ダンジョンの潜り人
ダンジョンの潜り人の朝は早い。
朝日を浴びながら、男は軋む体を伸ばした。
手際良くスープを作り、黒パンと共に胃の中に収める。
壁に掛けられた暦を確認して、今日の装備を整える。
ガタゴトと荷車を引き、ダンジョンに潜る。
男がダンジョンから出てきたのは翌日の夕方だった。
行きよりもかなり重くなった荷車を引いて現れた男は、荷車をそのままダンジョンギルドの倉庫に入れる。
ギルドの受付で、男は報酬を受け取ると酒場へと向かった。
男は酒場で二日ぶりのエールを喉に流し込む。
馴染みの給仕の女が男に声をかけた。
「あら、今日はダンジョン上がりなの?どうだった?」
「ん、まあ、ぼちぼちだ」
愛想のない男の返事に、給仕は苦笑しながらもサービスの一皿を男の前に置く。
「これ、新作なのよ。ちょっと食べてみてよ」
白いドロリとしたものがかかった野菜。
口に入れると、やや酸っぱいがコクのある味が広がった。
「ん、悪くないな」
「なんだっけ、ま、まいよねーず?とか言うらしいのよ。昨日、あんたのいない時にきた少年が教えてくれてね」
そこで給仕は一度、言葉を切った。
「でね、どうやら田舎から来たみたいでね。ダンジョンに潜りたいんだって」
ダンジョンの潜り人は過酷な仕事だ。
命の危険はゼロではないし、体力も必要だがそれ以上に判断力が問われる。
ダンジョン。
それは魔物が生まれる場所。
都の研究者によると、ダンジョンは生き物だと言う。
その体内で魔物を生み、ダンジョンで死んだものはダンジョンに吸収しエネルギーにされる。
エサ、つまり人間を誘い込むために宝箱が出現する。その中身は、かつてダンジョンで命を落とした者の装備が一度ダンジョンに吸収されてダンジョンの魔力を帯びたものだという。
全てのダンジョンは国の厳重な管理下に置かれている。
国から資格を受け取った者だけがダンジョンに潜ることができる。
しかし、多少の例外はある。
ダンジョンの潜り人は弟子を取ることを推奨されている。次の世代へとその類い稀な技術を継承するために。男もかつては有名な潜り人の弟子だった。弟子は、ダンジョンの潜り人が認めた場合に限って潜り人と共にダンジョンに入ることを許される。
「ん、どっちだ?」
男の主語のない質問に、給仕は眉を寄せて答えた。
「ダメ。でも聞く耳もたないから……」
濁された語尾に給仕の女の苦労が偲ばれる。
「じゃあ一週間だな。次に深層まで潜るのは二日後だ。明日、昼にでもそいつを俺の家に寄越しな」
それだけ言うと男は代金を支払い店を出た。
翌日の昼前、男の元に一人の少年が訪れた。
給仕の女が言っていた通り、ダンジョンに潜りたいと言う。
「お前は、ダンジョンの潜り人になりたいのか?」
男の質問に、少年はしかし首を横に振った。
「俺は、強くなりたいんです」
「ダンジョンに潜っても強くはなれない。ダンジョンに必要なのは強さではない」
男はこの少年は駄目だろうなと思いながらも、念のために説得を試みる。しかし、少年は引かない。
平行線のまま、ついに男は諦めた。
「いいだろう。明日から一週間、ダンジョンに潜る。ついて来い」
パアッとと少年が顔を輝かせる。
「が、条件がある」
男は真剣な顔で少年を見据えた。
「ダンジョンでの身勝手な行動は、命の危険を伴う。ギルドで一週間限定の隷属魔法を受けるのならば、連れて行こう」
「れ、隷属魔法……?」
「ああ、ダンジョンに潜る前にかけて、ダンジョンを出ることが解放条件になる。隷属条件は、ダンジョン内での俺の命令の遵守」
少年は迷っているようだ。
さすがに隷属魔法をかけられるとは思ってもいなかったのだろう。
「ダンジョンの潜り人以外はダンジョンに潜ることを認められていない。ダンジョンの潜り人の弟子は、毎回潜る前に隷属魔法を受ける必要がある。俺も潜り人になる前は師匠について行く度に隷属魔法を受けた。お前がどうしてもダンジョンに潜りたいのならこれが条件になる。これはどの潜り人に聞いても同じだろう」
「……ギルドに確認してきてもいいですか?」
「構わない」
結局、少年は隷属魔法を受け入れた。何度も執拗に解放条件を確認していたが。
翌朝、男は少年を連れてダンジョンに潜った。
少年の分の食料を載せていつもより重い荷車を引きながら。
ダンジョンの内部は不思議な明るさを保っている。夕暮れ前ぐらいの明るさだろうか。
ゴツゴツとした洞窟を男は無言で荷車を引いて進む。
迷うことなくいくつも分岐するダンジョンを進んでいく。
「あの……」
沈黙に耐え切れず、少年が男に声をかけた。
「なんだ?」
「道がわかるんですか?」
「ああ、今回は最下層まで一気に行く。凡そ二日だ。最短距離で行く。
最下層で二日、帰りが三日だ」
どれだけの距離、どれだけの時間歩いただろうか。変わり映えしないダンジョンの景色。ただ黙々と男と歩く。男は一度も迷う素振りを見せなかった。
ふいに男は立ち止まった。
「休憩だ」
渡された乾パンをかじり水を飲む。
二度ほど休憩を繰り返し歩き続けた後に、男はここで仮眠を取ると言った。
渡された毛布に包まり、少年は男に質問しようとした。
しかし、男は少年の質問を制する。
「命令だ。質問はダンジョンを出てからにしろ」
隷属魔法により、少年の行動は縛られた。
男に何か聞こうとしても声が出ない。
「もう寝ろ」
不満だらけの顔で男を見たが、男は既に仮眠に入っていた。
男に揺さぶられて少年は目覚めた。初めてのダンジョンということで、少年はなかなか寝付けなかったために頭がはっきりとしない。
乾パンを食べ水を飲むと、また男は少年を連れてダンジョンを進み出した。
歩く。
休憩を取る。
そしてまた歩く。
何度か繰り返した後にまた仮眠を取る。
仮眠を取った後にしばらく歩いた後に男は立ち止まり言った。
「ここが最下層だ」
少し開けた場所に着いた。
その場所の奥に、宝箱がポツンと一つ置いてあった。
「あ、あれ!」
少年がうわずった声で言うと、男は黙って頷いた。
男は宝箱を荷車に載せ、代わりに荷車に載せてあった箱の中から幾つかの武具と防具をその場に置く。
そうしてまた歩き出した。
宝箱を見つける。
荷車に載せる。
武具と防具を置く。
歩く。
時に休憩する。
時に仮眠を取る。
何度も同じ行動を繰り返し、荷車に積んであった箱が空になり宝箱がいっぱいに積載された頃、男は言った。
「帰還する」
最下層に向かった時と同じく、歩く、休憩、歩く、休憩。そして仮眠を取る。
何度か繰り返した後、男と少年はダンジョンを出た。
ギルドの倉庫に荷車を預け、受付で報酬を受け取る。
そして少年の隷属魔法を解いた。
隷属魔法が解けた途端に、少年は矢継ぎ早に質問をした。
何故、ダンジョンで一度もモンスターが出なかったのか。
宝箱ごと回収したのは何故か。
代わりの様に置いてきた武具と防具は何なのか。
男は黙ったまま少年の質問を聞き終え、少年を見据えた。
「酒場で話そうか」
いつもの酒場へ行き、エールを飲む。
二杯目のエールを注文してから、やっと男は話し出した。
「ダンジョンは生き物だ。生き物を食べて、モンスターを生む。これは知ってるな?」
少年は頷いた。
「ダンジョンはエサを呼び込むために宝箱を生む。その中身はエサ、人間が身につけていてダンジョンがエネルギーにできない武器や防具だ。ダンジョンが一度取り込んだことで、ダンジョンの力が多少なりともついた武器や防具は人間には価値がある。だから人間はダンジョンへ宝箱を求めて入る。ここまではいいか?」
再び少年は頷いた。
「ダンジョンで生き物が死ぬとモンスターが生まれる。だからダンジョンで死ぬことは何よりも許されない。殺すことも許されない。
宝箱は、よりエサを呼び込むためにダンジョンが作ったものだ。材料はダンジョンのエネルギーにならない武具と防具。だから宝箱を一つ回収する毎に複数の武具と防具を置く。宝箱も当然、ダンジョンの力を持つ金属だ。だから回収する」
そこまで一息に話してから、男は二杯目のエールで口を湿らせた。
「お前もダンジョンで小便や糞がすぐに消えるのを見ただろう?あれがダンジョンのエサだ。
ダンジョンの潜り人は、ダンジョンにエサをやり、ダンジョンの糞である宝箱を回収する。これが仕事だ」
少年は男の話を聞いて、呆然としていた。
「ダンジョンの道を網羅して定期巡回する。ダンジョンは明るさが変わらないから、体内時計が不確かな奴は向いていない。眠れないなんて奴はもっての他だ。
お前は初日から眠れた様だし筋は悪くない。ダンジョンの潜り人になりたいって言うなら弟子にしてやろう」
少年はブルブルと強く首を横に振った。
「ふん、そうか。まあ他にやりたい仕事があるならそれもいいだろう。
ダンジョンの中で錯乱する奴は多い。下手したら同行者をモンスターに錯覚して殺しにかかる奴までいる。だから潜り人じゃない奴には隷属魔法が必要だ。だが、お前は初めてで一週間潜っても大丈夫だった。
もし他に仕事がなければ来い。俺がお前を一流のダンジョンの潜り人にしてやる」
そこで男はニヤリと笑った。
数年後も男は荷車を引いてダンジョンに潜る。
ダンジョンの潜り人という仕事に誇りを持って。
その後ろには、弟子がもう一台の荷車を引いて着いて行く。