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二人きりの部活
 昼休みになった。
「森村君、今日は俺学食じゃないから、席は譲れないからナ」
「そうなのか。ああでも、昨日はありがとうな」
「いやいや、礼には及ばないって。それじゃ、俺は行くから。大樹は霧沢さんと仲良くナ」
「なんだよ、それ……」
「ははは。じゃあな」
 こうして今日も胡太郎は休みになった早々に姿をくらまして、俺と霧沢さんだけになってしまった。
 実は、さっき胡太郎が言っていたことが心に残って、恥ずかしくて、ちょっとだけ霧沢さんに話し掛けることを躊躇していた。
 でも、このままずっと何にもしないでいるって言うのもなぁ……。
「森村君、今日も学食?」
 そんなふうにどうしようかと思っていたら、霧沢さんから話し掛けてきた。
「あ、うん、そうだよ。霧沢さんもやっぱり学食?」
「うん」
 霧沢さんの顔を見たら胡太郎が言っていたことなんてどうでもよくなってしまった。まったく。変なことを意識しなければこうして普通にできるのに。
「それじゃ、またいっしょに行こうか」
「うん」 
 というわけで今日も霧沢さんと学食に来た。
 昨日よりも遅くなってしまったが、今日は昨日より人が少ないようだった。今日は天気も良いし暖かい。こういう日は外で弁当などを広げている連中が多いので学食に来る人が少ないのかもしれない。そうか。きっと胡太郎もその一人になったのだろう。
 俺たちは難なく空いていた席に座った。
「今日は楽に座れたね」
「毎日こうだといいんだけど。今日はほんとついてるな」
「くすっ。今日は遅刻をしてもお咎めなしだったもんね」
「ほんと、良かったよ。霧沢さんのおかげかな」
「くすっ。もう森村君」
「あはは……」
 本当に霧沢さんと話すのは楽しい。
 そうだ、今ならあの事を訊いても承諾してくれるかもしれない。
「あのさ、霧沢さん、一つ頼みがあるんだけど」
 昼食をほとんど食べ終わった後、躊躇いがちにそう切り出してみた。
「頼み?」
「俺、美術部にいるって昨日言ったよね」
「うん。わたしに絵を見せてくれるって」
「それでさ、これから次のコンクールに向けて絵を描こうと思っているのだけど、その絵の……モデルになってくれないかな?」
「絵のモデル?わたしが?」
「うん。人物画を描きたいんだ。霧沢さん頼まれてくれないかな」
「でも……」
「いや、えっと、別にヌードになってくれとか、何時間もじっとしていてくれというわけじゃなくて。ただ、その……、霧沢さんのその髪がとても綺麗だったから、描くときの参考にしたいな、って思ってさ」
 少しドキドキしながらもそう言えた。
「わたしの髪?」
「あ、うん。霧沢さんの髪、すごく綺麗で、絵になるって思って。描いてみたいって思った」
「綺麗……」
 霧沢さんは照れるように自分の前髪をいじっていた。
「やっぱりダメかな……」
 まあ、仕方がないか。
 そう思ったとき、霧沢さんは笑顔になって。
「ねえ、こういうのはどう?」
「なに?」
「わたしも美術部に入って絵を描く」
「ええっ?」
「昨日ちょっと考えたんだけどね、それもいいなって思ったの。実はわたしのお父さん絵描きさんだったの。だからわたしも描いてみたいなって少し思ってたんだ」
「絵描きさん……」
「うん。ちょっとは名の知れた画家だったらしいんだよ」
 なんだか朝、見た夢を思い出す。
 まさかな……。
 それよりも、今、霧沢さん、お父さんのことを『だった』と過去形で言ったような。
 それに、少しだけ哀しそうな表情を見せた。
「へぇ。お父さん画家なんだ。それじゃ、霧沢さんも上手いかも」
「えっ?そ、そんなことないと思うよ。お父さん、画家だったけどわたしも絵が上手ってことになるともいえないし……」
 やっぱり聞き間違いじゃなかった。霧沢さん、今お父さんのことを『だった』と過去形で言っていた。
 それじゃ、もしかして……。
「それじゃ、互いに描きながらってのはどう?」
「あ、うん。それならいいよ。わたし、絵を描いている人の前で何にもしないってことがちょっとだけ嫌だなって思ったんだ。一生懸命やっている人をみながらじっとしてるってことが」
「ああ、なるほど」
 いや、やっぱりお父さん亡くなったの? なんて聞けるはずもないよな。霧沢さんの冗談だったら、そんなことを言うのは失礼だし、本当だったら、そんなことを思い出すことも嫌だろうからな。
 俺の無粋な好奇心で霧沢さんを傷つけることもない。
「それなら大歓迎。それじゃさっそく今日から行って見る?」
 俺は勤めて楽しそうな口調で言った。
「くすっ。うん」
「それじゃ、よろしく、霧沢さん」
「はい。よろしくね、森村君」
 霧沢さんが俺の絵のモデルになってくれるだけじゃなく、霧沢さんといっしょに絵を描くことになるなんて。
 これは思ってもみなかった幸運かもしれないな。
 今まで以上に描くことが楽しみになるかもしれない。
 よし、がんばろう。

――――――

 というわけで放課後。
 胡太郎に霧沢さんといっしょに部活に行くとか言ったらまた冷やかされるだろうかと気にしたが、胡太郎は胡太郎でどこかの女の子とさっさと帰ってしまったので少しだけ拍子抜けした。
 それはともかく、俺は霧沢さんと美術部部室に来た。
 当然ここには絵を描くための道具はなんでも揃っているので、すぐに誰でも絵を描くことができる。
「さすがに何でもあるのね」
「ああ。水彩画から油絵まで何でも描けるよ」
 霧沢さんは珍しそうに部室の物を眺めている。
「森村君は何を描いているの?」
「俺は静物画とか風景画かな。水彩画だよ。油絵もやってみたいけどね、難しくて」
「ふーん」
「えっと、これが前に描いた俺の絵」
 俺は奥から前に描いた絵を見せた。コンクールには出さなかったものがいくらかある。
「わー。やっぱり上手い」
「そ、そう?」
「うん。なんとなく温かみがあるよ。森村君が優しい人なんだなって感じられる」
「もう、霧沢さん……」
 そんな笑顔で誉められると照れるって。
「くすっ。わたしもこんな絵描けるかな」
「もちろんだよ」
「うん、わたしもがんばる」
「あはは。俺も負けないから」
「くすっ。うん」
 とりあえず絵を描く道具を揃えた。
「それじゃさ、霧沢さんは何を描く?静物画とかやってみる?」
「森村君」
 俺のほうを見てにこっと笑う。
「えっ?俺?」
「くすっ。だってさっきそう言ったじゃない。お互いに描こうって」
「えっ?本気だったの?」
「だって、わたしだけ描かれるの恥ずかしいよ」
「それもそうだけど……。俺なんか描いて面白い?」
「うん。面白いよ」
「もう、霧沢さん……」
 そんなふうに霧沢さんに言われるとは思わなかった。
「くすっ。それじゃ、このスケッチブックに描いていい?」
 ふと俺が昨日描いていたスケッチブックを手に取る。
「あ、ちょっとまって。それは俺の描きかけだから……。えっと、これを使っていいよ」
 昨日霧沢さんを想像して描いたあの絵なんか見られたら恥ずかしい。俺は近くにあった新品のスケッチブックを渡そうとした。
「あ、これ森村君のなんだ。ねえ。これも見せてくれる?」
「え、あの、ちょっと……」
 霧沢さんはそのままぱらぱらと俺のスケッチブックをめくっていく。
「わぁ。たくさん描いているんだね……」
「あ、あの、霧沢さん……」
 そのままぱらぱら見ている霧沢さんを止める事が出来ずに、ただずっと見ていた。
「ふーん……。あ」
「えっ……」
 最後のあたりで何かを見つけたような声を出して、そのまま見入っていた。
「霧沢さん?」
「やっぱり上手いんだなぁ……。うん、ありがと。ラフやスケッチでもこんなに上手く描けるんだね。森村君、やっぱりすごい」
「あ、ありがと……」
 スケッチブックを閉じ、俺に返してくれた。あの絵は見られていなかったのかな。それとも、見られていてもいい絵だってことで片つけられたのだろうか……。まあ、もうどっちでもいいか。恥ずかしかったけど、今では見られてもいいやって気持ちになってる。
 霧沢さんって不思議な人だ……。
「それじゃ、霧沢さんはこれを使って描いてみて」
「いいの?これ新品じゃないの?」
「備品だし、他に部員もいないし。いる部員は使えるだけ使っていいってことになっているし。遠慮はないよ」
「そっか、森村君部長さんなんだもんね」
「部長?あ、そうか。そう言われるとこの部員は俺一人だからそうなるのかな……。気がつかなかった」
「くすっ。それじゃ、これを使わせてもらおうかな」
「ああ。描くものもコンテから色鉛筆まで何でもあるから、なんでも使っていいよ」
「森村君は?」
「ああ、俺はスケッチブックにはコンテ。消しゴムを使わないように描く練習も兼ねてる」
「ふーん。それじゃわたしもそれにしてみるね」
「ああ。それじゃ、ちょっと描いてみようか」
「うん」
 俺たちは向かい合って絵を描き始めた。
 真面目な顔になって、俺とスケッチブックを交互に見ている霧沢さんを見ていると、なんだか緊張してきてしまう。
 俺も霧沢さんを見ながらコンテを動かした。
 俺は逆光から霧沢さんを眺める形だ。夕方になって窓から差し込んでくる夕日に溶ける霧沢さんの髪がすごくいい。俺が望んでいた光景だ。
 コンテが進む。
「ねえ、森村君」
「えっ?な、なに?」
 静かな部屋に霧沢さんの声が流れる。俺は少しびっくりして絵を描く手を止め、霧沢さんを見た。
「森村君って、いつもこんなに静かなここで一人で絵を描いていたの?」
「あ、ああ。たまに顧問の先生が見に来る事があるけど」
「そうなんだ……」
「まあ、静かだからはかどるけどね」
 静かな部屋で霧沢さんと二人きり。なんだかそれを意識したら恥ずかしくなってきて、霧沢さんの顔を見られなくなってきた。
「寂しくない?」
「あ、いや、でも今は霧沢さんがいるから」
「くすっ。もう、森村君」
 なんか照れるな……。
「でも正直少し寂しかったかな。せっかく描いても見せられるのは先生ぐらいだけだったし」
「ねえ森村君」
「なに?」
「どうして絵を描こうと思ったの?」
「うーん、なんていうか……。俺の好きな絵があってさ。その絵を初めて見たとき、そのとき落ち込んでいた俺を励ましてくれて。そのおかげで今の自分がいてさ。俺もいつかこんな絵を描けたらいいなって思って始めたのがきっかけかな」
「そうなんだ……」
 霧沢さんは納得したのか、そのまま次の言葉を出さなかった。
 霧沢さん、何を考えているのかな……。
 そうして、しばらく互いに無言で絵を描いた。
「うーん、こんな感じかなぁ……」
 霧沢さんが書いていた手を止め、スケッチブックを少し離して見ていた。
「霧沢さん、出来た?」
「あ、わたしはまだちょっと恥ずかしいよ。森村君は?」
「うん、俺はこんな感じ……」
 俺も少し絵を離して遠くから見る。元々素描……デッサンなので早く描けている。
 霧沢さんの黒髪の輝きがほんの少しだけ思った通りにかけて、自分では少し良く出来たかなって感じに仕上がった。
 まあ、初めて人物画を描くのだからこんなものだろう。
「わぁ。これがわたし?」
 霧沢さんはいつのまにか俺の横に回っていて俺の描いた絵を見ていた。
「わっ! 霧沢さん、見ないでよ! 恥ずかしい」
「ねえ、そんなこと言わないで、もっと見せて」
「あっ……」
 霧沢さんは俺がひっこめようとしたスケッチブックを手に取り、そのまま俺の隣で眺めた。
「わぁ。森村君、やっぱり絵、上手いんだね」
「そ、そうかな……」
 霧沢さんが俺のすぐ横に、霧沢さんの吐息が感じるくらいに接近している。女の子の、霧沢さんのいい匂いがふわっと俺を包みこむような感じがした。
「でも、これがわたしなんだなって思うと、ちょっと複雑な気持ち」
 俺の絵を見ながら霧沢さんは言った。隣にいる俺はドキドキしてしまって、何を言ったらいいかよくわからなくなってくる。
「ね、ねえ、霧沢さんのも見せてよ」
「わ、わたしはまだ初心者だからだめー」
 俺が霧沢さん持っていたスケッチブックを手に取ろうとすると持っていた自分のスケッチブックを胸に隠すように抱いて、少し離れる。
「もう、俺だけ恥かしいじゃないか」
「でも、もうちょっと練習したら見せるから、ね」
「しょうがないな……。それじゃ楽しみに待ってるよ」
「くすっ。あんまり期待されると困るよ」
「でも、どう?俺の絵」
「うん。なんだか綺麗過ぎてわたしじゃないみたい」
「そう?」
「それとも、森村君にはわたしはこんな風に見えているのかな?」
「霧沢さん、もう。せっかくモデルになってくれた人を酷く描けるはずないじゃないか」
「くすっ。森村君照れてる?」
「そりゃそうだよ……まったく」
「でも、ありがと、森村君」
「えっ?」
「わたしね、嬉しかったよ。わたしを描いてくれたことが。本当にわたし……」
「えっ……」
 霧沢さんの最後の言葉が小さくてよく聴き取れなかった。
「くすっ……。ねえ、これ、スケッチブックってことは本番じゃないんだよね」
「あ、うん、そうだけど……」
「また、わたしを描いてくれるんだよね」
「霧沢さんさえ良ければ大歓迎」
「くすっ。ありがと」
 はぐらかされたけど、まあいいか。
 それからもしばらく絵を描いていたら、夕日がだいぶ沈み、あたりが薄暗くなってきていた。
「あ、もうだいぶ遅くなって来たな。今日はこのくらいで帰ろうか」
「あ、ほんとだ。もう外は真っ暗なんだね」
「霧沢さん。明日から本番に向けての絵を描きたいと思うけど、お願いしていいかな?」
「くすっ。いいよ。わたしも部員にしてくれたし」
「それじゃ、明日もよろしく。霧沢さん」
「はい。よろしくお願いします、部長」
「な、なんか部長って照れるな……」
「森村君照れてばっかりだね」
「もう、霧沢さん……」
「くすっ……」
 その日もまた、俺たちは一緒に帰った。
 帰り道に絵を上手く描く方法とか、コツとかを色々話しながら。
 霧沢さんは本当に楽しそうに相槌をうってくれるし、そんな霧沢さんの仕草を見ていて、俺も楽しくなってしまう。
 なんだか、こうして霧沢さんと出会えてよかったと、心から思えた。


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