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エリィ・ゴールデン ~ブスでデブでもイケメンエリート~ 作者:四葉夕卜/よだ

第四章 グレイフナーに舞い降りし女神

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第15話 オシャレ戦争・その9

 癒し系アホ犬のおかげで緊張がほぐれたパンジーは、準備された指定の場所へ座った。

 レストランの中庭には昼の太陽が降り注ぎ、テラス席や、観葉植物を照らしている。ゆったりとした時間が流れ、犬が気ままに芝生の上でごろごろ転がっている。

「ここでいいんですか?」
「ああそうだね。クラリスさんすみません。パンジー嬢のスカートが、上から見て円形になるよう広げて下さい」
「かしこまりました」

 テンメイの指示にクラリスが一礼し、パンジーに近づいた。

 整えられた芝生の上にはストライプ柄の布製レジャーシートが敷かれており、様々な小物類が中心部を空けて並べられている。小物類の主のごとく真ん中に座ったパンジーは緊張がぶり返したのか、身体を強ばらせた。

「失礼いたします」

 クラリスが膝をつき、パンジーの着ているワンピースを広げていく。

 総レースの膝丈ワンピースがレジャーシートに円を描いた。
 ペチコートを穿いているのでもちろん下着は見えない。

 パンジーが可愛い系の顔立ちなので、ワンピースにフリルなどの装飾はなく、大人の女性でも着れるデザインになっている。あまり甘い雰囲気にすると、一気にロリータ系へ傾いてしまう。『Eimy』のコンセプトにはそぐわないので、それは避けたい。

 腰を細い黒リボンで結んでベルト代わりにし、全体に締まりを出すアクセントにした。
 首にかけた大きめのネックレスは、胸の下まで伸びている。

 これらがパンジーの桃色の髪と融合すると……エンジェルの誕生ですわ。

 甘くなりすぎず、可愛さを最大限まで引き立てており、髪の桃色とワンピースの純白が合わさって彼女を別人へと変えていた。

「おお! 恋慕の神ベビールビルが中庭で遊んでいるようだ! 美しいっ!」

 まだクラリスがスカートを広げている最中だっていうのに、テンメイが叫んでシャッターを切った。
 カメラから写真用紙が出てきてひらひらと舞い、アシスタントがキャッチする。

「ではメイドの皆さん、小物の位置を少々変えます」

 テンメイは一刻も早く写真を撮りたいのか、大きな木製の脚立に上がってキャリーバックほどある大きさのカメラを担いだ。高さは三メートル。上から下へと見下ろす形でアングルを調整し、メイド達へ指示を出していく。
 重いカメラを支えるため、テンメイは身体強化をしているようだ。

 売れ筋のファッショングッズが、パンジーのスカートに合わせて位置を変えていく。

 ハンドバッグ、サンダル、化粧ポーチ、ポーチの中に入っている化粧品、杖、杖ホルスター、帽子、ネックレス、ペンダント、リボン。

 色とりどりの小物が、テンメイの指示で見栄えがいいように調整される。
 パンジーは緊張で固まったまま、その光景をぼんやり見つめていた。

「バッグから中身が飛び出したような雰囲気にしましょうか。バッグをパンジー嬢の右側へ……そうです。ポーチをその右上へ置いて、蓋を開けてください」

 テンメイがひどく集中した顔つきでカメラのレンズを覗きながら指示を出した。ゴールデン家のメイド二人とクラリスは、的確に小物類を配置し、作業が終わると揃って一礼して後方へと下がった。

「ではパンジー嬢、カメラを見て」
「は、はい!」

 テンメイの言葉にパンジーは上ずった声を上げた。
 出荷したてのロボットのように、角ばった動きでカメラを見上げ、彼女は硬い笑みを浮かべる。

「これは想像以上にいい画が撮れそうだ!」

 さすがはテンメイ。どんなときでも否定しない。

「恋慕の神べビールビルが露天販売をしているみたいに見える! すごくいいぞ!」
「……そうですか?」
「もちろんだとも! なんたって、モデルが可愛いからねぇ!」
「……まぁ」

 パンジーは満更でもないわと、はにかんで顔を伏せた。
 上から見るとどんな絵面になるのか気になって、テンメイに軽く断りを入れてから脚立をのぼった。邪魔にならないよう見下ろすと、パンジーの膝丈スカートがレジャーシートの上で円形を描いていた。

 布製レジャーシートの上に小さなお店を開くお嬢様、といった感じだ。
 スカートからのぞく細い足が可愛らしい。

「パンジー」

 軽く手を振ってやる。

「エリィさぁん」

 パンジーが嬉しそうに笑って手を振り返す。

「今ぞっ!!!」

 テンメイがすかさずカメラのシャッターを切った。
 写真が印刷され、ぺらりと用紙が落ちた。下で待ち構えていたアシスタントが素早く回収し、午前中と同じく背後に広げた布の上へ並べる。

「エリィお嬢様。どうやらあなたがここにいたほうが、パンジー嬢の緊張がほぐれそうだ」
「あらそう? ちょっとぐらぐらするけどここにいるわね」
「お嬢様。我々で押さえますので心置きなくご覧になってください」

 クラリスとメイドが脚立をしっかりと支えてくれた。

「パンジー、いまどんな気持ちかしら?」
「気持ち? うーんとね……」

 パンジーが人差し指を顎に添えて小首をかしげた。
 レジャーシートの上に女の子座りをし、レースのスカートをふわりと広げ、周囲に女子が喜びそうな小物を並べている彼女は、人間界に下りてきた人間好きの妖精みたいだった。

 彼女特有の桃色の頭髪が大きなアクセントになっている。
 コーディネートさえ間違えなければ、この髪は彼女の武器になるな。

「夢みたいな気持ち、かな? 好きな本に自分がモデルとして出るなんて、考えられないよ。どんな英雄譚の登場人物になるより、私は『Eimy』のモデルとして雑誌に載るほうが何倍も素敵だと感じるの」
「あら……そう言ってもらえると、この本を作ってよかったと思うわ」
「はい! エリィさんはグレイフナーの女性に夢と希望を与える人です!」
「ふふふ、そうでしょうそうでしょう」

 そうだろうそうだろう。
 なんたって現代知識をフル活用しているからな。

「パンジー。その気持ちのままカメラを見てちょうだい。あなたの夢が叶っている最中なのよ? 楽しまなくっちゃ損ってものよ!」
「分かりました!」

 こちらに向かって親指を立てるパンジー。

「いただきだっ!」

 テンメイが速攻でシャッターを切った。

「ではパンジー嬢。両足を揃えて右側に持ってきて、両手を太ももの上へ……。クラリスさん」
「かしこまりました」

 パンジーが足をずらしたのでスカートの形が乱れる。手早くクラリスが直した。

 それから三十分ほど、パンジーが座ったままポーズを取って撮影が進んでいく。
 どうにか緊張はほぐれているが、テンメイに言わせるとまだ硬さが残っているそうで、雑誌に掲載できるレベルの一枚が撮れないとのことだ。このままでは納得できる一枚にするのは難しいため、一度休憩を挟むことになった。

 休憩の合図をしようとしたときだった。

 何かを相談していたエイミーとアリアナが、うんとうなずきあって、羽つきアホ犬を抱えてパンジーの前に立った。
 なんだ? 犬で和ませる作戦か?

「このブローチとワンちゃんを交換してくださいな」

 思わずズッコケそうになった。

 エイミーが両手で犬を差し出して、にこにこと笑っている。

「私はこっち…」

 続いてアリアナがレジャーシートの上に置かれたヘアバンドを指差し、犬の首をつまんで片手で突き出した。
 いや、雑! アリアナさん、犬の扱いが雑ですよ?!

「はふぅん……はふぅん……」

 犬、首根っこつかまれてるのにめっちゃ嬉しそうだな、おい。

「“芝生のお店”にご来店くださりありがとうございます! 当店はワンちゃんと商品の物々交換は行っておりませんよ?」

 灰色の大きな瞳を左右に動かし、楽しげにパンジーが二人を見つめた。

 意外にもパンジーがノリノリだ。
 そういや、一度でいいから雑貨屋の店番をやってみたいとか言っていた気がするな。可愛いじゃねえか。

「それは残念! でも試着だけならいいよね?」
「ええ、それはもう!」

 エイミーが手に取ったブローチを胸元につけると、パンジーとアリアナが褒めそやした。
 アリアナも同様にヘアバンドを試着して喝采を浴びる。
 気づいたら女子三人でわいわいと話し始めた。

 パンジーはよほど嬉しいのか、頬を上気させ、店番らしく並べた小物を商品に見立てて紹介していく。

 やがてエイミーとアリアナの二人はお礼だと言って、パンジーの膝の上に犬を置き、もう一匹を彼女の横へと寝そべらせ、カメラに映らないよう後方へ下がった。犬は相変わらず「はふぅん」とまぬけに鳴いている。

 これはチャンスだ!

「パンジー! 私にもお店を見せてちょうだい!」

 彼女の目線をこちらへ向けさせるため、大きな声で呼んだ。

「はぁい! 芝生のお店、どうでしょうか?!」

 彼女はひまわりのような明るい笑顔で両手を広げた。
 頬を染め、口角をくいっと上げて、不安を一撃でふっとばすような柔らかい笑顔だった。


 ——パシャリ


 俺の横からシャッター音が響き、三メートルある脚立の上から落ちる写真用紙がひらひらと空中を舞う。
 アシスタントはそれを芝生につく前に跳んでキャッチし、何か確信めいた表情でこちらへと掲げた。



     ☆



 ジャックはパンジーがゴールデン家に入る姿を見届けると、踵を返してサウザンド邸宅へ向かった。

 エリィとその周囲に雇われている使用人達の働きには目を見張るものがあり、ジャックは護衛任務中、退屈を感じたことがない。何より、パンジーが楽しげにしている姿には何度も目頭が熱くなった。
 自分も歳を取ったな、と益体もなく考えつつ、路上を足早に進んでいく。

 夕暮れの首都グレイフナーは光魔法の灯りがともり、夜の帳が落ちようとしている。夕食の準備の音がそこかしこから聞こえ、路地の一本向こうにある大通りからは賑やかな声が響いていた。
 春先の温かい空気がジャックの執事服を撫で、そっと押しやるように後ろへと流れていく。

 不意に、ジャックは足を止めた。

 何者かが右肩をつかんでいた。
 思わぬ力に息が止まる。

 自分がその者に気付けなかったことに驚いたが、ジャックは長年の経験で即座に気持ちを切り替えた。

 右肩をつかむ指は細い。
 女か子ども?

 魔力を一気に循環させ、左足を軸にして身体を半回転し、その手を振り払う。
 勢いを利用して裏拳を放った。
 相手に直撃し、重症を負わせても治癒魔法で回復させれば問題ない。

 だが、放った裏拳は空を切った。
 身体が大きく開くことを恐れ、ジャックは咄嗟にバックステップで後方へと退避する。

 何者かはそれを見越していたのかバックステップに合わせて飛び込んで、鋭く右手を突き出した。

「ッ……!!?」

 あまりの速さに対応できない。
 ジャックはダメージ覚悟で上半身へと身体強化を巡らせた。

 衝撃に備え、魔力循環に集中する。
 殴られ、魔力が乱れれば身体強化が切れる。そこを魔法で攻撃されたら敗北は必至だ。

 しかし、予想外にも出された右手は眼前でぴたりと止まった。
 なぜか襲撃者はジャックの額に人差し指をあてがった。

「っ……」

 今度こそ本当に動けなくなったジャックは、襲撃者を見て目を見開いた。

 目の前には、優しげな垂れ目をサファイア色に輝かせる、エリィ・ゴールデンが佇んでいた。
 彼女は少し申し訳なさそうに眉をハの字にすると、艶のあるこぶりな唇をおもむろに開いた。

「ごめんなさい。悪戯が過ぎたようね」

 そう言って彼女はジャックの額から指を離し、優雅なレディの礼を取って微笑んだ。

 何が何だか分からず、ジャックは自分の額を右手で擦った。

 相手の呼吸を外したタイミングでの裏拳がいとも簡単に躱され、不利な体勢を立て直そうとしたバックステップも見抜かれ、反応できないスピードで攻撃された。
 彼女はかなり手加減をした様子だった。おまけに、彼女の左手には動きを阻害するトートバッグがぶら下がっている。

 数撃のやり取りで、ジャックはこのお嬢様が相当の使い手だと察した。
 予想するに、定期試験で850点以上は取れそうだ。
 次期当主のグレイハウンド・サウザンドが893点。長男のエリクス・サウザンドが876点。

 魔法学校四年生で900点近い点数に迫るなど前代未聞だ。末恐ろしい。

 今の攻防で、彼女は杖や武器を使っていない。
 これで武器を手に取り、杖を持って本気になったらどうなるか? ひょっとしたら900点台まで届くかもしれない。
 ジャックは鼓動が速くなり、すぐに深呼吸をして新鮮な空気を肺へ取り込んだ。

「今日もお勤めご苦労様」
「……エリィお嬢様。それは皮肉でございますか」
「いいえ、本心からのねぎらいよ」
「いつから気づいておいでで?」
「初日からよ」
「……さようでございますか」
「大丈夫。気づいていたのは私とアリアナだけだから」
「尾行と偵察には自信があったんですがね」
「尾行で遠くを見るため目を身体強化するでしょう? あなたは身体強化を施す瞬間だけ、魔力が微弱に漏れるわ。そこを矯正すれば私達でも気付けないでしょうね」

 誰にも言われたことのない自分の癖を見抜かれ、ジャックは戦慄した。
 男のプライドを刺激され、慄きを隠そうと批難を込めた視線をエリィへ向ける。

「練習しましょう?」

 孫ほど年齢の離れた彼女は、まるで意に介していないのか、邪気のない顔でジャックに笑いかけた。

 エリィの笑顔は夕暮れに浮かぶクノーレリルのようだった。
 彼女の美しい瞳に吸い寄せられ、大通りから聞こえる喧騒が遠のいていき、全身の魔力が入れ替わる錯覚を感じて下腹部がずるりと引っ張られる。ジャックは一気に毒気を抜かれてしまった。

「練習……でございますか?」
「ええ、そうよ。これからもパンジーにはあなたが必要だもの。あの子を守ってほしいの」
「もちろんですお嬢様。我々サウザンド家使用人は、パンジーお嬢様を愛しております。この命に代えてもパンジーお嬢様をお守りするつもりです」
「じゃあ約束ね。身体強化の癖を直してちょうだい」

 エリィはジャックの目の前に、小指を出した。
 それの意味が分からず、ジャックは首をかしげる。

 エリィは、しまった、という顔をしたあと、取り繕うように笑って「私が作ったおまじないなの。小指を出してちょうだい」と顔を赤くした。

「かしこまりました」

 ジャックは大人びたエリィが年相応の仕草をしたことに、つい顔がほころんだ。
 自分の武骨な小指を前に差し出すと、エリィのほっそりした小指が絡められ、上下に三回振られた。
 彼女は小声で何かをつぶやいている。
 そしてすぐに指を離した。

「これでいいのですか?」
「ええ。誓いは立てられたわ。破ると、あなたのお腹に針が千本入ります」
「それは怖いですね」
「そうなのよ。怖いでしょう? だからしっかり練習して、癖を直してちょうだいね」
「かしこまりました、お嬢様」

 執事の礼をきっちりとし、ジャックは薄い笑みをこぼした。
 仮にも敵方の執事である自分に練習を約束させるとは面白いお嬢様だ。彼女がいつも前向きなことは偵察から知っていたが、いざ自分が巻き込まれるとここまで心を揺さぶられるものなのか、とジャックはエリィの与える影響を実感した。

「グレンフィディック様のお身体は大丈夫かしら? 邸宅でお酒ばかり飲んでいると聞いたのだけれど」
「はて、何の話でございましょうか?」
「隠しても無駄よ。昨日はワインを三本飲んでいるわね」
「ふふっ、まったくどうして……。あなたには敵いませんね」
「こちらにも諜報部隊がいるのよ。まあそれはいいとして、あなたを呼び止めた理由を話さなくってはね」
「……尾行と偵察をやめさせるのでは?」
「それは今まで通り続けてちょうだい。パンジーの様子をあのじじ……グレンフィディック様へ伝えてほしいわ」
「では、私を呼び止めた理由とは?」
「これを渡してほしいの」

 エリィは持っていたトートバッグから、額縁に入った絵画らしきものを取り出し、ジャックに手渡した。

「これは……」
「うふふ。よく撮れているでしょう? 次の雑誌に掲載する予定なの」

 ジャックは渡された物を見た瞬間、喉がつまって目頭が熱くなり、額縁を持つ手が勝手に震えた。

 額縁の中には、満面の笑みを浮かべ、両手を広げているパンジーの写真があった。

 彼女は前髪をまっすぐに切り、母親譲りの桃色の頭髪をウェーブさせて胸元まで垂らし、繊細なレースのワンピースを身にまとってこちらを見上げている。周囲には女性が使う小物類が綺麗に並べられていた。

 パンジーは憑き物が落ちたかのように、無邪気で、楽しげで、本来の自分らしさを取り戻していた。

 ジャックの瞳から、大量の涙がぶわりと湧き出した。
 額縁に入ったガラスの上へぼたぼたと涙が流れ、水滴がガラスに落ちていく。

「……ぐっ……ぐふぅっ……」

 とめどなく涙が出てくる。
 自分でも止められず、どうしようもなかった。

 魔法学校に入学してからずっとふさぎ込んでいたパンジーが、こんなにも楽しそうにしている。

 ジャックは、元気なく肩を落として登校していくパンジーの後ろ姿を思い出し、帰宅時にメイド達に慰められるパンジーの作り笑いが脳裏に浮かんだ。どうにかしなければと思い、どうすることもできず、ジャックはただパンジーの見守ることしかできなかった。

 楽しげなパンジーを見た喜びと自分自身への不甲斐なさが胸中で渦を巻き、ぼやけた痛みが頭の後ろを駆け抜ける。止まらぬ涙を止めるため必死に歯を食いしばったが、喉の奥からは声が自然と漏れ、火で沸かしたような熱い涙が次から次へと流れ出た。

「ぐぅっ……うぐぅぅっ……」

 持っている写真はぶるぶると震え、目の前が水分でぼやけて何も見えない。
 年端もいかぬエリィの前で男泣きをするなどみっともなかったが、ジャックの瞳から、涙は止まらなかった。

「ジャック……」

 額縁を握るジャックの手に、エリィの両手が添えられる。
 彼女の声も震えている。どうやら泣いているらしい。

「パンジーが学校で孤独だという話は聞いたわ……。でも、もう大丈夫。学年は一年違うけど、これからは私とアリアナがいるから……だからもう心配しないでいいのよ」
「う……ううっ……エリィ………お嬢様……」

 みっともないと思いながらも、彼女の手を握り返す衝動を抑えきれなかった。
 ほっそりした女性らしい手に包み込まれると、ジャックは少しだけ気持ちが楽になり、顔を上げることができた。

「申し訳……申し訳ございません……このように……取り乱しまして……」
「いいのよ……。ジャックがパンジーのことを想っている証拠よ。パンジーは、いつもあなたのことを話すわ。あなたが小さな頃から優しくしてくれたと言って自慢げに話すから、だいたいのエピソードを憶えてしまったわ」
「さようで……ございますか」
「それに、グレンフィディック様のことも話してくれるわ。今回のことで、パンジーは少なからず傷ついているわね」

 エリィは優しげにジャックの手を撫でると、ゆっくりと離した。

「彼女の中にあるグレンフィディック様の人物像と、今回の行動があまりにかけ離れていて、未だに整理がつかないみたいなのよ。もう一度、お互いに話をするべきだと思うわ」
「はい……私もそう考えておりました。是非とも会合をお願いしたく存じます」
「私達がサウザンド邸宅へ出向くことはできないわよ」
「ええ、そちらも存じております。あいだを取って、コバシガワ商会の一室をお借りできればと考えております……。いかがでしょうか?」
「そうね……」

 エリィ・ゴールデンは魅力的な垂れ目を閉じ、逡巡すると、目を開いた。

「いいでしょう。では、二日後の午後六時にコバシガワ商会で待っているわ」
「ありがとうございます」
「私とグレンフィディック様が会う……。この件はゴールデン家にも伝えなければいけないわ」
「はい……。奥方様には反対されるかと思いますが、何卒よろしくお願い申し上げます」
「お母様がどんな反応をするかは分からないけれど、これはビジネスの話でもあるのよ。会合を否定したりはしないわ。安心して」
「であればよろしいのですが……」
「あまりいい感情は抱かないでしょうけどね」
「そうでございましょう……。正直に申し上げて旦那様のなされた行動は、男気に欠けるものでございました。『必ずまた会いに来る』という約束を残し、一度も会いに行かなかったのですから……」
「まあ、そんな約束まで? だからお祖母様は毎日窓の外を見て、グレンフィディック様を待っていたのね」
「な、なんと? 毎日? ずっと窓の外をですか?」

 エリィが悲しげにうなずくと、ジャックは寝耳に水といった表情で涙に濡れた顔を驚愕させ、心底情けなさそうにうなだれた。

「そこまで旦那様のことを想われていたとは……やはり、無理をしてでもエリザベス様をお連れするべきだった」
「私もそう思うけれど、もう過ぎたことよ」
「ですが私はあのとき、強く諫言しませんでした。私も旦那様もまだ若かった。あの頃の自分を思い切り殴ってやりたい気分です」
「ねえジャック。未来のことを考えましょう。これからの未来のために、自分ができる最善の方法を模索して行動に移しましょう。私達にできることはそれしかないわ。過去に捕らわれ、前進を止めてしまってはダメよ。悩んで、もがいて、それでも進まなければ立ち止まったままになり、人間というものは腐っていくわ。失敗したっていいじゃない。パンジーだって、モデルになることを怖がっていたけど、自分で決めて、自分で立ち向かったわ。あなたにもできるわ。大丈夫よ」
「お嬢様……」
「パンジーを大切に想っている、あなたのことが私は好きよ」

 いつの間にか夕暮れ時は終わっていた。
 触れれば溶けてしまいそうな月が、下りたての夜の帳にぼんやりと浮かんでいる。

 儚げな月を背にしたエリィは、神がつかわせし月の女神のようであり、慈愛に満ちた目をジャックへ向けていた。

 ジャックは止められない衝動に突き動かされ、自然と右手を胸に当て、腰を深く折り、貴人へ送る執事の最敬礼をした。

 目の前にいる少女の中には何が隠されているのだろうか。

 慈愛に満ち、計算高く、お茶目で、優雅で、どことなく男らしさも感じる。
 相反するものを内に秘めた少女がジャックの目には脆く壊れやすい陶器のように見え、無性に愛おしい気持ちになった。

「わたくしもです、エリィお嬢様」

 ジャックは恭しくうなずき、右手に手を当てたまま彼女を見つめた。
 二人が向かい合う路地の石畳に民家の“ライト”が淡く差し込む。
 春の温かい夜風が通り過ぎ、街の喧騒が少しばかり大きくなった。

 ジャックは、自分の左手にパンジーの写真がしっかりと握られていることを確認し、グレンフィディックを説得する決意を固めた。
―――――――――――――――――――――――――
◯離反確実
(✖)『ウォーカー商会』
(✖)『サナガーラ』
  (30%の商品が損失)

◯離反あやふや重要大型店
(◎)『ヒーホーぬいもの専門店』
(◎)『バグロック縫製』
(◎)『グレン・マイスター』

◯サウザンド家によって離反の可能性
 中型縫製・十店舗
(◎)『シャーリー縫製』
(◎)『六芒星縫製』
(◎)『エブリデイホリデイ』
(✖)『ビッグダンディ』
(◎)『愛妻縫製』
(◎)『シューベーン』
(◎)『靴下工房』
(✖)『アイズワイズ』
(◎)『テラパラダイス』
(◎)『魔物び〜とる』

◯サークレット家によって離反の可能性
 その他・七店舗
(☠)『ビビアンプライス(鞄)』
(◎)『天使の息吹ジュエリー
(◎)『ソネェット(ジュエリー)
(◎)『KITSUNENE(帽子)』
(◎)『麦ワラ編み物(帽子)』
(◎)『レッグノーズ(靴)』
(◎)『オフトジェリコ(靴)』

 契約継続→(◎)離反→(✖)未確定→(−)おしおき確定→(☠)
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ジャックとの会話中、エリィ本人が言ったセリフが二つあります。
小橋川っぽくない言葉ですね。探してみてください。
+注意+
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