第四部/呪縛と解放を 第一章/少女の記憶
呪縛と解放を
――――――――――――
いつだってそばにいる
そう思わなければ
生きていけないから
******
〜少女の記憶〜
思い出すだけで、涙がこぼれる。
いつだったかな。
たしか、あたしがはじめて保志に出会ったとき。
はじめはすごくきらいだった男の子。
ぼんやりしていて、ちっとも男らしくなくて、だらしなくて、そんな彼がもどかしかったんだ。
すぐに泣くし。
意地っ張りだし。
だから、第一印象は最悪だった。
絶対に友達になれないタイプだった。
なのに、あの日、あたしはふいに気を許してしまった。
なにかのまちがいでもなければ、決して仲良くなることはなかったと思う。
あたしは保志がきらいだったし、彼もあたしのことが苦手だったから。
***
あの日、いつものようにブランコでゆれていた。
母親がお菓子買ってくるから、ちょっと待っててね、って言うもんだから、ひとりお気に入りのブランコで遊んでいたんだ。
友達はみんな帰った後で、砂場にはトンネルが掘られていた。
夕焼けが、とてもきれいだった。
キィ、キィとブランコがきしんだ。
まだ幼いあたしは、なんだかさみしくなった。
夕日とブランコのキィキィいう音と、『ひとり』ってことがものすごくいやで、胸がぎゅっとなった。
だれでもいいから、そばにいてほしかった。
そういうこと、あるよね?
ちょうどそう思っていたときだった。
奇声を上げて走ってくる男の子がいた。
本当、小さいころってなんでも自分中心に考えてしまうときが多いから。
なにかのヒーローになったつもりだったのかな。
男の子はダダッと走って砂場のトンネルを壊してしまった。
これでは、ヒーローというよりは、怪物役かな。
それであたしは、黙って彼を見つづけてた。
「あ」
男の子はしまった!という顔をして、動きを止めた。
そして、やっとあたしがそばにいることに気がついたみたいだった。
格好がつかないもんね。
きまり悪そうな表情で、こちらをじっと見つめていた。
それがあまりにもおかしくて、あたしはついつい吹き出してしまったんだ。
大笑いしたあと、その子とあたしは友達になってた。
話してみると、これがなかなかおもしろいやつだった。
あたしはすぐに彼が好きになった。
名前は、保志。
彼はおとなしかったり、迷惑なくらいうるさかったりした。
はじめはわけがわからなかったけれど、そのうち気がついた。
彼は人の興味をひきたいのだ。
みんなで遊びたいのだ。
ただ、すこし引っ込みじあんなところがあり、そのせいであたしとも友達になれなかった。
もちろん、あの夕日の公園での出会いからは大の仲良しになったけれども。
「ももちゃん」
ある日の夕暮れ時。
仲良くなったあの出会いのときのような夕焼け空の日。
雨がぽつぽつと降っていた。
うしろからあたしを呼ぶ声がした。
「なあに?」
「明日も遊べる?」
「いいよ」
「その次の日も?」
「いいよ」
「その次の次の日もだよ?」
「いいよ!ずうっと遊べるよ!」
思わず叫んでいた。
保志は青い顏で尋ねてきていた。
その沈痛な表情を見た瞬間、どきりといやな気分になった。
雨の音が静かに響く。
いやな予感が広がっていった。
怖い、怖い、怖い……。
その言葉が頭に渦巻き、反響した。
保志が何度も「遊べるよね」と尋ねてくるたびに、重たい石で殴られたような感覚を味わった。
進んではだめ――だれかがそう言う気がした。
この先に、まるで暗い陰が潜んでおり、あたしを喰らおうと待ち構えているような。
しかし、あたしは足を止めることなく歩きつづけた。
不安を否定したかったからかもしれない。
しばらくして、やっと保志がおとなしくなると、あたしは彼を見た。
具合が悪そうで、今にも倒れそうだ。
横断歩道が見えた。
右を見て、左を見て、右を見た。
遠くで黒いものが動いていた。
たぶん、車だ。
あたしは右手を上げてわたろうとし、横断歩道に足をかけた。
そのまえに、保志を見る。
やっぱりまだ蒼白な顔をしている。
仕様がないなぁ、とあたしは彼に手を差し出した。
ほら、手かして。
つないであげる――。
あたしは保志に笑いかけた。
保志にはいつも笑っていてほしかった。
どんな友達よりも大切な保志。
ずっと一緒だよ。
だけど。
あたしは言葉を発していなかったらしい。
ただ、最後に見た保志の表情だけがあたしのすべてになった。
目を大きく見開き、口はかすかに開け、そして赤い血が顔中にとびちってついた、あのあわれな恐怖に呑まれた表情が。
あたしは、うまく笑えたかしら。
***
死んでしまった。
それを理解するのに数年かかった。
保志はどんどん大きくなるのに、あたしは変わらなかった。
そのうち、保志の顔が曇りだした。
本当に笑うことがなくなった。
何度も叫んだのに、気がついてくれなかった。
悔しかった。
なんであたしだけがこんな目に合わなくちゃいけないの?
かわいそうだ。
まだ小さいのに。
ごめんね。
……そんな哀れみの言葉でしかあたしを思い出してくれない。
それがすごくつらかった。
保志はあたしのことを憶えていなかった。
だけど、彼の悲痛なまでものあたしに対する哀れみだけは消えることなく伝わってきた。
そしていつか、その思念が呪縛になった。
あたしはいつも保志の隣にいた。
そのうち、もし生きていたら――という思いが生まれはじめた。
そして、意のままに姿を成長させることもできるようになった。
小さい自分のカラダは辛かった。
そばにいる保志は、どんどん成長していく。
変わっていく。
なのに、あたしは変わらない・・・・・・それがもどかしかった。
だから、あたしも彼と同じようになれるんだと思うと、うれしかった。
また、保志と一緒に生きていける気がした。
だけど彼の頭にはあたしの存在などなかった。
だから、どうしても思い出してほしくて。
だけど方法がなくて。
あたしは生きたい。
保志に思い出してほしい。
あたしは笑いたい。
彼の笑顔が見たい。
あたしを哀れみで満たさないで。
保志はなんでわかってくれないの。
思い出して。
生きたい。
やめて。
あたしは――生きていることができたのに。
そのうちまっくらな心が首をもたげてきた。
それを止めることはできなかった。
いつしかあたしはまっくらな心で満たされていた。
そうすることで存在を確かなものにしていたのかもしれない。
ここに、彼のとなりにとどまる理由がほしかったのかもしれない。
どっちにしても、保志に悪影響を及ぼしていることにかわりはなかった。
保志のまっくらな後悔やあわれみの念と、あたしのまっくらな醜い心がいっしょくたになってしまったんだ。
保志は次第に塞ぎ込むようになった。
気持ちばかりがのろのろと別行動するようになってしまった。
言い訳を連ねていやなことから逃げるようになった。
彼には自分が悩んでいることさえわからないようだった。
あたしは気にならないふりをしていたけれど、そのうちはっきりと感じるようになった。
保志の心から、完全にあたしが消えようとしていた。
それまで彼はあたしのことを憶えていないながらも、雨を見るとどうしても怖がっていた。
無意識のうちにあたしを思い出していたんだ。
それで、心を痛めていた。
だけど、最近ではそれすらなくなりかけているのだ。
彼のまわりの環境が変化した。
忙しさが、心を惑わした。
時という薬が、あたしとの辛い過去を癒しはじめていた。
あたしには居場所がなくなりかけていた。
悲しくなった。
もう、彼の笑顔が見たいだなんて思わなくなった。
思い出してほしかった。
ただ、それだけ。
あたしはどうやったら彼に思い出してもらえるんだろうか、それだけをいつも考えていた。
そうしたら、そのうちにまっくらな心がもっと大きくなっていくのがわかった。
だけど、止められなかった。
かわいさあまって憎さ100倍・・・・・・。
まるでそんな感じになってしまった。
苦しくて苦しくて苦しくて・・・・・・。
涙は出なかったけれど、流れることを忘れていたけれど。
声も出なかったけれど。
ただ、悲しくて。
悲しくて悲しくて潰れそうで。
それだけで。
泣いた。
|