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エリィ・ゴールデン ~ブスでデブでもイケメンエリート~ 作者:四葉夕卜/よだ

第四章 グレイフナーに舞い降りし女神

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第16話 オシャレ戦争・その10

   ◯


 グレンフィディックとの会合の日になった。

 約束は午後六時なので、それまで首都グレイフナーの五番街にある噴水広場で撮影ロケをし、コバシガワ商会に戻って各縫製店とのやり取りを確認する。デニム生地とメソッドの生地が大量に入荷されたので、細かい指示を出しておかないと雑誌発売までに服が間に合わない。

 ざっくりとした進行状況は、雑誌の進捗が50%、洋服の進捗が40%といったところだ。

 雑誌は四万部を目標にしているので、ガンガン“複写コピー”で印刷をしていく。四十二ページの雑誌が四万部だから、しめて百六十八万回の“複写コピー”が必要だ。火魔法使いは総勢で三十人雇った。一人頭五万六千回の計算になるな。

 余剰資金で、魔力補充をするマンドラゴラ強壮剤を大量購入しておいた。

 そのせいか、時折上の階から「はははは! “複写コピー”だぁ!」とか「我、印刷の化身! “複写コピー”!」など意味不明な掛け声が聞こえる。強壮剤のせいでテンションがおかしなことになっているらしい。
 スルメの弟、黒ブライアンと、スルメの家臣、おすぎも大活躍だ。経験者の彼らが積極的に印刷版の指揮を取っている。

 本日の会合についてはすべての従業員が知っている。
 もちろん母アメリアと父ハワードにも伝えてある。

 ゴールデン家の面々が会合に参加するかは不明であるが、少なくとも長女エドウィーナと次女エリザベスは仕事が終わり次第その足でここに来るらしい。二番街にあるコバシガワ商会と、一番街にある魔導研究所は歩いて十五分ほどの距離だ。

 近場なので来やすいということもあるが、二人がここへ来る一番の理由はグレンフィディックの謝罪する姿をその目で見たいからだ。

 じじいが謝ると決まったわけではない。だが、俺の交渉がうまくいけば謝罪を引き出せる可能性はある。
 その場の流れ次第ってとこだな。

「向こうは何人で来るのかしら」
「ご当主グレンフィディック様と、執事のジャック様の二人のみ、とのことでございます」
「あら、二人だけなのね」
「わたくしも大勢で押しかけてくると思っておりましたので、意外でした」
「どちらでもいいんだけどね。では、メインフロアの応接スペースを使いましょう」
「お嬢様のお心遣いに感謝いたします」

 クラリスは完璧なメイドの礼をし、こちらに向き直った。
 メインフロアにある応接スペースは、観葉植物で区切られているだけだ。そのため、フロアで仕事をしていると中の話し声が薄っすらと聞こえる。

「我々もお二人の対談を聞きたいと思っております。従業員は全員、激怒するアメリア奥様の姿を忘れておりません。その原因であるグレンフィディック・サウザンドという男をこの目で見て、何を話すのか、知りたいのです。そしてお嬢様と、お嬢様のお母様であるアメリア様に害があるのであれば全力で戦うつもりでございます」
「それは、魔法的に戦うって意味じゃないわよね」
「両方です。魔法でも、ビジネスでも」
「ここで決闘騒ぎはダメよ。……といっても聞いてくれなそうね。そうならないよう努力するわ」
「お嬢様はいつも努力しておいでです」

 クラリスが一礼する。

「応接スペースを少しばかり拡張しておきます。ソファを二脚ほど追加しておきましょう」
「そうね。お母様が来てもいいように」
「はい。奥様がいらしてもいいように」

 とは言ったものの、母アメリアが会合に現れるとは思えない。

 エイミーとエドウィーナはアメリアをグレンフィディックに会わせたくないのか、万が一鉢合わせる事態を考慮し、会合の日程を伝えるべきではないと俺に主張した。
 エリザベスは、分からない、とただ困惑していた。

 俺としては、アメリアとグレンフィディックはどんな形であろうと一度会うべきだと思う。親子が同じ街に住んでいるのに会話もしないとは寂しいもんだ。そして何より、グレンフィディックは男として、父親として、アメリアに謝罪するべきだろう。許しを乞うのではなく、誠心誠意謝罪するのだ。

 そうしないことには二人とも過去に引きずられたままだ。

 エイミー、アリアナ、パンジーも会合には出席する。
 向こうがどう出てくるのか牽制しつつ、まずはパンジーの成長ぶりをグレンフィディックへ見せつけてやろう。少しは己を省みてくれればいいが。


    ◯


「お嬢様、グレンフィディック様が到着いたしました」

 第一会議室で洋服のコーディネートについて話し合っていると、ドアがノックされた。
 俺とアリアナ、エイミー、パンジーは顔を見合わせる。パンジーはかなり緊張しているのか、表情を硬くした。

「あらそう。行きましょ」

 できるだけ気軽な調子で言い、四人で部屋を出る。

 作業台や事務机が並べられたメインフロアにいる従業員達は立ち上がり、じっと入り口を見ていたが、俺達が会議室から出てくると一斉にこちらへ視線を向けた。

 従業員に笑いかけながら進み、入り口に立っているグレンフィディックとジャックの前まで歩いて、レディの礼を取る。

「本日はご足労いただき誠にありがとうございます」
「ああ、うちの執事がどうしてもと言うのでな。執務の時間が運良く空いていたので寄らせてもらった」

 少しやつれた表情のグレンフィディックが、言い訳がましく言葉を並べる。俺の右後ろにいるパンジーを見つけると、双眸を開き、わずかに瞳を揺らした。

「あまり時間がない。話とやらを聞こうか」

 広い額には深い皺が刻まれ、彼は何かをごまかすように肩をすくめてみせる。

「まあ、それはいけませんわね。では奥の応接ソファまで参りましょう」

 商会の主としてグレンフィディックとジャックを案内する。
 振り返る瞬間ちらりとジャックを見ると、目礼を返してきた。グレンフィディックをここまで引っ張り出してきたのは彼の功績だ。

 俺が先頭に立ち、グレンフィディックとジャックが続き、アリアナ、エイミー、パンジーがその後ろを歩く。すれ違う際、従業員が恭しく頭を下げる。グレンフィディックに下げているのではなく、俺に対して礼を取っているのだろう。あまり敵意をむき出しにされても困るから、体裁が取れてちょうどいい。

 葉が覆い茂る観葉植物が二重に置かれ、メインフロアと区切られた応接スペースへと入り、ジャックと俺は向かい合ってソファに座った。他のメンバーは横に控えた。

「ずいぶんと物々しいですわね」
「ほう。もう気づいたか」
「これだけ建物の前に魔力が集まれば、誰だって気がつくでしょう」

 どうやらグレンフィディックはこの建物の入り口に、私兵を数十人並べているらしかった。

「私を誘拐するつもりですか?」
「いいや、その逆だ。わしがおぬし達に攻撃されるかもしれんからな」
「まあ。私がそんな野蛮人に見えますの?」
「見えぬな。だが、わしは六大貴族の当主。当然の備えだと思うが……?」
「否定はいたしませんわ」

 こちらへの威圧と、サウザンド家当主としての見栄で私兵を連れてきたんだろう。
 クラリスが紅茶を人数分淹れ、俺の耳元で「白魔法師が外に二十名おります」と囁いた。

 首都グレイフナーでも白魔法師は貴重な存在だ。それを二十名も連れてくるとは、サウザンド家の威光がどれほど強いのかうかがえる。

「グレンフィディック様、ご紹介致しますわ。私の姉、エイミー・ゴールデンです」

 話を切り替えるため、エイミーを紹介した。

「ごきげんよう。ゴールデン家三女、エイミー・ゴールデンでございます」

 エイミーが完璧なよそ行きモードで粛々とレディの礼を取る。
 これは怒っているときのエイミーだ。さすがのエイミーも、グレンフィディックの態度には腹を据えかねるらしい。

 グレンフィディックは検分するようにエイミーを見つめ、鷹揚にうなずいた。

「エリィと似ているな。目元がそっくりだ。美しい」
「はい。私の自慢の姉ですわ」
「並ぶと黄金の女神が並んでいるように見えるな。二人はさぞ仲がいいのだろう。しかし、残念な話ではある。エリィは今日をもってゴールデン家の人間ではなくなるのだからな」
「……何を仰っているのかしら?」
「なに、言葉どおりだ。おぬしは今日からサウザンド家の人間だ」

 グレンフィディックはソファから身を乗り出して、肘を両膝に置き、手を組んだ。
 背後にいるジャックが困惑した顔をする。
 横にいるエイミー、アリアナは怪訝な表情を作り、パンジーは驚いて口元を手で隠した。

「やはりおぬしはサウザンド家に必要な人間だ。今日会って、確信した」

 グレンフィディックは灰色の怜悧な瞳をこちらにぶつけ、探るように見つめてくる。

「そのあまりある才能をサウザンド家で使ってみたいとは思わないか? ゴールデン家より資金は潤沢にあり、使える人材も豊富だ。洋服に必要な綿の供給も行っている。この条件が揃っていれば、ここまで苦労することもなかったはずだ」
「苦労させられたのはあなたのせいですわ、グレンフィディック様。私はゴールデン家の人間です。養子に入るなど、お父様とお母様が許さないでしょう」
「納得させれば我が家に来るのだな?」
「いいえ。例えこの大地が逆さになったとしても、あなたの養子にはなりません」
「ならば強引な手段でこちらに来てもらうまでだ」

 グレンフィディックは背をソファへもたれさせ、腕を組んだ。

「綿の流通を動かす。ここまで言えば聡いおぬしならどうなるか分かるであろう」
「……そういうことね」

 このじじい、改心するどころか徹底的にやるつもりだ。
 これ以上エリィに嫌われても意に介さないらしい。

 はっきり言って最悪のパターンだ。綿を押さえられている以上、ミラーズとコバシガワ商会に付いている店すべてが被害を被る。こちらの傘下にある店に、綿を高く売りつけ、経営を立ち行かなくさせるつもりだ。

 いくら新しい服が売れているからといって、今より値段が跳ね上がったら客足は遠のく。そこを、後追いの服飾店につけこまれれば、間違いなくミラーズは潰れる。

「話は以上だ。何か言いたいことはあるか」

 グレンフィディックはこちらをじっと見つめる。
 彼は酒の飲み過ぎでやつれ、顔色も良くない。一見すると自信ありげな雰囲気に飲み込まれそうになるが、己の発言を妄信者のごとく信じ、それに縋り付いているようにも見える。

「ないなら、書類を持ってこさせよう。私が言えば手続きはすぐ済む。エリィは今日限りでゴールデンの名を捨て、サウザンドになるのだ」
「おじい様!」

 グレンフィディックの声を遮り、パンジーが大きな声を出して、一歩前に出た。

「これがおじい様がしたかったことなの!? 自分の孫であるエリィさんをこんなに困らせて一体何が楽しいの!? おじい様はもっと寛大で、お優しい方よ!」

 パンジーはスカートを握り、しっかりと自分の祖父を見つめ、そして睨んだ。前髪を切った彼女の視線をまともに受けたグレンフィディックは、わずかに片眉を上げた。

「おじい様はいつも私を可愛がってくれた。魔法だって教えてくれたし、忙しい時間を縫って勉強も見てくれた。私が泣き止まないときは、自分の若い頃の失敗談を話して笑わせてくれた……。私の好きなおじい様はどこに行ってしまったの? ねえジャック、教えてよ。私の……おじい様は……どこに行ったの?」

 涙声で話すパンジーを見て、グレンフィディックの背後に立っているジャックが悲痛な表情を作る。

「ねえジャック! 答えて! 私のおじい様はどこへ行ったの?!」
「パンジーお嬢様……」

 手を固く握りしめ、ジャックは苦悶の声を漏らす。
 無表情を作っていたグレンフィディックが、おもむろに口を開いた。

「パンジー、私と家に帰るんだ」
「いやっ!」
「おまえが明るくなったことには……礼を言おう。しかし、エリィはサウザンド家で貰い受ける。それは変わらん。決定事項だ」
「いやっ! 私、帰らない! おじい様はエリィさんがどれだけ家族を好きなのか知らないんだわ! だからそんなひどいことを平気で言えるのよ!」
「わしもエリィを愛しているぞ。ひと目見た瞬間からな」
「それならこんなことやめて! お願いよ! やめてくれるなら家に帰るから! だからもうエリィさんをいじめないでっ!」

 パンジーは両目を真っ赤にし、ぽろぽろと涙を流してグレンフィディックに詰め寄った。
 だがグレンフィディックは変わらぬ調子で首を横に振った。

「やめぬ。エリィはこうなる運命なのだ」

 自分を曲げない祖父の反応を見てパンジーは頭に血がのぼったのか、テーブルにあったシュガーポットを無造作につかみ、グレンフィディックへ投げつけた。

 角砂糖が宙を舞い、蓋とポットがグレンフィディックへ飛んでいく。

 彼にぶつかる前に、素早く蓋とポットをつかんだのは、ジャックだった。グレンフィディックは当然のようにそれを見つめ、表情一つ変えない。

 ばらばらと角砂糖が床に落ちる音が響く。
 ジャックはゆっくりとソファの後ろからテーブルの前へ回り込むと、つかんだシュガーポットを元の位置へ戻し、そのまま床にひざまづいた。

 グレンフィディックが何事かと目を少し見開いた。

 ジャックは頭を垂れたまま、はっきりとしたバリトンボイスを発した。その声は力強く、迷いがなかった。

「旦那様。今日を持ちましてサウザンド家の執事を辞めさせていただきます。孤児であった私をいっぱしの人間へと育ててくださった御恩はこのジャック、一生忘れません。私のようなどこの出自かも分からぬ人間を友人のごとく扱ってくれたグレンフィディック様は、男気溢れるお方でございました。弱き者を助け、強き者に立ち向かう、男の中の男でございました。決して自分の愛する孫娘を泣かせるようなお人ではございませんでした」

 ジャックは立ち上がり、パンジーのもとまで歩いて彼女の涙をハンカチで拭った。
 パンジーはあまりの驚きで怒りが吹き飛んだのか、放心状態でなすがままだ。

 彼女の話では、ジャックはグレンフィディックに五十年以上仕えていると聞いている。
 ジャックが主を見限るなど、露程にも思っていなかったらしい。

「私の知るグレンフィディック様は残念なことにお隠れになってしまったようなので、グレンフィディック様らしきあなた様に伝えさせていただきます。今まで良くしてくださり、誠にありがとうございました」

 ジャックはグレンフィディックに向き直ると、右手を胸に当て、執事の礼を取った。

「今後はパンジーお嬢様とエリィお嬢様に仕えさせていただきたく存じます」
「おぬし……それがどういう意味か分かっているのか」

 グレンフィディックは動揺と怒りで顔を歪めた。
 ジャックの決断はグレンフィディックに相当の衝撃を与えたらしく、保っていた平静を乱し、テーブルを思い切り叩いた。

 ティーカップが飛び跳ね、大きな音が鳴り、パンジーとエイミーがびくりと肩を震わせた。
 アリアナは俺を守るつもりなのか無表情でこちらへ移動した。

 商会内から微かに聞こえていた仕事の音が一斉にやみ、しんと周囲が静まりかえった。

「おぬしを拾い上げた大恩を忘れ、わしを見限るというのか! わしに誓った忠誠を忘れたとは言わせぬぞ!」
「あなたはグレンフィディック様ではございません。ただの腰抜けです」
「なにっ……!」

 ジャックの言葉にグレンフィディックは顔面を真っ赤に染め上げ、勢いよく立ち上がった。

「貴様……執事の分際で暴言を吐くとは……」
「ですから申し上げたではないですか。もう私はあなたの執事ではございません」
「黙れ! この薄情者が!」
「あなたに何を言われようとも、私の意思は変わりません」
「ジャック、許さぬぞ!」

 グレンフィディックが怒りを露わにし、腰に差した杖へと手を伸ばしたそのときだった。

「何事なの!」

 全員が声のする方向へ顔を動かした。

 応接スペースに飛び込んできたのは、エドウィーナとエリザベスだった。
 彼女達は杖を構え、俺達へと視線を滑らせた。

「会合があると聞いて来てみれば、言い争いの真っ最中とはね」

 呆れた顔でエドウィーナが豪奢な金髪をかき上げた。

「エリィ、大丈夫なの?」

 きつい口調でエリザベスが言い、吊り目をさらに吊り上げて俺を睨んでくる。
 彼女特有の心配したときの表情だ。知らない人が見たらエリザベスが怒っていると勘違いするだろう。

「大丈夫よ」

 二人に笑いかけ、両手を広げてみせる。
 するとエドウィーナが豊満な身体を揺らしながら応接スペースへ入ってきて、優雅に一礼した。

「ごきげんよう。わたくし、ゴールデン家長女、エドウィーナ・ゴールデンと申します。妹がずいぶんとお世話になっているようですわね、グレンフィディック・サウザンド様」

 そう挨拶されたグレンフィディックは、エドウィーナのことなどまるで見ていなかった。
 彼の目は、エリザベスへと吸い寄せられていた。
 両目を見開き、わなわなと身体を震わせ、抜きかけの杖を取り落として床へ転がした。

 グレンフィディックの視線を浴びるエリザベスは、両目を細め、顎をくいっと上げ、仕方がないと言わんばかりにちょこんとスカートの裾を取った。彼女の強気な一面が、全面に押し出されていた。

「ごきげんよう。ゴールデン家次女、エリザベス・ゴールデンですわ」
「………エリザベス」

 グレンフィディックは両頬を目に寄せ、眉間に皺を作り、両手を突き出してふらふらとエリザベスに向かって歩き出した。テーブルに足がぶつかり、ガチャリと音を立ててティーカップがひっくり返って茶色の液体が床へ落ちる。

「……エリザベス……なのか?」

 幽鬼のようにグレンフィディックが近づいてくる。
 訝しげな表情でグレンフィディックを見るエリザベスは何かに気づいたのか、キッとじいさんを睨みつけた。

「私はエリザベスおばあ様ではございません! 勝手に私とおばあ様を重ね合わせないでくださる? あなたにそんな権利はございませんわ!」

 自分をアメリアの母と見立てているグレンフィディックに嫌悪したのか、エリザベスが激昂した。
 彼女は心根の優しい女だが、本気で怒ると恐ろしい。

「下がりなさい! 私に触れたらただじゃおかないわよ!」

 グレンフィディックはその剣幕にたじろぎ、足を止め、助けを求めるように周囲を見回した。

 ジャックは小さく首を横に振り、パンジーは睨み、アリアナは無表情で、エイミーはあわあわと視線を彷徨わせ、エドウィーナは軽蔑した視線を向け、エリザベスは怒り心頭なのか顔を赤くした。

 そしてエリィは……

「エリィ……」

 グレンフィディックはエリィに助けを求め、名前をつぶやいた。

「グレンフィディック様……」

 たぶん悲しい顔をしている。
 今の言葉もエリィが発したものだ。

 深い憐憫がエリィの心を満たしたのか、俺も悲しい気持ちになった。

 すべてはグレンフィディックの過ちから始まったことだった。
 彼が一度でもアメリアの母であるエリザベスに会っていれば、こんなことにはならなかった。孫と祖父のあいだに溝も生まれなかった。
 いや、少なからず溝はできたかもしれないが、これほどまで決定的にすれ違うことはなかっただろう。

「どうか謝罪を。いまあなたができることは、それだけです」

 グレンフィディックはエリィの美しい声色を聞いて身をびくりと震わせ、頭を抱えた。六大貴族の名誉や威厳はなく、ただ震える初老の男の姿がそこにはあった。

 エリィは立ちすくむ彼に近づき、そっと手を握った。

「過ぎてしまったことだもの。もう愛した人の影を追うのはやめましょう?」
「エ……エリィ……」
「家名を守るため決別したとはいえ……たった一度でも会えるチャンスはあったわよね?」
「あ……あああ………」

 もはや、感情が高ぶって俺が言ったのかエリィが言ったのかよく分からない。グレンフィディックにとって苛烈な言葉がエリィの口から投げかけられる。

「少しでも時間を作ればエリザベスおばあ様に会いに行けたはずだわ。でもあなたはそれをしなかった。その過去は消えない。おばあ様もお母様も傷ついた」
「あ……ああ……っ!」
「……謝罪をしましょう。すべてはそこから始まるわ………おじい様」

 決してグレンフィディックに対して言うことのなかった“おじい様”という言葉は、強烈な意味を持って応接スペースに響いた。

 ジャックとパンジーはハッとした表情になり、エイミー、エリザベス、エドウィーナ、クラリスが驚いて口をあんぐりと開けた。

 グレンフィディックは電撃に打たれたように顔を上げ、エリィの手を強く握った。彼の瞳には涙があふれ、灰色の瞳が揺れた。

 意地を張らずに、自分から歩み寄ろうと最初から決めていた。
 エリィが嫌がって“おじい様”という言葉が出てこないかとも思ったが、彼女もどうやら俺と同じ考えだったみたいだ。さすがはエリィ。いい子だ。

「エリィ……わしは……!」

 エリィは意地を張らずに彼を祖父と認め、自ら歩み寄った。
 グレンフィディックはそんなエリィの熱い情を感じて折れてくれる。そう思った。

 だが、グレンフィディックの取った行動は全員の斜め上をいくものだった。

 彼は俺の後ろに素早く回り込むと右腕を首に巻き付け、こともあろうに予備の杖をポケットから取り出し、エリィの顔に突きつけた。


 ———!!!?


 これに驚いた全員が、一斉に杖を出してグレンフィディックへ向けた。

 クラリスは悪鬼のように顔面を強ばらせ、アリアナは鞭を構えて射殺すほどの視線をグレンフィディックへ向ける。

「今更謝罪などできぬ! わしは充分に苦しんだ! 家名を守るために愛する女を捨て、別の女と結婚し、懸命に白魔法を習得して行きたくもない遠征に何度も足を運んだ! 世界の果てへの遠征なぞ何度死にかけたか分からん! これ以上わしにどうしろというのだ!」

 グレンフィディックは耳元で喚き散らし、俺をつかんだままじわじわと壁際へと移動する。

 クソじじい!
 錯乱しやがったな?!

 どうする?
 このじいさん、俺がかなり強いと知っているのか、杖を向けて身体強化をしている。身体強化しながら魔法を放つことはポカじいぐらいにしかできない芸当だ。ということは、グレンフィディックが俺へ杖を向けるのはデモンストレーションで、身体強化を利用してこのまま逃げるつもりってことか。むしろ最初からその予定だった、とか?

 身体強化の強さは“上の下”といったところだ。
 かつては900点台を取ったことのある実力者。もう一段階、強化を上げることができるはずだ。ナメてかかるとまずい。

 そうこうしているうちに従業員達が重大な事態になったと気づき、応接スペースへと駆け込んできた。
 グレンフィディックに杖を向けられるエリィを見ると、全員が目を吊り上げ、一斉に杖を掲げた

「お嬢様をはなせ下郎!」「くそったれが!」「エリィお嬢様になんてことを!」「そこを俺と代われ!」「おまえが触れていいお方ではない!」「やめなさい!」「サウザンドォ……」「炎の鉄槌、受けてみよ!」「ぶっ殺す!」「エリィお嬢様ぁ!」

 ジャック、パンジーを先頭に、エイミー、エリザベス、エドウィーナ、クラリスが杖を向ける。
 アリアナはすぐにでも鞭が振れるよう、限界まで引きしぼる。
 その後ろに従業員三十名ほどが並ぶ。
 約四十本の杖の先がこちらに向けられるのはかなりの迫力だ。

「おじい様、見損ないました」

 さすがのパンジーも怒り、失望を隠そうとしない。

「旦那様……いえ、元旦那様! そのようなことをしても何の解決にもなりません! どうしてそれが分からぬのですか!」

 ジャックが声高にグレンフィディックを諌める。

 グレンフィディックはすべての言葉を無視し、ずりずりと俺を引きずると、壁に蹴りを入れた。

 身体強化された蹴りで商会の壁が破壊され、外の空気が一気に流れ込んでくる。六階建ての五階にある商会の壁の外には、きらびやかな二番街とその奥に続く一番街。さらにはグレイフナー王宮が薄っすらと見えた。

「わしは祖父と呼んでくれるエリィがいてくれればそれでよい。ひと目見たときから思ったのだ。この子は、契りの神ディアゴイスがわしに遣わした女神だとな」

 そう言いながら、もう一度壁に蹴りを入れる。
 人が二人通れる大きさの穴があいた。
 建物の外から叫び声が聞こえる。
 サウザンド家の白魔法師が異変を察知し、建物へ突入したらしい。

「わしはグレイフナーを去る。パンジーに会えぬことだけが心残りだ。おぬしも一緒に来るか?」
「……どこに行くつもりなの?」

 パンジーが悲しげに尋ねる。

「どこか遠くへ。どこへでもない、サウザンドの名を知らぬ土地へ」
「おじい様……」

 このじじい、また逃げる気だな。
 しかも寂しいからって優しさを見せたエリィを連れて行くつもりか。

 はっはぁん……これはもう完全におしおき確定ですなぁ……。

 グレンフィディックにバレないよう、じわりと魔力を循環させる。
 微弱な“電打エレキトリック”で怯ませ、拘束から抜け出し、急所に拳を叩き込む。
 そう決断し、集中する。

「意気地なし……。おじい様の意気地なしぃぃっ!」

 パンジーが叫んだそのときだった。


 ——ドグワバギャアッ!!!


 応接スペースの植え込みが爆発によって粉々になり、八方へと飛び散った。



     ◯



 突然の爆発に全員が身体を縮め、悲鳴を上げる。

 二重の植え込みは跡形もなかった。
 爆発により舞い上がった残骸がバラバラと床へ落ちていく。
 近くにいた従業員は地面を転がり、緊張した場面で急に爆音が響いたものだから腰を抜かす者が続出した。

 爆発の向こうに、母アメリアと、父ハワードが立っていた。

 その後ろには、白ローブから杖を出したサウザンド家の白魔法師が二十名ほどおり、半分が気絶していて、もう半分はアメリアを見て顔面を蒼白にしている。

 突然現れた母に、エイミー、エリザベス、エドウィーナは顔を青くし、ジャックとパンジーは驚きのあまり抱き合い、クラリスは気をつけの姿勢を取った。
 アリアナだけは俺を取り返そうと、鞭を構えてじいっとこちらを見つめている。

「ひいいいいっ!」「お助けをぉっ!」「ママァン!」「静まりたまへ!」「びぎゃあああっ」「こわひ……」「おでの足がおバカになった」「あわわわわ!」「アメリア奥様っ?!」「たすげでええええ」

 気の弱い従業員と、アメリアの怒りに耐性がない従業員が、あまりの恐怖で口々に悲鳴を上げる。

 母アメリアは憤怒をむき出しにし、青筋を浮かべ、奥歯をぎりりと噛み締めて、両目を真っ赤にして限界まで広げていた。
 美しい切れ長の瞳をその面影を一切残さず怒りに燃やし、顔中の筋肉を獰猛な獣のごとくひくつかせ、体中から血が吹き出そうなほどに全身を硬直させる。怒りで身体の制御ができないのか、小刻みに震えている。

 彼女はゆっくりと口を広げていき、耳の後ろまで裂けんばかりに口角を吊り上げた。

「がああああああああああああああああっ!」

 アメリアが叫んだ。

 右手に持っていた杖をぐしゃりと握り潰し、目にも止まらぬ速さで跳躍する。
 ソファを飛び越え、空中で思い切り右腕を振りかぶった。

「アメリ………」

 グレンフィディックのじじいが娘の名前を途中まで言ったところで、拳が顔面にクリーンヒットした。

「ア゛ッ!!!!!」

 俺をつかんでいた腕がすっぽ抜け、じじいが吹っ飛び、壁にできた穴のちょうど真横にぶつかった。

 精神が乱れてお互いに身体強化が切れかかっていたらしい。
 壁ごと階下に落ちず、じじいはずりずりと背中で壁をこすって膝を付き、うつぶせに倒れた。

 アメリアは着地するとすぐさま跳躍し、全身を縮め、じじいの後頭部へ身体のバネを利用した強烈な両足蹴りをお見舞いした。

 ガツン、と鈍い音がしてグレンフィディックの頭が跳ねる。

「これぐらいじゃ死なないわよねええええ?! 魔闘会無敗の英雄さまだものねえええええええええっ!!!!」

 完全にブチギレているアメリアはグレンフィディックの後頭部を持ち上げ無理矢理立たせ、壁に押し付けた。

 彼は条件反射なのか、朦朧とした顔つきだったが“治癒ヒール”を唱えた。
 魔法が光ってグレンフィディックを包む。

「このろくでなしいいいいいいっ!」


 ——バチィン!


 力任せに振り上げた右手がじじいの頬を張った。
 グレンフィディックは驚愕と悲しみを顔中にぬりつけた表情になり、顔をゆっくりと正面へ戻してアメリアを見つめた。髪が乱れて額にかかり、唇が切れている。

「この卑劣漢っ! 女の敵ぃぃぃぃっ!」


 ——バチン! バチン!


 ビンタが二発飛び、渇いた音が二回響く。


「くそじじい! 大バカ野郎ッ! 詐欺師ッ!」


 ——バチン! バチン! バチン!


 アメリアが叫ぶたびにビンタが打たれ、グレンフィディックの顔が真横にすっ飛ぶ。力なく呼吸をしながらも、グレンフィディックは治癒魔法を唱える気がないのか、ビンタをされては顔を正面へ戻してアメリアを見つめた。

 アメリアの悲痛な叫びと、頬を張る渇いた音だけがコバシガワ商会に響く。

「お母様……」

 エリィがつらそうな声を出した。

 アメリアは、初めて会ったグレンフィディックに、今までの人生で感じたすべてをぶつけていた。

 ないがしろにされた母親の無念、窓辺で彼を待つ母の横顔、その母を理解できず苦しむ自分、決してグレンフィディックを悪く言わなかった母の笑顔と優しさ。

 なぜ一度も会いに来てくれなかったのか。
 どうして手紙の一つもよこさなかったのか。
 なんでできもしない約束なんかを結んだのか。

 母のことの愛していたのに、どうして?

 アメリアは心の叫びを力任せにグレンフィディックへとぶつけていた。
 初めて会う憎っくき父親がエリィを人質する愚行を見て、理性が弾けて感情のままに行動していた。

「お母様……」
「ああっ……」
「……ッ」

 エイミーが泣きながら両手を口に当て、エリザベスが何度も止めようと手を伸ばしては戻し、エドウィーナが苦しげに母を見つめる。

 クラリスは涙をエプロンで拭き、アリアナは俺を元気づけようと近づいて手を握ってくれる。

 ハワードは妻アメリアの乱心を止めようとせず、最後まで見届けるつもりなのか両手を握りしめてその光景を見逃すまいと瞬きすらしない。

 従業員達は六大貴族の当主をゴールデン家の妻がビンタしている姿にあっけにとられ、白魔法師らは張り手を甘んじて受ける当主に何か感じるところがあるのか、困惑しつつも静観している。

 しばらくし、肩で息をするアメリアがビンタを止めて、押さえつけている左手を離した。

「おまえはお母様との約束を破った! しかもエリィを誘拐しようとした! 最低よ! 最低最悪の卑怯者よ! 何とか言ったらどうなのこのくそじじいいいいいぃぃっ!!」

 アメリアは吊り目を燃え上がらせ、相手を焦がすほどに睨みつける。

 グレンフィディックはその言葉を受け、力なく壁にもたれたまま、真っ赤に腫れ上がった頬を上げた。

「……似……ている」

 一瞬だけハッとしたアメリアは、すぐに両目をキッと吊り上げて右手を振りかぶった。

 バチン、と頬を張る音が響く。
 すくい上げるようなビンタに、グレンフィディックの顔がのけ反った。

「うるさい! そんなことはどうだっていい!」
「………あいつの……娘……なのだな」
「だまりなさい!」

 もう一度グレンフィディックの頬が張られ、音が響いた。

「似ている………あいつに、似ている………」

 叩かれた顔を上げたグレンフィディックは、鼻血を流し、口が切れ、そしていつの間にか涙をぼろぼろとこぼしていた。顔中をしわくちゃにし、嗚咽をこらえて歯を食いしばっていた。

「……あいつを……愛していた……」

 その言葉を聞いたアメリアはカッと頭に再度血がのぼり、ビンタではなく拳を振り上げ、じじいの顔面に叩きつけた。

 鈍い音が鳴り、グレンフィディックの顔面が後方へはじけ飛ぶ。

「どの口が言うの! どの口がああああああ!」

 アメリアに拳と言葉を叩きつけられたグレンフィディックは、涙を隠そうともせずに頭をのそりと正面へ戻し、彼女へと向けた。

「あいつに………会ったとき……胸が震えた………あいつと話すたび……心が高鳴った………」
「なぜ!? なぜ会いに来なかった!?」
「会ったら………サウザンドに帰れる……自信がなかった………あいつはわしの………すべてだった………」
「絶対うそよ! うそを吐くんじゃないッ!」
「………うそだったら……よ……よかった……よがっだ……」

 グレンフィディックは自分自信の言った言葉に、堪えていた嗚咽が決壊した。

「わじは………間違った選択をじだ………!」

 う゛う゛う゛っ、と声にならない声を漏らし、グレンフィディックは号泣しながら激痛に耐える患者のように右手で自分の胸を押さえ、左手でアメリアの肩をつかんだ。
 彼の顔は最愛の人との甘い蜜月の日々を思い出し、それを自分の手で壊したことを後悔し、彼女の死を深く悲嘆していた。

「わじは………バカだっだ………っ!」」

 アメリアはグレンフィディックの顔を見て堰を切ったように涙が溢れ、大粒の雫が糸を引いて形のいい頬と顎をつたう。

 彼女は目の前にいる男への憎しみと、窓辺を見る母への愛と、自分が人生で感じてきたすべての悲しみを一人で抱えて生きてきた。目の前にいる母親が愛した男を見て心が乱れ、自分でもどう反応したらいいのか分からなくなっていた。

 彼女は目を開き、眉を下げ、口をへの字に曲げた。

「知ってるわよぞんなごどぉ!」

 号泣しながら右手を振り上げ、拳をグレンフィディックに叩きつける。
 ガチン、と鈍い音が響いて少しばかりの鮮血が飛び、グレンフィディックは足の力が抜けてずりずりと背中で壁を滑って尻もちをついた。

「全部あんだのせいだ! お母様がいつもざびじぞうだったのも! お母様が死んだのも! ぜんぶ! ぜんぶっ! ぜんぶっ!」

 アメリアが胸の内を言葉にして浴びせかける。

 実の娘に殴られ、決定的なことを言われ、グレンフィディックは涙と血でぐしゃぐしゃになった顔をさらに情けなく歪ませ、両手を床へついた。

「うぐぅっ……ぐうううううっ……」

 大粒の涙が床に落ちていく。

「ア゛メ゛リ゛ア゛……」
「気安く呼ぶんじゃない!」

 アメリアが四つん這いになっている父親を踏みつけた。

「バガ! 大バガァ!」

 興奮しすぎて肩で息をするアメリアは、あまり力の入っていない足でグレンフィディックを踏みつける。

「どうじで?! ごながっだ?! 一度も! どうじで?!」

 鼻声で涙をぼたぼた流して、言葉と一緒にグレンフィディックを踏みつける。
 グレンフィディックは肩を踏まれ、床に額を擦りつけながら泣いて叫んだ。

「ずまながっだ! ずまながっだぁぁ!」
「うるざい゛! うるざい゛ぃぃぃっ!」
「申し訳な゛がっだ! ずばながっだ!」
「今さら、謝っても! お母様は! がえっでごない!」
「ずばながっだ! アメリア゛! エリザベズッ!」
「許さない゛! 絶対に゛!」
「ずばながっだ! ずばながっだ! ずばながっだ!」
「うるざあぁぁぁぁい゛っ!!!」

 グレンフィディックは涙をまき散らしながら情けなく大声で謝罪し、ごんごんと自ら額を床に擦りつける。
 アメリアはそれを憎々しげに睨みつけ、滂沱のごとく涙を流しつつ彼の背中を踏みつける。

 男が女に会いに行かなかった。
 たったこれだけのことで二人はひどく傷ついた。
 俺は心ががらんどうになったような悲しみに襲われて胸がぽっかりと穴が空いた気分になった。
 エリィの目からは涙がとめどなく溢れてくる。
 アリアナが優しく握る手に力を込めてくれた。

 パンジーとジャックは「おじい様」「旦那様」と言いながら抱き合って泣いている。

 エイミーは人目をはばからずうわんうわんと号泣し、エリザベスは沈痛な面持ちで涙を拭き、エドウィーナはハンカチで目元を覆って母の顔を追う。

 ハワードは直立不動の姿勢で涙を拭かずにただただアメリアとグレンフィディックを見つめる。

 クラリスは立っているのもつらいのか、しゃがみこんでエプロンの端を噛んで泣くことを堪らえようとするが、誰よりも涙を流す。

 商会の従業員達もいつしか杖を下ろして泣いており、サウザンド家の白魔法師も大体の内容が分かったのか半分以上が涙を頬へ落とした。

「ごのろぐでなじぃぃぃ! バガぁぁぁぁぁっ!」

 力なく最後にグレンフィディックを踏みつけると、アメリアはあまりの混乱とショックでがっくりと肩を落として膝をついた。
 倒れそうになり、さすがにまずいと思ったハワードが飛び出してアメリアを抱きしめる。

「わだじはあんだを許さない゛! でもお母様はあんだを一回も悪く言わながっだ……! ずっど待たされていだのに! 一度も゛!」
「う゛う゛う゛……アメリア゛……」
「悪口どころかあんだを素敵な人だと言っでいだ! だがらわだじはあんだを憎みきれない゛……!」
「あ゛あ゛……っ」
「だから腹が立つ! 頭にくる゛! バカバカバカバカぁぁ! ああああああもうやだぁあぁぁっ! おかあざまをがえじでぇぇぇ! うわぁぁぁぁぁぁぁん!」

 アメリアはハワードをぎゅっと抱きしめて子どものように泣いた。
 ハワードがきつく彼女を抱き返し、頭を撫でる。

 彼女の意識は遠い子供時代に戻っているのかもしれない。
 窓辺でいつもグレンフィディックを待っていた母の顔を思い出し、その母が語る父親の武勇伝や優しさを実際に会って少なからず感じたのかもしれない。

 憎んでいた相手が母親の語る人物像と重なる部分があり、アメリアはどうしていいか分からなくなって感情を爆発させた。

 一方グレンフィディックは、アメリアに殺されてもいいという覚悟で愛する女を断ち切ったんだと思う。それほどの固い決意で、一度も会いに行かないと決めた。

 だがグレンフィディックはその自分の決断で、愛する女とサウザンド家の当主の重圧で板挟みになった。我慢して我慢して、それが数十年も続いてエリィと出逢い、おかしな方向へと心を拗らせてしまった。

 だからエリィの邪魔をしたり、養子にすると発言したり、人質に取ったりと、突飛な行動をしでかしてしまった。

 そうでなければ昔の女のことやアメリアのことは忘れているはずだ。適当な男や軽薄な男がここまで号泣したりはしない。そういう奴らは権力を利用し、全部なかったことにしている。

 すべての原因は、グレンフィディックが真面目で、優しくて、弱かったことにある。
 素直に謝れず、突飛な行動でそれをかき消そうとし、かえって自分が傷ついていた。決してじいさんの行動は許されるものじゃない。だが、彼の気持ちはよく分かった。

 アメリアが大声で泣いている。

 ちくしょう……俺も涙が止まらねえよ。

「おじい様、お母様……」

 俺がどうにか涙を止めようとしていると、エリィが一歩前へ出た。

「黒き道を白き道標に変え、汝ついにかの安住の地を見つけたり……。愛しき我が子に聖なる祝福と脈尽く命の熱き鼓動を与えたまえ……」


 エリィは朗々と浄化魔法を唱える。


「“純潔なる聖光(ピュアリーホーリー)”」


 精緻な魔法陣がエリィを中心として一気に広がった。


 アリアナ、エイミー、エリザベス、エドウィーナ、クラリス、パンジー、ジャックの足元まで円が広がり、さらにアメリア、グレンフィディック、ハワードへと伸び、魔法陣はもっと大きくなって商会の従業員と白魔法師の足元まで達した。本気の“純潔なる聖光(ピュアリーホーリー)”だ。

 銀色を煌めかせ、星屑が優しく微笑んでキラキラと降りかかる。
 エリィの優しさが詰まった“純潔なる聖光(ピュアリーホーリー)”は全員の身体へ吸い込まれていき、一時でもいいからみんなに安らぎを、と彼女が語りかけるように各人の表情を柔らかいものへと変えていく。

 エリィは魔力が切れるまで魔法を唱え続けた。

 魔力消費の激しいこの魔法を七十名近い大人に使い続け、目の前がブラックアウトする。
 俺を支えたアリアナが心配げに覗き込む顔が見えたところで、視界がふっつりと途絶えた。
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