愛とは呼べないもの
まず第一に、見た目が好きじゃない。
同学年の男の子に比べたら、肌のつやも、頭髪の薄さも全然違う。
誰がどうみても、「おじさん」の風貌でしかない。
年だって相当離れている。「お父さん」と言われても仕方ないくらいに。
そういう人だったのだ、あの人は。
大学の単位を取り終わって、空いた時間に小さなレストランでアルバイトをし始めた。
そこに来たお客さん。それが彼だった。
ポニーテールに結った髪がせわしなく揺れるほど忙しい職場に、
ほんのりとした口調でその人は私にオーダーした。
「コーヒー一つ。・・・ね、君、よく動くね。僕、そういう人素敵だと思うよ。
仕事だからしょうがないと思うけど、ポニーテールじゃなくて髪を下ろした方が似合うと思うな」
……なんだこの人は。
忙しいことが日常のこの場所に似つかわしくなくて、ゆっくりとした口調がなんだかイライラする。
その人はニコニコとしながら、私の口からどんな言葉が出るか待っている。
「そうですか。ありがとうございます。コーヒーをお一つ、以上でございますね」
随分とつっけんどんな言い方だと自分でも思ったが、「忙しいから致し方ない」という免罪符を自分の心の盾にして、その場を離れた。
つくづく、自分は接客業に向かないと思いつつ。
秋に、長年の片想いに終止符を打った。
早い話が、フラれた。
男友達より女友達が多くて、「彼女」と呼ばれる人も数人いるような人だった。
好きです、と告げなかった。無論、相手から言われることもなかった。
自分では駆け引きのつもりだったが、それ以前に勝負にもなっていない状態だった。
それなのに、いつか女友達から彼女に昇格できるんじゃないか、と淡い期待を引きずりながら生きてきた結果、残念ながら、それは完全なる夢で終わった。
私が抱く「下心」に気づかぬフリをしてきた彼も、とうとう業を煮やして、ある日私の唇に素早くキスすると、「これで満足だろ」と一言残して去っていった。
どうなれば満足したんだろうな、とその場でぐるぐると考えがよぎった。
彼女になれば。キスしてくれれば。セックスすることができれば。
どういう状況になっても、結局何か足りないままのような気がした。
どうせ、私のこと、好きになってくれないんだもの。
ニコニコおじさんは、気づくと週に3日ほど通いで来るようになっていた。
私がフラれてむしゃくしゃしていようと、街中でイケメンを見つけては友達と「あの人、良くない?」と下世話な話をした後でバイトに入っていようと、私の状況など知る由もなく、まるで誰かと果たされない約束でもしているかのように一人で店に来た。
「髪を下ろしたらいいのに」と言われてからは、特に何も言われなかった。オーダー以外には。
ヘンな目線を感じることもなかったし、不快でもなかった。
だからなのか、その日、バイトに入る前に鏡に映る自分をまじまじと見つめ、「今日はポニーテールにはしないことにしよう」となんとなく心に決めた。
マネージャーに何故髪を結んでいないかと怒られたら、「忘れていました」とでも言えばいい。
ニコニコおじさんは、すぐに私の「異変」に気づいた。
「あれ。今日はポニーテールじゃないんだね。
・・・うん、やっぱり、そのほうが可愛いと思うな。
ああ、こんなこと言うと変なヒトって言われちゃうのかな?」
少し照れたみたいに笑った。
「ああ、なんか良い人そう」とぼんやり思った。
同時に「好きなタイプではない」とも思った。
男を見れば瞬時に「好きなタイプか、そうじゃないか」を判断する、自分の悪いクセがここでも出た。
「ありがとうございます」と私が礼を言うと、その人は言葉を続けた。
「何時まで仕事なの?僕、今日は終日ヒマなんだ。
もし良かったら、仕事終わりに一緒にお茶なんかどうかな。5分くらいでもいいよ」
オーダーではなく、明らかな「お誘い」に驚いたのは言うまでもない。
その時、私の脳裏には「別にお茶くらいいいかな」という、普段では絶対にありえない答えが浮かんでいた。知らない人なのに。友達に自慢出来るようなカッコイイ男の人じゃなくて、どこにでもいるただの「おじさん」なのに。
何故か。
フラれて、自暴自棄になっていたから。
単に、寂しかったから。
小さい頃から男勝りの性格だった。
「しっかりしている」「サバサバしている」という言葉は欲しいままにしていたのに、「可愛い」という言葉とはとんと縁が無かった。
男の人に誘われるなど、もってのほか。
誘われるのは、決まって私の隣を歩く人形みたいな友達だった。
髪を伸ばしたのも、いつか好きだったあの人に「可愛い」と言って欲しい一心でしたこと。
それなのに、私の名前さえ知らない人に「可愛い」と言われてしまった。
その事実が妙に悔しくて、それでいて、心の端っこでちょっぴり嬉しがる自分も居た。
バイトあがりに店の外でおじさんと待ち合わせ、結果的に、その日は「お茶」では済まされない以上のことまでした。
私の女の部分を上手に引き出す手腕に長け、それに抗う意地を張ることすら無駄だと思わせるくらい、
その人は優しく私を抱いた。
私はその優しさにしがみついた。
泣きたくて泣けなかった心に決壊が生じて、理由も言わずに泣きじゃくる私を、その人は何も言わず、ただ柔らかな手でなだめ続けた。
ことが終わって、二人で横になったまま天井を眺めていると、その人の方から切り出した。
「君も分かっていると思うけど、」と前置きして、言う。
「これは、恋じゃないからね」
身も心もほぐれた私に、少し笑うくらいの余裕が出来た。
「そうですね」
「私、優しい人であれば、それで良かったので」
率直すぎる告白に、その人は苦笑した。
「そうか。それは正しいな。僕、優しいことしか能が無いみたいなんだ」
急に好きだった人を思い出した。
優しさの欠片すら、どこを探しても見当たらないような人。
それなのに、好きだった。
そして、優しいこの人のことは、きっとこれからも、好きにはならない。
「僕、またコーヒー飲みに行っていいかな。
君の長い髪が揺れるのを見るのが、清らかで良いなぁって、心から思うんだ。
・・・そんなこと言う僕って、やっぱりヘンなのかな?」
ヘンじゃないですよ、と言って、私はその人の頬に口づけした。
「でも、私、いつも通りの対応をすると思いますけど」
その人は、キスの跡を探すように頬に手を当て、私を見ずに言った。
「それで良い。君は、正しいくらいに、正しいんだな」
正しい私の、正しくない恋は、こうして終わった。
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