俺、暗躍する
歩き詰めた先の学区に漂う冷淡な……というか意識の高い空気は、場違いな俺の肌を容赦なく突き刺す。
まさしく鬼門である。
しかし臆してはいられない。
多くの生徒や職員を抱える学術機関が町内有数の票田なのは明らか。
これだけ学問をウリにしている町なんだから各方面に太いパイプもあるだろうし、ここを押さえておけば票数は一気に稼げるに違いあるまい。
表面をテカテカに磨き上げた石壁が印象的な建物にまずは入る。
看板には『レクフェリウス・ジュニアアカデミー』とある。偉大な創立者の名前から取られたと注釈が添えられているが、誰でもいいよそんなのくらいにしか思わない。
ただ子供向けの学校であることだけは分かった。
事実、丈を余したローブ姿のガチんちょ集団が続々と登校してきている。
「どうも。司書選の挨拶に参りました」
「はいはい、挨拶回りですね。こちらにどうぞ」
「し、失礼します」
選挙期間中に投票の呼びかけに来られるのは慣れたものなのか、若い女性職員の応対は非常にスムーズだった。
むしろ俺のほうが戸惑っている。こんな簡単に進むとは。
応接室に通され、でっぷりとした学長と対面。
「ようこそいらっしゃいました。このたびは受付嬢のシルフィア氏が候補になられたそうで」
「ええ。それでですね、是非とも学界きっての知者揃いであるこちらのご理解を得たいと思いまして」
不得意なりに下手に出る俺。
「それで参られたのですか。ええ、ええ、分かりますよ。司書選になると慌しくなるのは恒例ですからな。挨拶回りも大変でしょう」
「挨拶、といえば聞こえはいいですが……私どもの場合は根回しとでも申しましょうか……」
「……と、言いますと?」
「こちらです」
テーブルに金貨を積み上げる。
「前金で十万G。当選すれば追加で倍出しましょう」
「……ほう。私に望む見返りはなんですかな?」
「それはもちろん固定票ですよ」
俺はいやらしくそう伝えると、口元をほころばせた学長は遠慮なく金貨に手を伸ばしてザッと自分の側に寄せた。
この光景、すぐ近くで無邪気に勉強に励んでる少年少女たちには到底見せられないな。
「協力しましょうとも」
「ありがとうございます。言わずもがなですが、この件は内密にお願いしますよ」
「分かっております。それにしても、中々大胆なことをしますなぁ」
「いえいえ、学長さんこそ」
悪代官コントもそこそこに、次の現場へ。
壁一面が白く塗られた、いかにもクリーンそうな研究施設だったが……。
「お納めください」
「これはこれは……! ありがたく受け取らせていただきます」
あっさりと賄賂は授受された。
研究にはなにかと費用がかかるようで、金貨を提示すると目の色を変えられた。図書館のように王都から運営予算が出ていない以上、寄付、というか個人献金は切っても切れない関係にあるらしい。
その後も。
「もちろんシルフィアくんを応援しよう」
「受け取りはする! するが……これは補助金として計上だな!」
「シルフィア優勢? ならば足並みを揃えるとしましょうか」
「了承した。こちらからしても好都合だよ。あそこのアカデミーの卒業生であるパウロが司書になろうものなら、そちらに新規の学生を奪われかねないのでな……」
「有名人を輩出したとなれば、母校の評判も高まりますからね。ここは派閥に絡んでいないシルフィアさんが勝ってくれたほうが助かりますよ」
「この金銭そのものより今後の予測収益のほうが大きいかも知れませんな。ハッハッハ」
他校の出身者であるパウロを勝たせたくないという思惑と一致したようで、投票の約束は難なく得られた。
なんか、大人の汚い部分をこの短時間の間に大量に垣間見た気がする。
とはいえでかい建造物に的を絞って訪ねたことが功を奏したのか、俺が相手した八名は肩書きを聞いた限りだとそうそうたる顔ぶれだった。業界内で発言権を持ってそうだし、端々まで口利きしてくれることを期待するとしよう。
「次は……あそこだな」
ちょっとしたキャンバスを思わせる大規模な複合施設の門をくぐる。
そこの敷地内を歩いている時。
「……ん?」
通路を行き交う学生たちの中に、思いがけずよく知った顔を見かける。
「げ」
「げ、ってなんだよ」
意外なことにヒメリだ。
しかもいつもの鎧なんかじゃなく、いっちょまえに賢げなローブを着ている。
似合わねー。
「まさかこんなところでシュウトさんと鉢合わせするとは……」
「そっちこそなにやってんだよ。そんな格好までして」
「いやっ、これはですね」
妙にあたふたするヒメリ。
「隠すようなことか? まあその気持ちは分かるよ。年増がフレッシュな若者に混じって学生気分でキャッキャやってるのはイタいからな」
「違います! あと私もまだまだ若いですから! ちょっとその……つい最近十代じゃなくなったというだけで……」
微妙に口ごもっている。
もっともヒメリが若い部類なのは間違いない。俺も意地の悪い言い方をしたが、ギリギリ女子高生のコスプレが許されるラインだろう。
「そんなことはどうでもいいんです! もう正直に言います。秘密にするようなことでもありませんし。私がいるのはですね、こういうわけですよ」
カバンから取り出したパンフレットを目の前に突き出される。
短期集中コース、とそこには書かれてあった。
「シュウトさんの依頼をこれまで受けていた分お金に余裕があったので、簡単な再生魔法を覚えてみようかと思いまして」
「おいおい、授業料とか結構したんじゃないのか?」
「魔術書を購入するのと出費はそう変わりませんでしたよ。なら指導してもらえたほうがありがたいじゃないですか」
「へえ。じゃあそのローブは?」
「制服です。これを着ていないと講義は受けられませんから」
マジで学生やってたらしい。
しばらく顔を見ていないと思ったら、そういうことだったのかよ。
「で、一個くらい魔法は使えるようになったのか?」
「うっ……それはですね、ええと、あともう一歩といったところでしょうか」
なんとなくそんな気はしていたが案の定ネコスケ以下だった。
「大体です。シュウトさんこそアカデミーを訪れる理由がないじゃないですか」
「暇潰しだよ、暇潰し」
「変ですね。どこを歩いても司書選の話題一色ですから、町にいてもシュウトさんにとって面白そうなことはひとつもありませんよ」
「うるせぇよ。まるでお前は興味があるみたいじゃんか。でしたらヒメリさんの此度の選挙についての見解をお聞かせ願えますか?」
「ま、まあ私のことは、いいじゃありませんか」
結局アホの子ぶりを如何なく発揮して最後まで答えられなかったヒメリは放置し、当初の目的どおり学長に会いに行く。が。
「申し訳ありませぬが、ご挨拶は結構です」
ヒゲ面の顔と突き合わせた瞬間、シルフィアの名前を出すよりも先に、一方的に断られる。
「なぜです?」
「学内では一貫して当アカデミーの門下生だったパウロを支持すると決めておりますからな」
む……思わぬ展開だな。
パウロの奴、ここに通っていたのか。
「そこをなんとか、お話だけでも」
「あなたの貴重なお時間を無駄にするだけですよ」
「なにがあっても譲れませぬぞ。ようやく我が校からも名のある人物が生まれるチャンスが来たのですから!」
強硬に突っぱねられた。
これは懐柔できそうにないな。名誉がかかっているし、金をちらつかせても無駄だろう。逆に不正資金として報告されてしまう可能性すらある。
そうなったら終わりだ。変に勘繰られる前に、ほどほどで切り上げるとするか。
「分かりました。では引き取らせていただきます」
「すみませんな、わざわざ足を運んでいただいたのに。パウロは我が校の歴史の中でも群を抜いて優秀だった生徒。彼の活躍は願ったり叶ったりなのですよ」
ようやく芽が出てきたばかりだ、と学長はしみじみ語る。
昔話はそれで終わりではなかった。
「ですが、もう一人の三十五期生中の秀才……いや彼の場合は天才になるか……彼にかけていた期待はそれ以上でしたよ。あのまま学問の道を志し続けていれば大輪の花を咲かせたであろうに、本当に惜しい」
過去を振り返っているうちに、どうやら別の、それもトップクラスの素質を無駄にした生徒のことまで思い出したらしく、渋い表情を作っている。
そういえばギルドマスターもパウロより好成績だった同級生がいた、みたいなことはほのめかしていたな。
といっても部外者の俺にはなんの関係もない話だ、で片付けようとしたが――しかし。
「あの類稀な才能をなぜドブに捨てようなどと思ったのか……フラーゼンは」
「フラーゼン?」
学長がふと何気なく口にした名前を聞き捨てすることは、俺にはできなかった。