俺、判定する
全員で急ぎ秘密の小部屋へ。
白樺の木々の間をぬって辿り着いたそこは、石版が露出してはいなかった。
どうやらパウロもまた、暗号を無視して直に魔法を唱えて移動したらしい。
「こんな代物が森の中にあったとはね」
ホクトが掘り起こした石版を興味に満ちた目で眺めながらフラーゼンは呟く。
「僕も知らなかった。そしてこれは先住民の言語じゃないか」
「分かるのか?」
「昔研究したことがあったからね。ほら、あの日の夜に学説の話をしたじゃないか」
そういえばそうだったな。
しかしそうなると、ますますネコスケが難なく読めてしまえることが不思議になる。フラーゼンレベルの頭脳の持ち主が勉強してようやく読み解けるものを、なんでこいつは最初から理解できたんだろうか。
……まあそんなことは、今はどうでもいいか。
パウロの身柄確保が先決だ。
「ネコスケ、俺とお前で行くぞ。このクソ狭い部屋に大所帯で乗りこんでも動きにくいだけだからな」
「にゃっ? だ、大丈夫ですかにゃ。相手はきっと魔法を使ってきますにゃ!」
「分かってるっての。そのへんは逆に『狭いから』いいんだよ」
っと、その前に。
「ホクト、武器を変えてくれるか? ツヴァイハンダーじゃロクに振り回せそうにない」
「了解であります! ……主殿、必ずやご無事で」
抜き身のままのカットラスを受け取った俺は、ネコスケの肩を左腕で抱き寄る。
「準備万端だ。地下まで送ってくれ、ネコスケ」
年に一度クラスの真剣な顔つきを作ってそう告げたものの、どういうわけかネコスケは俺の腕の中でモジモジしている。
「心配すんなって。前に出るのは俺だ。俺の防具はそんじょそこらの魔法じゃびくともしねぇからな」
「にゃにゃ、そうじゃないですにゃ。あの、シュウトさんっ」
「なんだ?」
「前も肩をギュッとされた時がありましたけど……ミャーも乙女ですにゃ。ええと、その、ちょっとドキドキしてしまいますにゃ」
「うっ。わ、悪い」
「にゃ、別に嫌ってわけじゃないですにゃ! ただその、慣れてなくて……」
そんなふうなことをネコスケは頬を赤らめながら言うもんだから、こっちまで意識してしまうじゃないか。
よく考えたらジイさんに使用人として雇われていた時期で既に四年も前なんだから、外見ほどは幼くないんだよな。
うむむ、女の扱いってやつは難しい。
とはいえ密着していないと俺ごとテレポートできないので、この腕を離すわけにはいかない。
二重の緊張感がある中、ネコスケはすうと息を吸って石版の文字を読み上げる。
「テレポート! 小部屋へ!」
見えている映像が切り替わる。
幻想的な景色が広がる森から、ほの暗い地下室の殺風景へと。
そこには――。
「リキッド・ブレット!」
様子をうかがう猶予すらない。
半病人みたいな面をして部屋の片隅に座りこんでいた男は、俺たちの襲来を知るなり取りつく島もなく魔法らしき単語を唱えた。
どこからか浮かび上がった水の塊がラグビーボール大の砲弾となってこちらへと飛来する。
俺に人並み以上の動体視力もなければ、見てからかわせるような運動神経もない。
だが!
先読みできていたなら話は別だ。
「させるかっての!」
ネコスケを背中でかばい、ほぼ同時にカットラスから放った水の刃で応戦。
水で成形された兵器同士が激しくぶつかり合い……鎬を削った末、互いに消失した。
偶然に起こった現象なんかじゃない。
オークメイジ相手に何回この相殺を試したと思ってんだ。
よし! 上手くいったか。
俺は内心、拳を握り締めていた。
この窮屈な空間で、下手すれば自分も巻きこみかねない大がかりな魔法なんて使えるはずがない。
更に言及するなら突然現れた敵に対してそんな派手な魔法を唱えている暇があるとも思えない。
使ってくるとしたら予備動作の短く、かつ小規模なものに限られるだろう。
その読みは、どうやら当たってくれたようだな。
おかげで威力の乏しい魔法モドキでも打ち消すことができた。
そして。
「おっと、下手な真似はするなよ……パウロ」
俺はカットラスの切っ先を策謀家の目と鼻の先に突きつけた。
魔法は切れ目なく連発はできない。逃げ場のない、否応なく肉弾戦を強いられるこの場所では、剣のほうが圧倒的に有利。
二の太刀なんてものは必要なかった。
最初で勝敗は決したんだから。
「追い詰めたぜ、やっとな」
勝負は一瞬だというのに、ここに至るまではどこまでもどこまでも長かった。
「あなたは……図書館でお見かけした冒険者の方ですか。そうか、あなたなら私の居所が予測できてもおかしくはありませんね」
ネコスケに命じて両手をロープで縛らせている間、パウロは空虚な目をしていた。抱いていた理想を諦めてしまったかのように。
「誰にも知られず逃げこめそうな場所っていったら、この部屋になるからな。……町に薔薇を仕掛けたのはお前か?」
「ええ」
「選挙を台無しにするためにか」
「そのとおりです。司書選の結果を恐れたあまり罪を犯してしまったことを認めましょう」
観念したのか尋問には素直に答えるパウロ。
「それだけじゃねぇだろ。確認させてもらうぜ、ビザールのジイさんが弱った真相をな」
「そこまで辿り着いていましたか。ふふふ、恐れ入りますよ、本当に」
シラを切られるかと思っていた呪いについてさえだ。
「なによりも司書に憧れていた。それが私という人間なんです」
いつごろからビザールを疎ましく感じるようになったか、いかにして死の呪縛を完成させ、それを密かにかけたか……。
なにもかもを包み隠さずに語った。
「誰にも知られることのない毒針だと信じていた……ですがそれすら、発掘されてしまったのですね。はっ、はは」
パウロは自暴自棄になっていた。出会った時に感じた聡明さは欠片もない。すべてを失った男は、これほどまでに哀れなものなのか。
だが同情なんてものは一切沸いてこない。
こいつは狂っている。利己主義がいきすぎて、あらゆるものを見落としてしまっている。
「う、うう……おミャーみたいな奴は大っ嫌いだにゃ!」
ネコスケは涙目になりながらも、強い怒りを露にしていた。
けれど決して手出しはしない。ジイさんの呪いを解けるのはこいつしかいないのだから、あまり手荒にはできない。それを分かっているからこそパウロにも私刑に怯えて表情を引きつらせたりはしていないのだろう。
「連れてくぞ。こいつを絞るのは自警団と、それからジイさんの役目だ。俺たちじゃない」
パウロを連れて地上へ。
「シュウト様!」
ミミは浮上してきた俺の無事を確認するなり、ぱあっと嬉しそうな笑顔を見せた。
一方でホクトは毅然とした表情を維持し、パウロが妙な真似を起こさないようにとその身をがっしり抑えている。
「フラーゼン……!?」
パウロは思わぬ知己の顔に驚いていた。
「君が知恵を貸していたのか。そうか、そういうことだったのか」
「パウロ、かつての学友として言わせてくれ。僕は君を軽蔑する。その非道と傲慢と、なによりも浅慮にだ。君は自分が見ている世界でしか生きていない」
「……勝ち誇ったような顔で、僕を愚弄するな、フラーゼン!」
突然激昂し始めるパウロ。
な、なんだ一体。
「僕はビザール様に負け、シルフィアに負け、そしてたった今流れ者の冒険者にすら負けた。だが貴様には負けていない!」
パウロはフラーゼンにだけ異様に目の色を変えている。
様子を見た感じ、パウロがフラーゼンに対して劣等感を抱いているのは明らかだった。学校の成績で上回られていたことを根にでも持っていたんだろうか。
学生時代につけられた『格』ってのは、結構長く効力を持つからな。
「いや、むしろ、貴様にだけは勝利したといえよう。僕は長年解明されていなかった木こりの冒険者転向問題に新風をもたらした。この小部屋が証拠だ!」
パウロは以前に図書館で俺に説明した持論をフラーゼンにも語った。
「僕の説には裏づけがある。奇抜なだけの貴様とは違って。ふふ、ハハハ、最後の最後に学園一位様を超えられたのなら、法の下に裁かれたとしても後悔はないな」
得意げにするパウロに対し、フラーゼンは……。
心の底から悲しそうな顔をした。
「パウロ。君は本当に視野が狭いな。先住民族の言語で記されているのなら、彼ら自身が用意したものと考えるのが一番自然じゃないか」
「……なんだって?」
「身を隠す場所として利用していたのが原住民だとしても矛盾はない。彼らが迫害されて森を追われたという歴史は、多数の論拠から確定していることなんだから」
「その話はもうたくさんだ! どうせまたあの学説に結びつけるつもりなんだろう!?」
パウロは苛立っている。
あの学説って、あれか。正式な名称を思い出すのは、まあ、ちょっと、無理なのですが、どのことを指しているのかは分かる。
「前から気になってたけど、その説ってどんな内容なんだ?」
「簡単な話だよ。僕が提唱したのは『白の森』の原住民とは獣人だったんじゃないかってことさ」
想像以上にぶっとんでいた。
「な、なんだそりゃ。どこからそんな話が出てきたんだ」
「ちゃんと根拠はあるよ。文化や慣習もそうだけど、一番の理由は遺跡だ」
「遺跡ってあれか、雑木林の奥の……」
「うん。ここからは僕の推察だけど、森を追われた先住民族は、遠く離れたその地で自分たちの居場所を主張するためのオブジェクトを建造した。あの像は獣人を表していたんだ。半人半獣の特徴を視覚的に誇張することで、より一層存在感は増す」
……というのが、こいつが十代半ばの頃に唱えた説の大筋らしい。
「学問の道を自ら閉ざしておきながら、まだそんな高説が垂れられたんだな、フラーゼン」
パウロは憎々しげに眉根を限界まで寄せている。
「その主張が一般論にならなかったことを知っておきながら……」
「いや、それはどうかな」
フラーゼンではなく、俺が反論した。
「なるほどなー、そういうことか。フラーゼン、お前の考えこそが正しいかもな」
なにも適当に口からデマカセを言っているわけではない。もちろん俺にも根拠はある。
それはネコスケだ。
ネコスケはおそらく、フラーゼンが語るところの原住民の子孫なんじゃないだろうか?
そう考えればネコスケが古い言葉を直感的に読めたり、遺跡に立つ不気味な像をやたらと気に入ったりしたのにも説明がつく。
それらの記憶は種族固有の能力のように遺伝子に刻みこまれているのだろう。
俺なりに出してみた理屈にパウロは閉口したが、フラーゼンはニヤリと笑った。
「獣人の血の濃さは僕たちとは比べ物にならないからね。合点のいく話だ」
「ええっ? そうだったんですかにゃ?」
……当のネコスケ本人に自覚はまったくなかったが、ともかく。
「俺は断然フラーゼンを支持するぜ」
と、呆然とするパウロに向けて言ってやった。
「お前の負けだ、パウロ。偉大さでジイさんに負け、武力で俺に負け、そして一番負けたくなさそうだった頭の出来でもフラーゼンに負けたんだ。お前が勝ってるところなんてどこにもなかったんだよ」
おっと、忘れるところだったな。
訂正入れとくか。
「選挙でシルフィアに負けたように思ってるみたいだけど、あれ仕組んだのは全部俺だぜ。だから俺とお前は二勝〇敗だ」
そう言って、俺は指を二本立てた。