日常
「おーい、大樹―。帰ろーぜー」
「ん、ああ、胡太郎。ちょっと待ってな」
4月も半ばに入り、暖かな春の日差しから襲ってくる睡魔と闘う授業が終わった今日の放課後。
俺はいつものように自分の席に座り一枚の絵を見つめていた。
そこに俺の親友、『吾妻胡太郎』が声をかけてきた。
「なんだよ大樹。まだ帰り支度もしてないじゃないか。もう誰もいないぞ。さっさと行こうぜ。こんな所にいてもつまらん」
「ああ、そうか。もう誰もいないのか」
そう言われてあたりを見ると他のクラスの連中は誰もいなくなっていた。俺は絵を見ながら物思いにふけっていたので、周りの様子はわからなかった。
授業が終わってもうずいぶん経っていたらしい。
「大樹。なんだよ、まだその絵を見ていたのか?」
「ん?ああ」
「あれからずっと見ていたのか?よく飽きないな」
「ああ。惚れているからな」
俺が見ていたのは、あの時見つけた――黒い髪、緑の虹彩を持つ女の子――リサの絵だ。俺はこうしていつもあの絵を小さく写した物を持ち歩いて、暇さえあれば見つめていた。
リサを見つめていると、俺の心の中でリサと話をしているような感覚が生まれて、励まされたような気持ちになってくる。おかげで俺の寂しさを紛らわす事ができていた。さっきもそんなふうに物思いの中で話をしていた。
このリサの絵の事を知っているのは胡太郎だけ。胡太郎とは幼なじみで俺のことをよく知ってくれている。その為、俺のこんな変な性癖もある程度は許容してくれているようだ。
「それにしても大樹。そんな絵の中にいる現実にいない女の子に恋するなんてなぁ。俺には青春を無駄にしているようにしか思えんぞ」
「そうか?」
「そうだ。まあ、確かに、その絵の女の子はかわいいさ。でもな、健全な男だったら、実際の女の子にアタックするべきだ。女の子はいいぞー。柔らかいし、あったかいし。それになによりきもちいい。しかも絵の女の子とは違っていろいろとしゃべってもくれるぞ。どうだ?そんな絵なんか捨てて実際の彼女でも作ったら。願ってもかなわない事に時間をかけるなんて全くの無駄だぞ」
まあ、許容してくれていると言っても、こんな冗談めいたからかいの対象にはするが。
「お前はそうはいうけどな、リサだって、色々話をしてくれる」
「話す?」
「ああ。話してくれる。リサを見ているだけで、俺とリサは心の中で会話できるんだ」
「へえ。どんな?具体的に説明してみろよ」
「うーん、説明するのはちょっと難しいな。俺が何か言うとそれに相槌をうつというか、アドバイスをくれたりとかだな」
「ああ、そうかい。でもそんなこと、お前を知らないヤツが聞いたらおかしいやつだと思われるぞ」
「そんなことは百も承知さ。いいんだ。リサがいてくれるのなら」
「はー、いくら言ってもわかってくれないなー。まあ、いいか。絵を見ているだけなら誰も損はしない」
「ところで胡太郎、今日は女の子の方はいいのか?」
「なんだよ。もう忘れたのか?俺は今日もさっきC組の渡辺に誘われたのだけど、お前のたまにある部活の休みのときくらいはお前とだべってもいいと思ったから、誘ったんじゃないか」
「あ、そうか」
胡太郎は結構見てくれが良いので、クラスの内外問わず女子達によくもてている。昔はよく遊んだものだが、今では俺と遊びに行くなんて稀になっていた。
それでも、こうしてたまに誘って遊びに出かけたりはする。
「まったく、大樹は友達がいのないやつだ。せっかく面白い情報も教えてやろうと思ったのにさ」
「わかったよ、帰ろう」
「よし、親友。それでは、いつもの所に参りましょうか」
俺はリサの絵を胸のポケットにしまい、帰り支度をした。
こうして、いつもの商店街でゲーセンやら、CD屋やら、色んな所を胡太郎とぶらつくことになった。
いつも思うのだが、胡太郎は俺のような男とこうして街を歩くの
は嫌じゃないのだろうか。せっかく女の子といっしょにいられるのならそうすればいいと思うのだが。
そう訊くと胡太郎は、
「ああ、そんなこと決まっている。女の子と街を歩くときは、基本的に女の子にあわせないとダメだろ?だから男と一緒にいる時は女の子を連れて行けないような俺の好きな所にいけるからいいんだ。大樹だと変に気を使うこともなく何処にでもいけるし、これはこれで別の楽しみがあるさ」
と言った。
まあ、どんな理由であれ、いつものようにこうして胡太郎と冗談やからかい合いをするだけでも、俺にとってはありがたいことだった。
多分、口では言わないけれど、俺のがそう思っていることを知っていてそうしてくれているのだろう。胡太郎はそういうやつだ。
だから、女の子にももてるのだろうな。
「で、胡太郎、さっき何か面白い情報があるとか言っていなかったか?」
「あ、そうだ、忘れてた。森村君。これはなかなかいい情報だぞ」
「なんだよ」
「今度転校生が来るんだってさ。うちのクラスに」
「転校生?」
「しかも女の子だって言うはなしだ」
「ふーん」
さすがに胡太郎はこういう話にはめざとい。
「そこで、さっきの話になるわけだ」
「さっきの話?」
「お前が彼女を作る、だ」
「なんで?」
「転校生、しかも女の子ときたらかわいいに決まっている。そんな女の子を放っておくなんて手は無い」
「だから、なんで俺なんだよ……」
「ドラマチックで面白そうじゃないか。転校してきたヒロインが主人公の隣の席になって、初めての学校に不安になるヒロインに主人公は優しく声をかけて、そのうちに二人は恋に落ちて……。かー。いいシチュエーションじゃないか、まったく。男となったからには学園生活に是非一度はそんなシチュエーションを味わってみたいと思わないか?」
「はいはい。女の子の事は胡太郎に任せるよ」
「何を言っているんだ。お前は結構見てくれ――容姿は悪くない。だからクラスの女子もお前の事は悪く思っていないんだぞ。真面目で一生懸命なお前はむしろ好意的にも思われている。まあ、俺には遠く及ばないけどな。だから、そんなことを言って、チャンスを逃さないようにしろよ。そうしたチャンスは有効に使わないとダメだぞ、森村君」
「チャンスを有効に使えと言う言葉には賛成だけど、俺に彼女、恋人はいいよ。女の子が俺のことをどう思っているかとかはともかく、俺から女の子に話し掛けることなんて恥ずかしくてとてもできない。俺に彼女をつくるなんて無理だ。だから俺にはリサがいてくれればいい。それに今はこれからの将来の事で頭がいっぱいでさ。他の事までは頭が回らないよ」
というか、俺は女の子に対して少し苦手意識がある。それは胡太郎にも話せないようなことなのだ。
「将来の事?ああ、そうか。お前は絵の才能があったから、その道を目指すって言っていたな」
「ああ。今度近いうちに特待生を選ぶコンクールみたいなものがあるんだ。そこでがんばって、俺もこのリサのような絵を描いてみたいんだ。そして……」
「そっか。頑張れよ。恋人ができればその子の為に、夢に向かう努力も万倍にもなるだろうし、ナ」
胡太郎は俺の肩を叩きながら嘯く。
まったく。冗談なんだか、本気なんだか。
「胡太郎はどうするんだ?そろそろ進路、考えないといけない頃だろ?」
「俺か?どうだろうなぁ……」
「女の子に手を出すは良いけど、俺はそっちの方が心配だ。まあ、胡太郎は頭がよくて成績もいいけどさ。素行とかで目をつけられているんじゃないのか?」
「ふふん。俺はその気になったらホストにでもなるからいいのさ」
「ホスト?あ、そうか、その手があったか。胡太郎にはぴったりだな。天職だ」
「って、おい、本気にしないでくれよ」
「なんだ、違うのか」
「ああ、もうわかったよ。大樹の言うように俺はホストを目指すさ。たくさんの女の子を幸せにできるからやりがいのある仕事だしな。よし、指名度ナンバー1は俺のものだ」
胡太郎はそう言いながらシニカルな笑顔をして親指をぴっと立てた。
「ああ、頑張ってな」
「大樹もな」
きっと胡太郎は俺のことが心配なのだろう。
胡太郎の経験からして、俺に女の子がいれば俺も少しは寂しくなくなるだろうなんて思ってくれているのかもしれない。
でも、案外、こんなオクテな俺に彼女ができるのを楽しみに見ているだけなのかもしれない。そんな俺を見てからかいの対象にしたいだけなのかもしれない。
そういうヤツなんだ、胡太郎は。
でも、ありがとうな、胡太郎。
―――――
「ただいま……」
胡太郎と別れて、誰もいない、冷たく暗い静かな家に帰る。
学生の一人暮らしだと言えば聞こえがいいだろう。例え両親と離れて暮らしたいと思う奴がいても、本気で両親がいなくなってしまえばいいなんて思うことは多分、ないはずだ。
俺の両親は、一年くらい前、事故で亡くなった。
なんでも、俺がいないときに二人でドライブ中、居眠り運転のトラックに正面衝突されたとか。
即死だったらしい。
そのことを知らされたときは、両親が亡くなったということに実感が持てなかった。
両親はさすがに俺より早く亡くなってしまうとは思うが、こうも突然に、しかも両親が一緒になんてとても現実で起こっていることだなんて、にわかに信じられなかったのだ。
いや、信じたくなかった。認めたくなかった。
両親が死んでしまったと実感が出てきたのは、一人で生活するようになってしばらくしてからだ。
誰もいない、いつもいるこの家の、リビングルームや、台所、寝室……。
広くて、部屋がたくさんある家に、一人きり。
ここと毎日向かい合っていたら、もう両親に会える事はないんだと、日に日に辛くなっていた。
でも、ここから出ると、外にはいつもの俺の世界がある。その世界まではなくしたくなかった。そこは唯一、俺の存在を認めてくれる世界だったから。
だから、ここにある俺の辛い心から出た嫌な気持ちから、外の世界を壊してしまうことのないように、なにか心の支えが欲しかったのだ。
そして、あの日を境にようやく俺は日常を取り戻せていくことができてきた。
一つのことを目指し、集中する事で、忘れることは出来なくとも、考えないようにすることはできるようになってきたのだ。
「それも、リサのおかげ、というわけだな」
あの日見つけたキャンパスを眺める。
このキャンパスに描かれた女の子を見つけて以来、俺はいつかこんな美しい絵を描いてみたいという一心で、それまで少し興味のあった絵の世界に足を踏み入れ始めたのだ。
描き始めると、思った以上に絵を描く事は面白かった。
何とかという小さなコンクールに度々入賞したりとか、美術の先生に誉められたりとかして、今はわりと順調だった。
でも、まだまだリサのような絵は描けない。けれど、いつかきっと描ける日がくるかもしれない。
だから俺は、描きつづけていられる。
夢を見て、目標に向かって。
「俺、頑張るからな。見ていてくれ」
リサに呟くように。
絵の中のリサはいつもと同じ表情。
俺はずっと同じ綺麗なリサの瞳を眺めていた。
そうしていると、
『うん、がんばってね。大樹ならできるよ』
そんな、リサの声が聞こえてくる。
なんだか心が温かく、じんわりしてくる。
この子を抱きしめたい……。
ぎゅっと抱いて……リサのぬくもりを感じたい……。
そうすると俺は、この嫌な一人きりな現実を、一瞬だけ忘れることができる……。
「リサ……。ありがとう」
リサをずっと見つめて。
時を忘れたように、見つづけていた。
「……」
ふと我に返る。
あたりは薄暗い、静かな部屋。
「ふう……。また、明日」
我に返って、絵をしまおうと、もう一度、リサを見る。
ふと、思った。
もし、この女の子が実際にいたとしたら……。
絵なんだ。実際のモデルがいるかもしれない。現実にいたリサをみて、作者はこの絵を描いたのかも知れない。
この絵が描かれたのは何年も昔だと思うけど、リサのモデルの人はまだどこかにいるのかもしれない。
「………」
違う。
本当は、俺、リサが実際にいて欲しいと願っているんだ。
俺はリサのような絵を描きたいんじゃなくて、リサのような人が実際に現れてくれることを願っているんだ。
この絵という接点から、いつかリサのモデルの人との接点に繋がると思って、絵を描き始めたんだと、思う。
もし、実際にリサが俺の目の前に現れたら、俺は……。
いや、そんなことあるはずないよな。
こんな綺麗な緑色の虹彩を持つ人なんて、いるはずがないのだから。
俺はそっとリサをしまい、自分の現実に目を向けた。
―――――
淡い白い靄の世界。
目を凝らしても、遠くが見えない。
ただ明るい白い闇。
ここはどこだろう。
白い靄の中で俺は一人きり。
なんだか、寂しいな。
他の人は……いないのだろうか。
「くすん……。くすん……」
どこかで、子供が泣いている声がする。
「くすん……。くすん……」
どこだろう。あたりは何も見えない。
「なんだおまえ、へんなめをしちゃってさ」
「くすん、くすん……」
「なけばなんとかなるとおもっているのか」
泣き声とともに小さな男の子の声が複数する。
どこだ……。何処にいるんだ?
「やめろよ。おまえ」
目を凝らしてみたら、目の前に、数人の子供がいた。
小さな女の子が屈んで真ん中にしゃがみこんでいる。
それをとりまくように数人の男の子がいた。
そこに、ひとりの囲んでいる男の子たちと同年齢の男の子が出てきた。
「なんだよ。おまえは」
「なんにんもでひとりのおんなのこをいじめるなんて、かっこわるいぞ」
「なんだよ、おまえはこいつのなかまか」
「ちがうさ。でも、いまからなかまだ」
「こいつ」
「いいのかよ。おまえたちがやっていたことをせんせいにいいつけてやるぞ」
「せんせいにいわないとなんにもできないのかよ」
「いわれておこられるようなことをしているのかよ。せんせいにいわれたらおかあさんにもいわれておこられるぞ」
「おい……」
「ふん。おぼえていろよ」
「ばーか」
女の子を囲んでいた男の子達が、持っていた棒を男の子になげつけ、逃げていく。
「ばかはおまえらだろー」
男の子は逃げていく男の子達に言葉を返して、かがんでいた女の子に近づく。
「くすん、くすん……」
「だいじょうぶか?けがはないか?」
「くすん……」
「すこしふくがよごれちゃってる……。ねえ、だいじょうぶ?」
「くすん……」
男の子はそのまま泣いている女の子を見ていた。
「もう、だいじょうぶだ。おれはあいつらのようなことはしないからな」
「ほんと……」
女の子が男の子の方を向く。
「ああ」
「ありがとう……」
男の子に向けた女の子の瞳は綺麗な緑色をしていた。
「あ」
「えっ……」
「おまえのめ、みどりいろなんだな」
「うん……」
「こんなきれいなめをみたの、おれ、はじめてだよ」
「えっ……?」
「すごいな。なあ、おれとともだちになってよ」
「えっ……ともだち……?」
「ああ。そんなめのひとと、ともだちだなんて、かっこいい」
「ほんと……」
「ああ。おれはおまえがおんなのこだからって、さべつしたりしないぞ」
「ほんとうに……」
「ああ。たてる?」
「うん……」
男の子の差し出した手を取りながら、女の子は立ち上がる。
「えっと、なまえをおしえてくれるかな。おれのなまえは……」
でも、緑色の瞳の女の子って……?
この子はもしかして……。
一瞬何か思い当たるようなことを思い出しかけた。
ふと、俺はそこで、目を覚ました。
そのとき、その思い当たるような気持ちを忘れてしまった。
なんだったんだろう。今の夢は……。
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