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放課後で
 放課後。
「それじゃ霧沢さん、また明日」
「うん。また明日ね、森村君」
 お昼が終わった後も霧沢さんとこの学校の事とか自分のこととか色んなことを話しているうちに、気がつくと放課後になっていた。
 俺はこれから部活、絵を描くということが待っているので、残りは明日ということにして霧沢さんと別れたというわけだ。
 霧沢さんが教室を出て行くのを見ると、胡太郎が話し掛けてきた。
「ふたりで仲良くまた明日、か。かー。一日であれほど仲良くなるなんてな。俺びっくりしたぞ」
「胡太郎、なんだよそれは」
「あの後なにがあったのかな?森村君。彼女、最初の印象とずいぶん違うぞ。なにがあったかこの吾妻胡太郎に洗いざらい話してみなさい」
「なにってなんだよ。俺はただこの学校についての色んなことを霧沢さんに教えただけだって」
「かー、そんなとぼけちゃってさ。やり手だね森村君。もうすっかりいい関係になっているし少し妬けるぞ。霧沢さんと仲良くなっても俺を捨てないでくれナ、親友」
「ああ、わかったわかった」
 まったく、どういう意味で胡太郎は言っているんだか。
「というわけで、俺も帰るな。今日は昨日すっぽかした分付き合わないといけないのでナ。大樹。また明日。部活頑張れよ」
「ん、ああ。また明日」
「じゃあな」
 背中越しに手を振りつつ胡太郎も出て行く。
 まったくしょうがないな、胡太郎は。いつもの事だけどさ。
 さて、俺はこれから絵を描かないと。
 今日は霧沢さんの髪を見て触発された。少し色んな色使いをしてみたい。あんな綺麗な髪の色を出してみたい。
「ん、ていうことは、人物画を描かないといけないってわけか」
 ふと思ったが、これはうかつだった。
 そういえば俺は今まで静物画や風景画は描いた事があるが、人物画は描いたことがない。
 描けない理由があった。
 モデルなってくれる人がいないのだ。
 静物画はそこらの物を置いて描けばいいし、風景画は外に出かけて景色を写生すればいい。
 だから今まで、リサのような絵を描きたいと思っていても描けなかったのだ。
 無論、鏡を見ながら自分を描くなんてまっぴらだった。
「まいったな……どうするか」
 とりあえず描きかけの絵はないし、描きたい、と思う絵でなければ描きたくないし、描けない。
「うーん、明日霧沢さんに頼んでみようか……」
 でも、今日初めて会った女の子に、あなたの髪がとても素敵だからモデルになってくれ、なんて恥ずかしくて口が裂けても言えそうにない。
「仕方がない……。やはり想像して描くしかないか」
 そんな絵の描き方もある。難しいが無理な事じゃない。
 そう思って絵を描く為に部室へと向かった。
 部室には誰もいない。
 この美術部には本当かどうかわからないが、俺以外にも何人か部員がいるらしい。でも俺はその人たちと入部以来出会った事がない。おかげでいつもこの備品を使い、好きな時好きなだけ静かに一人で絵を描いていられる。それはそれで嬉しいが、見てくれるのがたまに来る顧問の先生だけというのも少しだけ寂しい。
 とりあえず、いつも使っているスケッチブックに浮かんだ絵のタッチを描いてみる。
「髪はこんな感じで……。えっと」
 ふと自分の描いた絵を見たら、リサの絵の構図に似ていた。
 というか、あの絵のままの構図だ。女の子が中央にいて、横を向いていて、その髪が風に流れていて……。
 女の子、霧沢さんだけど、その子自身もリサに似ていた。
「って、なんで俺はリサを描いているんだ。こういう絵を描きたいわけで、この絵を描きたいってわけじゃないのに」
 我に返り、コンテでスケッチした絵を少し離して見てみる。見れば見るほどリサの絵だ。
「でも、そういえば今日俺、リサを見ていないな……」
 それどころか、リサのことを今まで忘れていた。毎日、ほとんどかたときも見忘れた事がないリサの絵を今日はまだ見ていない。
 それは確か霧沢さんが来た時からだった。
「おかしいな……。俺がリサのことを忘れるなんて」
 たぶん、霧沢さんと話をしていて、時間が経つ事も忘れていたほどだったからだろう。
 絵を描くのを止めて、上着のポケットからリサの絵を取り出す。
 リサはいつもの表情だった。
「まったく。俺は何をやっているのだろう」
 しばらくリサの絵を眺めていた。
 すると一瞬、そのリサの表情が、霧沢さんの表情とかぶった。
「えっ……」
 何度か瞬きをしてもう一度リサを見てみる。
 でも、見れば見るほどリサが霧沢さんに見えてきてしまう。
 霧沢さんの瞳が緑色に見えるくらいに。
 目を擦る。
「どうしたんだろう、俺……」
 霧沢さんの髪がリサのイメージだって思っても、リサはリサだし、霧沢さんは霧沢さんのはず。
 リサが霧沢さんに似ているってことなのだろうか……。
 霧沢さんを初めて見て、何か大事な事を忘れているって思ったのも、リサに似ていたからなのだろうか……。
 いや、そんなことないはずだ。女の子だからってことで、俺はみんな同じように見えているだけなのだろう。
 それにしても、なんだか色んなことを話した霧沢さんの笑顔が頭から離れない。長く女の子と話したことで俺は少し舞い上がっているのかもしれない。
「今日はどうもダメだな……。やめやめ。明日にしよう」
 どのみち人物画は描けないし、他の絵を描きたいという気にもなれない。
 俺は道具をしまい、部室を後にした。

――――――

 昇降口で靴を履き替えているとき、ふと隣に生徒が来たのを感じた。
「あれ?森村君?」
「えっ?霧沢さん?」
 隣の人影を見てみると、その人影は霧沢さんだった。
「よかった。やっぱり森村君だった」
「霧沢さん、どうしてこんな所にいるの?」
「わたしは今日からこの学校の生徒になったからだよ」
「いや、そうじゃなくて……」
「くすっ。ごめんね。森村君面白いから冗談を言ったんだよ。わたしはね、今まで職員室でいろんな手続きとかしていたんだ。書類にはんこを押すとかいろいろ。それでね、それがやっと終わってこれから帰ろうとしたところなの」
「そうなんだ」
「森村君は部活終わったの?」
「ああ。今日はどうもダメだから明日にしようと思って」
「だめ?どうしたの?」
「あ、えっと、俺は美術部で絵を描いているんだけど、今日はどうもいい絵が描けないから止めたんだ。明日また頑張るつもりで」
「ふーん、そうなんだ」
「ねえ、霧沢さん、一緒に帰らない?」
「うん、いいよ」
 霧沢さんは笑顔で即答してきた。
「えっ?いいの」
「うん。わたしの家の方角ならいいよ」
 いっしょに帰ろうと言ったのは、成り行きから出たもので、半分冗談みたいなものだったのに。霧沢さんならそう答えるとも思うけど、即答するなんて少し驚いた。
「霧沢さんの家はどっちの方向にあるの?」
「わたしの家は野高場のほうだよ」
「えっ?それじゃ、俺の家のほうじゃん」
「そうなの?」
「ああ。俺も野高場」
「くすっ。それじゃ、かえろ」
「あ、うん」
 まさか俺の家の方向だったとは……。
 さらにひと周りほどよけいに驚いた。
 俺たちはそのまま、並んで校門を出た。
 校門から出てしばらくしたとき、霧沢さんが楽しそうな口調で話し掛けてきた。
「ねえ、森村君って、美術部だったんだ」
「うん、そうなんだよ。部室で絵を描いてる」
「絵、描くの面白い?」
「本格的に描き始めたのは1年くらい前からなんだけど、結構面白いよ。俺にはどうやらすじがあるみたいでさ。顧問の先生もよく誉めてくれる。それに、なんとかっていう小さなコンクールにも入選したりしたし」
「コンクール?そんなに絵が上手いんだ」
「あ、いや、そんなほどじゃないよ」
「それでもコンクールに入賞するくらいだもの、上手いと思うよ。今度森村君の描いた絵見たいな」
「えっ?見たいの?」
「うん。わたしも絵には少し興味があるし」
「そうなんだ。だったら明日見てみる?」
「いいの?」
「うん、やっぱり色んな人に見てもらって感想とか欲しいし。それに、霧沢さんに見てもらうとなるとそれなりにはりきれるし」
「くすっ。森村君笑わせないで」
「いや、本気だって」
「うん。それじゃ明日楽しみにしてるね」
 住宅街をそんなことを話していたら、自分の家の近所まで来ていた。ドキドキしていたし、霧沢さんに相槌を打っていたから時間が経つ事を忘れていた。
 それにしても、ずっと俺の隣を歩いている霧沢さん。俺の町内だというが、ここまでいっしょに着いてきていいのだろうか。
「っと、霧沢さん、家どこなの?」
「えっ?野高場だよ」
「それはさっき聞いたよ……」
「くすっ。冗談だってば。あ。この道をもうちょっと行った先」
「そうなの?俺の家もこの道の先だよ」
「そうなんだ」
「それにしてもこの『野高場』って、漢字を見たらなかなか最初は読めないよね」
「うん。わたしも初めて知ったとき、『のこうば』って読んじゃった」
「そうそう、『のこうば』とか『やこうじょう』なんても読んじゃうよね。胡太郎なんてもう半ばヤケになって『のこうば』って読んでいるよ」
「胡太郎君?」
「ああ、さっき学食で席を譲ってくれた俺の友達だよ」
「ふーん」
「っと、あ、ほら。あの三軒先に見える右側の青い屋根が俺の家だよ」
「青い屋根……」
「うん」
「わたしの家はあの信号のある道路をはさんで、その向かいの二軒先の赤い屋根の家だよ。見える?」
 霧沢さんが指を指した方向には確かに赤い屋根の家が見える。
「えっ?そうなの?」
「うん。そうだよ」
「ご近所さんだったんだ……」
「くすっ。わたしもびっくりした」
「そう言われると、近所に霧沢さんって名前の家があったな。そこが霧沢さんの実家だったんだね」
「うん。でも、もしかしたら本当に、森村君とは昔遊んだのかもしれないね」
「うーん、そうかも……。でも、子供の頃ってほとんど忘れてしまっているしなぁ……」
「うん、そうだよね……」
 ふと、霧沢さんは遠くを見て、寂しそうな声をだした。
 余計な事だったかな……。
 気がついたら俺の家の前まで来ていた。
「それじゃ、俺はこれで」
「あ、森村君、また明日ね」
「うん。それじゃ、霧沢さん、また明日」
「あ、そうだ。森村君」
「えっ?なに?」
「森村君はいつも何時ごろ学校に行くの?」
「朝は普通かな。8時半にホームルームだから、大体8時ごろ家を出るよ」
「ねえ、明日わたしと朝いっしょに行かない?迎えに行くから」
「えっ?いっしょに?」
「えっと……。近所だから面白そうだなって思って」
「いいの?」
「森村君にはまだ色々聞きたいこともあるし」
「それだったら大歓迎だよ。俺、結構寝坊する事もあるから、霧沢さんが来てくれるとなると、うかうか寝坊もしていられないだろうし」
「くすっ。うん。それじゃ、明日ね」
「うん。霧沢さん。また明日」
 まあ、霧沢さんが言う冗談にしても、迎えに来てくれるなんて嬉しい。
 でも、女の子から迎えに来るね、なんて言われると酷く照れてしまって、最後まで霧沢さんの顔を見ていられなかった。
 それにしても、本当に明日霧沢さんは迎えに来るのかな。
 霧沢さんにとっては俺の家は通学路の途中にあるとはいえ……。
 うーん。
 成り行きとはいえ、大歓迎だよ、なんて軽はずみに言ってしまったことを少しだけ後悔した。

――――――

 家に帰った後、いつもと同じように一通り家事をし、俺はベッドに寝そべり、今日のこと、霧沢さんのことを反芻していた。
 それにしても、俺がこんなふうに女の子と話すことができるなんて、自分のことながら酷く驚いた。
 昨日胡太郎がおかしなことを言った所為で、俺は少し何か意識していたのだろうか。
 それにしたって、今までの俺にしてみればすごい事だ。
 俺は今まで、女の子と話すとき、いつも変なことを考えてしまう。
 女の子と話をしているとき、この子は俺のことをどう思うだろうかとか、こんな事を言って嫌われたりしないだろうかとか、ネガティブな方向しか思いつかない。
 いや、それだけじゃない。
 話をしている時に、この女の子と仲良くしたいな、っていう気持ちが出てくるのだ。
 仲良くして、あわよくばこの子と……なんて口にも出せないほどの恥ずかしい事を考えてしまう。いつもリサを見て思うような恥ずかしい事を。
 だから、話している相手の女の子に対して心象をよくしたいなって思うのだ。
 そうすると、そんな恥ずかしい事を思っているって相手に伝わってしまうかも知れない。そう思われたらその女の子に俺は軽蔑されるかもしれない。
 なんて循環を思ってしまうから俺は女の子と話すことが苦手になってしまっていた。
 でも、霧沢さんには、この、あわよくば……っていう気持ちが出てこなかった。この子と仲良くしたいな、っていう気持ちはあっても、その先には行かない。
 ちょっと違うか。
 霧沢さんは、俺の言ったことや俺の行動を面白いって言ってくれたんだ。
 それが長じて、たとえ、俺のあわよくばという考えを知られても、霧沢さんは気にしないような感じだったんだ。知られても、それは俺の冗談だって笑ってくれるような気がした。
 だから、俺は、気兼ねなく話せたんだ。俺の話し方がこれでいいって思えたんだ。
 胡太郎と話しているような感じまで受けたくらいだ
 俺が胡太郎と話すときのように、何かを隠そうとか、特に心象を良くしたいとか、そう言った窮屈な考えが浮かばなかったんだ。
 霧沢さんとあんなふうに自然に話せるくらいなら、俺の絵のモデルにもなってくれと言えるかもしれない。そう言っても、いっしょに帰ろうって言ったときのように、いいよって即答してくれるかもしれない。
 明日それとなく話してみようかな。
 霧沢さん、か。
 なんだか、彼女、すごく……。
 すごく……なんだろ。
 まあいいや。
 そういえば霧沢さんはご近所さんだったんだよな……。
 子供の頃にこの街にいたってことは、学区内からして俺と同じ学校に通っていたと思うけど。
 俺はその頃胡太郎とだけいっしょに遊んでいたっていう記憶しかない。
 そうだ、明日胡太郎にも聞いてみよう。
 胡太郎のことだ。女の子のことなら憶えているに違いない。
「ふわぁ……」
 ベッドで物思いにふけっていたらなんだか眠くなってきた。
 今日はもう寝ようかな。
 今日は絵も描けなかったから明日は今日の分まで頑張らないといけないし。
 それに明日霧沢さんが迎えに来てくれるって言っていたから、寝坊なんかしたら恥ずかしいし。
「あ。そういえば、どうしてリサが霧沢さんに見えたのだろう」
 俺は思い出したようにキャンパスを手に取ってリサの絵を見てみた。やっぱり小さな写真なんかよりも本物の方がずっといい。
「リサは……リサだよな」
 確かに、かわいいというところは似ているかもしれない。
 黒髪はもとより、この優しい表情とか……。
 って、俺、すごい事を思っているな。
 霧沢さんがリサに似ているってことは、俺は霧沢さんにリサに思っていることをしたいって思っているってことになる。
 なんだか恥ずかしくなってきてしまった。
「……あのさ、リサ。君のモデルって誰だったんだ?」
 えっ?ちょっとまてよ。
 モデル?
 もしかして、この絵のモデルが霧沢さんなんじゃ……。
「……。いや、まさか。そんなことあるはずもない」
 この絵は少なくても数年は昔に描かれたものだ。
 俺と同じ年齢の霧沢さんがその頃にこのリサの年齢のはずもない。ちょっとだけ霧沢さんと雰囲気が似ているだけなんだ。
 ああ、もう寝よう。
 これ以上余計なことを考えると、変なことを霧沢さんに求めてしまいそうだ。
 蒲団に包まる。時間はもう日付が変わっていた。


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