UO装置を破壊するしかない。俺は決意した。もうあの頃とは違うんだ。
カラカラと高校時代を思い出す。
あの日、小野侑子は人魚姫のような声でメロディー奏でていた。彼女にしか紡ぐことができない空気の振動で世界を作り出している。その世界に引き込まれてしまった俺。はじめて目で見えないものが見えた、と思う。
何の歌かは知らない。歌詞が存在しない歌のようだ。一人、暗い音楽室で彼女は歌う。
(彼女をしりたい)
歌は泡のように静かに閉じた。だからこそ心に残ってしまった。数値化できない絶対的な記憶。
ひとつ息を吐き、時を停止させた後、彼女は小さく微笑む。それは空気を深い青から淡い橙に一変させた。今までの儚くも凛とした表情とは打って代わり、あたたかく和かな雰囲気を放っている彼女。俺が知ってるいつも彼女に戻っていた。そして俺自身も我に返る。いつの間にか音楽室に夕焼けの光が差し込んでいることに、その時、気付いた。
小野侑子。クラスではあまり目立たない。
しかしそのあたたかい雰囲気から多くの人に好かれている。
俺も同じだった。
控え目なやわらかい声で教科書を読みあげる時、意味不明な固い古人の文章も、春の陽射しが差すが如く溶け始め心地良くなってしまう。
(彼女をしりたい)
あの日から何かと彼女の存在に注目してしまう自分がいた。しかしそう思いながらもなかなか彼女を知ることができない。自分がいる窓側の一番後ろ。そして真ん中の列の真ん中に座る彼女。その距離から授業中に眺めることしかできなかった。そんな毎日が淡々と続いていたし、どうせそれがこれからも続くのだろうと思っていた。
ある日、彼女は何も告げずに突然転校した。
教室の真ん中でひとつだけぽっかりと空いた机。しかし毎日はいつも同じように過ぎていく。その風景はまさに俺自身だった。
ただ、あの日のように夕焼けが差した音楽室を廊下から眺めている瞬間だけは、相変わらずあの余韻がまとわりついた。それが彼女が存在した証であるかのように。
あれから1年半後、高校を卒業し、国立大の理工学部へ進学した。
あれから5年半後、卒論が認められ、大学院へと進学した。
あれから10年半後、教授から推薦され、ある研究施設に入った。
そこはUO装置を開発した施設だった。UO装置とは特殊な波動を発生させ一定空間に別次元を作り出す21世紀最大の発明といわれている。しかしこの開発は10年位のもので、今の段階では別次元への小さな穴を空けるだけで限界だ。しかもその穴もすぐに閉じてしまう。基礎研究は一通り済んだので、今後はUO装置の実用化及び安定化が課題だ。
「UO装置は人類の考えと生き方を革命する鍵になるだろう」と開発者は高らかに唱えている。まだ、別次元への扉を完全に開けられず、かつその鍵も脆いものなのに。
俺がこの道に進んだのも、歌もただの振動であるという事実と、あの日の彼女の歌を聞かなければ有り得なかっただろう。あの時の思い出から抜け出せずに、物理というフィルターを通して彼女の歌を追い求めている。振動という現象で紡ぎだされたあの世界。それを俺なりのやり方で理解しようとしていた。
そして、別次元や人類の革命などの言葉に惹かれて、UO装置を研究対象にした。他の事には目もくれずにただこの装置の解析に勤しんだ。これで良いのかと悩んだ事は数え切れない。彼女自身がいなくなった世界ではそれしか知りたいものが見付からなかったから、仕方なかった。元々物理は好きだったがここまで進むとは、自分でも時々驚く。
しかし、彼女への道は閉ざされてしまった。そう感じてからもう10年以上も経ったのに、そしてまた今日も解析を続ける。
これを微かな希望、というのかも知れない。
(彼女をしりたい)
本当はUO装置自体はどうでもよかった。それを目的に刷り替えて、彼女のいない世界を満たせていたのなら、よかったのに。俺の中に積もる何かを横目で見ながら呟いたのは何回目だろう。
今日、ひとつの解析を終え、ずっと心の奥で靄となっていたものが具現化し、ある衝動が俺をつき動かす。
UO装置を破壊するしかない。俺は決意した。もうあの頃とは違うんだ。
何もせずに流され続けた俺から脱する為に。
静かな夜、斤を片手に俺は向かう。
研究施設の一番奥、UO装置の本体が眠る部屋。俺は解析した長いキーパスワードをドアに入力する。そして数々のロックを解除し、既に入手しておいた開発者の指紋で生体認証もパスすることができた。
開発者と数名しか入ることの許されないその部屋に足を踏み入れる。暗い部屋の中央には、オレンジ色の液体で満たされた巨大な水槽。その中には数十のコードに繋がれ、目隠しをされている女性が浮かんでいた。その体を纏う細いワンピースが、あの日彼女の歌声から俺が連想したものを彷彿させる。
小野侑子。やはりUO装置の本体は彼女だった。
彼女はこの水槽の中でずっと歌わされ続けていたのだろう。その彼女の歌声を原料に振動が装置を機能させていたに違いない。この水槽の中で液体を伝って振動をキャッチし利用する、それがUO装置。数値化できない特殊な波動、それが俺の記憶と合致した時から微かな希望をもってここまでやってきた。あれから解析を重ね、ある程度の確信をもってUO装置を壊す事を決めた。そして俺の決意は間違っていなかった。
その決意を誰にも邪魔されないように準備もした。更に今日ならば、彼女を世界から切り離した開発者らは遠い海の向こうで偉そうに講演しているので、絶好の機会だった。俺は左手に持っていた斤を両手で構え、水槽のガラスに思いきり振り下ろす。簡単には壊れない。だが何回も何回も力を込めて振り下ろす。やっと小さな皹が入り、その一点をずっと狙う内に少しずつ壊れていく。
そして……
斤を振り下ろすと、華麗な交響曲のはじまりのように、水槽のガラスが中を満たしている液体と共に弾きとんだ。
彼女が解放された瞬間だった。
彼女を受け止め、その濡れた髪を整えてからゆっくりと目隠しをはずした。いつの間にかこんなに時間が経っていたんだな。俺の中にある少女の面影も残しつつも大人になっていた。もう10年以上か。彼女に、やっと会えた。
久しぶりの光が眩しいのだろうか。彼女は目を細めながら、微かな声で俺に尋ねた。
「あなたは……」
変わらないモノがここにあった。この時、素直にこれでよかったと思った。そして早く外に出て、新しい道を、なるべくなら彼女と、歩いていきたい。彼女に初めて触れ、そう強く願う。あの日、俺が感じた世界。それがなんだったのか、今気付く。
「俺は、」
君をしりたい。
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