天野
帰りの電車の中で、コーチが言った事がわからず何を失敗したのか暁子は考えた。
ポイントはきっと、ランニング姿にならなかったからだ。と、決め付けてみたが納得がいかない。
電車のドア部分に立ち、ドアガラスに映る環を眺めている。
こんなに近くに見つめられるなんて、暁子はチョー嬉しい!!
ばかばかしいが暁子は環に色々ポーズをとらせて遊んでみた、ああーどのポーズを取らせてもかっこいい!!
「沢尻君変わったね」天野がボソッと言う。
しまった!!天野と一緒に帰っていたんだ。
内心焦ってみたがポーズは変えない。
「変?いや、変わった?」
暁子は何処が変だったのか考えた。変と言えばきっと全部が変なのだが。
紺色と小豆色のウエアーを、地味に着こなしている天野は小さく笑った。
「今日はいつもやってる「自己との対話」をやらなかったろう?
あれをやらないと絶対に走らなかったよ、他の皆もそう思ったんだ、みんな変な顔してたものね。一番変な顔はコーチかな。日頃一目置いてる君が違う行動をするとあんなに皆がギクシャクしてて。沢尻君って茶目っ気があるなーって可笑しかったね」
暁子はまじまじと天野を見た。背中に冷たいものが流れる。
暁子は答えようが無いので薄く引きつって笑った。
環の笑顔がわざとやったんだよ・・の、返事に天野は受け取って言葉を続けた。
「国体では五十嵐君も走ったんでしょう、何か言ってた?」
この天野の言葉は誰に対して何を言っているのかわからず、五十嵐という男からのメールの内容を必死で思い出し、何か気になることを書いてきていただろうか?
「アア、インカレがんばれってきてたよ」
暁子はこのメッセージしか思い浮かばなかった。
「うん、僕も初めての大会だから緊張してるんだ2m超えられたら最高だね」
天野はなぜか、高校時代陸上部に所属していながら、競技会に参加したことがない。
引っ込み思案な性格も、理由の一つではあるが、彼は自分自身を見せびらかす競技会が嫌いだ。
別な学校から来ている生徒にまで、自分が男色だと知られたくないのが本音である。
大学入学して陸上部に入るが環に憧れた・・わけではない。天野の好みは高校生の時から変わっていない。超美形の男子よりも野生的で少年を残した男子が好みである。
大学に合格して天野は自分を変えることに挑戦した。
まず堂々していること、男性が好きな事は天野の嗜好であると主張、そして自己アッピール。
ハイジャンプの練習では、1m84cmは飛んでいるからぜひ記録として残したい。
自分という存在を、残したいという欲が天野にも出てきていた。
沢尻環がひたすら監督やコーチの言葉に、耳を傾けずに、自分の主張を通して記録を伸ばしているのはある意味手本でもあり痛快でもある。
それに環は決して天野に対して、変な嫌味もからかいもしない、
常時、淡々と自分のしなければ成らないことをこつこつとやり遂げる。
淡白な印象はぬぐえないが、環は唯一、大学内では天野の尊敬する友人となりつつある。
天野が降りる駅に到着して、はにかんだ天野の手が肩口で止まりさようならを告げる。
軽く暁子も手を振って天野と分かれた。
帰宅してから天野が言った「自己との対話」を環のパソコンで調べる。
環はいくつものファイルを作成しきちんと番号が打ってあった。
乱読していた、ファイルを順序だてて読み解くうちに、環の走る・・という事への情熱が伝わって来る。
今日走った記録を書く欄がある。
環は統計をとっているが、
今回の記録は1500mが4分の後半。5000mが16分を切ったかもしれない(時計を押さなかったので解らない)
1500はベストより1分遅い、5000は2分も違う。不確かな数字は書かないほうが良いと暁子は勝手に決めて統計のファイルは閉じた。
何が悪かったのか暁子にはさっぱりわからない。
とりあえず、環の一日の練習マニュアル通りに走り鍛え、食事を取らなければならないだろう。
走る・・ということがこれだけ緻密に分析されていると、身体運動科学という分野で環は論文の二つや三つ書けるかも知れないと暁子は思った。
恐る恐る隣の洋室に設置されている道具を暁子は見た。
やらねばならない・・・・インカレまで時間が無いのだ。
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