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霧沢美裕
 それから、どのくらいの時間が経ったのかよく憶えていない。
 気がついても、暗闇だった。
 ちゃんと目が覚めているのに、目が開かない。
 俺の目に手を当ててみると、何か布のようなものが巻かれていた。 
「あれ……。俺、どうしたんだ?」
 あたりを探ると、体の下にはやわらかい感触がある。
 どうやら蒲団の上に寝かされていたようだ。
 手探りであたりを確かめながら半身を起こす。
 辺りがどうなっているのか確かめたいが、顔に巻かれた布が邪魔で何にも見えない。
 ここは何処なのか。
 俺はどうなっているのか。
 しばし、俺の今までのことを思い出してみる。
 昨日の晩、美裕と胡太郎が公園で話しているのを見て。
 次の日の朝、胡太郎から美裕が好きだったって事を聞いて。そうしたのは胡太郎が転校してしまうからだって言う事を聞いて。
 そのあと、俺は美裕と逢って、胡太郎のことを話して……。
 えっと、それから、美裕が料理を作ってくれるって言って……。
「あっ!」
 そういえば、俺、さっき突っ込んできたトラックをよけようとして、美裕を。
「美裕、美裕は大丈夫なのか?」
 美裕を助けようとしたんだけど、その美裕は大丈夫なのだろうか? そのあたりの記憶からない。
 くそう。この布がすごくいまいましい。
 美裕を見られないじゃないか。
 でも、ここでじたばたしてもどうにもならないし、無理をするのも少しはばかる。
 目が見えないのなら、ちょっと耳を済ませてみよう。
 遠くの方で、かすかな喧騒が聞こえる。
 そして、かすかな消毒薬の匂いがした。
 そうか、きっとここは病院なんだ。
 この目に巻かれた布のようなものはきっと包帯かなにかなんだろう。
 あれから俺が包帯を巻かれているあたりに怪我した所為でここに運ばれたに違いない。
 それから、俺が今何か独り言を言っても誰も答えなかったから、きっとここは個室なのだろう。
 コンコン。
 そのとき、俺がいる右の奥からなにかを叩く音がした。
 扉を叩くような音。
 誰か、来たのだろうか。
「はい」
 がちゃ。
「失礼します……。あ。森村さん、お目覚めですか?」
「えっと……。どちら様ですか?」
「はい。私はこの病院の看護師です」
 年配の女性の声だ。
「看護師さん……。ってことはやっぱりここは病院なんですか?」
「ええ。森村さん、先日の事故で目を怪我されてしまって、こちらに運ばせていただきました。ご気分はどうですか?」
「あ、看護師さん。美裕は、あ、俺と一緒にいたと思う女の子なんですけど、美裕は、美裕は大丈夫なんですか?」
 俺のことはどうでもいい。ただ美裕のことが心配だ。
「みひろさん? 女の子? ああ、あなたを連れてきたあの子ね。ええ。大丈夫よ。一応検査は受けたみたいだけど、怪我はなかったみたい」
「本当に?」
「はい。でも、森村さん……」
「よかった……。美裕が無事で……」
 看護師さんが言うんだ、多分、間違いないだろう。
 全身から安堵の息が漏れる。
「森村さん……?」
「あ、そうだ。あの、俺、どうなったんですか?」
 安心したら、俺の怪我のことが気になった。
 早く無事な美裕を見たい。
「……」
 看護師さんのため息のような音が聞こえる。
「看護師さん?」
「え、ええ、ごめんなさいね。今担当の先生を呼びますから」
「え?はい」
 美裕が無事なら、俺はそれでいい。良かったと思った。
 しかし、それから医師の話を訊いたとき、俺は愕然としてしまった。

「それは、どういう、ことなのですか?」
「つまり……。細かい木の枝やとげ等が眼球にたくさん刺さって横に流れた為、あなたの両目にある水晶体が壊れてしまったのです。その為、虹彩が傷つき、網膜が破壊され、眼球としましては……」
「あの、俺の目はどうなるのですか?また、見えるようになるのですか?」
 そんな複雑な専門用語なんてどうでもいい。結論だけ言って欲しい。
「……」
 先生のため息が聞こえる。話したくないという意思が伝わって来るようだった。
「……あの、はっきり言って下さっていいです。俺には両親とかの家族がいませんから」
「……。あなたの両目は……、残念ですが、もう見えるようにはなりません。角膜の問題でもないですから、移植も無理です。失明状態となります」
「見えなくなる……」
「はい。他の怪我はたいしたことはなかったのですが……」
「そうですか……」
「とりあえずは怪我が良くなるまでここにいてもらいます。そのあとのケアなどはまたお話します」
「はい……」
 その言葉を聞いても、なんだか現実感が無かった。
 だって、この怪我の痛みはもうさほど感じない。このわずらわしい包帯が取れればまた今までのように見えるような気がして、これからずっとこの闇の世界なんて信じられなかった。
 俺はあのとき、車をよけようとして美裕を抱きかかえたため、繁みに頭から突っ込んでしまった。
 そこにあった木の枝が、俺の両目に刺さり、俺の両目がつぶされて、失明してしまったのだという。
 顔や他のところにそれほどたいした怪我が無かったのに、どうして眼だけに……。
 これから、俺は何も見えなくなってしまうのか……。
 これから絵を描くことができなくなってしまうのか。
 いや、そんなことどうでもいい。
 一番嫌なのは、これから……。
 あの美裕を見ることが出来なくなってしまったこと。
 美裕……。
 あの緑の瞳で俺を優しく見つめる美裕。
 あの輝く笑顔で俺に話してくれる美裕。
 その美裕が……見られないなんて。
「俺……。みんななくしてしまったのか……」
 ずっとずっとこの暗闇が続いていくというのか。
 怒りたくても怒る相手がいない。
 文句を言いたくても、何が言いたいかよくわからない。
 あの時と、同じなのか……。
 両親がいなくなってしまったことを実感した、あの嫌な気持ち。
 あのとき、もう失うものなんてなにも無いと思っていたのに。
 でも今、またあの時のように、突然失ってしまったなんて。
「……。嘘なんだろ……」
 もうなんでもどうでもよくなってくる。
 胡太郎と遊んだこと。
 絵を描いていたこと。
 美裕を幸せにするんだって約束したこと。
 そして、これからのこと。
 なにもかもが、嫌になってくる。
「嫌だよ……。嫌だよ。みんな……。なくなってしまうのは、嫌だよ……。こんな暗闇の中で、一人きりにしないでくれ。俺ひとりだけにしないでくれ。父さん、母さん、美裕……。どうして、どうして、俺……。どうして……こんなことになってしまったんだよ……。せっかく……。せっかくこれから俺の大好きな美裕とずっといっしょにいられると思ったのに……。なんでだよっ……」
 いつしか、声を出していた。
 今まで我慢してきた。
 両親が亡くなっても。
 一人きりになっても。
 俺は、何とかやっていけると思って、辛さを飲み込んできたのに。
 それも……みんな、無駄だったのか……。
「ははっ……」
 そうか……、そうだ。
 無駄だったんだ。
 だったら、もう、いいんだ。
 もう、なんでもいい。
 もう何にも考えたくない。
 これからこのまま、生きて……いたくない。
 もう、いいんだ……。
 しばらく、一人放心していた。
 遠くで何か音がしている。
 でも、俺にはそんな喧騒なんて、もう関係ないことだ。
 何か外で起こっていても、俺には暗闇しか見ることが出来ないのだから。
 眠ろう……。
 このまま眠って、ずっと目が覚めることがなかったら、楽なのに。
 こんな暗闇なんだから、おんなじことだ。
 でも。
 俺がここでいなくなったら、美裕、悲しむかな。
 美裕……。どうしているかな。
 怪我が無かった、って聞いたから大丈夫だよな。
 助けたんだから、絶対、幸せになれよな。
 俺が美裕と約束したのに、出来そうになくって、ごめんな。
 美裕……。
 いや、もう、いいんだよ。
 美裕……。
 美裕の、俺に向けてくれるかわいい笑顔が暗闇の中に浮かぶ。
 なんだろう。この気持ちは。
 俺、また、なにかにすがりたいって、思ってる。
 あの時と同じように、まだこの世界にいたい。
 その、すがりたいっていう存在があるから、まだいたい。
 例え、世界の全てを失ってしまっても、その人がいるから、まだここにいたい。
 そのすがりたいって、思う人が……。

「大樹……」
 
 ふと、声が聞こえた。
 柔らかく、やさしい、女の子の声。
 この声だけは、忘れる事はない。
「……美裕?」
「うん……」
 いつのまにか、俺の部屋に美裕がいたらしい。
 静かな部屋に、美裕の息づかい、美裕の匂い。美裕の着ている服の擦れる音がかすかに聞こえる。
 美裕がここいるって、暗闇の中でも感じられた。
 なんだか、嬉しかった。
「美裕。大丈夫だったんだってな。よかったよ。彼氏としては彼女を助けられなくて、怪我なんてさせたらかっこ悪いもんな」
「……大樹」
 いつもの美裕の声より張りがない。かすれた、小さな声。
 この声は……。
「なんだよ、泣きそうな声をしてさ。まあ、俺、怪我しちゃったけど、美裕のせいじゃないからな。俺が勝手にこけただけだから。気にしたら俺、怒るぞ」
「大樹……」
「な、ほら、そんな声を出すのはやめろ。せっかく助けたのにそんな声を出しては助けた甲斐がない」
「大樹、大樹……」
「だから、そんな声、だすなって……。美裕?」
 俺の身体が、暖かいものに包まれた。
 女の子の……美裕のいい香りがする。
「美裕?」
「大樹……。そんなに、一人で辛くなろうとしないで……」
 俺の背中に回された美裕の手が、ぎゅっと俺を抱きしめる。
「俺……。辛くなんて、な……」
 突然、俺の口が何か柔らかいもので塞がれた。
「み、美裕……」
「我慢、しないでよ……。わたしがここにいるからって……」
「美裕……」
「大樹、辛かったらわたしに何でも言ってよ。一人でそんなふうに閉じ込めようとしないでよ!大樹が辛そうにしているの見るの、すごく嫌だよ!」
「美裕……」
「大樹……大樹が辛そうにしているの、聞いちゃった」
「美裕……」
「それなのに、わたしがいることを知って、こんな優しいこと言って……。ほんと、馬鹿だよ、大樹……」
「聞かれちゃったか……。かっこ悪いな、俺」
「……。大樹……ごめんね……。わたしのせいで目が」
「だから、美裕は悪くないんだって。これは俺のドジでしたことだから」
「大樹……」
「でも可笑しいよな。これから生活に支障がでるとか、絵が描けなくなるなんてこととかより、美裕を見ることが出来なくなるってことを知って、俺、死にたい気持ちになったよ。こんなにかっこわるい俺のことをこんなにも想ってくれる美裕に、これから俺は何にもできそうにないんだもんな……」
「大樹、大樹……」
「だから、美裕。お前は俺のことをそんなに思ってくれることはないんだぞ。うれしいけどさ。そうしてくれる美裕に俺はこれから何にもこたえてあげることができないんだから」
「わたし、わたし……」
 頬にあたる彼女の髪の毛からいいにおいがしてくる……。
 俺の胸に顔をうずめているようだ。
「美裕?」
「あのね、大樹……。わたしの話を訊いて」
「美裕……」
「わたしがね……このお母さんの実家の家に戻ってきたのは、お父さんが病気で亡くなってしまったからなの」

「ううん……。たぶん、大樹は気がついていたんだよね。わたしに両親がいないってことを。わたしがわたしにお父さんがいないってことをそれとなく言っても、大樹は訊いたりしなかった」

「そうしたら、もしかして大樹も、わたしと同じなんじゃないかなって思って……。そして同じ辛さを知っているんだってことを知って。でも大樹はそんなことをわたしにわからないように毎日振舞っていた」
「ああ」
「大樹はいつもわたしのした事に喜んでくれて。大樹もわたしにすごく優しくしてくれて。だからね、わたし、大樹といっしょにいるときは、そんな辛さを考えないようにすることが出来たの。そして、わたしのこれからの生きがいが出来たって、思えたんだ」
「生きがい?」
「うん。大樹といっしょにいて。大樹がわたしのすることに喜んでくれること」
「美裕……」
「わたし……。大樹と出会えていなかったら、きっと辛くて逃げてしまったかもしれない。本当は、お父さんがいなくなったとき、もうなにもかも嫌になって……自殺していたかもしれなかった」
「美裕……」
「でも、最後に、この街に戻ってきて、お母さんとお父さんのことを考えてからにしようと思ったの。そんなとき……。あなたと、大樹と出会えた」

「だからね。大樹は、わたしの恩人なんだよ。それも、今度で2回目の……」

「だから……、大樹。そんなふうに自分だけ辛くなろうとしないで。わたしにもその辛さを分けて。わたし、今度は大樹ことを助けたいの!もっと大樹を受け止めたいの!……わたし、大樹と、いっしょにいたいの……」
「美裕……」
「だから……大樹。そんな辛いこと言わないで……わたしに、なんでも言ってよ……」
「……美裕。……美裕は今、ここにいるんだよな」
「うん。わたし、大樹のそばにいるよ。大樹を抱きしめてる」
「ああ。俺も美裕の身体を感じる……。暖かい美裕を感じる……」
「うん……」
「美裕……。俺、一つだけお願いをしていいかな……」
「うん……」
「もう一度、美裕の綺麗な瞳を見てみたいな……」
「ぐすっ……。大樹……。それじゃ、わたしが……。あなたの瞳になってあげる……」
「俺の、瞳?」
「わたしがずっとあなたのそばにいて、あなたの瞳になってあげるから……」
「美裕……」
「だから大樹……。わたしを……感じて」
 再び、俺の唇に柔らかいものが触れる。
 美裕の、唇……。
 俺は美裕の頭を抱きしめてみた。
 柔らかい髪。暖かな体。
 美裕は、ここにいる……。
「美裕……」
「大樹……」
 唇が離れた。でも、そばに美裕の吐息を感じる。きっと、美裕は今、俺の目の前で、俺を見つめてくれているのだろう。
 あの吸い込まれそうな緑色の綺麗な瞳で……。
 暗闇の中に……美裕の顔が見えたような気がした。
「美裕……。ありがとう。俺、今美裕の顔が見えたような気がした」
「大樹……。もっと、わたしを感じて……。そして、わたしをみて」
「美裕……」
 するすると、布の擦れる音が聞こえる。
「ほら……。わたしの暖かさを感じて……」
 美裕の体が、俺の体にそっとくっついてきた。
「ねえ……。わたしの音……聞こえる?」
 とくん、とくん、とくん……。
 美裕の柔らかい体から鼓動が聞こえていた。
「美裕……」
 そこにいる美裕の体を抱きしめる。
「うん……。大樹。あなたの音も聞こえるよ」
 美裕はベッドに半身を起こしている俺をまたぐように立ちひざでいたみたいだった。
 美裕は……。
 きっと、今、美裕はものすごく綺麗なんだろうな。
 こんな美裕が、俺のことを本当に心から想ってくれている。
 俺……。
「美裕……。俺、美裕に甘えて……、美裕を貰って、いいのか?」
「わたしは、大樹の瞳だから……。大樹の為ならなんでもしてあげるから……」
「美裕……。ありがとう」
「うん……」

「わたし、女の子で……よかった。大樹を愛していられるんだもの」
「美裕……。ありがとう。俺も美裕のこと、大好きだ。愛している」
「大樹……。うん」
「美裕……」
「んっ……」
 俺には美裕がいる。
 例え俺が光を失って、全てを見ることができなくなっても、美裕がいてくれるだけで、これからも生きていけると思う。
 だって、それが俺たちのこれからの幸せになるのだから。


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