268.聖人式特訓
「むむっ。時間が余ったねー」
共犯になると約束したあと、僕たちは来たるべき『儀式』での計画を決めていった。
そして、その計画はあっさりと決まり終え、時間に余裕ができる。まず僕はティアラさんに残された時間を正確に知ろうとする。
「ティアラさん、あとどれくらいいけるんだ?」
「消滅まで、あと数時間ってところかな? 眠ってたら、もっと持つけどね」
とても軽く、ティアラさんは残りの寿命が一日もないことを告白した。
しかし、その死の瀬戸際で、彼女の顔色に変化はない。
「ということで! ちょっとだけ稽古をつけてあげるよ!」
それどころか陽気に笑い、ティアラさんは妙なポーズを取って、自分よりも他人を優先しようとする。
その彼女の反応に僕は困惑する。
本当に『未練』がないにしても、最後にやりたいことはもっとあるはずだと思う。少なくとも、僕ならば……最後に姉様やキリストに一目会って話がしたいと思う。
ティアラさんの思考は儀式までに理解しきれないなと思いながら、その妙なポージングを取っている彼女の身体を注視する。
その身体はあまりに小さく細く、魔力も乏しく弱々しかった。はっきり言って、戦いに耐えられる身体には見えない。
「稽古って……その身体で僕の相手をするのか?」
確か、その身体の持ち主のレベルはそう高くなかったと聞いた。
いかにティアラさんの『血』があろうとも、単純にステータスが足りなさ過ぎる。
「ん……、ライナーちゃん。もしかして、ステータスの数値で判断してる? おっくれってるー!」
「おくれてる……?」
僕がレベルとステータスで判断していたのをティアラさんは看破し、それが間違っていると笑い出す。
「ステータスなんて師匠の考えた初期の初期ルールだからね。最新ルール搭載の私からしたら、時代遅れってことだよ。時代は『数値に現れない数値』、これだねっ」
『数値に表れない数値』。
どこかで聞いたことがある単語だ。
確か、ラスティアラとラグネさんが二人で語り合っていた気がするけれど、詳しく説明されたことはない。
――という、僕の考えをティアラさんは読んで、また先んじて話を始める。
「『数値に現れない数値』っていうのはね、いわゆる『精神力』とか『運』、『勘』とかいった曖昧なものを言うんだ。あと『愛の力』とかも含むかな? これが大きいと、不思議とステータスで負けてても勝てちゃうの。不思議に思ったことない? 明らかに自分よりステータスの低い相手に負けるときってあるでしょ? あれあれ」
いかに力量で勝っていても勝敗は最後までわからない――それが勝負の常であると僕は思っていたのだが、ティアラさんはそれさえも数値化できると言う。
「で、『理を盗むもの』たちって、総じてこの『数値に現れない数値』が滅茶苦茶低いんだよねー。まさに人生の敗北を決定付けられた本質的弱者ってやつだね」
「『理を盗むもの』が弱者だって……?」
直に戦ったことがある僕にとって信じられない話だった。あの強さの代名詞である化け物たちを弱いと思ったことは一度もない。
「で、私は魂からして『数値に現れない数値』が高いのだよ。だから、ステータスとか関係なく、強いよー。凄く強いよー」
ティアラさんは鼻を鳴らし、しゅっしゅっと何もないところを殴る振りをして、自分は『理を盗むもの』たちより強いと言う。
眉唾な話だと思った。
そして、その僕の疑いもお見通しなのだろう。自分の強さを証明するために、彼女は距離を取り、素手で構え、僕を手招きした。
「どれ、かかってきなさい。少し揉んでやろう」
「……いまの言葉。確かめさせて貰う」
鍛錬は僕の趣味で、練習試合は大好物だ。
一切の迷いなく、僕は簡易的な決闘を受けた。
決闘のフィールドは障害物のない見晴らしのいい草原。
一対一の真っ向勝負。
正直、負ける気がしない。
いま僕は連合国で最もレベルの高い騎士で、相手のレベルは一桁なのだ。千人に聞いても千人が僕の勝利に賭けることだろう。
だが、対面のティアラさんから、魔力以外の圧力を感じるのも確かである。
相手は劣化に劣化を重ねているとはいえ、あの聖人様だ。
一切の油断なく、僕は風魔法を構築していく。
「――《ワインド・風疾走》」
迷宮で使った走行補助魔法を発動させ、僕は走るのではなく跳躍する。
移動先は、ティアラさんの頭上。
そこに宙返りしながら移動して、逆さまの状態で空気を蹴り、真上から剣を抜き放つ。迷宮でティティーに教わった『風剣術』の一つだ。
「甘い!」
しかし、その変態的な空中軌道をティアラさんは一切の動揺なく、目で見て追いかけていた。僕の峰打ちの一閃を紙一重でかわされ――それどころか、その空ぶった剣の腹を軽く指で摘んだ。
一つ間違えば指が斬り飛ぶ神業だ。摘まれたのは本当に一瞬だけ――しかし、その一瞬で剣を握っていた僕の体勢を、指先二つだけで見事崩してみせる。そして、空から落ちる僕の顎を正確に軽く殴る。
「なっ――!!」
ぐらりと、空中戦で最も重要な平衡感覚が失われる。
レベルの上昇によってモンスターと同じくらいのタフさを身につけた僕の意識が、本当に一瞬だけ飛んでしまった。
一瞬の技の連続だ。
そこから先は何が起こったのかわからなかった。
いつの間にか僕は地面に大の字で落ちていて、鼻の上にティアラさんの拳が乗っていた。
もしこの拳を本気で落とされていたら、いかにレベル差があるとはいえダメージがあっただろう。もしティアラさんが武器を持っていたら死んでいた可能性もある。
「…………っ!!」
絶句する。
確かに強いかもしれないとは思っていたが、こうも軽くあしらわれるとは思わなかった。
僕の身体の上に足をつけて乗っているティアラさんは、僕が降参したのを表情で察して、けらけらと笑い出す。
「――は、ははははっ! 卑怯! いまのって師匠がつけた魔法名!? 笑わせに来るのは卑怯だよ!」
稽古なのに技術的な指導はなく、まず技名に駄目だしが入った。
大変遺憾極まりないが、僕は自作の魔法であることを白状していく。
「いや、さっきのはキリストじゃなくて僕が名前をつけた魔法だ……。けど、キリストが叫びやすくてかっこいいほうが強くなるって言ってたから、仕方なくやってるだけで……。こう……ルビをつけると、なんか威力が増すらしい」
当たり前の話だが、好きでやっているわけではない。
主から力が手に入ると聞いて、技名を叫ぶようにしているだけだ。
「んー、それ騙されてるよ、ライナーちゃん」
「……え? だ、騙されてる?」
まさかの情報が飛び込んでくる。
絶句の次は唖然となって聞き返すしかなかった。
「心をこめるのは大切だけど、名前は重要じゃないよ? ルビとか、完全に師匠の趣味だよね。師匠ってば、また純真な子供を騙してー。はあー……」
ただのキリストの趣味だったらしい。
技名とか絶対趣味だろと疑い続けていた毎日だったが、やっぱり趣味だったのだ。
その真実を知り、怒りが沸々と内から沸き出し――いや、待て。落ち着け。
あの主が人を騙すような性格をしているとは思えない。あれほど嘘は嫌いだと言っていたのだ。
「……いや、キリストは本気でそう信じていた風に見えた。悪気はなかったんだ……と思う。たぶん」
そう信じたい。信じさせて欲しい。
じゃないと次会ったとき、斬りかかりそうだ。
「うん。悪気がないのは知ってるよ。でも、そっちのほうが厄介だから困るよね。ははっ、ああ、本当に相変わらずなんだからさ、師匠……。私んときと同じだよ」
遠い目をしながら、ティアラさんは僕の腹の上から退く。
懐かしさを感じている彼女には悪いが、すぐに僕は立ち上がりながらいまの戦いの評価を聞こうとする。僕にとっては、昔のことよりもいまの稽古のほうが大事だ。
「しかし、その身体のあんたに、本当に負けるとは……。それなりに強くなったと自分では思っていたんだが……」
「ライナーちゃんは強いよ。たぶん、千年前でもかなりのものだよ。ただ、私って飛んでるやつと一杯戦った経験があるからねー。ぶっちゃけ、めっちゃ楽だった!」
自信を持って行った空からの奇襲が、そもそもの選択ミスであったと言われる。
空を魔法で飛べるものなど、連合国にそういない。絶対に初見だと確信しての攻撃だったが、彼女にとっては慣れたものだったわけだ。
「そうか。確かに、昔は獣人の数も種類も多かった聞いたことがあるな。スノウやティティーのようなのが一杯いたのか」
「昔、強欲な竜が色んな種と交配したせいで、沢山の翼持ちが生まれたりしてねー。全滅させるまで大変だったなー。とにかく、私は飛んでるやつに対してとても強いのだ」
「なるほど、その経験が『数値に現れない数値』に入るってわけか」
「いや、経験は経験で、『数値に現れない数値』とは違うんだけどね」
「違うのかよ!」
だったら、いまの話はなんだったんだよ……。
人を翻弄してばかりのティアラさんを睨み、僕は話の続きを促す。
そんな僕を見て彼女はくすくすと笑いながら、本題に入っていく。
「えーと、いまの戦いは経験による部分が大きかったけど、ちゃんと『数値に現れない数値』も影響してたよ。私は『精神力』が飛びぬけてるから、絶対に戦闘中に足が竦むこともなければ迷うこともない。『勘』が冴えてるから、ライナーちゃんの動きを目で追いかけられなくても、なんとなーく攻撃してくるところがわかった。あと『運』がいいから、なんだかんだで勝ちやすい」
「…………」
ふざけている。
予想していた以上に、ふわっとした説明だ。
数値化できなかったところだから言葉にしにくいというのはわかるが、これでは信じたくても信じられない。
「いまは信じられないだろうけど、少しずつ実感すると思うよ。なにせ、ライナーちゃんも『数値に現れない数値』が高いからね。だから、君だけが陽滝姉に勝てるって言ったんだよ」
「僕は『数値に現れない数値』ってやつが高いのか……? そんな気は全然しないんだが……」
今日まで、自分が特別恵まれていると思ったことはない。
学院生時代でも、勘がよかったり運がよかったと思ったことはない。
代表的なところで、ステータスの『素質』はキリストたちと比べると余りに低く、兄や姉たちにも劣っていた。いまさら才能があると言われても、そう簡単に頷けるものではない。
「あ、はっきり言って、君の『素質』はゴミクズだね。『運』も悪くて、『勘』もいいとは言えない。ただ……他のところは別。ライナー・ヘルヴィルシャインは意志の強さだけ飛び抜けてる」
才能や運など、欲しいところが総じて駄目であると言われてしまったが、一つだけ褒められた。それは意志の強さ――つまり、『精神力』。
「えーと、それが高いと足が竦まないんだったか……?」
あと迷わないとも言っていた。
余り戦闘の役に立ちそうにない力に、僕は少しだけ落胆する。
恐怖や迷いなど、誰だって覚悟を決められば簡単に振り払えるものだろう。特別に有利なものだとは思えない。
「あはっ。とっても失礼なことを考えてるね、ライナーちゃん。君は心が強すぎるせいで、他人の恐怖や迷いを理解してあげられない性質みたいだねー。人間にはそういう感情があると知っていても、それを共感できない。やっぱり、陽滝姉やレガシィと似てるー」
「待て。いま、パリンクロンのやつと同列に扱わなかったか?」
この世で一番の侮辱だと思い、一歩前に出て怒りを露にする。
「いや、同列じゃあないよ。だって、パリンクロン・レガシィは君の一番の長所である『精神力』を遥かに凌駕した上で、『勘』も『運』もよかった。そして、あの陽滝姉は、そのパリンクロン・レガシィの全てを凌駕してた。似てはいるけど、天と地の差ほど違うね」
似てはいても、まるで足りていないとはっきりと言われる。
パリンクロンのやつが、ステータス以外のところで強かったのは納得できるところだ。
ただ、キリストの妹さんが、あの男を超えているというのは少し信じられない話だった。
もしそれが本当ならば、妹さんの危険度が恐ろしいことになってしまう。その不安をティアラさんは、また勝手に読み取って答えていく。
「そのくらいの認識でいたほうがいいよ。陽滝姉は危険も危険。正直、全盛期の私でも勝てる気がしない相手だったから」
「聖人のあんたがそこまで言う存在なのか……」
いま僕はティアラさんの力の片鱗を見た。もし彼女が、本来の身体を取り戻していたとすれば、キリストやティティーに匹敵するだろう。それでも戦う前から諦めるレベルらしい。
「そんな力を持った上で、陽滝姉は性格が最悪だったからねー。邪魔するものは全て排除がモットーで、すっごい冷酷。きっと、ライナーちゃんたちの誰とも気が合わないだろうねー」
「そ、そんな人なのか。それで、さっき「僕が妹さんと戦う」って言ってたんだな」
「うん、戦う。間違いなく陽滝姉は『世界中の誰もが納得できないこと』をやらかすからね。本人からやるって聞いたから、間違いないよ」
意味深にティアラさんはキリストの妹さんについて話していく。
しかし、先ほどから妹さんに関しては抽象的な部分が多い。時間の余っているいまこそ詳しく聞こうとする。
「ティアラさん。時間があるなら、そういった過去話を詳しく聞かせて欲しい。正直、すごく気になるんだが……。一体、妹さんは何をしようとしてるんだ……?」
「……んー」
ここでティアラさんは言いよどむ。
どんな話だろうと軽く話していた彼女だからこそ、その熟考は目立った。そして、十分に思案したあと、また笑って――首を振る。
「いや、駄目駄目。そんないつかはわかる話よりも、君を鍛えるほうが先決だって。まず陽滝姉をなんとかできる力がないと駄目だからねー」
明らかにはぐらかそうとしていた。
ここは聞かれたくない彼女の気持ちを察して一歩引くべきだろう。だが、キリストの親族の話となると、そう簡単には引けない。
「いつかはわかるって言われてもな……それで納得するわけないだろ。妹さんが道を踏み外しそうなとき、僕が止められるかもしれないんだ。ちょっとでいい、簡潔に重要な部分だけでも教えてくれ」
「重要な部分だけって言われてもなー。私が生まれてからの全てを、きちんと話さないと絶対信じてくれないからなーこれ。でも、それを話していくと一日じゃ終わらないし……。んー、やっぱ駄目っ、これはもう諦めて! どうせ、知ってても止められないし! というか私が止められなかったんだから、絶対ライナーちゃんには無理! いまの一番の問題は、陽滝姉が目覚めたときに戦える君が弱っちすぎることだよ!」
僕が弱すぎるのが一番の問題らしい。
自分のゴミクズぶりを理由にされると、こっちは言い返しにくい。
彼女の言う通り、ライナー・ヘルヴィルシャインに力が足りないのはノスフィーとの戦いで痛感していることだ。
僕は戦いの理由よりも、戦いになったときの保険を取ることにする。
「……わかった。あんたが言いたくないなら、もういいさ。僕も強くなる時間のほうが多く取りたいからな。何かあっても、そのときは僕が全力で止めればいいだけの話だ」
「うん、そうそう! やっぱり、ライナーちゃんはいいね! どっかの誰かと違って、無駄に悩まないから話が早い! 自分に正直なのは、賢さ以上の美点だよ!」
軽く主の悪口を言われてしまった気がするが、概ね同意なので僕は素直に称賛として受け取っておくことにする。
こうして、脱線した話を元に戻して、僕たちは稽古を再開させていく。
「よし、それじゃあ特訓を続けようか。まず、どんな強大な相手でも挑戦し続けられる心の強さをライナーちゃんには身につけてもらうよ。あと、ついでにスキルとかもちょろっと教えていこー」
「いや、僕としてはスキルを中心にして教えて欲しいんだが……」
「そういうのは迷宮の守護者とかに教えてもらえばいいじゃん。潜れば強くなるようにできてるんだからさ、あそこ。出てくるボスとか守護者とかと戦ってたら、そのうち自然と強くなるよ。それよりも心の強さが大事、マジ大事」
連合国のみんなが命を賭けて攻略しているところを、美味しい狩場みたいに説明されてしまう。だが、あそこで簡単に強くなれるのなら、そもそも僕はキリストと出会ってすらいない。
「誰もがあんたみたいに強くなれると思うなよ……。僕が迷宮のボスや守護者と戦って、何度死に掛けたか教えてやろうか……?」
「……あー、そういうことか。元が弱すぎて、迷宮で頑張るのも厳しいんだね。……じゃあ、仕方ないなー。じゃあ、まずは最低限のスキルを身につけてもらおうか」
「ありがたい。それで頼む」
新たな師匠は頭が固いわけでなく、柔軟に僕の要求を取り入れてくれる。
そして、伝説の聖人が課してくれる特訓がどれだけのものか、少しだけ僕はわくわくしながら彼女の稽古の続きを待つ。
「はい、それじゃあ、まずはこれ。――魔法《ライト・カフス》」
ティアラさんは手を白く発光させて、僕の両腕の手首に魔法をかけた。それは光の魔法でありながら、確かな重みがあった。簡単に言うと、それは真っ白な手錠だった。
「はい、次はこれ。頭につけてー」
次に手渡されたものはとても懐かしい特訓アイテム――黒の手ぬぐい。
「手錠に目隠し……? ま、またか……」
「え、また?」
「アイドやローウェンにも似たような特訓をさせられたんだ」
「へー、あの二人が……? それで君は『地の理を盗むもの』のスキル『感応』の片鱗を掴みかけてるんだね。『木の理を盗むもの』のおかげで、魔法も基礎ができてる……」
魔法の基礎については、アイドの姉ティティーの力も大きい。
あとキリストからも色々と……役に立ってくれていたような気がしないでもない。いや、ないか。結局、あのテクニックは適当だったし。無駄な辱めを受けただけだ。
「君の風魔法は中々だけど、先にスキルのほうを修得しようか。魔法を百覚えるより、スキル『感応』一つ覚えたほうが強くなれるからね」
「スキル『感応』を……? 僕にも使えるようになるのか……?」
「いや、たぶん、一生無理。凡人だとギリギリのところで届かないスキルだし、あれ」
「おい」
ずっと憧れていたスキルでからかわれてしまい、少しだけ殺気が漏れ出てしまう。
そろそろ一発くらい叩いても許されるはずだ。
「怒らないでよー。意地悪で言ってるんじゃなくて、保障はしてあげられないってことだよ。あのスキルだけは私でも、絶対覚えさせてあげるとは言えないんだよねー。覚えられたらラッキーくらいのつもりで特訓していこ?」
単純にローウェンさんのスキルの難易度が問題らしい。僕の期待を裏切りたくて持ち出した話ではなさそうなので、渋々と頷き返す。
「わかった。そう簡単に覚えられるスキルじゃないのは最初からわかってたことだ。このスキルはのんびり人生を賭けて目指すさ」
「それじゃあ、メインの『数値に現れない数値』を伸ばしながら、平行してスキル『感応』のほうも挑戦するということでー。それだと特訓の内容は、どうしよっかな――」
ティアラさんは顎に手を当てて、軽く悩む。
ただ、むむむと唸っていたのは数秒ほどで、すぐに答えを出した。この人もラスティアラと同じで、基本的に悩まないタイプのようだ。
「よしっ、これから臨死体験を繰り返して貰うよ! たぶん、これが一番早いと思う」
「ちょっと聞いただけで帰りたくなってきたんだが……」
軽く臨死という言葉を持ち出される。
それなりに無茶な鍛錬をする僕でも、それは特訓と言えるのか疑問だった。
「臨死を繰り返して、心と感性を鍛えるんだよー。これは千年前のみんなで実証済みの特訓方法だから安心して」
ティアラさんの言葉を疑っているわけではない。彼女の言うとおり、死にかけることで得られるものはあるだろう。
ただ、どれだけ実証済みであっても試したくないものというのはある。
なにより、実践でなく訓練で野垂れ死ぬのだけは、僕の使命として許されない。
「絶対に死なせないから大丈夫。この私がついてるからさ」
僕の乗り気でない顔を見て、ティアラさんは自分が魔法の始祖であることを強調する。
おそらく、ティアラさんは世界で最も回復魔法を上手く扱える魔法使いだろう。ただ、いまの彼女の身体の魔力は少なく、不確定要素が多すぎる。
まだ僕は頷くことができず、眉間にしわを寄せ続ける。
「もし危なくなったら、この私が最後の命を削ってても本気の『神聖魔法』を使うよ。何があっても死なせないって約束する。信じて、ライナーちゃん」
なかなか承諾しない僕に焦れたのか、命を削るとまで言い出した。
それには僕も返答をせざるを得ない。
「いや、そこまでしなくても、もっと他の方法があるんじゃないかって言いたいだけで――」
「やらせて。ライナーちゃんを強くすることは、この私の最後の役目だと思ってるんだ。ここで適当なことをやって、後悔だけはしたくない」
ティアラさんは血の気の通わない青い顔で、僕のために全てを捧げると言い放つ。
先ほどから妙に僕にこだわっているとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。
その執着の理由を僕は尋ねる。
「ティアラさん、なんでそこまでして僕に……?」
「……君にやってもらいたいことがたくさんあるからかな?」
「それはわかってる。もしキリストと妹さんが道を間違えそうになったら、僕が戦えばいいんだろ? この特訓のお礼に約束するよ。というか、そんな事態になれば、僕が主のために動かないわけがないから、そこは絶対だ」
「うん、それは安心してる。ただ、私が期待してるのは、それだけじゃないんだよ。実は」
まだ他に僕にやって欲しいことがあったらしい。
それは何なのか、僕は目でティアラさんに続きを促した。
それに彼女は少しだけ恥ずかしそうに――けれど、今日一番の真摯な瞳を僕に向けて答える。
――それは僕の生涯を決める『予言』めいた『呪い』だった。
「なにより私は……君のような子にこそ、『最深部』に辿りついて欲しいんだ」
「は? 『最深部』……?」
「理を盗んで強くなった者たちでなく、使徒であるディプラクラでもシスでもレガシィでもなければ、聖人に選ばれた人たちでもなく、異邦人の相川兄妹でもなく、どの優れた血脈にも該当しない――この世界に生まれた普通の人間であって、大して強くもない君に――」
困惑する僕を置いて、ティアラさんはつらつらと続きを口にする。
その口から出てくる名前は、どれもが千年前の伝説的存在たちだ。しかし、その全てを振り払って、この大陸に伝わるレヴァン教の聖人が願うのは、僕の到達――
「――『異世界迷宮』の『最深部』を目指して欲しい。そして、世界を救って欲しい」
それは余りにスケールの大きな話過ぎた。
実感が湧かなければ、共感もない。
当然、考える間もなく、僕は首を振る。
「悪いけど、ティアラさん。それはない。僕に関係のない願い過ぎる。正直、僕には迷宮攻略も世界平和も興味がないんだ。そういうのは別のやつに頼んでくれ……」
もしキリストが迷宮探索に僕を誘えば、喜んで協力するつもりだ。ただ、そのとき『最深部』に辿りつくのはキリストであって、僕ではない。
僕が望むのは、僕の手の届く大切な人たちを数人――ほんの数人守るくらいだ。きっと一生涯かけて、その使命を果たして僕は死ぬだろう。その程度の器しかないと、自分で自分を評価している。
それなのに、急に世界を救って欲しいなどと言われても困る。
共感以前の問題として、現実的に不可能だろう。
「うん。ライナーちゃんなら、そう言うと思ったよ。ほんと迷宮に興味ないっぽいからねー。ま、そこは無理強いしないから、頭の隅に置いといてくれたら、それでいいよ」
あっさりとティアラさんは退く。
初めから僕が断るのはわかっていたように見える。そして、断られるとわかっていても、僕に言っておきたかったことも……なんとなくわかる。
「頭の隅なら、まあ……」
「じゃあ、お話は終わり。話が長くなっちゃったから、早く特訓再開しようかっ。でも、ちょっと移動しないとね。ここだと街から近過ぎて、誰かに見られちゃう」
これで言いたいことは全て言い終えたのだろう。急にきりきりとティアラさんは動き出す。僕の聞きたいことに答えるつもりは、もうなさそうだ。
僕は溜め息をつきながら、それに付き合う。
「あんたの姿を見られるとまずいからな……。もっと遠くに行くか?」
「そだね。できれば秘境っぽいところがいいな。それなりにモンスターが出て、危険なところが理想かな」
「モンスター相手に特訓するのか? なら、丁度いいところがある。向こうには魔石の発掘できる森があって、さらに北へ進むと深い谷があって――」
「ふんふん。面白そうなところがあるね――」
ティアラさんと僕は、共に平原を移動して、開拓地の危険地域に入っていく。
――こうして、聖人ティアラとの対話は終わり、本格的な特訓が始まる。
その日の特訓の内容はとても単純だった。とても単純でとても理不尽だった。
開拓地にあるモンスター蔓延る谷までやってきたところで、不意打ちでティアラさんに背中から攻撃され――見たことのない魔法で容赦なく魔力を枯渇され、精神汚染で脳みそを浸され、目隠し手錠の上で、崖から突き落とされたのだ。
少し間違えれば、回復魔法など受け付けようのない即死だ。崖を落ちていく途中、頭部を腕で守りきれなかったら本当に死んでいた。
臨死体験というのは誇張でも何でもなく真実であることを、僕は谷底でモンスターの群れに囲まれながら実感した。
しかし、それは小手調べの最初の特訓。
それから僕は一日一回殺されかけては魔法とスキルを磨くという――少しきびしめの鍛錬を続け、儀式までの時間を潰していくのだった。