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琥珀色の風
作:徳次郎



◆第74話◆


「先生、高森君はどんな状態なんですか? お見舞いに行っても平気ですか?」
 安西は耐え切れず、職員室へ来ていた。
 直接担任に訊けば済む事だ。
「今は面会できないらしい……」
 担任は回転式の椅子ごと彼女の方を向いて、膝の上で両手を組み合わせた。
「命には別状ないって……」
「ああ、それは大丈夫だそうだ」
「何処を怪我したんですか?」
「左半身と左の顔に重度の火傷を負ったらしい……しばらく集中治療室だそうだ」
 担任はそう言って、いかにもぬるそうなお茶を啜ると溜息に混じった声を零した。
「人を助けたって言うのに……」
 安西は困惑して眉を潜めた。
「顔……ですか」
「ああ、かなり酷いらしい」
 担任は再び湯飲みに口を着けると「暫くは、会うのはムリだろう」


 * * *


 高森忍の姿の無いまま始まった新学期は、あまりにも空虚に過ぎてゆく。
 優子の存在は何時の間にか彼と親しくなる以前に戻っていた。
 口数は減り、一葉や里香意外とはほとんど話しはしない。もちろん、用事が無いからでもあるが……
 優子が学校帰りの道を歩いていると、後から足音が追い上げてきた。
「優子、待ってよ」
 一葉が駆けて来て、優子の肩を叩いた。
「最近独りが多くない?」
「前からよ……」
 ちょっと不機嫌そうに、優子はボソリと呟くように言う。
「そんな事言わないでさぁ」一葉は苦笑して彼女に並んだ。
「優子、高森の病院には行ってるの?」
「行っても仕方ないんだよ。会えないんだから」
「まだ面会できないの?」
「うん。まだ身内しか入れないみたい」
「そっか」
 一葉はそう言って、カバンを抱え直す。
 冷たい風が二人の身体を吹き抜けて、同時に首をすくめた。
 優子は何度か忍の病院へ行ってみたが、会う事は出来なかった。
 舞衣に聞いた話によると、顔はほぼ全て包帯で巻かれて会話は出来ないらしい。
 考えてみれば、そんな彼の姿は想像できないし、見るのも辛い。
「はあ……」
 駅のホームに降りると、優子は椅子に座って溜息をついた。
 ずっと変わらない景色がそこはある。
 学校へ通いだして以来ほとんど変わらない風景……自分はどれ程に……いや、自分に関わる人たちにはどれ程の変化があっただろう。
「一葉は、また陸上やりたいとか思ったりする?」
 優子はふいに言葉を発した。
 ゆっくりとした動作で、一葉も優子の隣に腰を下ろす。
「うぅん。どうかな……あんまり思わない。今はね」
「今は?」
「陸上が出来ないって聞いた時は、名残惜しかった。それだけで自分の世界は終わるような気がした」
 一葉は遠くの空を見上げて、少しだけ目を細めた。
「でも、たいした事なかったよ。そんな事は意外とちっぽけな事だって判ったし、走らなくても楽しい事はいっぱいあるし。優子を追いかけるくらいは出来るしね」
「そっか……」
「持ってるものを手放すのは辛いけど、手放してみると意外と平気だったりね」
 一葉はそう言って笑うと
「だからさ、あんまり臆病になるな」
 優子は彼女を見つめた。
 一葉の笑顔が少しだけ大人に見えた。


 * * *


 熱い炎が燃え盛って、周囲を取り巻いていた。
 そこはまるで地獄の業火だ……
 彼は行けると思った。
 いや、そんな事は考えずに飛び込んだのかもしれない。考える暇なんて無かった。
 彼には確かに聞こえたのだ。
 燃え盛る家屋の中から、小さな子供の泣き声が……
 中に入ると、思ったよりも煙が凄くて視界はきかなかった。
 走り抜けて子供を捜すなんて出来ない……しかし、もう後戻りは出来なかった。
 微かに聞こえた泣き声が、確かな物に変わっていたから。
 音を立てて燃え盛る炎は悪魔の叫びのようだ。
 自分の背丈の火柱を初めて間近で見た。
 濡れたN3Bが、アッというまに熱くなった。
 タイタンクロスは燃えない……本当だろうか……
 このN3Bは本当に防火能力があるのか……彼には確信なんて無かった。ただの宣伝文句かもしれない。
 それに、いくら上着が燃えなくたって、髪の毛もジーンズも焦げてしまう。
 フードをかぶって、足早に炎を掻い潜るしか術は無かった。
 早くもフードを縁取るコヨーテの毛はチリチリ音を立てて焦げていた。
 姿勢を低くしてバンダナを口に当てると、いくらか呼吸がラクになる。
 ジャケットを買った時にオマケでポケットに入れてよこしたバンダナが思いもかけず役に立った。
 幸いな事に、子供は1階の和室にいた。いや、そこが和室かどうかなんて判らない。
 ただ、リビングではないのでそう思っただけだ。
 二間続きの仕切りの襖は完全に燃え切ろうとしている。紅い炎の先に真っ黒な仏壇が見えた。
 子供は手前の部屋に倒れて泣いていた。何歳くらいなのかは判らない。
 3歳か、それとも5歳か……とにかく抱えて部屋を出なくてはならなかった。
 部屋の天井が崩れそうになって、垂れ下がった天板が逆流する滝のように煙を上げていた。
 荒れ狂う炎はまるでオレンジグミのように綺麗で、気を抜くと見とれてしまい、吸い込まれそうだ。
 彼の脳裏には不安ばかりが過る。このまま出られないと思った。
 入らなければ良かったと思った。
 何処を走ったかなんて判らない。
 家屋の中を抜ける風に乗って、炎は生き物のように蠢いた。
 何か熱い物が左の肩にぶつかったのが判ったが、彼は構わず走った。
 本能が出口へ導いたのかもしれない。それとも、天使が導いてくれたのか……
 視界が開けた瞬間、全身に痛みが走った。
 何かが崩れて自分の上に落ちてきたのが判った。
 微かに見えた消防士に向って、忍は抱えていた子供を放り投げた。上手く渡ったかは判らない。
 記憶はそこで途切れ、自分は死ぬのだと忍は思った……
 いや……次に意識が戻った時、死んだ方がよかったと思った。










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