死刑執行のパラドクス
<問題>
「数学の問題って、結構、囚人とか犯罪者とか出てくるんだよ」
先生は、カポカポと白い紙コップを机の上に並べながら言った。
「はぁ」
僕は要領がつかめない。
「まぁ、この話は抜き打ちテストとして話されたりもするんだけどね」
先生は、7つの白い紙コップを机の上に横1列に伏せて置いた。
「裁判官がこう言うんだ。
『……よって、死刑を言い渡す。死刑は来週の1週間のうちのいずれかの曜日に執行する。ただし、前もって執行日を予告することはせず、死刑囚が前日に死刑が行われることを予測することが出来ない曜日に執行するものとする』
すると弁護士は被告に向かってこう言うんだ。
『おめでとう。死刑を執行することは不可能だ』
ってね」
「なぜですか?」
「うむ、弁護士の話はこうだ。あ、一応1週間の始めは日曜日にしておこう。
『もし、死刑が1週間の6日目である金曜日まで行われなかったとしよう。死刑は1週間以内に行われる訳だから、明日、死刑が行われると分かってしまう。つまり、土曜日に死刑を行うことはできない』」
「なるほど、そうですね」
「『では、死刑の執行が5日目の木曜日まで行われなかったとしよう。ここで、死刑は土曜日には執行できないことを思い出してくれ。となれば、金曜日に死刑を行うしかなくなるが、それでは、前日に死刑執行を予測できたことになってしまう』」
「なるほど、ややこしいけど、確かにそうですね。あれっ、でも、それじゃあ……」
「おっ、さすが、察しが良いな。話を続けるよ。
『では、死刑の執行が4日目の水曜日まで行われなかったとしよう。ここで、死刑は金曜日と土曜日には執行できないことを思い出してくれ。となれば、木曜日に死刑を行うしかなくなるが、それでは、前日に死刑執行を予測できたことになってしまう。
同様に考えていけば、月曜日にも火曜日にも水曜日にも死刑は執行できないことになる。
じゃあ、日曜日に出来るのかと言えば、他の曜日に死刑が執行できないのだから、それも、予測できる。
つまり、死刑の執行は不可能だ』」
「じゃあ、死刑は行われなかったんですか?」
「それを今から実験しよう」
<実験>
「……先生、僕、まだ、死にたくありません」
「誰が、死刑の実験なんかするかっ! そうじゃ、なくてだな……」
そういうと先生は7つの紙コップの1つずつにマジックで、日、月、火、水、木、金、土と書いていった。そして、なにやら、妙チキリンな小さな人形を1つ取り出した。
「これが、当たり。死刑執行だ。今から、この7つの紙コップのどれかに、これを隠すから、日曜日の紙コップから順番に1つずつ紙コップを開けて行ってくれ。もし、本当に死刑執行が不可能なら、1つ前の紙コップを開けた段階で、次の紙コップの中に人形が入っていることを予告できるはずだ」
「予告できるのは1回だけですか?」
「いや、話の設定からすれば、何回でも良いことになるが……」
「じゃあ、毎回、予告します」
「それじゃあ、身も蓋もないだろう」
「空の紙コップだけに……」
「それで、上手いことを言ったつもりか? いいかい、この実験は、当てっこゲームじゃないから、自分の心に嘘をつかないでくれ。そうでないと、成り立たない」
「ややこしい上に、『心』と来ましたか」
「茶化すな。実際、そこが重要なんだ。じゃあ、向こうを向いて、目を閉じてくれ」
「変なことしませんか?」
「するかっ! とっとと、言われた通りにしろ!」
「はいはい、……いーちっ、にーぃっ、……」
「数は数えんでいいっ! おし、こっち向け」
「はい」
「目も開けるんだよっ! ったく、いちいち……」
「じゃあ、始めますよ」
「おうっ」
僕は無言で紙コップを1つ1つ開けて行った。水曜日の紙コップを開けたとき……。
「あれっ?」
<考察1>
「どうだ?」
「先生、大人げなく、得意げですね」
「んなこた、いいんだよ。……予測できたか?」
「出来ませんでした」
「だろう?」
「でも、なんでですか? て言うか、予測できなくて、当たり前なんじゃあ……?」
「しかし、だな。土曜日の紙コップに人形を隠すと……」
「ちょっと、ストップ。その話を聞くから、話がややこしくなるような……」
「じゃあ、立場を変えて、人形を隠す側になって考えてくれ。土曜日に隠すか?」
「いえ、隠しません」
「じゃあ、金曜日に隠すか?」
「いやぁ、隠しません」
「では、木曜日」
「その辺りならボチボチ……」
「では、どの辺りなら安全なんだ?」
「えーとっ」
「金曜日と土曜日には入れないんだろ?」
「はい」
「じゃあ、木曜日もバレバレじゃないか?」
「……そういうの、誘導尋問って言いません?」
「……まぁ、そうとも言うがな」
<単純化>
「でも、どうしてこんなことが起こるんですか?」
僕は、訳が分からず聞いた。
「問題を考える上で、『単純化』というのは大切だ」
「単純化……ですか?」
「うむ。この問題の単純化として、ある人が提唱した問題がある。それはこうだ。
ある朝、正直者で絶対に嘘をつかない夫が妻に言った。
『今日、僕が君に贈る誕生日プレゼントを当てることは絶対にできないよ。なんていったって、ティファニーのダイヤのネックレスなんだからね』」
「なんですか? それ?」
「奥さんも当然、『なんですか? それ?』となる。1日中、頭を悩ませるわけだ。
『正直者で絶対に嘘をつかない夫が、誕生日プレゼントは、ティファニーのダイヤのネックレスだと言った。じゃあ、誕生日プレゼントは、ティファニーのダイヤのネックレスなのかしら?
でも、それだと、私が誕生日プレゼントを当てることは絶対にできないということと矛盾するわ。
それでは、誕生日プレゼントは、ティファニーのダイヤのネックレスではないのかしら?
でも、それだと、正直者で絶対に嘘をつかない夫が、嘘をついたことになるし』」
「で、結局、どうなるんですか」
「問題の提唱者の用意した結末はこうだ。
その夜、妻は、夫から、ティファニーのダイヤのネックレスという意外な贈り物を贈られて驚く」
<考察2>
「えー?」
僕はあからさまに異を唱える。
「だって、奥さんは、1日中、贈り物はティファニーのダイヤのネックレスかも知れないって頭を悩ませてたんですよね。それで、『意外な贈り物』って言うのは、ちょっと……」
「私も同感だ。贈り物がなんなのか、全く見当がつかない状態で、そのプレゼントを受け取った場合と比べて、インパクトがガタ落ちなのは明白だ。はっきり言って、この問題は、『死刑執行のパラドクス』の単純化としては失敗作だと思っている」
「いいんですか。そんなこと、言っちゃって」
「何が?」
「この問題、考えたのって、いずれ名のある数学者なんじゃあ……?」
「大丈夫だ。こっちは、いずれ名もない数学教師だ。聞こえる訳ないし、相手にもされないし、この後、持ち上げる」
「持ち上げる?」
「『持ち上げる』訳じゃなくて、本当にそう思ってるんだが、この『死刑執行のパラドクス』の『ひみつ』というか『本質』をついた言葉を、この人が言っていた」
「それはなんですか?」
「それはつまり、
『実行不可能なことをやると言ってる人間を信用するのが、そもそも間違っている』
ということだ」
<考察3>
「なんですか? それ? いきなり、数学から、光の速さで遠ざかったような気がしますが」
「そうでもないが、そうでもある。ここで、私の中学生のころの話をさせてくれ」
「飛びますね」
「いいから、聞け。当時から、数学が得意だった私は……」
「自慢話ですか」
「自慢がしたい訳じゃない。先生に指名されて、ある問題の解答を、教室の前に出て、クラス全員に教えなければならなくなった」
「先生役って訳ですね」
「そうだ。その問題ってのが、こうだ」
そう言うと、先生は黒板に正方形と長方形を書いて、それぞれの中に線を書いて、三角形2つと台形2つに切った。そして、正方形の下に図1と書き、長方形の下に図2と書いた。
「あー、その問題、知ってます」
「ああ、そうか。有名な問題だからな。しかし、問題の本質は、この問題にある訳じゃないので、問題を確認させてくれ」
「ややこしいですね」
「まぁまぁ、聞け。当時の再現で行くぞ」
「そんな昔のこと、覚えてるんですか?」
「問題の本質を再現するということだ。問題文はこうだ。
『図1のように1辺8cmの正方形を2つの三角形と2つの台形に切り、図2のような長方形に並べ替えます。
すると、面積が64平方cmから65平方cmに増えます。これはなぜですか?』」
「はーーーい、はーーい、はい、はーい」
「はい、山田君」
「それは、実は、長方形に並べたときに、真ん中に、1平方cm分の隙間が開いているからでーす」
「そうだ。そして、私も、当然、そのように、説明したよ」
「わざわざ、こんな話をするってことは……」
「そう、上手く行かなかった」
「その頃から説明が下手だったんですか?」
「そう、その頃から説明が下手で、今も授業が分かりずらく……って、おいっ」
「ノリツッコみありがとうございます」
<考察4>
「そうじゃなくてだな、このときの出来事に、『死刑執行のパラドクス』の『ひみつ』が隠されているのだよ」
「と、言いますと」
「そのとき、彼らが、説明を聞き入れなかったのは、別に私の説明が下手だったからじゃない。彼らの主張は、単純明快。こうだ。
『問題文が、面積が増えた、と言ったんだから、増えたんだ。
問題文が嘘をつくはずがない』」
「は?」
「うむ。ありがとう。当時の私も、まさに、『は?』だった」
「だって、並べ替えたら、面積が増えるなんてありえないでしょう」
「私も、そう思った」
「そしたら、問題文の方が嘘だとしか……」
「しかし、彼らにとっての『ありえないランキング』は違ったんだ。『問題文は嘘をつかない』が不動の1位で、『並べ替えたら面積が増える』の方が下だったんだ」
「はぁ」
「でまぁ、今一度考えて欲しい。『死刑執行のパラドクス』を単純化した問題の夫が正直者で絶対に嘘をつかない夫だったことを。これが、言ったことを全く守らないちゃらんぽらんな夫という設定でやったら何か意味があるか?」
「無いですね」
「そして、『死刑執行のパラドクス』自体、判決を言い渡すのは重責を担った厳格な裁判官であって、そこら辺の飲み屋でクダ巻いてる酔っぱらいのおっさんではない」
「その例えは、どうでしょう?」
「まぁ、とにかく、『実行不可能なことをやる』と言っているのを一笑にふせない相手、もしくは状況だな、が、肝要ということだ」
「まぁ、『自分の死』というのは、この上もなく重い問題ですから、相手がどんなにトンチキなことを言っても、気にしない訳には行きませんものね」
<まと……め?>
「で、以上のことをまとめると、どういうことになるんでしょうか?」
期待を込めて、僕は聞いた。
「どう、って?」
「いや、だから、まとめなり、結論なり、解答なり、対策なり」
「対策……?」
「そうだ、先生、実験、やって下さいよ」
「実験……?」
「当てて下さい。さぁさぁ、目をつぶって、向こうを向いて……」
先生が目をつぶって向こうを向くと、僕は人形を隠した。
「さっ、いいですよ。……目も開けて下さい。お約束ですね」
こっちを向いた先生が、ひとつひとつ紙コップを開けていく。木曜日を開けたとき……。
「あっ」
「『あっ』って、全然ダメじゃないですか」
「当てられる訳ないだろう。『入れられない』という点においては、すべての紙コップが対等なんだから」
「『対等』ですか? でも、土曜日の紙コップに入れるとですね……」
僕らは、また振り出しへと戻って行く。延々と心地良い堂々巡りをするために。