致命的な日常 著者
どうしようもない事が多い。
大抵の人は、それを気付かないままに妥協して生きている。
でも、気付いてしまった以上は、それと向き合い、苦しみながら生きていく羽目になる。結果、必要以上に精神をすり減らす。
致命的だ。
俺は、その結果として精神科に通い続ける事となった。鬱病か何かの一種になってしまったらしい。
俺には自動車を運転するような気力もない。何をするにも、やる気が起きない。やったとしても、続かない。
運転中なら事故を起こしてまう。
それも致命的だ。
どうしてこんな事になったのか。
飲食店で数ヶ月働いた結果だ。
いや、それ以前からリストカットやら自殺願望やらはあったわけだが、直接の引き金になったのは、やはりその労働だろう。
誰もが思っている以上に、飲食店での厨房勤務というのは過酷なのだ。
特に、俺みたいなヤワな人間にとって。
それは致命的だ。
別に、今更そんな事はどうでもいい。些末事だ。
文章が正しく変換されなくて苛立つのと同程度に、どうでも良い。
今が問題だ。
俺はこんな状態にありながら、他人の悩みを聞いたりしている。
父親は賛同し賞賛し。
母親は反対し警告し。
板挟み。と言うわけではない。どのみち、話はいつも聞いているのだから。
だから、結局は、俺にはどうしようもない。
まさしく致命的だ。
俺はどうするべきか、なんて、一切無関係なのだ。
俺はクラゲか何かみたいに、いや、水に浮いたゴミ同然に流されるしかないのだから。
本当に致命的だ。
しかも、俺にはその現状を打開しようという気力もない。そんな気力があれば、他の事に使っている。
こうやって文章を書く事とか、下手の横好きで絵を描く事とか。
恋愛は諦めている。
19年間、彼女など出来た事はない。
恋愛には縁がないのだ。致命的に。
それも、もう今となっては単なる些末事だ。そのくらい諦観している。
さて、長々と語ったけれど、そろそろ終わりにしよう。
何が言いたいかと言うと。
これだけ致命的な人生歩みながら、意外にも人間は死なない、と言う事だ。
このしぶとさ、致命的だ。
ほら、致命的なまでに死なないのだから、どうせ死ねはしない。
なら、漂うしかない。
それとも。
貴方は、泳げますか?
致命的な毒の海を。