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 淡い白い靄の中。
 ああ、また俺は夢を見ているんだな。
 あ。またあの親子がいる……。
「ねえ、おとうさん」
「ん?どうした?」
「おとうさん、きょうもおでかけ?」
「ん?ああ。今日は公園の方に行ってくるからな。留守番お願いな」
「うん。わたし、るすばんする。それでね、おとうさん」
「なんだい?」
「あのね、わたし、おべんとつくったの」
「えっ?お弁当?」
「おとうさん、おひるごはんないでしょ?」
「ああそうだけど……作れたのか?」
「うん。わたし、がんばったよ。まいにちがんばってれんしゅうしたの」
「そうか。そうか。ありがとうな」
「うん。それでね。わたしもいっしょにつくったからおなじものだよ」
「そうか、そうか。ありがとうな」
 父親はそっと娘の頭をなで、優しそうな瞳を向けていた。
「ねえ、おとうさん」
「なんだい?」
「わたしのおかあさんってどんなひとだったの?」
「ん?お前に似てすごく綺麗な人だったよ。よくお前とあの公園に行っていて、すごく絵になった」
「ほんとうに?」
「ああ。そうだ、今描いているお前の絵、お母さんを入れてみようか」
「えっ?おかあさんを?」
「ああ。きっとお前が大きくなったらお前の母親とそっくりになるだろうからな……」
「わたしがおかあさんになるの?」
「ははははは。そうだな。そうだ」
「でも、わたし、おかあさんじゃないよ」
「そうだな。お前はお母さんじゃない。でも」
「でも?」
「お母さんのように綺麗になれる」
「ほんと?」
「ああ。もちろんだ。だからお父さんは綺麗になったお前を描くつもりだ」
「ほんと?」
「ああ。お前がいい子に育ってくれるように、いい絵を描くからな」
「うん!それじゃ、わたしもがんばって、まいにちおとうさんのおべんとつくるね」
「そうか。それじゃ、お父さんも頑張るな」
「うん!」
 仲がいい親子……。
 俺も昔はこんな頃があったのだろうか……。
 いいな。こんな夢。
 こんな夢を毎日見ることが出来たら……。
 俺……。

――――――

 次の日。
「森村くーん」
 昨日と同じように霧沢さんが迎えに来た。
 時間は8時ジャスト。霧沢さんもさすがに連続では遅刻はしなかったみたいだ。
 かく言う俺も、今日はちゃんと起きられた。
 さすがに霧沢さんが迎えに来てくれるって言うからには、そうそう遅刻もしていられない。
「うん。霧沢さんおはよう。よし、今日はばっちりだ」
「くすっ。うん。おはよう森村君」
「それじゃ、今日はゆっくりいきますか」
「くすっ。うん」
 春の朝日はなんとなく清々しい。最近こうして外の空気をのんびりとかみ締めるなんてこともなかったな……。
「今日もいい天気になりそうだな」
「うん。そうだね」
「雨が降って天気が悪いよりも、こんなふうに晴れていい天気の方がいいもんなぁ……。まあ、ずっとだと困るけど」
「ねえ、森村君」
「ん?なに?」
 左隣に歩いている俺より顔一つ分くらい背の低い霧沢さんを見る。かばんを両手で持って前に下げ、よくみる女の子の仕草をしている。
「えっと……」
 俺を見て、霧沢さんは言葉を濁すように語尾を小さくした。
「どうしたの?」
「えっと、えっと……。でも、どうしようかな……」
 そのまま、霧沢さんは俯き加減で何かを考えているような仕草をした。
「霧沢さん、どうしたの?」
「森村君、変なことを訊いていい?」
「どうしたの?あらたまって。俺でよかったらなんでも答えるよ」
「……えっと」
 霧沢さんはなおも何かを考えているような表情。
 しばらくそうしていて、ふと俺を見あげる。
「……あのね」
「うん」
「森村君……、あの、森村君って、一人で住んでいるの?」
「えっ?」
「えっと……。昨日もそうだったんだけど、私がチャイムを押しても、森村君を呼んでも、家族の人が出て来なかったから……」
「ああ、そういうことか。うん。あの家で俺は一人で住んでいるよ」
「えっ?本当に?」
「学生の一人暮らしってやつかな?かっこいいだろ?」
 俺は俺に家族がいないってことを霧沢さんに知られて、変に気を使わせたくないなと思ったので、そう茶化すようにして答えた。
「そうなんだ……」
「どうしたの?」
「ううん。ごめんね。変なことを訊いて」
「変なこと?俺はともかく霧沢さんが何か気にする質問じゃなかったよ」
「……。うん。ありがと」
 まあ、これでいいだろう。霧沢さんに余計な心配をかけたくないもんな。
「……。ねえ、森村君」
「ん?なに?」
「それじゃ、今日も学食?」
「ん?そうだけど……」
「あ、あのね」
「うん」
「今日も……わたしといっしょにお昼を食べない?」
「えっ?」
「いい天気だし……」
「ん?ああそうだな。霧沢さんが誘ってくれなかったら一人で寂しい思いをしたと思うから、俺でよかったらいつでも大歓迎だよ」
 いい天気でどうしていっしょに学食に行くのかよくわからなかったが、元々今日も霧沢さんとお昼を食べようと思っていたので断る理由もない。
「くすっ。うん。それじゃわたし、お昼楽しみにしてるね」
「あ、うん」
 さっきまでの何か悩んでいたような表情がふっと晴れて、霧沢さんはにこっと微笑んだ。
 うーん、霧沢さん、今日は突然どうしたんだろう。
 まあ、いいか。

――――――

 霧沢さんが楽しみにしているとまで言っていたので、お昼が気になって授業もほとんどうわのそらだった。
 お昼前の授業が終わったと同時に、俺の席に霧沢さんがニコニコしながらやってきた。
「森村君」
「ん?はやいね霧沢さん」
「くすっ。ねえ、お昼にしよ」
「ああ、うん。早い方が学食も席が空いているだろうし」
「ねえ、今日は学食じゃなくて、外で食べよ」
「外?」
「うん。いい天気だし」
 学食のメニューを買って外で食べるってことなのだろうか。学食に近い教室では教室に持ってくるようなやつは稀にいるが、外にまで持って行くというそんなおかしな行動を取るやつはいないのだが……。
「本当に外で食べるの?」
「うん。あの中庭とかいいなって思っていたんだ」
「ああ、そうか。購買で何かパンとかを買うってことだな」
 それなら合点がいく。
「くすっ。ねえ、森村君」
「なに?」
「わたしね、今日おべんと作ってきたんだ」
「えっ?」
「あのね、それでね……、森村君のも作ってきたんだ」
「ええっ?!」
「だから外で食べない?」
「って、霧沢さん!」
「な、なに?」
 突然大きな声を出してしまった俺に驚く。
「お弁当作ってきてくれたって……。俺に?」
「うん。そうだよ」
「ほ、本当に?」
「うん。だって森村君、一昨日のお金を忘れたわたしのためにお昼をおごってくれたじゃない。そのお礼だよ」
「そう言われたらそうだけど……。でも、いいの?」
「くすっ。だって、二つ分作ってきちゃったもの」
「本当に、本当に俺が貰っていいの?」
「くすっ。うん。だってその為に二つ作ってきたもの」
 夢を見ているのだろうか。
 この笑顔で俺を見ている女の子が、俺にお弁当を作ってきたからいっしょに食べようと言っているだなんて。
 本当に実際に起こっていることなのだろうか。
 すごく嬉しくて楽しい夢を見ている気分だ。現実が信じられない。
「どうしたの?」
「いや……。俺にお弁当を作ってきてくれて、いっしょに食べよう、なんて言ってくれる女の子がいてくれたなんて、俺、嬉しくて」
「くすっ。森村君面白い」
「いや、本当だって」
「わたしもお礼だから、ね」
「う、うん。それじゃ、行こうか」
「うん」
 窓際の霧沢さんの席から見える中庭。
 ここにはベンチとかあって、植木が規則正しく植えられ、ちょっとした公園のような佇まいを見せている。
 俺もよくカップルとかがここで弁当等を広げているのを見たことがある。
 胡太郎もあそこはなかなかいいといって、俺によく勧めたものだ。
 もちろん、彼女を作ってという断りを入れてだが。
 その時は多分、絶対にそんなことはないって思っていたのだが。
 でもそこに今、俺がいるのだ。女の子を連れて。
 しかもその女の子が、俺に弁当を作ってきてくれているのだ。
 人生って本当に何があるかわからないな……。
「森村君が何が好きかってよくわからなかったから、色々入れてきちゃった。口に合うかわからないけど……。はい」
 青々とした春の木々の木陰で、空いていたベンチに座り、霧沢さんが持って来た弁当を受け取る。やや大きめの男性用の弁当箱だ。
「あ、ありがとう。霧沢さんが作ってきたものなら、俺、何でも残さず食べるよ」
「くすっ。ありがと」
 弁当箱を受け取り、少しだけそれを眺めていた。
 左には霧沢さんが座って俺を見ている。
 ああ、どうにも緊張する。
 ほんとうに、これ、俺が食べてもいいんだよな……。
「開けていい?」
「うん」
 俺は意を決し、包まれているナプキンをほどき、ふたを取った。
「おお……」
「どうかな?」
 弁当の中身は半分がご飯になっていて、半分がおかずという構成だった。
 ご飯はゆかりと細かいのりみたいなものがまぶされていて、手が込んでいる。
 おかずの方はからあげに、卵焼き、たこの形のしたウインナ―。切干大根に、ほうれん草のおひたし、大豆の煮物が入っている。
 野菜がたくさん入っていて栄養のバランスも取れたいいお弁当だ。
 それに、ちゃんとおかずとおかずの間には草の形をした仕切りとかががきれいにはさんであって、見た目も完璧だ。
「すっごい豪勢だね。弁当箱も大きいし」
「そのお弁当箱はね、お父さんのだったの」
「お父さん?」
「わたしね、いつも外で絵を描いているお父さんの為にこうしておべんとを作っていたんだ」
「そうなの?」
「うん。だからなんかおべんとを作らないと朝がどうもしっくりこなくて。それでね、森村君がいつも学食だって言っていたから、食べてくれるかなーって思って作ってきたの」
「でも、こんなにたくさん作るなんて大変じゃないの?」
「そうでもないよ。おかずは昨日のうちに下ごしらえをしておくから、朝はほとんど詰めるだけだし」
「ああ、なるほど」
「それにね、わたしの分だけだとおかずが余っちゃうし。だから」
「なるほどね。そんなことならいつでも大歓迎っていうか、めっちゃ嬉しい。ありがとう、霧沢さん」
「くすっ。森村君面白い」
「食べていい?」
「うん。お茶も持ってきたから」
「至れり尽せりだね」
「くすっ。はい」
「ありがと」
 ポットから注いでくれたお茶を受け取りつつ、俺は霧沢さんの作って来てくれたお弁当を食べ始める。
 この霧沢さんのお弁当を開けた瞬間、いい匂いがして、見た目も美味しそうで、とてもじゃないが、食べたくて仕方がなくなっていた。
 もうさっきの緊張感なんて忘れていた。今はすぐにこのお弁当を食べてみたいという気持ちしかない。
 最初にまず、ご飯を食べてみる。
「……」
「どう?」
 今度はおかずを食べてみる。切干大根。
「………」
「森村君?」
 こ、これは……。
 さらに、卵焼き、からあげ、大豆の煮物など色々食べてみる。
「…………」
「森村君、どうしたの?美味しくなかった?」
 これは。これは……。
「霧沢さん……」
「な、なに?」
「俺、こんなに美味いものを食べるのは、何年ぶりだろう……」
「えっ?」
 煮物の香ばしい醤油とみりんの匂い。から揚げのスパイス。たまごやきのふんわりした感触……。
 このおかずは、昔俺の母親がよく作ってくれた料理の味がする。
 なんだかこういう料理がとても懐かしくて。そして、こういう料理が好きだったってことを思い出して。
 この料理を出してくれた霧沢さんにすごく嬉しくなって。
 すごくじんとして……。
「ぐすっ……」
「えっ?ど、どうしたの森村君?」
「あ、なんか、涙が出てきた……」
「えっ……?」
「あ、いや、ゴメン。あまりにも霧沢さんのお弁当が美味しくて、じんとしてきちゃって。こんな美味しい手料理を食べられて、なんかすごく嬉しくなっちゃって……」
「森村君……」
「これ……、このおかず、みんな霧沢さんが最初から作ったものだろ?味付けから、煮たり焼いたりするまで」
「えっ……。わかるの?」
「うん。俺は一人で暮らしているから、こういう料理もコンビニのお弁当とかスーパーの惣菜とかの出来合いなものを買って食べているからわかるよ。この素朴な醤油の味や、から揚げの調味料なんかも、最初から自分で味付けしないとこういう味にならないんだよな」
「うん……」
「こういう手の込んだ料理って、すごく懐かしく感じちゃって、なんだか手を込んでくれた事に嬉しくなっちゃって……。ぐすっ。あはは。ごめん、俺、すごく変だし」
「そんなことないよ……」
「なんか泣いちゃったし……。かっこわるいな、俺……」
「ううん、そんなことないよ」
「ありがとう、霧沢さん。こんな気持ちになれたの、ほんと久しぶりだ。俺、霧沢さんと仲良くなれて、ほんとよかった……」
「森村君……」
「あ、あはは。霧沢さんも食べようよ。俺一人だけ食べているの、なんだか恥ずかしい」
「あ、うん。そうだね」
 霧沢さんも自分の弁当箱を開けたのを見て、俺は再び食べ始める。
「ああ、霧沢さんの弁当、すっごく美味しいなぁ……。霧沢さん、ほんと料理上手いんだね……」
「もう、森村くんたら……くすん」
「えっ?霧沢さん?霧沢さん、もしかして泣いてる?」
「ううん……、あ、ごめんね。なんだかわたし、嬉しくなっちゃって。森村君がこんなに喜んでくれるんだもの。なんだか作ってきてよかったなって思ったら、じんとしてきちゃって……くすん」
 眼鏡の下から目を拭きながら笑顔で俺に向いてくれている。
「霧沢さん……」
「ありがとう、森村君」
「お礼を言うのは俺の方だってば」
「くすっ……。そうだね。うん」
「あのさ、霧沢さん……」
「なに?」
「ひどくあつかましいお願いだと思うけど……。また作ってきてくれるかな、お弁当」
「うん。いいよ。森村君が食べてくれるなら毎日作ってくるよ」
「えっ?本当に?」
「うん。わたし一人分のお弁当を作るより二人分作った方が、材料も無駄にならないし。それに、わたし料理するの好きだから」
「それじゃ、お願いしていいかな」
「うん。それじゃお願いされるよ」
「あ、でも」
「なに?」
「俺が霧沢さんにお弁当のお礼を返せるものがない……。こんな美味しいものを頂いても、なんにもお礼できないよ」
「くすっ……」
「うーん、困った」
「それなら、今度描いてくれるっていうわたしをモデルにした絵、コンクールで優勝してくれない?それが森村くんのお礼でいいよ」
「ええっ?」
「できない?」
「なんの。霧沢さんのこの、とても美味しいお弁当と引き換えなら、俺何でもやるよ」
「くすっ。それじゃ、頑張ってね」
「でも、そんなのでいいの?」
「うん」
「そっか。それじゃ、俺、頑張るよ」
「くすっ。うん。がんばってね、部長さん」
 なんだか人生最良の日が来たような気がする。
 女の子が朝迎えに来てくれて。
 お昼は俺のお弁当を作ってきてくれて。
 その女の子をモデルにして絵を描く。
 俺、こんなに恵まれていいのだろうか。
 霧沢さん……。本当にありがとう。


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