俺、参拝する
町の最北端にそびえる教会は間近で見ると迫力があった。
だがそれ以上に、すぐ隣に併設されている四角い木造建築が気になる。オマケにしてはやけに建坪がでかいがなんなんだあれは。
疑問には思うが、とりあえず教会の中へ。
扉をくぐってすぐ、途轍もなく巨大なステンドグラスが視界に飛びこんできた。大理石の床は丹念に磨き上げられていてピカピカのツヤツヤだ。
祭壇に続く道は赤い絨毯で分かりやすく示されている。
これぞ聖地って感じだな。
あと外観どおり広い。天井に至っては「嘘だろ」ってツッコミたくなる高さだ。
「よくぞいらっしゃりました。リステリア教団はあなたを歓迎いたします」
いかにもな神官風の男が俺を出迎えた。
「拝観料は無料です。あなたにも神のご加護があらんことを」
「こりゃどうも」
「ですが寄付はいつでも受け付けております。神のご加護があらんことを」
「はあ」
「神の気分も寄付次第とは有名な話でございます。神のご加護が」
俺は一銭も出さずに先へ進んだ。
「とてもとても綺麗な場所ですね。心が洗われます」
息を呑みそうになるほど壮大な純白の壁面から、精巧な彫金細工が施された燭台に至るまで、おもちゃ屋に来た子供のように無垢な瞳で見渡すミミは、ふんわりとした声で感想を漏らした。
「そんなに面白いか?」
「はい。シュウト様との旅はいつも新鮮ですけど、今日はとびきりです」
興味津々な割に目元は睡眠五秒前ってなくらいにとろんとしているが、まあ、いつものことだから今更の話だな。
一方でホクトは萎縮している。
「神の御前で恥はかけぬでありますからな。自分は心が洗われるというより、研磨されているような心地であります」
身が引き締まりますな、とシャキッとした姿勢で頷くホクト。
体が硬直してくる感覚は分からなくもない。そういう意味では普段と同じように陽気な面でにゃんにゃん言ってるナツメの精神力は大したもんだ。
「司祭様……ってのは、あのジイさんか」
俺は遠く先にある祭壇の前で祈りを捧げている老人を見て、すぐにそれがギルドのおっさんが語っていた教団幹部の一人だと理解できた。
周りにいる若手のシスターと比べてどう見ても偉そうだ。
一点の汚れもない白装束に総白髪だから、本当に真っ白である。
「……む、参拝希望者か」
なんかイメージと違う喋り方だったが、それはさておいて。
「少しだけ時間もらってもいいかな?」
「構わんが。ふむ、見たところ冒険者のようだし、大方子羊も冒険者ギルドの者に地下層の探索でもそそのかされたのだろう」
「まあ簡単に言うとそういうわけでして。その『地下層』ってやつについて具体的に教えてほしいんだ」
ところで子羊っていうのは俺のことなんだろうか。
「リステリア地下層とは四つのフロアによって構成される迷宮だ。そこには数多くの邪悪なる異形ども……アンデッドが生息している」
「ア、アンデッドね」
嫌な敵が出てきてしまったな。
俺はオバケとかゾンビとかそういうホラーテイストな奴は昔から苦手だった。いかにもな作り話と違って、いそうでいない絶妙なラインを突いてきてるからな、あいつらは。
それでも「いやいや、いるわけねーじゃん」と小学生の強がりみたいに笑い飛ばして乗り切れたが、今回は、いる。確定で。
……いや、むしろ存在が明らかになってるほうがマシか。
あの手のはいるかいないか曖昧な立ち位置にいる時が一番恐ろしく感じるし。
「当然瘴気の濃い下層に行けば行くほど強大になっていく。もっとも、最上層に現れる連中の時点で中々手強いがね」
不吉なことを言われる。
「ってことは、それなりにランクが高い冒険者向けのスポットなんだな」
「うむ。町の各所に転送用の魔法陣が設置されているから、軽い気持ちで踏み入る冒険者が後を断たない。子羊らがそうならないことを願っておこう」
ほう。油断はできなさそうだな。
とはいえ深くまで潜る価値があるかは場合による。
浅いフロアに出る雑魚で十分稼げるならそれでいいし、仮に最下層を探索するのがあまりにも難しいようなら、無理する必要はない。
事情を知るはずもない神官に、神の加護、なんてことをささやかれたが……。
最初から持ってるんだな、これが。
「地下層がどういうとこなのかはなんとなく分かったよ。でもさ、どうして教会があんなにドカッと依頼を出してるんだ?」
「教授したように、この町の地下は忌まわしき者どもで溢れている。神が苛んでしまわれないよう浄化する定めが我々にはあるのだ。我ら教団にとって、不浄の使者であるアンデッドは最大の天敵といえよう」
おお、もっともらしい理由だ。
深い低音ボイスだから説得力が半端ないな。
が、納得する俺をよそに当の司祭は難儀そうな顔をしている。
「……というのが、表向きだな」
「へっ? なんだそりゃ」
まるで別の理由があるみたいな言い方してるけど。
「詳細は裏手の施設で聞け。あちらで教わったほうが理解が早い。聖女のアリッサがいるから話にならなくはないだろう……おそらく」
おそらく、というのがどういう意味なのかは引っかかるが、それより。
「聖女……聖女か」
無駄に緊張してきた。
お目にかかりたかった聖女様とやらは、あんな怪しげな建造物の中にいたのか。
なんか意外だな。てっきり昼夜問わず祈祷に励んでいるものだとばかり。
「だからこそベッドでの姿を想像すると燃えてくるんだけどな」
そんなしょーもないことを考えながら、件の建物へ。
「うおっ!」
鉄の扉を開いた瞬間に、内部に充満していたムワッとした空気が雪崩れこんできた。
ただ単に湿度と温度が高いだけじゃない。なんていうか……物凄く……。
「ふにゃにゃにゃにゃ、クラクラしてきたにゃあ~」
ナツメは濃厚な匂いを嗅いだだけでよろめいていた。
ホクトも同様。俺とミミだけが比較的この空気に中てられないでいられている。
「ここ、酒蔵じゃん!」
ずらっと並ぶメートル級の樽の数々に、俺は思わず驚嘆してしまった。
プレートがかかっているから分かったが、これ、全部酒だ。
白ぶどうと赤ぶどうのワインが山盛りある。
まだ熟成段階なのか知らないが、室温はやや高めに管理されていた。涼やかな気候の町だったから温度差が激しい。
「なんで教会の裏に、こんな大量に溜めこんで……」
「溜めてるだけじゃないんだな~!」
奥のほうから、やたらとカラッとした声が響いた。
「おや!? 見ない顔じゃないか!」
俺たちの前に現れたのは、シスター……はシスターなんだろうが、聖者の服をめちゃくちゃ雑に着崩した女だった。
長くしなやかなプラチナの髪を、そんなの知ったこっちゃないとばかりに振り乱している。
「昼間っからカワイコちゃん三人も連れ回して、羨ましいねぇ。このこのっ」
喋ってる内容も大体見た目どおりだった。
たぶん、性格もそれ準拠。
だらしのない胸元で下品にゆっさゆっさしてる谷間といい。たくし上げたスカートの裾からのぞいている艶かしい生足といい、眼福は眼福なのだが、ロマンもクソもない。最初から八割方削れているスクラッチくじを与えられたような気分だ。こういうのは過程が一番興奮するっていうのに。
ていうか、酒臭っ。
こいつ酔ってやがるな。よく見たら右手に酒瓶持ってるし。っていうか今もグビグビとラッパ飲みしてるし。
ぶっちゃけると非の打ち所がないくらい目鼻立ちは整っているし、プロポーションも抜群なんだが、表情と体勢がぐでんぐでんだからマイナス補正がかかっている。
「横から失礼するであります。溜めこむだけでない、とは一体どういう意味なのでありましょうか?」
俺に代わってホクトが質問した。
アルコール混じりの空気に浸されているがギリギリ酔いは回ってないらしく、まだ呂律はしっかりしている。
「んふふ~、ここではねぇ、お酒を造ってるの」
「酒? でもここって教会の一部分だろ。そんなことやってて大丈夫なのか?」
「知らないの? かーっ、これだから今時の子は!」
年寄りくさい反応をされた。
何歳なんだこの人。見た感じ俺よりはひとつ上の世代っぽいけど。
「教会はワイン造りの本場だよ! どこの教会でも副産業としてワインを造ってるの! お金がタダで湧いてくるわけじゃないんだからさ~、アタシたちも生きてくために真面目にお仕事してるってこと」
「へえ、そうなのか」
「常識、常識! あっ、そうだ、よかったら見学してく? もっと奥まで行けばバッチリ製造現場が見られるよ!」
「おおっ、それは面白そうですにゃあ。みゅふん」
不規則に足踏みするナツメはマタタビを与えられたみたいにふにゃっていた。
そういやワインって案外宗教的な意味もあったんだったか。
ただ真面目に働いてるようには見えないが、その前に。
「もしかして……あんたがアリッサなのか?」
「そだよ」
「教会の聖女様だっていう」
「いかにもね!」
「すみません、人違いでした。それでは」
「待った待った~! せっかくだからちょっとお話していこうじゃないの!」
強引に呼び止められる。
にしても、こいつのどのへんが聖職者なのか。酔っ払ってうひゃうひゃ騒いでるのを見てると人生の落伍者って感じなんだが。
俺が思い描いていた清らかな想像図はガラガラと音を立てて崩れ去っていた。
後に残ったのは燃えカスじみた廃墟である。
「まあまあまあ、まずは景気づけに一杯……」
「いらねぇよ。ってか、それ飲みかけじゃん!」
口をつけた瓶を平気で飲まそうとしてくるから恐れ入る。
中学生ならそれで落ちるかもしれないが、生憎俺はれっきとした成人男性。その程度ではなび……なび……いや逆にアリだな。
「でもやっぱいらないわ。ワインなら飽きるほど飲んできてるし」
今朝もパンと一緒に食卓を飾っていた。お馴染みの構図だ。
しかしながらアリッサは意味深な表情で指を振り。
「ちっちっ、甘いね、お兄さん。この瓶に入ってるのはブランデーだよ」
そんな誘惑をしかけてきた。