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ジロワ 反撃の系譜 作者:桐崎惹句

花と毒

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来訪者

 この年の春、思いもよらぬジロワの婚礼でクルスローの領主館は大混乱であった。婚礼自体は歓迎されるものであったが、その喜びを領民たちが共有していたか、というとそれは違った。
 ジロワが領民に忌避されていた、という訳ではない。むしろ彼らとの関係は良好だったといっていい。

 ではなぜか?

 中世の農民は、自由な移動(転居)を禁じられていた。

 それは特に中世ヨーロッパに限られたことではなく、農耕を生産基盤とする世界に共通のことであった。
 江戸期日本においても、農民が田畑を放棄し逃散(ちょうさん)することは厳しく禁じられていることだった。
 これには(倫理的ではないが)経済上の合理的な理由があると考えられる。
 農地は、それだけでは価値を持たない。農地とそれを耕作し収穫する農民とが一体としてはじめて生産基盤としての価値が発生するのだ。
 また、農地自体も単なる掘り返した地面というわけではない。耕し、除虫・除草、異物(礫石、木の根など)を取り除き、施肥されてこそ生産力を発揮する。
 土を原材料として構築され、多大な労力をかけて維持される食糧製造工場。それが農地である。そして維持の手が失われれば、それは容赦なく自然に還ってしまう。

 クルスローは当時の他の騎士封領がそうであったように農村である。領民とはほぼ農民のことであり、彼らは領主がどれほど出世しようが終生この地を離れることなく「クルスローの民」であり続ける。
 今まで近くに起居していた「顔の見えた」領主が、遠くへ去ってしまう。そして婚礼の準備のための臨時徴税に対する懸念。

 クルスローの領民にとって、この婚礼はそういうものであった。

 また、よりジロワに近い者たちも複雑な思いを抱えていた。
 ノルマンディー公宮廷の大貴族エウーゴン卿の家政経営は、クルスローの小領主とはまるで世界が違う。主君の立場強化のため、と精力を注いだロジェだったが、見通しは思わしくない。
 例えば、エウーゴン卿ほどの大貴族となると宮廷社交と無縁ではいられなくなるが、これまでそのような方面に無縁だったクルスロー家臣には何をすべきか皆目検討がつかない。いきおい、それらはエウーゴン家臣の独壇場となる。また、分散する広大な所領管理に必要な経験でもそれは同様であった。
 主導する管掌分野が増えれば権力も増す。ロジェの奮闘にも関わらず事実上、クルスロー家臣団はエウーゴン家中に吸収される見通しとなった。
 そんなクルスロー家臣の中にあって、ル・グロとオルウェンの二人は先行きへの不安・不満について沈黙を守っていた(これは不正確かもしれない。オルウェンはもともと喋らないので)。
 ワセリンがオルウェンに、
「あなたは気にならないのか?」
と、問いかけることがあったが、オルウェンは「何を馬鹿なことを言っている?」とでも言いたげに肩を(すく)めて立ち去ってしまった。
 ル・グロにも同じ問いを掛けると、
「うーん、俺たちゃ、(あるじ)殿がどうなろうがどこまでも付いてくだけだからなぁ」
 しかし、地位がかけ離れてしまうと、引き離されてお(そば)にも近寄れなくなるのでは? との反問にル・グロはニヤリ、と意地の悪そうな笑いを見せ、
「お前、あの森番がそんなことに大人しく従うと思うか? 邪魔する奴は叩きのめしてでも思う通りにするだろうさ。良識に縛られる儂は奴の作った道を後ろから付いて行って楽させてもらうがな」
 あんただって、大して変わらないんじゃないか? そう思いつつワセリンはそれ以上口にしなかった。



 そんな落ち着かないクルスロー領に、三人の来訪者があったのはジロワがエショフールから帰ってしばらくの後、ブルーベルの花が盛りを過ぎた頃だった。

 一人目の来訪者は、ジロワの婚約者となったジゼル嬢である。
「お約束どおり、ご領地の森を拝見しにまいりました」
ジロワが差し出した手に助けられ馬を降りる。
「ようこそお出で下さいました。盛時は過ぎましたが、まだ花は残っております。ぜひご覧ください」
 目下、最大の話題の人物である。彼女の来訪は領民の耳目を一身に集めた。
 随分と幼く見えるな、まるで親子じゃないか。しかし、やはり生まれが違うのう、歩く姿やら笑う仕草一つとってもなんというか、そこらの農婦とは同じ人間に思えんわ。
 領民たちは口々に感想を述べ立てた。そしてそこには共通する想いもあった。それは『亡きマリー様とはまるで違う』という印象だ。

 ジロワの先妻であるマリーはブリヨンヌ伯爵家の下女であった。上流階級の出自ではなく、むしろ領民たちに近い階層の出身である。
 騎士の遍歴には、領地持ちの貴族の娘との縁談を得るという目的もあった。先代アルノーの死去で急きょ打ち切ったとはいえ、連れ戻ったのが持参金もない身分の低い女ではジロワの遍歴は『失敗』と評価される。
 幸いであったのは、口を挟む(うるさ)い親族が居なかったことだ。ジロワには、他家に嫁いだ妹エルディアードと、さらに一人低地地方へ移住した弟が居たことが記録に残されている。だが、いずれもこの頃にはクルスローを離れていた。
 そして、既に男児フルクが生まれていたこと、また気立てが良く美人のマリーはその生まれが領民たちに近かったこともあり、その心情に通じていたので彼らに受け入れられ愛された。
 一方でジゼルは正真正銘、上流階級出身の貴婦人である。それも大貴族の相続人である一人娘だ。生まれも違うが育ちも違う。似通う点がないのは当然だった。
 とはいえ、ジゼルも威厳で人を従える種類の貴婦人ではなかった。ともすれば幼く見えがちの容姿、控えめで楚々とした柔和な振る舞いは、真に上流の貴人としての上品さとして受け取られたうえ、見る者の庇護欲を刺激した。
 この度の訪問においてジゼルは親しくクルスローの臣下領民に声をかけ、また土産として持参したワイン・エール・甘味(蜂蜜など)を振舞った。
 クルスローの人々の、ジゼルに対する感情は随分と好転したのだった。
 それは感情的な部分での改善であり、ほかの問題に影響を与えるものではなかったのであるが。



 二人目の来訪者は、メーヌのマイエンヌ卿からの使者である。
 約定の通り、帰還したマイエンヌ卿はニコラの痕跡を求めて調査に着手し、その経過を報告してきたのだった。
 残念ながら、目ぼしい成果は挙がっていない。
 あらためてこの十数年の、毒殺が疑われるような変死不審死について状況を洗ってみたが、ニコラの存在を示唆するような手掛かりは見つからなかった。そもそもそうした事件自体があまり発生していなかった。
 そのほか、エルベール伯が意匠に手を加えた後に発行された金貨の行方を追ってみたという。
 しかし、こちらも造幣役人やメーヌ伯家から直接渡った先以外ではどこそことの取引を決済、教会に寄付、など使途が判明することすら稀であり、決して行方を明かそうとしない者も少なくない。恐らく賄賂として使われたと推測される。こうなると、この方面からの成果は期待できなさそうだ。
 手詰まりに陥っており、当面は事件性が疑われる死亡案件の監視を続けるが、何か方案があれば提案願いたい、と結ばれていた。
「手を尽くして下さっているようだが……難しいな」
 顔をしかめたジロワに、マルコが応える。
「材料を手に入れた、ということならそれが使われるのは今後でしょう。マイエンヌ卿の仰る通り、これから発生する案件を監視するしかございますまい」
「新たな被害が出る前に、と思っていたがのう」
「致し方ありませんな。なに、十数年追いかけ続けてきたのです。今更焦りはいたしませぬよ」
 ジロワには、そのマルコの言葉が彼自身に言い聞かせているように聞こえた。



 三人目の来訪者は、さきの二件の来訪者とは異なり、結局ジロワと面会することはなかった。
 粗末な麻袋を担ぎ旅の埃に汚れた外套をまとった、猫背で浅黒く日焼けした顔の行商人である。
 領主の婚約を聞きつけ、お相手の貴婦人に贈る装飾品を取り揃えてきたのでぜひご覧いただきたい、領主様にお取次ぎ願いたい、と申し立てた。
 相手をしたのは、家宰ロジェの同名の息子であった。父親の方はエウーゴン家との折衝のためエショフールへ赴いていた。この頃、多忙で領地から遠出することが多くなった父に代わり、従騎士として修業中の息子が家宰の仕事を代行するようになっていたのだ。
「どこからの紹介もない身元定かならぬ怪しき者を、御前に参らすわけにはいかん」
 若ロジェは頑として聞き入れず、行商人はそこをなんとか、と食い下がる。袖の下を渡そうともしたが、父親譲りの生真面目さで若者はこれを拒絶した。
「まぁまぁ、そうつっけんどんにしなさんな」
話を聞いてやってきたル・グロが割って入る。とはいえ、彼も身元不明の人物を通す気などなかった。
「悪いがな。当領地には昵懇(じっこん)にしている商人がすでにおる。こうした話はまずそちらから、というのが筋というものだろう。それにな」 
ル・グロは一息入れてつづけた。
「領主に物を売りに来るならもう少し身なりを整えてこい。その様では儂でも通さんわ。さぁさ、行った行った」

 行商人は追い払われ、一旦領主館の正門前を離れた。だが、村外れまで来ると、道を逸れて迂回し、館の裏手に回ろうとした。

「そちらには何もないぞ。どこへ行こうとしている?」

 館の裏手に広がる森の中から掛けられた声に、行商人は足を止めた。
 森の中から二人連れが現れ、油断なく近づいてきた。
 緑の頭巾付き外套、聖クリストファー(森林の守護聖人)のブローチ、弓矢と短剣を携えたいかにも森番という装束の二人は、オルウェンとその部下だった。
 行商人はさきほどのやりとりを繰り返し、他では手に入らぬ逸品であり、なんとかご領主様にお目にかけたく決死の思いで裏手から忍び込もうとしたのだと、見てさえいただければ必ず気に入っていただけるのだから、と訴えた。
「愚か者!」
 森番の部下は呆れつつ一喝した。
「忍び込みなどしたら問答無用で斬り捨てだ。あきらめて立ち去れ!」
 なお食い下がろうとする行商人に、部下は無言で剣を抜いた。
 その迫力に脅しでは済まないものを感じたのか、行商人は背を見せて駆け出した。
 オルウェンは腕組みをしたまま(いつも通り)無言で一部始終を見守っていたが、逃げ出した行商人から視線を外そうとはしなかった。

 村外れ、先ほどよりも幾分遠くの街道の分かれ道まで逃れた行商人は、さすがに息が切れて立ち止まった。視線を感じて、そっと後ろを窺う。
 少し小高くなった斜面の頂に、小さな人影が見えた。先ほど一言も喋らなかった年寄りの方の森番だ。
 行商人はつぶやく。
 これは、隙がないな。どうしたものか。
 しばし思案したのち、行商人(既にそれが正体ではないことは明白だが)は北西に向かう街道に足を向けた。

 オルウェンは行商人を名乗る怪しい男が余所へ通じる街道へ進んだのちもしばらく監視を続けた。
 このとき、彼が抱いていた疑いは略奪を企む近隣領主や盗賊が寄越した偵察とか下見の類ではないか、というもので、通常であればそれらの可能性が高い。
 だが、このときはそのいずれでもなかった。神ならぬ身のオルウェンには、それを知る術も無いが。

 行商人に偽装した曲者が選んだ北西へ向かう街道の先は、エショフールに繋がっていた。
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