九章 光の道(二)
「光斗様。貴先様の命により、お迎えに参じました」
角行が、片膝をついた。
「また、順天様にも是非、ご足労をお願いしたい」
自分の名前が出たことに、順天は体を一瞬、ふるわせてしまう。
わかってはいたこととはいえ、まるで死刑宣告のように名を呼ばれれば、どうしても背筋に恐怖が走る。
「…………」
だが、目の前にいる男の背中を見て、恐怖がふと和らいだ。
その背中に、恐怖が微塵も感じられない。
それどころか彼は、無言のまま龍泉を構え、大胆にも前に進みだした。
「詮無きことを……」
角行の慈悲のない声は、順天を突き刺す。
自分は、この場でなにも役に立たない。
ただ、光斗の邪魔にならないようにと、廊下にあがって、柱にしがみついているぐらいしかできなかった。
「光斗様。我らに勝てるおつもりか」
刹那、葉陰の黒い姿が増殖した。
どこに隠れていたのか、その数が二倍ほどに増えている。
そして彼らは、もう光斗をほぼ包囲していた。
「…………」
それでも光斗の口は、黙していた。
龍泉を脇に挟むように構え、大きく息を吸い、そして吐く。
彼の態度に、戦う以外の選択肢はうかがえない。
その挑戦的な態度に、角行の声が荒くなる。
「五体満足では、いられませぬぞ!」
それを皮切りに、囲んでいた四、五人が、いっせいに光斗へ駆けよった。
光斗は、迷わず上に飛んだ。
助走さえもつけていないのに、屋敷を囲む塀よりもはるか上まで飛びあがる。
残りの葉陰が、それを待っていたかのように、同じぐらいまで飛びあがっていた。
無防備な空中で、光斗は数本の刃に囲まれる。
「旋!」
光斗は、龍泉で宙へ円を描く。
風が巻いた。
不思議なことに、龍泉はその時、棒ではなくなっていた。
まるで、鞭のようにしなっている。
しかも、倍以上の長さに伸びて、囲んでいた葉陰を叩き弾いていた。
だが、彼の下には、駆けよった数人の葉陰が残っている。
待ち伏せている葉陰たちは、間隔をとり、切っ先を空中の光斗にむけていた。
――ストンッ!
そんな葉陰たちの真ん中へ、地面に投げつけられたかのように黒い筋が落ちていた。
「なっ!」
目を丸くする葉陰たちの前に立っていたのは、龍泉だった。
光斗は、空中で龍泉を下にむけて伸ばしたのである。
そして、そのまま倒れるように横に飛び、先ほどはじき飛ばした一人を追撃する。
まさか追ってくるとは思っていない葉陰は、いとも簡単に蹴りを顔面に食らっていた。
あわてて、葉陰たちが、光斗に迫った。
光斗も葉陰たちにむかって走った。
が、彼はまたしても、葉陰たちの裏をとる。
葉陰たちにむかって龍泉を伸ばすが、彼が狙ったのは足下の地面だった。
「しなれ、龍泉!」
龍泉が、しなやかな竹のように弓なりになる。
龍泉を軸にして飛びあがり、光斗は葉陰たちの背後に回りこんだ。
そして、孤立していた葉陰一人を狙って、空中から頭上へ龍泉を振りおろした。
狙われた葉陰は、頭をかばおうと剣を構えるが意味をなさない。
龍泉の重さと勢いで剣は折られて、その下の肩も砕かれてしまう。
さらに光斗は、不用意に近づいた葉陰一人にむかって、龍泉で右横から薙ぎはらう。
とっさに葉陰は、左腕を犠牲にして避けるが、それだけではすまなかった。
龍泉は、やはり避けた先で三つに折れ曲がり、背中、右腕、腹部を巻きつくように強襲したのである。
「ぐはっ!」
血反吐を吐きながらも、その葉陰は耐えてみせた。
龍泉をつかんで離さなかったのである。
そこに別の葉陰の刃が、光斗を襲った。
光斗は、龍泉をたぐるように横回転しながら、前に踏みだした。
それで一打目を避けると、二打目は龍泉を折り曲げて避けてみせる。
三打目、四打目と、折り曲げた龍泉を器用に使いながら避けると、隙を見つけたのか光斗の蹴りが突きだされた。
「ちっ!」
葉陰が間をとる。
と、それを待っていたかのように、光斗は龍泉をつかむ葉陰にむきなおった。
「うわっ!」
一瞬だった。
龍泉が短くなり、つかんでいた葉陰は身を回しながら、光斗の方へ引き寄せられた。
そして、光斗も疾歩で間をつめていた。
光斗の拳が、龍泉を意地でも離さなかった葉陰の腹にめりこむ。
突きを食らった葉陰は、口からなにかを出し、そして前のめりに倒れこんだ。
自由になった龍泉を光斗は構えなおす。
その隙を狙うように、また別の葉陰が刃を構えて駆けよった。
さらに、もう一人の葉陰も迫る。
だが、それは隙でもなんでもなかった。
「星斗・攻法・第一……」
葉陰たちには、光斗のつぶやきが聞こえた。
その技を彼らは、熟知している。
そんな初歩の技を食らうことはない。
……はずだった。
「δου!」
しかし、予想外にも光斗が口にしたのは、呪文であった。
頭上にあげた、光斗の人差し指。
その指先から、眩い光が弾ける。
「まさか!」
闇の中で炸裂した光に、誰もが目を逸らした。
「天枢!」
眩んだ視界の中に、光斗の気合いと二つの悲鳴が聞こえる。
なんとか見開けば、一人は腹に神氣のこもった拳を食らってはじき飛ばされていた。
そして、もう一人は伸びた龍泉に、体を折られるようにして突かれていた。
「こ、光斗様……なんて、お強い……」
順天は、ただただ驚愕していた。
光斗が、まさかここまで強いとは思わなかったのだ。
確かに龍泉の力もあるのだろう。しかし、武術に詳しくない順天が見ても、その強さは尋常ではなかった。なにしろ、あの葉陰と一人でやりあっているのである。
もちろん、それを一番強く理解したのは、やりあっている葉陰たちだろう。
「莫迦な……」
葉陰たちの間に動揺が走る。
すでに葉陰の半分が、その場に倒れている。
「おい。あの女を!」
葉陰の一人が声を上げる。
順天は、すぐに自分のことだと気がつくが、どうにもならなかった。
逃げようと、後ろをふりむいたときには、そこに葉陰の一人がすでに立っていたのである。
恐怖で身がすくんだ彼女は、自分の体を抱きしめるようにして固まってしまった。
「順天殿!」
光斗の叫びが聞こえた。
順天は、応えることさえできない。
葉陰の手が、自分にゆっくりと伸びてくる。
彼女は妙に、その瞬間がゆっくりと流れているような気がした。
「……?」
が、気のせいではなかった。
葉陰は、ゆっくりと迫ってきて……そのまま前のめりに倒れてしまったのだ。
「まったく。女性を人質にとるなんて、とんでもない話だ」
その倒れた葉陰の後ろにいたのは、風龍だった。
彼は天仙の黄色い長袍を身にまとい、ゆっくりと順天に近づいた。
身なりに慌てた様子はなかった。どうみても、寝床から慌てて跳びだしてきた風ではない。
「風龍様」
不安げに呟く順天の肩に手を置いて、彼は「大丈夫ですよ」とやさしく呟く。
「光斗様!」
そして、風龍は場違いにも溌剌とした声を響かせた。
「この短期間に、信じられないほど強くなりましたな。今度、手合わせするときは、オレも両手を使わせていただきますよ」
「ご謙遜を。まだまだです」
光斗が、それに応じた。
否定しながらも、彼の声に喜気があることに、順天は気がついていた。
「天仙・風龍殿!」
角行が叫ぶ。
「蓬莱人のあなた様が、下界の世事に手出しなさるおつもりか!」
「影は、お前たちばかりではない。仙人は、青蓮国の影の守り役でもあるんだよ」
目しかうかがえない覆面の下で、角行の歯がみが聞こえるようだった。
本来、仙人は王家の権力争いにかかわることなどないはずだ。それは、仙人が下界の権力とは関係ない存在であり続けるためにも、必要な約束事である。
しかし、はっきりと風龍は、関わると言ってのけたのだ。それは表だって行わないにしろ、裏では今までも行ってきたことなのだろう。
角行にとっては、計算外だ。
光斗だけならば、まだなんとでもなったのだろう。しかし、それに武勲の誉れ高い天仙である風龍が加わっては、彼らの勝ち目は薄くなる。
葉陰は、そもそも正面から戦う部隊ではないのだ。
それでも、彼らはあきらめなかった。
角行が片手を高々と上げると、それを合図に屋敷の周囲にさらには影の姿が現れた。
その数は、二〇人はいるだろう。
なんとしてでもという意気が、光斗たちを包んでいた。
「賑やかにやってますね」
その意気を受け流し、無碍な男が現れた。
漆黒の帽子と外套という異国の衣装で身を包んだ仙人、鷹龍こと、ホーク・ナーガだった。
その傍らに、リエとソフィア。そして二匹の猫を引き連れて、悠然と前に出てくる。
「いやはや……」
そして彼は、楽しそうに周りを見まわした。
「さすが葉陰。行動が早い。全員でいらしたんですか?」
「あなた方相手では、全員でかからせていただかなければ失礼かと思いましてね」
角行が、挑戦的な口調で答える。
「なるほど。では、風龍。お願いします」
「ほいよ。……守一結化!」
風龍が右の掌を胸前に構え、その上に左手の人差し指と中指を添えた。
そして、添えたまま、右の掌を下から回して突きだした。
それは仙術の構えだった。
順天には見ることができなかったが、その掌の前に大きな法術陣と呼ばれる円と文字が描かれた印が現れているはずだった。
「応来・雷!」
彼の喚起に従い、一瞬だけ屋敷の周りが眩い光に包まれる。
同時に、雷鳴の激しい振動が、その場にいた全員を襲った。
「くっ! あらかじめ境界子を屋敷の周りに……」
苦渋の声を角行が上げる。
中空にときどき、パキッという音を立てて放電が走る。
今、この建物の周りは、完全に雷の檻に包まれたのだ。
「これで、あなたたちは逃げられませんよ」
「……なにを勘違いされているのか。逃げられて困るのは、我らの方」
敵は閉じこめられながらも、動揺は一瞬だけだった。
それはそうだ。逃げなくてはいけないのは、自分たちである。なのに、一緒に閉じこめてどうするというのだろう。
それに順天にも、この雷の結界が長く続かないことは容易に推測できた。
これほど強力な結界で、別宅の周りを丸ごと封じこめるのは、いくら風龍でもそれほど長くは保たないだろう。法術に詳しくなくても、それぐらいはなんとなくはわかる。
そして、その推測はまちがっていなかった。
「で。オレは、これをどのぐらい維持すればいいんだ? 長くは保たないぞ」
風龍が、右掌を前にむけたままで苦笑いする。
「ああ。これを使えば、かなり保つでしょう」
それに答えるように、ホークが懐からある物を取りだして見せた。
「……あああっ! お前、それ!」
風龍の眉が、声と共にあがっていく。
それは、手のひらに収まるほどの球体だった。
大量の呪符らしきもので包まれており、妖しいことこの上ない。
「蓬莱の宝物庫にあった龍魄だろう!」
「当たり」
「当たりじゃねぇ!」
「いやはや。敖広の件がうまくいかなかったら、龍泉にこれを使おうかと思ったんですが、いらなくなったので」
「いらなくなったじゃねえ! 盗んできたな、てめぇ!」
「当たり」
「だから、当たりじゃねぇ!」
「まあまあ。ここで役に立つからいいじゃないですか」
いきり立つ風龍に、ホークはどこ吹く風と平然と接する。
龍魄がどれだけ価値があり、どれだけ危険な物か、順天でさえ知識としては知っている。
普通の人間ならば、扱うどころではない。封がしていなければ、近よるだけで魔物になるというほどの力を持った、恐ろしい宝物なのだ。
「ともかく、この力を使って、あなたは結界を維持し、順天殿を守っていてください」
風龍が憮然としながらも、龍魄を受けとる。
「守ってって……葉陰の相手は? あ、まさか……」
「そう。それは、あたしのお仕事よ」
白と黒の猫をお供に、順天の胸元よりも低い体が、ずいっと前へ進みでる。
「……えっ!?」
胸をはって前に出たのはリエだった。
歩く度に、その月光を返す金髪が、まるでしゃらしゃらと鳴っているように見える。
小さくても威光をただよわせる彼女に、順天は一瞬、声をかけることをためらってしまう。
「な、何を言っているのです。あなたのような幼子が……」
それでも彼女は、リエを引きもどそうとした。小さな体を捕まえようと、しゃがんで抱きかかえようとしたのだ。
しかし、しゃがむ前に、逆に光斗に肩をつかまれる。
「光斗様?」
「リエ……」
順天を見ずに、光斗がリエに頭をさげる。
「よろしくお願いします」
「こ、光斗様! なにを!」
思わず怒鳴る順天だが、誰もなにも言わない。
「あんたも、しっかりやりなさいよ」
それどころかリエの言葉に、一国の王子である光斗が、素直に「はい」と返事する。
これでは、どっちが年上かわからない。
「皆様、彼女は子供ですよ!」
「ちょっと。子供、子供と言わないでくれる?」
言いながら、リエは左の掌を天にむけた。
「アクティベイト」
その先に、光の円が描かれはじめる。
それは、強力な魔力のために目に見える、電光となった法術陣であった。
「これでも、私……」
黒い猫がリエの頭上高くに跳びあがる。
落ちてきた黒猫が、法術陣を通りぬける。
と、一瞬で溶けるように黒い布となり、腕をさげたリエを隠すように包んだ。
「立派な……」
黒い布の中から、今度は右手が突きだされる。
また、別の法術陣が現れる。
その幾何学模様の法術陣に、白い猫が反応して同じように跳びあがった。
そして、同じように魔法陣をくぐると、今度は白い粘液のような物となって、リエの右手を包むように流れていった。
変化は、明らかだった。
黒い布が、あっという間にふくらんでいった。
唯一、見えている右手が、子供のふっくらした感じの手から、すらりと指が伸びた女性の手に変化していった。
その手が、黒い布に吸い込まれて消える。
間髪を置かず、布が前方から、風を巻きあげながら広げられた。
「レディ……なのよ」
そこに現れたのは、先ほどまでの幼い子供ではなかった。
先端がかるく巻き毛になった、腰まで届きそうな金髪。
あちらこちら露出している、透きとおるような白い肌。
大きめの熟した胸、順天よりもくびれた腰、黒い外套から覗く臀部はぐっとあがり、長いひきしまった脚が地面をしっかりとかんでいた。
「そ、そんな……」
馬鹿なことがと、順天は大人になったリエをまじまじと見る。
ひらひらとした飾りがついていた真っ黒な服は、その姿を変えていた。順天が今までに見たこともない、体にはりつくような下着のような服になっている。
さらに金髪の上には、黒い猫の耳。
下の方が真ん中から切れ目の入った黒い外套からは、白と黒の二本の尻尾がなぜか覗いていた。
思わず説明を求めるように、順天は横を見る。
しかし、光斗も同じように目を丸くしていた。
「師匠……」
眉を顰めながら、光斗がホークにふりむく。
「リエの……」
「はい?」
「あれは……師匠の趣味ですか?」
「ええ。かわいい服でしょう」
「やはり……」
「やはりって、光斗様!」
順天は、期待はずれの会話に割りこむ。
「そんな問題ではありません!」
「む。そうか。服より、尻尾と耳があることが……」
「違います! 子供が大人になったんですよ! 驚かないのですか!?」
「……ああ。そのことか」
光斗は、かるく順天の肩に手を置く。
「そのぐらいなら、すでに許容だ」
「……光斗様、変わりすぎです……」
順天は、がっくりと肩を落とす。
「お初にお目にかかる。雷光の魔女殿とお見受けする」
焦れて会話にわりこむように、忘れかけられていた角行が前にでる。
「拙は、葉陰の長を務める角行。あなた様のことは、部下から聞きおよんでおります」
「あら、そう」
リエの声は、どこか喜々としていた。
「どんな噂なのか聞いておきたいけど……」
リエがそう言いながら、手を前に構える。
「その前に、やっておかなきゃいけないことがあるのよ」
――カッ!
彼女の掌の前に、突如として光の玉が現れた。
その輝きは、光斗が生んだ光とは、比べものにならない。
まるで、太陽が目の前に降りてきたのではないかと思うほどの光量が周囲を包んだ。
「む、無声詠唱で、この力とは!」
葉陰たちは横へ飛び退く。
ほのかに感じる熱と、耳をつんざくような放電音が身を包む。
頬がむずがゆくなる。
髪の毛が、ざわざわと浮きあがる。
眼を半分多いながらも、順天はその光源を生み出した美女を見る。
光の玉が、ふくれあがった。
かと思うと、尾を引きながら前方に走っていく。
「道が……」
まばゆさに耐えながら開いた目を、順天は疑った。
自分たちを包むように、光の洞窟ができていた。
眩い放電がバチバチと音を立てながら、優に大人が歩けるぐらいの半円筒状の道になっていたのである。
それは、まっすぐに伸びて、屋敷を囲む壁を突き破り、外にまで続いている。
「念呪――無声詠唱なのに、強引に人の結界に道を作るとは……流石というか、呆れましたよ」
風龍のこぼしに「同属性だからね」と、リエはこともなしと答える。
そして、ホークへ片眼を瞑って合図する。
「いいわよ、ホーク」
「ありがとう、リエ。さあ。行きますよ、光斗」
ホークがためらいなく、その光の道を走りだす。
ソフィアがそれに続く。
「はい」
光斗も駆けだそうとして、一度だけふりむく。
「順天殿、決着をつけてくる」
「……どうか、ご無事におもどりください」
混乱している順天が咄嗟にかけられる言葉は、そのぐらいしかなかった。
ただ真っ直ぐと光の道を進む、光斗の背中に対して……。
次章で決着です。
その後、エピローグなので、次回は21時と22時に続けてアップします。