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琥珀色の風
作:徳次郎



◆第92話◆


 ビルのミラーガラスに映り込む夕陽が、姿を消そうとしていた。
 煌々と燃える炎が、闇に溶けてゆくようだ。
 忍はバイクをゆっくりと歩道脇に寄せて停めた。
 イグニッションをオフにしてエンジンを停止させると、幻聴が途切れたような一瞬の静寂の後に、街の雑踏が割り込んでくる。
「無茶するなよ。危ないだろ」
 紅いイナズマが描かれた黒いフルフェイスのヘルメットを被ったまま、シールドだけを上げる。
 優子は彼を呼び止めたものの、その後の言葉が出なかった。
 激しく息を弾ませる呼吸は、まだ収まっていない。
 夕陽が消えても、空には横道光が残り火を燈している。
「どうして……」
 優子は言いかけた言葉を呑み込むと大きく息を吸って
「そろそろ、病院にもどろう」
 穏やかな口調が、自然に口から出る。
 一瞬で選んだ言葉だ。
 しかし、忍は視線を僅かにそらす。
 通りの向こうで、タクシーがクラクションを鳴らす音が聞こえた。
 正直、優子には何故忍が逃亡したのかは、まだ理解できない。
 杉原の言った言葉は理解できるし、それによって忍の苦悩を僅かながら共感できた。
 しかし、姿をくらます行動は理解出来なかった。
 篠山が言った、休息の意味も靄のかかる山頂を眺める感じだ。
 それでも彼のキズの痛みは、理解できる。
 自分だって、顔の半分が火傷で醜くなってしまったら……今の自分をとびきり美人だとは思わないけれど、やっぱりそうなったら生きるのが辛くなると思う。
 何処まで完治するか解らない不安と毎日直面して日々を送るなんて、やっぱり耐えられないかもしれない。
 今の彼には支えてくれる家族もいない。
 それでもやっぱり、優子は忍に怪我の治療をして欲しい。
 何処まで快復するのか全く解らないけど、とにかく元気になって学校へ戻って来て欲しいのだ。
 それが一番の彼女の願いだ。
 バイクのシートに座ったままの忍へ近づいて、優子は腕を伸ばした。
 彼女は忍の顎にかかったヘルメットのストラップを外す。
「前に篠山におそわったから、解るんだよ」
 忍は何も言わなかった。
 ただ、顎紐に添えた自分の指先を見つめる優子を見ていた。
 彼女は彼のヘルメットを力いっぱい持ちあげる。
 焼けた髪の毛も、大分生えてきていた。
 焼けていない部分はそれに合わせて少し切ったようだが、毛先は全く揃っていない。
「ボサボサだったから、適当に自分で切ったよ」
 優子の巡らす視線に、忍は少し不揃いの髪の毛をクシャクシャとかいた。
「言ってくれれば、あたしが切ってあげたのに」
 彼女の言葉に、忍はようやく笑顔を零した。
「お前、そんなの出来ないだろ」
「失礼な、アンタが自分で切るよりは上手に出来るよ」
 彼女はそう言って、さり気なく彼の髪の毛に手を触れた。
 顔の左半分は相変わらず痛々しく、目の上と頬にガーゼを貼っている。
 綺麗なガーゼも、自分で交換したのかもしれない。
 視線は優子の方が上にあって、僅かに忍を見下ろせた。
 久しぶりに、彼を間近に感じた。
 他愛ない会話は、長くは続かなかった。
 それでも、優子は今までに無く忍を愛おしく思った。
 それが母性なのか愛情なのか、そんな事は自分でもよく判らないし、解る必要はないと思った。
 もっと彼に触れたかった。
 彼の温もりを感じたかった。
 息使いを共有したかった。
「あたしは……」
 言葉を呑み込む優子を、忍は微かに見上げていた。
 耳の奥で自分の鼓動が響いてくる。
 それは、忍も同じだったかもしれない。
「あたしは、忍の外観に惚れたわけじゃなんだからね」
 優子は初めて自分からキスをした。
 唇に集中した意識は、彼の温もりも息使いも、その全てを熱く捉えた。
 頬に貼られた大きなガーゼから、微かに消毒液の匂いがする。
 街の雑踏は暮色に浮かぶ光の時間に変わろうとしていた。
 優子と忍の姿を誰も振り返る者などいない。
 歩道橋の上から二人の友人だけが、熱い視線で見守っていた。




「バイクの免許持ってたんだ」
「いや……」
「無免許?」
「交通法規は知ってるよ。後乗ってくか?」
「止めとく……」
 


次回、最終話です。






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