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5―3 ケ・セラ・セラ

 どれほど計画的かつ深謀遠慮しんぼうえんりょの超完璧人間だろうが、何事も計画通りに進むわけではなく、忽然こつぜん勃発ぼっぱつするトラブルや複雑な人間関係により予定調和が破綻されるパターンもぽつぽつとある。そう、人生なんて必然に身を委ねたほうが、意外にうまく世渡りができるというものだ。

 なので、窓一枚を隔てとして、広がる景観を眺めつつ、愛沢あいさわしげると繰り広げたとんちんかんな珍問答を忽然と思い浮かべるのも必然かつ必定といえよう。このような前置きをした上で、さっそく回想シーンに入るのであった……

 ………

 ……

 …


 物語は一ヶ月前、殺人未遂の前科一犯を保持する愛沢滋の闖入まで話はさかのぼる。

 奇跡的な現象を顕在化させる?能力?を、惜しむことなく猛然と振るい、指輪という呪いのアイテムを浄化してくれた。胡散臭いが、俺の命を一方的に救ってくれたらしい。だいたい滋は機関から乖離かいりした身の上なんだろ? 機関を裏切って起きながら機関の命令で俺を救護しにきたとは話の辻褄つじつまが合わない。再就職でもしたのか?

 しかし俺がもっとも欲する情報は滋の身の上話などではなく、未梨家の使用人、つまり愛沢さんと滋の関連性だ。兄妹とさらりと紹介されたが、そんなんじゃあ納得いかん。

「愛沢さんとはどんな関係なんだ?」

「兄妹ですよ……」

 それが信じられんと言っているのだ。

「もしかして、キミは妹に対して恋心を内に秘めているのかな……? フフ……それは実に喜ばしいことです……キミが妹と結ばれるとなると、僕はキミの義兄だね……。呼称はお義兄さんでいいよ……」

 俺は何も答えずに滋を一睨みした。が、無機質な笑顔はある種の重圧を存分に放出しており、直視はできない。くそ……未梨の無表情以上にミステリアスな雰囲気を漂わせている奴だな。取っ付きにくい。

「冗談だよ……」

 滋は大仰に肩をすくめる。

「……それで……具体的に妹の何を知りたいんだい……?」

 具体的にと訊かれると、漠然と広範囲の疑問しか思い浮かばない。そもそも俺は愛沢さんのフルネームすらを知らないんだ。その段階で深層部分に探りを入れるというのは心情的に不作法、てゆうよりそうでないと俺の気が進まないだけだが。

「……ファーストネームを知らないなんて……昵懇じっこんの間柄と風の噂で訊いたものですが……」

 そんなたいそうな名称の付く間柄になった覚えは記憶上に記されていない。俺にとって愛沢さんの関係は、いわゆる頻繁ひんぱんに行動を共にする仲の良い友人の母親的な存在であり、顔を合わせれば他愛もない会話を二言三言交わす程度なものだ。いくら無二の親友だろうが、そいつの母親の名前を訊ねることはそうそう無いだろうね。

「つくづくキミはユニークな思考の持ち主だね……。僕はキミの?能力?よりもキミの人間性に興味をそそられます……」

 背筋に悪寒おかんが走るような台詞をさらりと言ってのけた滋は、勉強机に散らばっていたルーズリーフとシャーペンを手に取ると、淀みない手付きで何かを書き始めた。その行動に懐疑かいぎ心を抱く前に、一連の動作を終えた滋は、たくみな手捌きでルーズリーフを放ち、俺の眼前に滑り込んできた。

「あいさわ、こい?」

 愛沢恋。

 ルーズリーフに記された文字をそのまま音読してみた。これが愛沢さんの本名なのだろうか? 小学生時代に「恋は恋をしたことある?」と級友たちに冷やかされているシーンがいやおうなく思い浮かんでしまう。

れんですよ。妹の名前は愛沢あいさわれんこいと書いてれんと読みます」

 難訓な漢字だ。間違っておいてなんだが、なかなか良い名前だと思う。そういえば妹喫茶に精を出していた愛沢さんのネームプレートは「れん」だった。間違っても、本名を晒すはずないという普遍的先入観の裏を突いた作戦。なわけがない。

 何の気無しにルーズリーフを裏側を覗いてみれば、「れんプロフィール」とでかでか記載されて、その下方には愛沢さんの身体的プロフィールらしきものが併記されていた。その中でも脊髄反射の如く、目が行ってしまった項目は、「年齢」だ。

 24歳。

 いつまでも天然キャラやってないで、そろそろ一生涯を共にする男性でも捜した方がいいんじゃないのか? 童顔だからといえど、十年後も天然続けていたら収拾がつかなくなるぞ。

「兄としても、妹には幸せでいて貰いたい……」

 滋は窓越しにある荘厳のマンションを見詰めている。

「……結局のところ、愛沢さんも人間離れした機関とやらの一員なんだろ?」

「それは違います」

 確信が外されたが、内心ちょっと安心した。

「機関とれん、双方の関連性は充分にありますが、それでも妹は機関の一員ではないよ。今となっては、妹もしがない使用人……その方が妹にとっても平穏で幸せなのでしょう……」

 意味深で間接的表現では概ねの事情を把握した者でないと解るわけがない。

「残念ながら僕にはこれ以上深い部分についての情報を提供出来ません。ああ、勘違いしないでください。出し惜しみをしているわけじゃありません。『語らない』のではなく、『語れない』んですよ」

 なんだ、それは? 秘密結社特有の外部に漏らしてはならない情報なのか?

「……命を賭けてまで愛沢さんの正体を暴きたいわけじゃない。愛沢さんは愛沢さんであることが変わりないと解っただけで充分だ」

「……キミで良かったよ」

「なんのことだ?」

「フフ……なんでもありません……いや、個人的な依願いがんなんですが……聞き入れてくれるかな?」

 内容次第だな。

「妹と……恋と……仲良くやって下さい」



 それから俺はといえば愛沢さんをお目にしていない。会う暇が無かった訳ではないが、俺は前々から愛沢さんに対して多少なり苦手意識を持っている。しかしその意識も最近になり、ようやく落ち着いてきた。それでもいざ行こうとなると気が引けてしまう。

 根本的にチキンなんだな、俺は。



 試験終了一週間後。

 思い返せば試験は地獄を絵に描いたような日々だった。至極当然しごくとうぜんだが、俺は地獄に旅行をした経験がないのが実情なので、この場合の比喩ひゆは一般的に人間が浮かべる普遍的地獄のイメージを想像して貰いたい。いや、それだと「地獄のような日々」みたいなものを実際に過ごしていたら、一日で過労死をしてしまうことになるな。まあ、そこは言葉のあやということで、寛大かんだいに受け止めて欲しい。

 まあ、どうでもいいか。

 何故俺が試験を地獄と定義させた事情を事細かに説明をすれば、試験前日のホームルームに入学当時から固定されていた席を変える、要約すれば席替えをする、「まあ、そろそろ夏だし、お前らも席替えしたいだろ!」という担任永田の軽薄な一言が全ての因果だったのだ。だいたいだな、夏=席替えの定義がどのように確立したのか、そこに到ったまでを経緯をぜひ補足して貰いたい。

 という批判は、席替え後の今現在だから言える事柄であり、その時の俺はツンツンツインテールと、肉眼では確認できぬプレッシャーを発する眼鏡ッ娘とのサンドイッチにならなくて済むと内心ほくそ笑んでいた。結果的には葉月と未梨は、俺と大分離れた位置に属し、更にほくそ笑んだいたのは、今となっては墓場まで持って行きたいトップシークレットである。これもどうでもいいか。

 問題視する点は、俺が窓側最後方の席に決定付けられたこと。それが発端ほったんだ。

 一見、教師からも迫害はくがいされる可能性が少ない絶好の昼寝ポジションで、義務教育段階の学生たちからは羨望の的と思われている。実際、俺もそう思っていた。

 しかしその考えは担任永田と同レベル、浅はかだった。

 6月に突入した途端、関東地方一帯は太平洋高気圧の惜しみなくい活動ぶりが原因で、梅雨の発生原因となる梅雨前線ばいうぜんせんの存在を綺麗さっぱり跡形もなく相殺し合い、もう一週間近く真夏日を記録している。我が校のカーテン生地は限りなく薄く縫製されており、遮光というカーテン本来の責務を果たしておらず、窓際族である俺はこたつヒーターを押し当てられたような暑さのなか、テストに打ち込んだ。集中できるはずがない。穴という穴から汗が噴き出し、よもや答案用紙に染み込み記入した文字がうっすら消えていたなんて事態は珍しくはなく、修正しようにも紙質がとろろ状に変貌していては再びペン入れする学生らしい慎ましやかな行いもできなかった。同じ窓際族先頭を陣取る未梨は発汗機能が備わっていないのか、現代っ子特有のクーラ病なのか知らんが、涼しい無表情をキープ。まさか制服のポケットに保冷剤詰め込んでいるんじゃないだろうな。

 そんな青春の1ページ的なモノローグも終わり、全ての答案用紙を返されたのが今日である。テスト結果は一夜漬けとは思えぬ健闘ぶりで、たとえるのなら、あけぼの太郎 vs チェ・ホンマン第三戦ほどの大健闘ぶりを俺は見せてしまった。ちなみに俺は曙サイドね。

 世界史、おれのじだい。

 歴史、ぐれーとにすごい。

 国語、なかなか。

 英語、けっこう。

 政治、まあまあ。

 数学、せーふ。

 理科、かみひとえ。

 体感温度40度だったあの最中さなかに、これだけの点数が稼げれば、俺の知識の豊満さに自己賛美をしても誰かに咎められたりはしないだろう。俺って頭良い。

「どうだった?」

 相変わらずツインテールの葉月が俺の机上に腰を下ろし、テスト用紙を目の前にちらつかせてきた。この調子だと葉月もセーフなのだろうが、一応確認ということで訊ねてみたい。

「お前こそ、赤点はないのか」

「あたり前田のクラッカーよ。思ったよりデキが良かったわ」

 おめでとさん。あれだけ教えたんだから結果を残してくれないとこちらも報われない。

「で、アンタはどうだったの? 総合順位何位よ?」

 しょせん順位などは上位者のやる気をあおる材料になり、下位の方々には絶望感を植え付け、容赦ない縦社会の辛辣さを身体に染み込ませるための教育委員会の裏陰謀で、それほど重要視される要素は含まれていないのだが、誇れる功績を残した俺は自慢の意を込めて言ってやりたい。

「101位だ」

 一学年に四百近い生徒数が在学する緑校では、それなりに誇れる順位だと俺は思っている。

「へぇ、仁井哉って結構できるのね。意外」

 話の流れ的には、ここで俺が「お前は何位だ?」とか訊いてみるべきなのだろうが、その発言は出来るだけ控えたい。赤点ゼロの葉月とはいえ、順位はかなり低い位置に存在しているに違いないからだ。なんせ視界にちらちら入るツインテールの試験結果に50以上のものがないんだからな……高校生もときに空気を読むことは必要である。

 時は変わってその日の昼休み。

 試験結果により統計された平均偏差値トップ100が昇降口の特大掲示板に張り出された、という情報が転がり込んだのだが、他人の良い成績を見たところで優越感浸れるわけでもなく、むしろか劣等感が鬱積するだけだ。そもそも俺の順位は101位で記載されていない。少ない体力のなか有意義な学校生活を送るためには野次馬の広がる掲示板付近よりも閑散かんさんとした教室でお茶するのがいいのだ。

 そんな俺の人道とまたしても利害が一致したひとりは斉藤である。空いた前席に腰を下ろしている斉藤は身体の向きをこちらに固定しつつ、ごましおの掛かった白米を口内へ掻き込んだ。

「やっぱ、お前は俺と似ている。なにもこのくそ暑い中他人のテスト結果を見るためわざわざ出向く必要はないのにな」

 なんとか言っていた斉藤だったのだが、放課後、帰宅ついでに未梨と特大掲示板を覗いてみるや、


 1位、斉藤祐樹(偏差値平均 70.9)

 2位、椿未梨 (偏差値平均 69.9)

 3位、……… (偏差値平均 65.7)


「……」

 我関せず、中学時代学年首位の座を死守し続けてきた未梨だが、二位という結果を目撃しても、いつも通りの超然とした無反応。

 むしろ、俺の方が動揺を隠せていない。

 そりゃあ日本も広いし、いくら中学で学年主席をキープし続けた未梨とはいえ、高校に入れば敗北を喫する可能性だって充分にありうる話だ。しかし未梨に初黒星を付けた相手が斉藤ならば、話は火曜サスペンスと金曜ロードショーの目指している物ぐらい別物である。教師の目をかいくぐり、巧みな工作を行ったに違いない。本来の斉藤の実力では、保健体育以外は平均以下でないと俺のイメージがそぐなわれる。

「……ニィ、帰宅、する」

 頭ひとつと半分下からこちらを覗き込む未梨は、この順位について何の感慨も覚えていない様子で、袖口をくいくいと引いてきた。

「悔しくないのか? 斉藤に負けたこと」

 未梨は小さな疑問符を湛え、

「なんで?」

 と、摩訶まか不思議そうに(実際は無表情だが)言った。

斉藤かれは、聡明、老獪、怜悧。わたしが勉学で勝利する見込みはない。今回は程度が低い問題、だから、わたしは彼と比較的近い位置に立てた」

 その事実は全力で否定したい。絶対的過大評価だ。伊達眼鏡を掛けているから対人認識能力が耄碌もうろくしちまうんだよ。たとえ斉藤がマジモンの天才児で、それが認めざるを得ない真実だとしても、俺は認めない、認めたくない。斉藤といえば、放送事故では済まされない猥談わいだんを時と場所を弁えず、唐突にふっかけてくる生粋ハレンチ野郎だぞ。このまま解脱をせずに時を過ごしたら、近い将来は確実にR-18な卑猥なデータでハードディスクを埋め尽くしているに違いない。

 まあ、斉藤といえど所詮は他人。しったこっちゃねぇ。せいぜい斉藤が性犯罪を起こしたときは、「そんな事する人じゃなかったんですけど……」ぐらいの弁護はしてやる。



 熱帯夜を超越した熱帯夜。眠れねえ。

 そんなときは無理に眠ろうとはせずに、窓を全開に開放し、外部の空気を吸うのが一番効果的なリラックス方法。しかしそれは眠気を誘うものではなく、どちらかといえば眠気を吹き飛ばす手法である。空気を吸って脳内がすっきりと覚醒したのは計算通りだが、目が覚めてそれから行う計画性あるもよおしなどは一切ない。

 時刻は23時を回っていた。

「……散歩もいいだろ」

 夜風に当たりながらほどよい倦怠感けんたいかんを与え、快楽をいざなう睡魔を喚起する。我ながら完璧で抜かりのない作戦だ。

 俺はクローゼットから適当な服を見繕みつくろい、寝静まった我が家を後にした。放置家庭なのだから、手紙を書き留めておく必要性もないし、携帯は一応持ったのだから緊急時にはコールがくるだろう。一週間音沙汰無しでも、警察に届けを出すとは思えないし。

 深夜に徘徊。コンビニ以外の店舗が律儀に開店しているとは思えない。まあ、もともと行く当てなどひとつに絞られているんだけどね。

 そう淡々とやって来た場所が山の頂上の森林公園である。散歩のつもりだが片道に30分費やしては、もはやメタボリックシンドローム対策のウォーキングである。ウェストが80台に乗った直後から、メタボ予備軍だというのだから、油断できたもんじゃない。

 公園の中央に設置されている噴水もお休み中らしい。噴水だって誰もいない公園で深夜営業はしたくないだろう。

 俺は自動販売機で冷えたミルクココアを購入し、住宅街全貌を俯瞰ふかんできるベンチに腰を下ろした。普段は「地上に浮かび上がる星々」とでも名付けたくなる素晴らしい景観も、時間的に寝静まった住宅街では、奈落の谷底でも覗き込んでいる気分で、変な恐怖心に駆られてしまう。ここら辺の住民たちは平均就寝時間が早いのか? 健康的なのは構わないが、ノスタルチックに浸りたい俺の気持ちをもう少しだけ察して欲しかった。いかんせん、傲慢な思考はよろしくない。

「仁井哉さまー?」

 聞き覚えのあるアニメ調の声に振り向いた。

 愛沢さんがいた。

 心臓の鼓動が、脈動が、高柳たかやなぎ光臣みつおみに引けを取らないぐらい速くなった。

「……愛沢さん?」

「やっぱり、仁井哉さまですねー。お久しぶりでーす」



 愛沢さんは俺の隣に腰掛け、抱きしめたくなる笑顔を振りまいていた。着衣しているノースリーブの白ワンピース、しかもフリフリフリル。それが物理的な意味で周囲を明るくしているような気がする。

 思考を通常状態まで復旧させるのに予想以上の時間を費やしてしまった。

 こんな深夜の公園で愛沢さんと邂逅かいこうするとは、裏で何かの陰謀が働いていると疑いたくなる。しかし今日の俺の行動は誰かに仕向けられたものではなく、自発的、なおかつ気紛れにより突如決行した散歩だ。だいたい第三者の陰謀と選択肢が思い浮かぶ俺は、なんたる被害妄想か。

「仁井哉さまはー、どうして公園に来たんですかー?」

「夜風に当たろうと思っただけですよ。愛沢さんこそ、インドア派じゃないんですか?」

 愛沢さんは小動物に引けを取らない愛くるしいふくれっ面を上手に作り上げ、俺をぽかぽか叩いてきた。痛みはない。周りに集まる女子たちは今ひとつ女の子らしさに欠けるからな。愛沢さんの女の子らしさが身に染みる。

「わたしはー、引きこもりじゃないでーす。未梨さまの使用人でーす。毎日毎日、掃除そーじ、洗濯、家事、ゲーム、昼寝、ネットサーフィン……えーっ、アルバイト、で大変なんですよー」

 全世界の使用人に謝ったほうがいいですよ。とでも反論したいが、ここは最大限譲歩して、愛沢さんの意見に賛同しとくべきだな。

「忙しそうですね。すみませんでした」

 言うと、俺の思惑通りに愛沢さんはすこぶる機嫌が良さそうに微笑んだ。

「えへへー、そうでーす。わたしは多忙たぼー極まりないのでーす」

 愛沢さんに気を遣うことで、俺の話術スキルが退化していく。

「それで、なにしにきたんですか?」

「なにしにきたんでしょー? わたしにもわかりませーん」

 ちょっと張り倒したくなった。

「ただー、高いところに来なくちゃいけないような気がしたんでーす」

「……神様からお告げでもあったんですか?」

「そんなよーなものでーす」

 俺の手の甲が、白皙の手に包み込まれる。それは病人が見せる色白さではなく、一部の選ばれた女性のみ身に付けることのできる健康的な白さ。その手が綺麗な花弁だとしたら、それを伝う腕は茎のように細く、一握りすればよからぬ方向に折れてしまいそうだ。

 愛沢さんは俺の手を握っていることなど素知らぬ様子で会話を続ける。

「仁井哉さまはー、学校で彼女とか出来ましたかー?」

 貧相な容姿とひん曲がった性格の都合上、残念ながら彼女不在です。

「仁井哉さまの通う高校の女の子は見目がありませーん。わたしから映る仁井哉さまは、とてもカッコいいですよー。性格もー、容姿もー」

 赤面するような台詞を平然と言ってのけるその精神を誉めあげたいが、天然たる愛沢さんにとってはなんともない一言なのだろう。天然の特権だ。

「じゃあー、仁井哉さまから見て、気になる女の子はいましたかー?」

 漠然とふたりほど思い浮かんだ。

 無意識的に気に掛かるのが葉月。

 ミステリアスで謎が多い龍円寺さん。

「そうですね……「気になる」という点に置いては、ふたりほどいますけど、それは決して恋愛対象としてじゃなくて、人間として気に掛かるとゆうか……放っておけないとゆうか……」

「じゃあですねー、女性として気になるひとはいますかー?」

 さっきから恋愛沙汰についてだな。クラスの女子もそうだが、他人の恋沙汰がそんなにおもしろいのか?

「いませんよ」

 とか思いつつ律儀に答えている俺もなんだけど。

「ほんとーですかー?」

「本当です」

「ほんとに、ほんとーですかー?」

「本当に本当です。次からエンドレスで続くのはやめて下さいね。本当にいませんから」

 半ば開いていた口を閉じた愛沢さんは、ごまかすように浮かべたはにかんだ微笑みは写真に活写し永久保存をしておきたいところだが、あいにくカメラは持ち合わせていないので、網膜にでも記憶の続く限り焼きつけて起きたいと思う。

「えへへー、仁井哉さまは彼女がいないのですかー。かわいそうでーす」

 今世紀を代表する無限大の笑みを湛ながら、俺のモテない経歴を嘲笑っている。いや、嘲笑ではなく、無邪気な笑いだ。またしても天然の特権か。そんなに俺に彼女がいないのが不思議か? 自虐ではないが、俺は部活に所属していないし、スポーツもイマイチ、黄色い声援を浴びるような容姿もなければ、これといって誇れる特技はない。積極的に女子の目を引こうと行動しているのならばまだしも、俺のような人間に好き好んで寄って集る物好きな女子などそうそういないであろう。

 ……ちょっと憂鬱になった。

「わたしも男性とお付き合いした経験がありませーん。一緒でーす。同類でーす」

 愛沢さんほどの容姿なら「キミの身体はヴィーナスより美しく、キミの双眼はこの世にある全ての鉱石よりも燦然と美しく、キミの髪一本一本は最高級カシミヤよりも希少価値がある」みたいな台詞をどっかのナルシーに仄めかされたりされた経験があるのではないだろうか?

「けど、愛沢さんならいい人が見つかりますよ」

 気休めではなく、本心から言ってあげた。それだけの才能が愛沢さんにはある。

 しかし俺の言葉に何故か愛沢さんは俯いてしまった。

 地雷は……踏んでいないはずだ。

「あ、あのー、折り入ってお願いがあるのでーす」

「……改まって……なんですか?」

 こちらを見詰めてくる愛沢さんの瞳は、力強い燐光を纏っていた。人生の岐路に立たされたような決意表明さがにじみ出ている。


「わたしと、こ、交際してくてくださーい!」


 気休めはいいですよ。真面目に抗鬱剤が欲しくなりますから。

「冗談でこんなこといいませーん!」

 声音は脳天気のままだが、手を握る力が強くなった。

「仁井哉さまを想う気持ちならー、誰にも負けないでーす。未梨さまにも、誰にもー。わたしは本気で仁井哉さまが好きですよー。大好きでーす」

「本気ですか?」

「すこぶる本気でーす」

 声音と表情だけで判断すれば、これはタチの悪い冗談と結論づけたいところだが、冗談にしては真摯的過ぎるし、そもそも愛沢さんは冗談と真面目を複合させたような存在の天然なのだから、これは本気なのだろう。

 これは、告白?

 年上のお姉さんから。しかも可愛い。可憐、ビューティフォー。

 思慕な心意気をしばしば感じていたが、まさか未梨家の使用人をメロメロにさせていたとは、俺も隅に置けない男だ。いやいや、一旦現状況を整頓するべきである。愛沢さんはなんと言った? 俺のことが大好き。いやー、それは困った。アメーバが俺の腕を捕縛した時以上に困った。

「ダメですかー?」

 落ち着け、落ち着くんだ、クールになれ。焦燥に駆られたときの対処法については未梨家の蔵書のひとつにあったはずだ。素数を数えるのではなく、まともな手段を、記憶を呼び覚ませ。

 ……焦っているときは、呼吸回数が極端に減っている。なので、深呼吸を数回行った後、物事を整理しましょう。

 実行する。落ち着いた。

 だがどうしようもない。

「俺の……どんなところが好きなんです?」

 最悪だ。この質問は男として底辺の位置に属する女性経験無のチェリーボーイの台詞だ。真実だから是正のしようがないが、とりあえず最悪な質問を愛沢さんにしてしまった。

「優しくてー、強くてー、あと、たまーに見せてくれる笑顔がわたしは大好きでーす」

 そんな汚れのない無垢な瞳で凝視されたら、反射的に頷いてしまいそうだ。

「あ、えー、あの、ちょっと待って下さい」

 この手の対処法については俺は素人同然だ。愛沢さんを傷つけず、どう断るか――あれ、俺は断る前提で考えているのか? 愛沢さんの懇願を拒む理由は皆無。しかし受け入れる理由も、また無い。

 優柔不断と呼びたければ勝手にしろ。実際にそうなのだから。

 俺にとって愛沢さんの存在はどの程度のものか? 考えるまでもない。幼馴染みの家に寄生する居候並の童顔使用人だ。一日をゲーム費やしているわりに上達速度はめっぽう遅い。最近になってバイトをし始めたという。そもそも使用人の役職でバイトというだけで言語道断だが、さらに勤務先が妹喫茶といかがわしい風俗店の延長線上にある店なのだ。

 いや、今のは単に愛沢さんのプロフィールであり、決して俺が愛沢さんに対して持っている認識でない。

 化粧気のない白皙の顔は少しだけしょんぼりうつむきがちである。美人というより可愛いに分類される愛沢さんだは、どのような感情を表情かおに湛えようが、断トツに可愛いのは揺るぎない事実だ。

 可愛い、は理由?

「仁井哉さまー……」

 ぎゅっと、俺の手を握る力が強まった。

 目尻に涙を浮かべてきた愛沢さんは、心の均衡を保つのでさえもう限界に近い。しかし俺は不謹慎ながらもその表情を可愛いと思ってしまった。

 最低だ、品性が卑しいなんてもんじゃない。一酸化炭素大量摂取して、今すぐ死にてえ。

「ぐす、わあしなら、ぐす、へいき、ぐす、えぇす」

 愛沢さんは断続的に鼻啜りながら、呂律の回っていない言葉で必死に想いを伝えてくれた。笑顔を舌っ足らずが特徴であり、チャームポイントとセールスポイントでもある愛沢さんが、その枠を踏み出してまで想いを伝えてくれた。

 いい加減、目が覚めてきた。

 俺はそれをどう受け取った? 愛沢さんを傷つけないよう着飾った台詞を必死に思案をしていた。

 違う。愛沢さんを傷つけない台詞ではなく、俺が傷つかない台詞を考えていたんだ。

 身の上を案じていた。自己保身。俺は「自分」という枠内で物事を収めようとしていた。

 バカか、俺は。

 交際経験があったら、恋愛に関して知識があったら。そんなもん関係ない。

 愛沢さんは俺を「男性」として懸想を掛けている。俺は愛沢さんを「愛沢さん」としてしか見ていなかった。

「俺は……」

 俺は今日この時だけ意識的に描いた境界線を踏み出し、愛沢さんを「愛沢さん」とではなく、愛沢恋という「女性」として想いを伝えたい。



「……好きですよ、俺も。女性として愛沢さんのことが」

 もう今回の話こそデウスエクスマキーナと呼ぶにふさわしい。作者の私でさえ展開が読めない。そもそも先週までは葉月を出そうと思っていた。ここで断っておくが愛沢恋はヒロインではない。だが、私はとても気に入っているので、ヒロイン並の優遇をしてしまう。加筆修正に一週間の時間は尽くしている。そして投稿した後にも加筆修正をするだろう。ひとつ納得いかない箇所があるが、今日はうまい訂正案が思い浮かばない。思い付いたら修正するとしよう。

 私には文才がない。寝違えて首が回らない。首の痛みが頭に遷移し、熱が39度になった。熱は回復したが首の痛みが悪化した。うがいすらできない。Ipodを落とした。拾い主がいたら返してほしい。大変なものを盗んできましたがエンドレスリピートになっていると思うと多少心配だ。首以外のことも回らない。

 次話は本編ではなく番外編だ。いわゆる愛沢恋の過去物語。こっちのほうはルーズリーフを両面8枚埋め尽くしたプロットがあるので心配はない。プロットいうより既に完成した物語である。しかし早速プロットから逸脱しだしている。もともとアリアの初期設定はエリスだった。やはり心配だ。

 鬱だ。

 NHKにようこそを読んでからどうも鬱気味だ。しかしそこには私が目指す小説スタイルに近いものが感じられ、非常に参考になった。だが、将来の自分がそこにいるようで鬱だ。とりあえず首が回るようになってほしい。

 今回のあとがきは総合で一番長い。

 ちなみにサブタイトルの意味は「なるようになれ」。

 まさに私の人生。


 では、また近いうちにお会いしましょう。

 次話は元のキャラに戻っていると思われる。

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