第二章/残酷な時間
〜残酷な時間〜
それはなによりも重い罰。
からっぽ状態だった藍も、最近ではましになってきた。
『さよなら』は口で言うほど簡単ではなかったのだ。
保志を忘れるわけではない。
待つことにさよならをしたのだ。
そうしないと前に進めない気がした。
自分の時間を生きれない気がした。
バレンタインデーという一大イベントを、嵩太と千佳子は幸せに過ごしたようだった。
季節はめぐり、春になる。
桃色の花が咲くころには、きっと今よりずっと楽に保志のことを話せるだろうと、藍は考えていた。
しかし、夜になるといつも思うのだ。
なぜ人は存在するのか。
なぜ生きていたいと思うのか。
神さまが命を授けてくれたのだという人がいる。
ならば、なんのために?
生きている意味ってなんなのだろう?
答えは見つからなかった。
そうすると、いつも夜空を窓からのぞき込んだ。
(保志もどこかでこの空をながめているんだろうか)
想いを馳せる。
宇宙を感じる。
地球で生きている。
意味なんていらないのかもしれない……。
ふと、藍は思った。
意味は自分で見つければいい。生きている価値は自分でつければいい。
ちっぽけな人間の時間を、自分でつくればいいのだ。
もし、命を神さまがつくったのならば――死を、恨みという感情を、きらいという、痛いと、苦しいというものをつくったならば……。
きっとそれは、生まれることを、愛しいと想うことを、幸せだということを理解するためだ。
痛みを知ることではじめて安らぎが得られるのだから――。
***
ふたりの姿が、なんだかなつかしかった。
手をつないで歩く姿はあたたかだった。
坊主頭と美女は藍に気がつくと、近づいてきた。
「久しぶり」
よっと嵩太が手を上げた。
「藍、どこか行くの?」
千佳子は藍に笑いかけて尋ねた。
「うん、ちょっとね」
藍は答えてから、急いでふたりを回れ右させた。
驚くふたりに、藍はにやりとして言った。
「さあ、はやく行っておいで!せっかくのデート時間がなくなるじゃない!」
嵩太と千佳子は顔をほんのり染めて、再び歩きはじめた。
見送ってから、藍は足を向けた――百乃の事故現場だったところへ。
***
ビスケットを一箱買って、電柱のそばに置いた。
春になりはしたが、まだまだ風は冷たい。
「藍……さん?」
ぼんやりとしていると、聞き覚えのある声がした。
百々の兄、利一が立っていた。
以前より髪がのび、眼鏡をかけていたので気がつくのにすこしかかった。
表情は明るかった。
「お久しぶりです……どうかなさったんですか」
顔のゆるみっぱなしの彼をおかしく思い、尋ねた。
すると彼は顔をほころばせて、
「結婚するんです」
と言った。
幸せそうだった。
傷ついても、一歩ずつ前に、幸せ進んでいく。
そんな利一に、強くあこがれた。
利一と別れたあと、雨が降ってきた。
次第に強さを増し、土砂降りになってきた。
これでは雨宿りをしても無駄だろうと思い、藍はかまわずに歩きつづけた。
途中で男子中学生が自転車で越していった。
黒い車が猛スピードですりぬけていく。
大雨に、みんなは家のなかへ、とにかく屋根のあるところへと入っていった。
とうとう、外を歩いているのは藍だけになった。
ひとりだった。
(強がってみたけれど、やっぱり無理だよ)
雨が激しく身体を打つ。
(わたしは保志がいなくちゃ生きていけないよ。そばにいてほしい・・・・・・どこにもいかないで)
雨に殴られながら、それでも藍はとぼとぼと歩いた。
(人やものを愛しいと思えるのは、それがそばに在るから。それがなくなった世界で、わたしはどこにいればいいの?)
行くあてはない。
ただ、歩くだけ。
道を見失わないように、否、見つけられないかと、さ迷うように。
(微温湯でもいい。甘やかされた世界でもいい。あの人がいれば、わたしは生きていけるの・・・・・・保志、なんでなにも言ってくれないの?)
冷たい。
身体が冷えてきた。
(なんで一言も言ってくれないの?入院するとか、手術するとか・・・・・・入院場所さえ教えてくれないなんて)
髪が顔にこびりついた。
べったりしている。
(生きているの?今、どこにいるの?わたしは、あなたが好きだよ、保志)
顔を上げた。
雨が激しくそこを打った。
痛かった。
泣いた。
雨の強さゆえではない。
心の痛さゆえに、だ。
いつか、ちゃんと待てるだろうか。
保志から逃げずに、向き直れるだろうか。
今は生きていることが億劫でも、歓びが見出せないでいても。
いつか、必ず、また心から笑えるだろうか?
泣きたくはない。
止まらなくなるから。
泣いてしまっては涙の止め方を忘れてしまったようだ。
雨と涙が混ざる。
地面に打ち付ける音で、泣き声は消された。
思う存分、大声で泣けた。
それでも、藍は足を止めなかった。
どんなに辛くても、苦しくても。
進んでいくのだ。
まるで、その先で保志が待っていてくれているかのように。
必死で歩いた。
保志の笑顔が、見えた気がした。
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