞した。
 ジロワは内心寂しく思いつつも、真摯に修行に励もうとする息子の自戒を尊重せねばならない、と自重した。

 ベレーム卿とジロワが退出するのを見届けた後、ブリヨンヌ伯は傍らのフルクに声を掛けた。
「よかったのか?」
 その問いに、フルクは迷う様子もなく答えた。
「勿論です」
 そして、声に出さず胸中で呟いたのだ。

『勿論です、父上』と。

 フルクの横顔を窺っていたブリヨンヌ伯の表情には、己が企図が成就しつつある確信を得て、密かに会心の笑みが滲んだ。
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