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不安
 美裕の瞳のことを知って、一週間が過ぎた。
 あれから俺たちは今までと変わりなく過ごしていて。俺の絵もちゃくちゃくと描けてきている。もうすぐコンクールがある。このままいくとコンクールに入賞間違いなしだろう。先生からもお墨付きを頂いている。俺も自信を持っている。
 これもみんな美裕のおかげだよな。ほんと。
 今日もまた、俺たちはお互いに向かい合って絵を描いている。
 眼鏡を取り、緑色の瞳を俺に向けている美裕は、本当に綺麗だ。
 伊達とはいえ、眼鏡をかけている美裕もかわいいけれども。
 ああ、俺、こんなかわいい女の子の彼氏なんだよな。
 いつも思うけど、本当に嬉しい。
「ねえ、大樹」
「ん?なんだい?」
「あさっての日曜日、どこかに遊びに行かない?」
「えっ?」
「あのね、学校でこうして話したりしていたけれど、二人でどこかに遊びに行かなかったよね。だから、休みの日にどこかに行くのもいいかなって思ったの」
「そうだな。そういうのもいいかもしれない」
 今までは休みの日に女の子を誘って遊びにいくなんて、想像しただけで恥ずかしくなってしまったから出来なかったのだ。
 でも、美裕とだったら、それも関係ない。
「うん。それじゃ、あさってね」
「あ。でも」
「なに?」
「俺、美裕をつれていけるような場所を知らない」
「くすっ。そんなの何処でもいいよ」
「でもなぁ……。何処でもいいって言ってもなぁ。俺はいつも胡太郎と出歩いていたから男っぽい所しか知らないし……」
 胡太郎とよく行くゲーセンとかに連れて行っても、美裕は楽しくないだろうし……。
「それじゃあね、公園でも行かない?」
「公園?」
「うん。駅の向こうにある木がたくさん植えられている、ちょっと大きな公園」
「ああ、えっと、そこは寂蒔公園といったかな。そこだよね。うん、いいね」
「わたしね、風景も描いてみたいなって思ったの。お父さん、あそこで風景画をよく描いていたし」
「そうか。絵を描くか。そういうこともできるってことか。別に深く考える事もなかったんだな」
「あ。もしかして大樹、今変な事考えていたんでしょう?」
「えっ? あ、あはは。そんなことないって」
「もう。大樹ってえっちだよね」
「ちょっと待てよ美裕。そこまで俺は考えていたわけじゃないぞ」
「ふーん」
 遠くで俺を見ているみたいな目で俺を見る。いぶかしんでる……。
「本当だって」
「それじゃ、そこまでって、どこまでなの?」
「……うっ」
「くすっ。やっぱり大樹ってえっち」
「もう、美裕、いじわるだな……」
「くすっ。だって大樹面白いんだもの」
「あー。また俺をからかったんだな」
「くすっ。ごめんね」
「でも、正直に言うと、本当はちょっとだけ思ってたかな」
「えっ? そうなの?それじゃあいいよ。大樹だし」
「えっ? ほ、本当に?」
「くすっ。もう、大樹はー」
「あはは。でもほんと、外に出歩きたいよな。最近天気もいいし」
「それじゃ、あさってね。わたしおべんと作ってくるね」
「ほんと?」
「うん。だから、午前中からいこ」
「よし、それじゃ、明日の為に今日はこれくらいにして帰ろうか」
「もう。大樹。行くのは明日じゃないよ。まだ明日一日あるんだよ」
「あ、そうか」
「くすっ……」
 ああ、美裕はほんとかわいいな。
 あさってか。今日のように晴れるといいな。

――――――

 わくわくしていると一日が経つのが早い。他の事を考えないでそのことばかり考えているからすぐに時が経つような気がしてくる。
 いよいよ明日は美裕と遊びにいく。美裕と休みの日に出かけるなんて初めてだ。いや、女の子とこうして出かける……デートをするってこと自体初めてなわけで。否応なしにドキドキしてくる。
「そうだな……明日はどんな服を着ていこうか。制服なんて着られないし……うーん」
 こんな事なら胡太郎と出かけた時にもっと服とかを買っておけばよかった。
 ああ、俺余計な事を考えてる。まったく、かわいい彼女がいると変に舞い上がってしまうんだな。別に普通にしていればいいじゃないか。いつも会っている美裕なんだし。
 まあ、かわいい彼女の為にかっこいい彼氏を演出したいとも思うけれども、なんだかそういうのは俺の性にあっていないような気もする。
「そうだ。今度美裕に俺の服を選んでもらうとかしよう。美裕が俺に似合っているって言う服を着ればいいんだし」
 そうと決まれば、明日着ていくのは無難なところで比較的俺の気に入っている服を選ぶ事にした。
 で、明日公園の後はどうしよう。
「うーん、最後はやっぱり俺の家に来ないか、かなぁ。それじゃ、ちゃんと家のなかを片付けておかないと……」
 部屋を見渡しながら俺は家の中をうろうろと動き回る。
「リビングと俺の部屋を片付けて……」
 俺の部屋か……。
 俺の家に来るってことは俺の部屋に美裕が来るんだよな。
 俺の部屋に、美裕と俺のふたりだけ……。
「……」
 なんだか想像してしまったら、ドキドキして顔が赤くなってきた。
 って、俺は何を考えているんだよ。まったく、胡太郎の言っていたことなんて気にする事ないんだし。
 ああ、でも、楽しみだな。明日。美裕はどんな服を着てくるのかな。だいぶ初夏の陽気になってきたから、薄着かな。
 美裕は結構スタイルいいしなぁ……。
 手足や腰は細いし、それでいて出ているところはちゃんと出ているし……。
 ああ、俺はあの子を抱きしめたんだよなぁ……。
 美裕、結構胸大きかったんだよなぁ……。
「……」
 って、変なことを想像したらだめだって。
「はあ。やっぱり俺、えっちなのかも」
 どうも家の中にいるともやもやして仕方がない。買い物も兼ねて少し出かけよう。食料品とかはもう底をついている。
 外に出る仕度をし、外に出たら、あたりはもう真っ暗になっていた。時計を見ていなかったので失念していたが、いつのまにか遅くなっていたようだ。
 こんな事なら先に買い物を済ませておけばよかった。
 明日の事に舞い上がって俺は何をやっているのだか。
 半分小走りで近所のスーパー等に行き、食料品やらを買い込む。
「おっと、明日なにか役に立つようなものを買っておいたほうがいいかな……」
 ついでに、出かけるときに役に立ちそうな日用品やら雑貨やらも買っておいた。
 両親が亡くなったとき、俺に両親からの多額の保険金やら慰謝料やら遺産やらが入ってきたので、俺が社会に出て稼ぐようになっても、しばらくは食べていけるだけのお金はある。税金とかで大分減ってしまったけれども、ひょっとしたら一生働かなくても生きていけるだけのお金があるかもしれない。こんなお金なんかあっても、とも思うけれども、俺が生きていく上ではやはりお金は必要だった。
 だけど俺はつまらない事でこのお金を使いたくなかった。いつも必要最低限の生活ができるお金だけを使うようにしていた。自分の変な欲望から出た余計なものなど一切買っていない。
 ……使い道を知らないだけかもしれないけど。
「よし、こんなもんかな」
 買い物を済ませ、夜の街並みを歩く。
 そうしたら、ふと思い立った事が出来た。
「明日、美裕と行く所を見て帰ろうか」
 美裕が行こうと言っていた寂蒔公園は、ここからさほど遠くはない。ただ、俺の家からは結構距離がある。まあ、俺は一人暮らしだし、遅くなっても誰かにはばかる事はない。
 というわけで、俺は一人、夜の公園に来た。
 さすがに人影が少ない。こういう公園にいそうなカップルもまばらだ。もう少し季節が進むともっとたくさんのカップルが出歩くところだろうが、まだ夜は少しだけ肌寒い。いくらいい場所だからって言っても、なかなかこんな時間に出歩こうなんてそんなには考えないらしい。
 おかげで、目の居所に困ることなくこの公園を一人で歩く事が出来た。
「そういえば、よくここで遊んだ思い出があるな……」
 美裕と遊んだ記憶は少ないが、胡太郎と遊んでいた記憶はたくさんある。
 歩いていたら、公園の遊戯台が置いてあるところに出た。
 砂場や、ブランコ、滑り台、シーソーなどが夜の電灯に照らされて寂しそうに佇んでいる。
 そんな公園の遊戯台達は、思ったより小さくなっていた。
「なんだか、懐かしいな……」
 そんなことを思いつつ、そこを通り過ぎて公園の池を取り囲む木々の茂った遊歩道を歩く。
「ん? この辺なんか、絵になるかもしれない」
 俺は薄暗い景色を両手の人差し指と親指で長方形を作り、そこから覗く。
 右には池があってなかなか趣がある。ベンチもあるしここで座って描くのもいいかもしれない。
 よし。明日、この辺で美裕と絵を描こう。きっといい絵が描けると思う。
「明日、楽しみだな……」
 一通り公園をまわり、公園を出ようとしたとき、ふと、一組のアベックに目が行った。
 さっきまでに見ていたカップルとかだったら気にも止めなかったのだが、何か口論しているようだった。それに、その二人は俺の知っているような二人だったので気になった。
「あれ……。あの二人は」
 少しだけ近づいてみる。薄暗くて遠くがよく見えないが、この位置からでもその二人が誰なのかはっきりとわかった。
「胡太郎と……美裕?」
 二人は街灯が照らす下で話し合っている。
「何を……話しているのだろう」
 俺のいる所までは二人の声はほとんど届いてこない。それに俺の周りは暗いので、俺がここにいる事は二人には気がつかないはずだ。
 でも、なんで俺はここで二人を見ているだけなんだ? 近づいてその二人と話してもいいじゃないか。あの二人とは俺がこうして変なふうにはばかる間柄じゃない。
 しかし、何故かここから一歩も踏み出せなかった。あの二人に今会うことが自分にはできそうになかった。
 ただ、きっとたまたまこの公園に来た美裕と胡太郎がばったり出会っただけなんだろう。それだけだ。そう思いたかった。
 でも。
 こんな時間。しかも俺の近所にある美裕の家はもとより、胡太郎の家もここから結構距離がある。来ようと思わなければ来れるところではない。
 そうすると、どちらかがここに呼び出したということになるのではないだろうか。
 そうだとすると、何のために?
 今話していることは俺に聞かれては困るような話なのか?
 二人だけになって話さないとだめな事なのか?
 それは、一体、どういうことなんだ?
 二人はずっと何かを話している。
 時々かすかに俺の名前を言っている美裕の声が聞こえてくる。
 気になる。
 でも、それでもどうしてもあの二人に声をかけることが出来なかった。
 やがて、胡太郎と美裕は並んで公園を出て行く。
 ついていくか、このまま帰るか、どうしようかと逡巡したが、美裕も胡太郎も俺に隠し事をするような二人じゃないし、何かあるのだったら明日美裕が話してくれるはずだ。
 そう思い、俺は帰ることにした……。

―――――

 しかし、家に着いても、あの二人の事が気になって仕方がない。
 この気持ちはなんだ?
 この嫌な気持ちは一体何だって言うんだ。
 俺はあの二人を信頼している。
 胡太郎は幼なじみで、俺をよくからかったりするが、それは俺を楽しませようとするもので、決して悪意はない。胡太郎は俺にかげひなたなく接してくれて、隠し事なんてお互いすることもなかった。
 心からの親友だって言える。
 美裕は俺のことを好きだって言ってくれたし、俺も美裕も今でもお互いに何でも話せる。
 なにしろ、美裕は俺の彼女なのだから。
 それなのに、どうして俺に何にも言わずに二人でいたんだ?
 ただ二人で話をしていただけならいいさ。
 でも、なんでこんな時間に、あの公園にいなくちゃいけないんだ?
 わからない。美裕も胡太郎もあの公園に行くなんて話をしていなかった。
 どうして俺だけのけ者なんだ?
 ああ、なんだかもやもやしてこの気持ちは嫌だ。 
 そうだ、電話をしてみよう。
 あれからしばらく時間が経っているのだから、美裕も胡太郎も家に帰っているはずだ。
 美裕とは電話でよく話をする。それを口実にちょっと訊いてみればいいんだ。さっき公園で美裕を見たけど、行っていたのか?って。
 ぷるるるる。
 ぷるるるる……。
 美裕に電話をかけてみたが、電話に出ない。
 おかしい……。
 今度は胡太郎にもかけてみた。
 胡太郎は携帯電話を持っている。電話に出ないなんてことはないはずだ。
 ぷるるるる……。
 ぷるるるる……。
 がちゃ。
 出た。
『はい、吾妻胡太郎です』
「あ、胡太郎か?俺だよ」
『ああ、すまないな。今俺ちょっと電話に出ることが出来ないんだ。ごめんな。また後で絶対かけなおすから名前をよろしく。このあと発信音が出るから……』
「留守番電話……?」
 どういうことだ?
 二人とも電話に出ないなんて。
 ますます不安になっていく。
 胡太郎と美裕が夜に二人だけでいる……。
 何をしているんだ?
 どうして俺に何にも言ってくれないんだ?
 ああ、こんな気持ちは嫌だ。
 でも、俺はどうしたらいい?
 どうすればこんな嫌な気持ちを無くせるんだ?
「……」
 一度大きく深呼吸をした。
 ばかだな、俺。
 そんなことを考えて、いつも優しく俺に接してくれている二人を疑うなんて、俺はなんてひどいやつなんだ。
 美裕が電話に出られないのはお風呂に入っているとかからかもしれないし、胡太郎はいつものように女の子といるから電話を切っているだけなのかもしれない。
 大丈夫だ。あの二人が、俺をのけ者なんかにしたりはしない。
 それだけは信じられる。絶対だ。
 明日美裕と遊びに出かけるんだ。その時に訊けばいい。
 きっとたいしたことじゃない話になるだけの事だ。
 俺のいつもの日常がいきなり壊れてしまうことなんて、もうないはずさ。
 もう、二度と。



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