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(9)夜 レミュートの鍛錬
 乱れた吐息が静寂な夜の街に響く。張り詰めた緊張感がとぎれると、手足はまるで糸の切れた傀儡くぐつ人形のようにその場に崩れ落ちた。
 どくどくと身体を巡る血流の激しさは心臓を打つ早鐘となって身体を厳しく律するようだ。もっと空気をよこせという身体に対して与えてやれる空気は自分の肺の容量を超えることは出来ない。まるでからだがいうことを聞かなくなってしまったように思えて何とも言い難い悔しさを感じる。

「まあまあ形にはなってきたな。」

 建物の壁に背を預けて煙草を吹かすベルディナがそんな彼女のさっきまでの剣合をみてそうつぶやいた。

「剣筋も随分と鋭くなってきた。身のこなしがようやく板についてきたといったところか。」

 先ほどまでレミュートと剣を合わせていた剣士、ミリオンは特に息を乱すこともなく練習用の木剣を肩に背負いながら額に僅かながら浮かぶ汗を手でぬぐい去った。
 少しばかり息も荒くしているが、彼の目の前で膝をつくレミュートに比べると準備体操を終えた程度のものだ。

「だけど・・・全然・・・ミリオンには・・・とどか・・なかった・・。」

 レミュートは息も絶え絶えに言葉を吐き出すと、剣を手放しその場に仰向けにひっくり返った。

「まだまだ身のこなしに無駄が多い。剣と魔術を併用するならなるべく体力の浪費は押さえることが大前提となる。」
「だがまあ、剣に集中しながら魔術が使えるようになったことはでかい進歩だな。1年半でここまで出来るようになるとは正直驚きだ。」

 そういうとベルディナは煙草の火を消すと壁から背を離すとレミュートの元に歩み寄った。ミリオンは、それを見ると剣をしまい苦笑を浮かべる。どうやら、ベルディナは彼女を休ませる気はないらしい。今度はミリオンが壁にもたれかかる番になったようだ。

「立たなくてもいい、とりあえず身体を起こせレミー。鍛錬はまだ終わっちゃいねぇ。」

「はぁはぁ・・。ふぅぅぅぅ・・・。分かった。」

 レミーはいうことを聞かない両の腕を何とか奮い立たせて半身を起こした。

 ベルディナはそんな彼女の視線に合うようにあぐらをかいて座り込むと手を胸の高さほどに掲げ、その指先に淡い光の球を一つ生み出した。
 何のことはない、魔術師が最初期に習得する最も簡単な魔術だ。
 レミュートも彼が何も言わない間に、彼と同じように手を掲げ指先に青い光を生み出した。息も絶え絶えだが、彼女の指先にともる光は実に安定している。ベルディナはそれを見て気分を良くすると早速鍛錬にはいることとした。

 ベルディナやミリオンが良く口にするように、レミュートには剣術よりも魔術の方に強い適性がある。それもベルディナの見立てでは相当強い適性が、魔法ギルドに入信など使用ものなら数十年に一度の逸材だと重宝されるほどのものだというらしい。しかし、その話を聞いてもレミュートが剣術に対する思い入れを変えることは出来なかったようだ。
 そんな彼女が魔術を習い始めたことには理由がある、それはベルディナのこんな言葉、それは半ば挑発のようなものだったがその言葉はレミュートの心の深くをついた。

『お前が剣術だけでミリオンに勝つことはおそらく一生かかっても不可能だろう、かといって魔術だけでは俺に勝つことは何百回生まれ変わったとしても絶対に不可能だ。ならばどうするべきか考えてみな。』

 その言葉にレミュートは怒った。それこそ暫くベルディナと口をきかなくなるほど彼女は憤慨した。自分でも分かっていることをわざわざ口にされるということは誰にとっても面白いことではない。
 だから、レミュートは考えた。ベルディナの思惑通りにことが進むことは実にしゃくだったが、それでもいずれはベルディナを見返してやるつもりで真剣に考えた。それこそ水と間違えて調理酢を飲んで気がつかないほど真剣に考えた。そしえ、考えれば考えるほどベルディナが口にしたことは実に正鵠を射ていることに気づかされるばかりで落ち込んだ。
 それでも、将来あの二人と肩を並べるためにはどうするべきなのか、そして至ったのは単純明快な答えだった。片方を用いても二人に勝てないのなら、その両方を用いれば何とかなるのではないか。
 そして、彼女が選んだ道はミリオンとベルディナの両方に協力を求めた。
 それが、彼女が剣術の鍛錬でへとへとになりながらベルディナから魔術の指南を受ける理由である。

「少し光量が強すぎる。もう少し供給を少なくしてみろ。あと、色を青から緑に。」

 レミュートはベルディナと自分の指先にともる光の粒を見比べた。いつの間にか一本から三本に増えている指先には赤、青、黄の光がともされている。確かに自分の指先の光は彼の光比べると少し明るすぎるように見える。そして、ベルディナは中指の青の光を光量を変えず緑に変化させる。
 レミュートは集中し、とりあえず全体の光量を抑える方向に魔力を調整する。
 光の光量はそれに供給する魔力に比例する。また、その色彩は属性に比例し、炎のイメージを送り込むと光は赤に、水は青、大地は黄色、緑は風に相当する。そして、その光の粒子の大きさは供給された魔力の密度に比例するとされている。
 実際、ベルディナはレミュートに対しては一般的に行われている鍛錬とは全く異なる鍛錬を施しているのだ。通常であれば、魔術はより多くの呪文を覚え、より多くの魔術を使用できるように教えられる。それは、多彩な呪文や魔術を習得することで更に複雑で強力な魔術を習得する土台とするためだ。たしかに、一般的な魔術師であればそれがもっとも適切な修練であることはベルディナも認めている。
 しかし、レミュートに関してはそれも当てはまらない。

「色彩が淡いな。もう少し緑のイメージを強く。他と混ざらないようにな。」

 レミュートはそれに答える余裕はない。今、こうして現状を維持することが精一杯で口を動かすほどの余力が残されていない。
 ベルディナほどの魔術師であれば、色彩をワンアクションで変化させることが出来るだろうが、レミュートは色彩を変化させるためには一度それを透明な光に戻すというワンクッション置かなければ変化させることは難しい。

 ミリオンはあくびをついた。修行をしている人間を見てあくびをすることは礼儀に反しているだろうが、彼らの修行は見ていて非常に地味で退屈なのだ。しかも、具体的に何か効力のある呪文を使用しているわけではないため彼にはレミュートがどの程度魔術を使えているかを測ることは出来ない。

「よし。もう一本増やすぞ。小指に光量そのまま色彩は青。」

 それまで人差し指、中指、薬指だったものにそれまで折り曲げていた小指を伸ばすとその指先に青の光を生み出した。
 これで合計4本。
 ベルディナは全く涼しい顔をしてその四本の指をヒラヒラと動かしてみせるが、分かるものが見れば驚愕するかも知れない。
 何せ、これを一般的な魔術に例えて解釈すると、一度に四つの呪文を同時に、さらにそれぞれ属性の異なる魔術を長時間持続して(もっとも消費する魔力は微々たるものだが)行使していることと同じことなのだ。それも、殆ど意識する必要もないほどに自然に。

 レミュートは、小指を立てその指先に集中するイメージは青、光が指先に明滅する印象をイメージしてひたすら意識する。しかし、小指に意識しすぎずその半分は残りの三本に置いておく。光量を変えず色彩を揺らさず、常に一定に保ち新たな光を意識する。
 小指の先にようやく灯りはじめた青の光はその光量が安定するより前に他の光と共に霧散し始めた。
 レミュートは、しまったと心の中で舌打ちし霧散し始めたイメージをかき集め何とか安定させようとするが消えていくそれをせき止めることは出来ず、ついに指先から全ての光が消えてしまった。

「あーーーー。」

 レミュートはそう叫ぶと両手で顔を覆いうつむいた。

「今のは惜しかったな。もう一度出来るか?」

 それに対してベルディナは、指先に四つの色の異なる光をともしながら煙草を取り出すと火をつけた。

「ごめんなさい。少し休ませて。すこし、集中が切れちゃって。」

 先ほど迄の修練は剣術と違い体力を消耗するものではない。実際、剣の鍛錬で疲れ切った身体にとってはほどよい急速になっただろうが、魔術の修練はとにかく精神を消耗する。しかも異なる属性の呪文を三つも同時に行使しているのだからその集中力は並大抵のものではないだろう。

 ベルディナはそれを許すと、さっきまで指先にともしていた光を宙に投げると、頭上より拳一つ分ほど高い位置にそれらを偏角の異なる円運動をさせた。それはまるでベルディナの頭上に色とりどりのイリュージョンが球を描いて一つとなっているようで、正直シュールな光景だった。
 ミリオンは修練が一区切りしたことを見計らって二人に飲み物を渡した。
 ベルディナの魔術で適度に冷やされたそれはすっきりとしたハーブの香りを漂わせ、疲労した身体にはごちそうとなった。レミュートはそれを一気に飲み干すと、ようやく一息つくことが出来た。剣術の稽古から魔術の修練まで二刻ほど集中しっぱなしだった彼女は思いの外疲労していた様子で、そのまぶたは今にも張り付きそうな程接近していた。

「だいぶお疲れのようだな。」

 そんな彼女の様子にミリオンは感心すると自分も彼らの側に腰を下ろした。

「まあ、仕方ねぇだろうよ。普通ならとっくに意識を失っててもおかしくねぇな。」

 ベルディナは、頭上の光の粒を適当に増やしたり軌道を変えたり色を様々に変化させたりしながら嬉しそうに笑った。

「頭痛はしねぇな?」
「うん。大丈夫。今日は平気みたい。」

 それでもこめかみを押さえている辺り全く大丈夫というわけではなさそうだが、それでも大したものではないのだろう。初めてこの鍛錬を始めた時には酷い頭痛が朝まで続いたというのだからこれは大きな進歩だと言える。

「それで、どうなのだ。レミーの修練の度合いは。」

 ミリオンからしてみればこのような地味なやり方ではたして効果が出るのかどうか疑問だったが、ベルディナの表情を見れば悪くないものなのだろうと予想が出来る。

「上々といったところだな。この分なら次の段階に進んでもいいぐらいだろう。」

 普段は殆ど人をほめることのない彼の口からそのような言葉が出されたということは、レミュートの練度は相当高まってきているという現れなのだろうとミリオンは予想した。

「しかし、この修練で何が得られるというのだ。私にはそれが理解できん。」

 ベルディナは「まあ、仕方ねぇよな。」と言って苦笑を浮かべると、頭上の光の群れを集め一つの白く輝く光に変え、手のひらにのせると、それを握りつぶすように徐々に魔力を霧散させた。

「今やっていることは、魔力の運用についての修練だ。」
「フム。」

 レミュートはそんな二人の会話を黙って聞くことにした。さっきまでこめかみを襲っていた軽い痛みはハーブの香りに相まって徐々に治まっていっている。

「そもそも、魔力の運用方法はどんな低位の魔術でもあらゆる高位の魔術でも重要なことだ。特に複雑な魔術になればなるほどそれを完璧に扱えなければ話にならない。これは分かるな?」

 ベルディナの言葉をミリオンは自分なりの解釈で租借し暫く口をつぐんだ。

「つまり。光の強さと色を思いのままに制御することで魔力運用を完璧なものとする。ということか。」

「ご名答、さすがミリオン。自身のイメージを確実かつ完璧に魔力放出として出力できるようになれば、あらゆる魔術の修練の六割が終わったも同然だ。俺にしてみればもっとも単純な魔術でそれが習得出来るなら、変な癖がつく前でやっておかないでどうするってところだな。」
「つまり、君にとってはもっとも効率の良い初期段階の修練というわけか。」
「そういうこった。まあ、一般には認められてねぇ方法ではあるんだがな。」
「ご高名なベルディナ大導師のおっしゃる言葉だ。疑ってはいない。」
「嫌みか?それは。」
「分かるか?」

 二人は口元に邪悪な薄笑いを浮かべながら相手を牽制し合うが、レミュートの目には仲の良い二人が言葉巧みにじゃれ合っているようにしか見えず、思わず声を上げて笑ってしまった。
 ミリオンとベルディナはそんなレミュートの様子に少しばかりあっけにとられていたが、いつの間にかそれにつられて笑い出していた。

 漆黒に染まる大地の下で、黄昏の支配に置かれた世界にあっても彼らの笑い声は暗黒の空を明るく染めるように思えた。



―そうして、彼らが穏やかでいられる最後の夜は静かに幕を引いた―

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