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琥珀色の風
作:徳次郎



◆第14話◆


 湯船のお湯が大きく揺れて波立ちバスタブの淵から僅かに零れると、流れるせせらぎが心地よく浴室全体に響き渡る。
 排水溝に流れる水の音が心地いいのは、おそらく浴室だけだろう。
 ――ああぁぁぁ、今日は何だか疲れたぁ……
 優子は全身を湯船に浸けると、バスタブに背をつけて寄りかかった。
 彼女はファーストフード店での一件で、それ以前に見た映画の記憶がほとんど飛んでしまっていた。
 ――もう、ほんと死ぬかと思った。体調の悪いときはデートなんてするもんじゃないな。うん。……ていうか今日のはデートだったのか? いや、デートだよね。ま、あたしはただアイツに付き合ってあげただけだけどね。
 優子は中学以来のデートが、なんだかずいぶんバタバタした1日になったものだと、今日を思い返した。
 もちろん、バタバタしたのは自分のせいなのだが……
 ――何だか妙に胸が苦しいし、あたし今日はずっと気を使いっぱなしだったから、よっぽど疲れたんだ……
 優子は再び息をついて天井を見上げる。
 ――ううぅ、でもなんでこんなに胸が苦しいんだろう……身体の調子が悪い証拠なのかしら。ま、まさか、もしやこれって恋? そうなの? あたし恋に落ちてしまったの?
 彼女は湯船のお湯を両手ですくって顔を潤す。
 そして薄っすらと目を開け、どうにも苦しさを感じる自分の胸元に視線を下げると、思わず驚愕した。
 淡いグリーンのレースつきの布地が、いやカップが胸を覆ったままだったのだ。
 ――ぎゃぁぁあぁぁ! あたしブラジャーしてるぅぅぅ! な、なんで、どうしてブラ外すの忘れてんの? こんな事ってあるか?
 優子は思わず湯船から立ち上がった。
 もちろん、下着はずぶ濡れだ。
 パンツは脱いだのに、何故か上は着けたままだった……
 ――ありえない……何やってんだろう、もう。
 優子は慌てて下着を外すと、浴室の扉を開けて洗濯機の中にびしょ濡れのそれを投げ入れた。

 再び湯船に浸かった優子は、今度こそ安堵の息をついて目を閉じた。
 ――これよ、これ。気持ちいいじゃん。ぜんぜん胸も苦しくないじゃん。
 しかし、何だが胸の奥で何かがキュッと萎むような、ちょっぴり息が詰まりそうなもの苦しさに一瞬襲われる。
 それは、高森と一緒にコンビ二へ行った夜にも感じたものだった。
 優子はそっと自分の心臓に両手のひらを添える。
 浴室の湯気に混じって、穂のかにライムの香りが蘇えった。




 翌朝学校へ行くと、何時もと変わらない風景が教室にはある。
 おはようと声をかけて来るのは一葉と里香くらいだし、いつもと代わり映えしない教師の授業時間が淡々と過ぎてゆく。
 高森の様子も何時もと変わりない。
 休み時間は男子の連中と親しく話して時折笑い声を上げる。
 ただ、時折優子が視線を向けると、彼もこちらを見ているような気がした。
 優子が視線を向けると向こうはそらすような気もするが、ただ偶然に自分の方角に彼の視線が向いただけかもしれない。
 ――だめだめ、過剰反応は禁物よ。昨日1回きりって事だって在り得るんだし。だいたい、アイツだって次の話なんてして無かったじゃない。今朝会っても、別に普通だったし。
 も、もしかして、あたしは試されたの? 自分にふさわしいかどうか試されたのだろうか……そして、めんどくさい女決定? 薬買いにパシリとかさせちゃったから?
 そんな昼休みも大分過ぎた頃、後に人の気配を感じた。
「優子、ちょっといい?」
 後から声をかけてきたのは、安西ひとみだった。
 彼女に促されて、校舎裏の駐輪場まで二人は歩いた。
 青空から注ぐ光は、聳える校舎に遮られて大きな日陰を作っている
 ――なによこの女。どうも安西に声を掛けられると、不吉な予感がするのよね。
「あんたもずいぶん大胆なのね」
「はあ?」
 駐輪場に着くと、知らない誰かの自転車の荷台に安西は躊躇無く腰掛ける。
 背中まである長い黒髪が、風にはためいて揺れた。
「しらばっくれて……どういう手を使ってあんたが忍を誘い出したのかは知らないけど、彼に近づいても無駄よ」
 優子は安西の言っている意味が判らなかった。
「あの……よくわかんないんだけど……」
 ――なんだ、この女。そんな訳のわかんないこと言う為にこんな所に引っ張り出したのか?
「ボケ〜っとしてるようで、けっこうしたたかなのね」
 ――何いってんの? これだから勉強の出来るヤツはいやなんだよ。もっと率直に言えっての。ていうか、あたしってそんなにボケッとして見える?
「あたし、昨日見たのよ。あんたが忍と駅を出て行くのを」
 ――えぇぇぇ! な、なんでこんなヤツに見られちゃうの? そう言えば、安西の家はあの駅の反対側だって、高森が言ってたっけ。
「いや、あれは……」
「ま。いいわ、別に。忍もたまには変わったもの食べたくなったんでしょ」
 ――ぎぃぃぃぃぃ。なにさ、人の事アボガドのサンドイッチみたいに言って。だいたい、あんたは何 様なわけ。高森がいくら人気があっても、誰と出かけたって彼の勝手でしょ。なんで、あんたがガタガタいうのよ。
「言っとくけど、あたし中学の時忍と付き合ってたんだからね。全てを知ってる仲なんだから」
 安西はそう言って自転車から降りると、さっさと校舎に向って歩き出した。
 ――安西って、高森の昔の彼女だったの…………ていうか、昔なら今は関係ないじゃん。一瞬ビビッて罪悪感湧いちゃったよ。別にいいんじゃん。でも、何よ、全てを知ってる仲って……
 長い黒髪を揺らして歩く安西の後姿を見つめて優子は、何だか面倒な相手に最初に見られたものだと、深い溜息をついた。








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