爆発少女
いつもの朝、静かな電車内。
私は心穏やかに本を読んでいた。
そう、アイツラが乗り込んでくるまでは。
「もぉ~、ヒロ君ってばヤダァ」
甲高い女の声が妙に耳につく。
朝の電車内は静かだ。だから余計に女の声は車内に響いた。
「本当にミホは可愛いなぁ」
男が女の腰に手を回し、抱き寄せて耳元でそう囁く。
囁くならその女にしか聞こえないような声を出せばいいのに、向かい側にいる私の耳にまでその声ははっきりと届いた。
イライライライラ
イライラして本が進まない。文字を読むことはできても、内容が全く頭に入らない。話の続きが気になるのに、風景や人物のイメージがこのバカップルにかき消されてしまう。
早くこの本を読み終えないと、図書館への返却が遅れてしまうのに。
イライライライラ
「でさァ、水こぼしちゃってェ、お客さんの服びっしょびしょになっちゃってェ」
目にひじきをくっつけたその女は、語尾の上がる妙な喋り方でオチの無い話を延々と口から垂れ流している。
「ミホはドジっ子だなぁ」
「もぉ、ホントにたぁいへんだったんだからァ」
女は甘えるような声を出しながら男にすり寄った。
隣のサラリーマンの眉間にしわが寄っている。女がクネクネと妙な動きをするたびに椅子が揺れるのだろう、可哀想に。
イライライライラ
押さえろ私、もうすぐ目的の駅だ。
違う事に集中しろ。そうだ、本の世界に入り込もう。伯爵の花嫁を殺したのはダレだ。探偵が視たのはなんだ。館の秘密は一体――
「あれ? ミホおっぱい大きくなった?」
「ちょっとヒロ君、ダメだよぉ」
男が女に手を伸ばす。
キャッキャウフフ、女が跳ねる。
イライライライライライライライラ
いらいらいらいらいらいらいらいら
イライライライライライライライラ
…………
バアアアアアアアン!!
その瞬間、目の前のカップルが爆発した。
あぁ、またやってしまった。
私はため息をつき、カップルの隣で目を丸くしているサラリーマンを横目に席を立つ。ちょうど目的の駅に到着したのだ。
中学2年生の時ぐらいからだろうか。
イライラが最高潮に達すると、イライラの源が爆発するようになった。
爆発と言っても死に至らしめるようなものではなく、激しい爆発音とともに肌がススで黒くなり、髪の先が少し焦げてしまうくらいの軽いものだ。
とはいえ、傍からみたら怪奇現象には違いない。いつしかこの線の電車でイチャつくカップルは爆発するという都市伝説ができてしまった。
********************
「ねぇねぇ、また電車で爆発カップルが出たんだって! 本当コワイよねぇ」
夕暮れのコンビニ。
友人のエリが各社のミルクティーを品定めしながら弾むような声でそう言った。私は全身全霊で素知らぬ顔を作り、何度も頷く。
「ほ、本当だよね。一体どういう仕組みなのかなぁ」
「私は彼氏ができない女たちの怨念説を支持するよ!」
『彼氏ができない女たちの怨念』か……。
何にも知らない彼女は無邪気な笑みを浮かべながら「きっとそうだ!」などと口にしている。
後ろめたい気持ちが私を押しつぶす。
できるだけ自然な笑みを顔に浮かべながらエリから目をそらし、お茶についているおまけのとんぼ玉の選択に意識を集中させる。
桃色のとんぼ玉にしようとお茶を取った時、不意に私の手に影が差した。男が隣に立ったのだ。
いつまでも棚の前を陣取る私たちに業を煮やしてプレッシャーを与えようとやってきたのかとも思ったが、どうやら違うらしい。棚を見てはいるが、飲料を選んでいるという風ではなさそうだった。
落ち着かない風にあたりをキョロキョロと見回したり、ソワソワ体を揺らしたりして、見るからに怪しい。
トイレでも我慢しているのだろうか。
そんな事を考えながら横を見ると、エミはまだ紅茶の品定めをしていた。会社でそんなに紅茶の味が変わるわけないだろうと私はいつも思うのだが、エミは毎回紅茶を選ぶのに平均10分かける。今回の紅茶チョイスにもまだまだ時間がかかりそうだ。
先にお茶をレジに通してしまおうかと店員の方に顔を向けると、先ほどの男がそちらの方へと歩いていくのが見えた。
とうとう店員にトイレ使用許可を貰うのか、と少し安心したのもつかの間、男はポケットから木片のようなものを取り出して、店員に突き付けた。
「動くな、金を出せ」
うなるような低い声で店員を脅す声が少し離れた場所にいる私たちの耳にも届いた。
途端に、店内が凍りつく。
「お前たちも動くな!」
振り向いた男の手には鈍く光る銀色のナイフが。私が見た木片は折りたたんだナイフだったようだ。
それにしても素顔で強盗するなんて、いい度胸というか、アホというか……
「キャアアアァァアァァ!」
エリの絶叫により、私の思考は停止した。
彼女はひどく取り乱した様子で私にしがみつく。彼女のつんざくような悲鳴で耳が張り裂けそうだ。
「助けて、助けて! ここから出して!」
「ちょっとエミ、落ち着いて……」
「おいお前ら、うるせぇぞ!」
犯人がナイフを持ったままこちらへ歩み寄る。比較的冷静さを保っていた私も、とうとう迫りくる犯人を前に頭が真っ白になった。
どうしようどうしよう
エミが暴れるから、強盗が!
イライライライラ
「ごごごごごめんなさい、だっ、黙らせますからぁ!」
気が動転した私はエミの口を手でつかみ、ペコリとお辞儀をする。
釣り上げた魚のように暴れるエミを押さえつける私を見て、男は眉間にしわを寄せながらも店員の元に戻っていった。
私は男の後ろ姿を見て、安堵のため息を吐く。
「エミ、ここはアイツの言う事聞かないと危ないよ。とにかく落ち着いて」
暴れ疲れたのか、大人しくなったエミに小声でそう言ってからゆっくり手を離す。エミは何も言わずに青い顔で何度も頷いた。
「あっ……」
私はそこで気づいた。
犯人を爆発させてしまえばいいんじゃないか。
私の爆発に殺傷能力はないが、いきなりの爆音に驚いて隙はできるはず。その騒ぎに乗って店外に出てしまえば――
ようやく希望が芽生えて私は一人でこっそり舞い上がったが、すぐに肩を落としてうつむいた。
爆発の条件は対象相手にイライラすることだ。彼はカップルでもなければリア充でもない。コンビニ強盗だ。
だいたい、相手を恐れていてはイライラできない。同じ対象相手に「イライラ」と「恐怖」の2つの感情を抱くことはできないのだ。
まぁ顔は割れているしすぐ捕まるだろう。今は命を優先しなければ。
「ほら、金はまだか!」
「ハッ、ハイ! これです……」
店員が恐る恐るレジを開け、強盗に差し出す。店員が抵抗するそぶりは全く見せない。
驚くほどスピーディーにコンビニ強盗が成立した瞬間だった。こんなにあっけなく犯罪が成立していいのだろうか。そんな考えをよそに、店員は強盗の指示通りに黒いバッグへレジの金をジャラジャラ入れてゆく。
そうやってパンパンになったバッグを背負い、強盗は薄ら笑いを浮かべながら小走りに出口へと向かった。
あぁ、取りあえず命は助かった――
安堵のため息を吐いたのもつかの間、自動ドアが開くと同時になぜか強盗の足が止まる。強盗は血相を変えて鏡張りの柱の前へ立ち、自分の頬をペチペチ叩いた。
「あれ、マスク……」
そうつぶやき、ポケットから黒い眼だし帽を出した。
「……見たな」
どうやら自分が素顔で強盗していることなどすっかり忘れていたらしい強盗は、目をひん剥いてこちらを睨みつける。
「ひゃあああぁぁぁああぁ! ごめんなさいごめんなさい、見てないです見てない……」
エミは狂ったようにそう叫ぶと、私を盾にして目覚まし時計みたいに震えた。その異常な声に驚いたのか、強盗もますます興奮したような声を上げる。
「見てんじゃねぇか! こうなったら生かしちゃおけない、もう殺すしか……」
ブツブツと物騒な言葉を吐きながらじりじりと犯人が詰め寄る。店員は気配を殺して私たちの様子を見ている。
ふざけんなよ、店員だろ。助けろよ。何突っ立ってんだよ、せめて逃げろよ。警察を呼べよ。
イライライライラ
だいたい、強盗も強盗だよ。私たちを殺してどうなるんだよ。防犯カメラには素顔ばっちり写ってんだし、罪が重くなるだけだろ。っていうかなんで店員じゃなくて私達を狙うんだよ。
イライライライラ
イライライライラ
「助けて! 助けてェ!!」
耳障りな甲高い声を上げ、エミが容赦なく私の背中を押す。
どうしてそんなに私を押すのだ、私にどうしろというのだ。戦えって言うのか?
イライライライラ
イライライライラ
黙って気配を消しておけばいいものを、どうしてあんなヒステリックに叫ぶのか。そして叫ぶだけ叫んだ挙句に私を盾にするとは何事だ。
イライライライラ
イライライライラ
イライライライラ
……ブチッ
心のどこかで何かが外れた音がした。
「お前ら……」
どす黒い感情が心の底からどんどん湧いてくるのに、いつもそれが溢れるのを食い止めている蓋みたいなものがどこかに行ってしまったようだ。
でも恐怖はない。むしろこの時を待っていたかのように体がイキイキとしている。
私は大きく息を吸い込んだ。
「まとめて爆発しろ!!」
今までに聞いたことがないような巨大な爆発音が響いた。
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パトカーのサイレンが私の非日常感を煽る。
爆発のショックで気を失った強盗が警察に連行されているのを横目に、私はため息を吐いた。
どんなに大きな爆発音であろうとやはり私の爆発に殺傷能力はないようで、強盗犯も店員もエリも髪が少し焦げて肌が煤けた程度ですんだ。
それは良かったのだが、エリや店員に私の力を見せてしまったのだ。私は一体どうなるのだろう。研究所に連れて行かれて解剖されてしまったりとか――
「ねぇ、私……」
声に反応して振り向くと、エミが私のすぐ後ろに立っていた。
先ほどまで考えていたことと目の前のエミの暗い表情が結びつき、思わず一歩後ずさる。
「ヒィ! ごめんなさいごめんなさい」
エミは怯える私の手を取り、私との距離を詰めた。
「恐がらないで! 私、薄々気づいてはいたの」
「えっ……」
エミの言葉に、私は思わず声を失った。
確かにエミの前で数回カップルを爆発させてしまったことがあった。よく考えてみたら気づかれていてもおかしくはない。
私は生唾を飲み込み、エミの言葉を待った。彼女は私をどうするつもりなのだろう。
エミは私の顔色を窺うように上目使いに私を見た。そして一つ小さくため息をついて重い口を開く。
「いつも私がいるときにカップルたちは爆発しているし――」
「う、うん……え?」
エミは口を半開きにしている私を置いて続ける。ただただ暗いと思っていたその表情には、よく見ると「恍惚」も混じっているような気がした。
「私には特殊な力があったんだわ。気付かなかった……いや、自分に特別な力があることから目をそらしていたのかもしれない」
私は一瞬頭が真っ白になった。一体何をどう解釈したらそうなるんだ。
しかし、私はエミの言葉に何度も頷いた。そっちの方が都合がいい。いや、むしろこうなってくれて良かった!
「そうか、そうだね。うん、そうだ! すごいっ! すごいよエミ!」
「あぁ、私は選ばれた特別な人間なんだ!」
エミがうわ言のように繰り返すその言葉を聞いて、私は少しだけ顔を顰めた。
何が選ばれた人間、だ。こんなのただの体質なのに。私の苦労も知らないで――
イライラ
ボンッ!
小規模な爆発により、エミの髪がまた少し焦げた。私は思わず口を押え、目を見開く。
今まではこの程度じゃ爆発しなかったのにどうして……
「ごめんごめん、興奮して自爆しちゃった」
エミがはにかむ様にそう言って小さく舌を出した。
つられて私も小さく笑う。
まぁいいや。全部この子のせいにしてしまおう。利害関係も一致しているし。
嬉しそうに自分の手や体を見回すエミを横目に、私はニヤリと笑った。