俺、潜行する
地下層探索二日目。
調子に乗って飲みすぎたツケの重い二日酔いに耐えながら降下した第二層は、昨日探索したフロアとほぼ同じ構造をしていた。
ほぼ、と付けたのは微妙に違いがあるためで、一定の間隔で柱が立てられている。
「これって要するに……崩れやすい層ってことなんだろ?」
俺は天井が落ちてこないかにびくつきながら進んだ。
で、このポイントに出没する魔物に関してだが。
端的に言うと最悪だった。
「つ、ついに出てきてしまったか……」
少し前を飛ぶ魔力の火が照らし出したのは、いよいよ真打のお出ましだとばかりに凶悪なオーラを放っている――ゾンビ。
二本足でぼーっと立っているだけなのに凄まじい存在感だ。
朽ちた肉体の隙間からは臓器がこぼれ落ち、あばら骨が垣間見えている。
「中々どうしてセクシーな奴じゃないか」
俺は皮肉をつぶやく。
いやもう本当に、こういうビジュアルの敵はきついっす。
「にゃにゃにゃっ!? ご主人様、すっごく臭いですにゃっ」
「俺が臭いみたいな言い方はやめろ」
「ふみゃあ、鼻が曲がりますにゃあ……」
ナツメの敏感な嗅覚だと、ゾンビから否応なしに漂ってくる腐乱臭には相当我慢しがたいものがあるらしい。
「解決策があるぞ。呼吸をしない」
「死にますにゃ!」
「ずっとじゃねぇよ。あいつを倒すまでだ」
ゾンビを倒さない限り前進はできない。
かといって後退するのも生産性がなさすぎて馬鹿らしい。
大柄な相棒ツヴァイハンダーを握り締め、俺は「なんでこんな気色悪い奴と戦わなきゃならんのだ」という嫌気を無理やりごまかしながら接近。
「だらあっ!」
一気に振り下ろす。
いつもならこの一発で弾け飛ぶか、最低でも裂傷を走らせられるのだが……。
「はぁ? おいおい、ふざけるのも大概にしてくれよな」
目に見えるダメージには至っていなかった。
それどころか手応えも薄い。出血しようにも血液がなく、傷を作ろうにも皮膚が最初から破れている。
ゾンビの背丈は俺と変わらない。つまりツヴァイハンダーの刀身とも近似しているというのに、それだけ巨大な金属塊をその身に受けても膝を折らないとは。
「雑魚のくせになんつー耐久力だよ……」
湖畔で遭遇した死に損ないのカエルを思い出す。そういえばあれも剣での攻撃には異様に耐性があった。
ゾンビってのは基本的に斬撃に対して強くできている、と考えていいな。
ただし、その分動きは非常にトロくさい。反撃に振り回した腕は、並の動体視力しかない俺でも軌道を見切れるくらい遅かった。
「だったらこっちだ!」
地面に剣先端を接触させる。
ゾンビの足元から鋭く伸びた土砂の剣山が、反応すら起こさせずに標的を貫く。
間髪入れずに二本目。
断末魔と共に飛び散った肉片はすぐに煙へと変わった。
うむ、レアメタル製の武器にはこれがあるから便利だ。物理あるいは魔法が効かないといった想定外のシチュエーションへの対応力が素晴らしい。
この追加効果があればゾンビ戦も特に手間取ることなくこなせるだろう。
問題は心的外傷になりそうなくらいグロテスクな光景を間近で見させられることだが。
「やべぇ、今日はちょっと肉は食えないかも……」
爽やかに野菜だけにしとくか。
「……ぷはっ。終わりましたかにゃ?」
ナツメは本気で息を止めていたらしい。
っと、忘れるところだった。戦果を確認しておかないと。
金貨が十四枚、それと素材アイテムと思しきボロ切れが落ちている。このボロ切れを集めてもどうせ普通の布に作り変えられるだけなんだろうな、前例からいって。
くっ、二層でもこの程度か……。
悲観するほど悪い収益ではないけども。
そんなことを考えている間に、地面からずるりと次なるゾンビが湧き出てくる。
「うわ、ゾンビってこんな感じで出現してくるのかよ」
マジでB級ホラー映画みたいだ。
「ここは……ミミ」
「はい。シュウト様のお考えはミミにも分かっております」
ミミは俺が言伝する前から魔術書のページをめくっていた。
「あちらの敵に、火を浴びせればよろしいのですね?」
「ああ。察しがよくて助かるぜ」
魔法が効果的っていうんなら、俺よりもミミのほうが適任なのは明白。
それにアンデッドは火に弱いというのが定番だしな。これでくたばらないようならそれはもうゾンビではない。ゾンビを超えたナニカだ。
すう、と小さく息を吸って精神統一するミミ。
「参ります……神事に捧げる丸焼きを炙るための火!」
例によってヘンテコな名称の魔法が唱えられると、およそ一メートルの高さはあろうかという火柱がゾンビ付近に噴き上がった。
猛々しく燃え盛る緋色の炎は一切の慈悲なくゾンビを焼き払う。
まさしく火炙りである。
腐敗した肉体は瞬く間に灰となって焼失し、後には撃破報奨だけが残される。
それにしても、この火力でないと火が通らない肉とは一体。
「ナイスだ、ミミ! ……しかし一撃か」
にこりと微笑むミミに向けて親指を立てつつも、俺は頭にとある考えを浮かべる。
これ、俺が下手に戦うよりもミミに任せたほうが効率いいんじゃ。
というわけで作戦変更。
俺はゾンビの汚らしい手から三人を守ることだけに集中して、攻撃はすべてミミにやってもらうようにした。
予想どおり討伐の回転率は飛躍的に向上した。
フロアを探索していて気づいたがゾンビには三パターン存在していた。さっきも相手したオーソドックスな人型と、それから獣型と鳥型だ。
ゾンビ犬は地面を這いつくばるだけだが、ゾンビ鳥はボロボロの翼をはためかせて遅いながらに飛行する。どちらもグズグズになった体で突進を仕掛けてくるのでダメージは元より不快感がやばい。
他に目立った特徴としては素材をよこさない代わりに、通常のゾンビよりもわずかに落とす金貨の量が多いといったところか。
そいつらが現れたそばからミミがかまどの火を浴びせかける。
たったそれだけで、対象になったゾンビはしつこくしがみついていた生を手放した。
適切に火力が調整された、ゾンビだけを喰らい尽くす炎。
一撃で倒し切る威力、発見から撃退までの瞬発力、何度も放てるだけの持久力……いずれも申し分ない。
「うーん、俺の出る幕なさすぎて笑えてくるな」
それはけれど、嬉しい悲鳴だ。
眺めていて感じたが、ミミは魔法使いとして目覚ましい成長を遂げている。
図書館でじっくりと勉強したことで魔法の基礎力が上がっているんだろう。
その結果がこのテンポのいいゾンビキラーぶり。
これだけ迅速に片付けられるとなると、一匹一匹の報奨はしょぼくても総額は結構な数字になってくれるな。
ホクトが背負っているカバンも徐々に金貨で埋まり始めている。
なんというかモグラ叩きだな。なので俺の中での作戦名を『ミミミミパニック』にしようかとも思ったが、すげー言いにくいのでやめた。
と、ここで。
「ん? あいつは」
第二層の右側の通路を歩いていたら、真紅の鎧を着た女剣士を発見。
いわんやヒメリである。
パーティーを組んでいるような気配はない。一人だけで潜っているのか。
「む、シュウトさんですか。探索スポットがかぶるとは奇遇ですね」
「そんな奇遇ってほどでもないだろ。他は湿地帯くらいしかねぇし……それより、よくソロで活動できてるな」
俺の超強力な武器ですら通じにくかったのに、真っ当に剣で斬りかかるしか攻撃手段のないヒメリはかなり苦戦しそうなものだが。
「ふふ、みくびらないでもらいたいですね。戦士たる者、日々の進歩は務めです」
めっちゃドヤられた。
ただその自信ありげな顔にも根拠はあるようで。
「私は新しい力を得たんですよ!」
ヒメリがシャキンと軽やかな音を立てて鞘から引き抜いた長剣は……無骨な鋼鉄の鈍色ではなく、美しい白銀の輝きを宿していた。
刃渡り八十センチほどある刀身は芸術品かと見紛うような気品があり、さながら鏡のように俺とヒメリの顔を映し出している。
「これ、銀で出来てるのか?」
「そうです! もっとも百パーセントの銀ではなく、銀を加えた鋼ですが」
「へえ」
「地下層対策でこの町で一番という鍛冶工の方に作ってもらいました。今朝完成したばかりでしたが……はあ、素晴らしい業物です」
ヒメリはうっとりとした表情で溜め息混じりに剣の出来栄えを称える。
「よくこれだけの銀があったな」
「ウィクライフで採れた銀鉱石を持ちこんだんですよ。あの地方の鉱山は銀の産出地として有名ですからね」
「なんだ、勉強ばっかしてたわけじゃないのか」
「当たり前です。文武両道、晴耕雨読。剣の腕を磨くことも怠ってはいません!」
ビシッと人差し指を垂直に立てるヒメリ。
俺には剣じゃないほうの腕をおろそかにしているように見えるが、それよりだ。
「なんでその剣が地下層の対策になるんだ?」
「簡単です。アンデッド系の魔物は銀を用いた武器が弱点。それだけのことですよ」
「銀が弱点?」
急に重大な情報を告げてきた。
「マジでか? 俺、普通に知らなかったんだけど」
「初日に訪ねた酒場で、地元の冒険者の方たちに地下層の魔物について情報収集しましたからね。ちょうど銀鉱石の手持ちがあって好都合でした」
「そんなことまでしてたのか。飯食ってただけだと思ってたよ」
「まあごはんもおいしくはいただいたんですが……ってそんな話はいいでしょう!」
ヒメリは食いしん坊キャラを否定するためにぶんぶんと首を振ったが、一緒に揺れているぎゅうぎゅう詰めのバックパックからパンクズがこぼれ落ちていた。
「……はあ。とにかく、この剣があればここまでは大きな危険なく探索できるんですよ。下のフロアに行くかはもう少し様子をうかがってからにしますが……」
「そうか。まあお互いゆっくりじっくりやってこうぜ」
「言われずともです。それでは、お先に」
小さく手を振ったヒメリは俺たちが通ってきた道を進んでいった。
「うーん、銀が有効だったのか」
かなりの耳寄り情報だ。しかしよく考えてみると、ヒメリの剣技があってようやく銀製の武器を活かせるんだから、素人に毛が生えた程度の俺じゃ無理だろう。
俺はレアメタル一本でいかせてもらうか。
「ご主人様。銀といえばミャーが装備していますにゃ」
ナツメが紅葉のように小さな手の中で、くるくると銀色の刃を回転させる。
そういや物色のついでで銀のナイフを買ってあったんだったか。
「そうだなぁ。モノは試しでナツメのナイフがどのくらい効くか見てみるか」
「分かりましたにゃ!」
タイミングよく、ゾンビ犬が地面からおどろおどろしく這い上がってきた。
四足歩行という違いこそあれど、ベースは人型と大差ない。刃物には雑魚敵とは思えぬほど強いが敏捷性は皆無。
機動力がないということはすなわち、ナツメにとってはやりやすい相手だ。
息をもつかせぬ速度で急接近。
スピードを緩めず、慣性を乗せて銀のナイフを魔物の喉元に突き刺す。
朽ち果てた魔物は、ゲファ、と異物を飲みこんだかのような苦しげな声を漏らした。
それもそのはずで、銀の成分と反応してか患部が焼けついていた。
おお、効いている。
とはいえ重量感のないナイフでは一撃必殺とはいかない。ナイフ、ひいてはナツメの真骨頂は手数。ゾンビ犬が反撃に出る前に、連続で刃を肉の下に潜りこませる!
六、七度目にナイフが突き刺さった時、ついに魔物は煙となって消滅した。
「ぷはっ! 近づくと息を止めてても臭いですにゃあ……」
敵を倒し終えたナツメは新鮮な空気を求めて後退する。ミミが「お疲れさまです」と一声かけるとすぐにご機嫌な笑顔を見せた。
「なるほどな、これが銀の効果か」
ナツメの技量も当然あるだろうが、魔法でなくとも割とサクッと倒せてしまった。
これは更なるシフトチェンジを敢行すべきか。
前衛ナツメ、後衛ミミ。これだな。俺が一番楽できる構えだ。
「……あー、待てよ」
ポジションを決める中で、俺は大事な人物を失念していたことに気づく。
ホクトだ。道具を運ぶだけでずっと黙っていたホクトが不意に気にかかる。
いつもなら魔物を相手取る俺を激励してくれるのだが、生憎今日の俺はほとんど戦闘に参加していない。なのでホクトは今回本当に暇だったに違いない。
視線を滑らせる。
「ホクト、一緒に金貨の回収をしようぜ。他の連中に見られるわけにはいかないから、速やかにな」
けれど聞き慣れた「了解であります!」の台詞はすぐには返ってこなかった。
ホクトは同僚二人を、どこか寂しげな瞳で見つめている。
「なあホクト、どうかしたのか?」
「……はっ! ああ、いえ、なんでもありませぬ」
「そうか? ならいいけど」
「申し訳ないであります。いやはや、常在戦場の心構えが足りていませんでした」
ささっと凛々しい顔を作って返事をしたホクトは取り繕ったつもりなんだろうが、言葉の節々にはなにか秘め事がありそうな響きが滲んでいた。