俺、転換する
「……知るかよ、そんなの」
俺にはそうとしか答えられなかった。
いやむしろ、病気だと直球で言い切れないほどに心境が揺らいでいると見るべきか。
「けどな、病気じゃないんだとしたらなんだってんだよ」
そう口にするのには墓を暴いているような背徳感がある。
少なくともビザール本人は不治の病だと信じこんでいるだろうに。
「予測は立っているけど、断言はまだできない。それは細かい症状を知ってからでないと」
「症状を聞ければいいんだな?」
それなら適任者がいる。
ネコスケだ。過去に二ヶ月もの間住みこみで働いていた経験のあるネコスケならば、ジイさんの様態や病状についてより詳しい説明ができるはず。
「ついてきてくれるか?」
「もちろんだとも。この件は僕も気がかりだしね」
承諾はたやすく得られた。
「どうせ今日明日はまともに商売にならないんだ、店の営業よりもそっちを優先するよ」
「ありがとよ……あー、ただ」
「どうかしたかい?」
「さっきのハーブだけは売ってくれ。あるだけ買っていくから」
「毎度あり、と言わせてもらうよ」
大枚叩いて萎びたハーブを購入した俺は、そのまま商人をギルドへと連れていく。
こいつは明らかに俺よりも賢い。それも遥かにだ。自分の頭の出来なんざ嫌というほど把握しているから今更恥にも思わないが、喋っているだけで洞察力の違いを思い知らされる。
角度のついた意見を引き出そうと思ったらこいつを頼るしかない。
ギルド前の街道に戻った時、ネコスケは落ち着かない様子でホクトの周りをうろうろと歩いていた。
待っている間にジイさんが辞任した旨を耳にしたのだろう。
ギルドを訪れる人間がしきりにそのことについて話し合っているから、ここに足を運んだからには避けようがない話題ではあるが。
「おお、主殿。お戻りになられましたか。随分とお時間を取られていたようでありますが……そちらの方は?」
ホクトは急遽俺が連れてきた石油王めいた服装の男に、ウェルダンな焦げ茶色の瞳を向ける。
男は男で涼しげな目で「しがない商人さ」としか語らない。
「そんな適当な紹介で終わらすなよ。ほら、ホクトも覚えてるだろ。ネコスケを探している時のスパイス売りだよ」
「ああ、あの時の露店商の方でありましたか。その節は大変世話になったであります!」
シャキッという擬音がこれ以上なく似合いそうなほど背筋を伸ばして敬意を示すホクト。
「まあその話は別にどうでもいいんだけどな……ええと、ネコスケ」
「にゃっ? ……うにゃ、なんですかにゃ」
上の空だったネコスケは俺の呼びかけにぴくんと肩と耳を動かす。
心ここにあらず、といった感じだ。
「この男の質問に答えてほしいんだ」
「質問……?」
「立ち話をしてるうちに、二人してとある疑問点が浮かんできてな。ネコスケの協力がないと解消できそうにないんだ」
俺は一番の要点を伝える。
「ジイさんに関することなんだよ」
「っ!」
ネコスケは息を呑んだ。
「嫌でも耳に入ってるだろうけど、ジイさん、司書辞めちまっただろ?」
「にゃ……体調がよろしくないから仕方ないですにゃ」
「そこなんだよ。この男と話していてそのことに引っかかる点が出てきたんだ。分かる範囲でいいからジイさんの症状について話してくれないか? もしかしたら今の状況が変わるかも知れねぇからさ」
「わ、分かりましたにゃ。真面目にお答えしますにゃ」
ネコスケは商人とまっすぐに視線を合わせる。
やや視点をずらした商人はその鮮烈な青緑色の髪を見て「ふむ」と納得したように頷き。
「なるほど、探していた彼女は見つかったんだね」
「お前の読みがズバリ当たったからな。……で、こいつなんだけど、以前ビザールのジイさんの屋敷で働いてたことがあるんだよ」
「間近で健康状態を見ていたわけか。それなら詳細を聞けるだろうね」
商人は質問を始めようとする。
と、その前に。
「あなたのことはなんて呼べばいいのかな?」
律儀にもそこから尋ねていた。
「今はアイシャですにゃ。にゃにゃ、でも、シュウトさんからはネコスケですにゃ」
「名前はひとつじゃないのか。変わったこともあるもんだ。じゃあ僕はこの場を混乱させないようにネコスケと呼ぶようにしよう」
「にゃ、それより、ご主人様」
「そうだな。時系列順に聞かせてもらいたいかな」
「了解しましたにゃ。四年前のことからお話しますにゃ」
ネコスケはとうとうと語る。
耳を覆いたくなるような内容も含まれていた。
激しい咳と吐血を交互に繰り返していた時の様子を克明に語られると、さすがに聞いているのが辛くなる。
それでも、生活リズムに大きな異常はなかったらしい。筋肉の衰えや全身の痛みで家事は中々行えなかったものの、睡眠や食事はしっかり摂っていたという。
あの病的な痩せ方も食欲減衰が原因じゃないのか。
……あのケモ耳への執着ぶりを見りゃ、他の欲が衰えてないのも当然か。
だとしたらますます疑念は深まる。
身体は弱っていく一方なのに健康的な生活を送る上では支障がないだなんて不可解だ。
それは商人にとっても決定的な証言だったようで。
「……間違いない。病気に見せかけた呪いの一種だろう。徐々に死に至らしめる『呪縛』だ」
ショッキングな結論を下していた。
当然ながら、ネコスケが最初に、かつ最大に驚愕した。黒目を縮こまらせて、後頭部をハンマーでブン殴られたような面をしている。
「にゃっにゃっ!? そ、そ、そんなの……無茶苦茶ですにゃ! おかしいですにゃ!」
「あなたの話を聞く限り、病気よりも呪いの特徴が大きく出ているように見受けられるよ。精神的な部分が一切侵食されていないのは不自然じゃないか」
「そ、それは、きっとご主人様のがんばりですにゃ……」
ネコスケは動揺しっぱなしである。
無理もない。自分が看病していた人物が、実は悪質な呪いによって苦しめられていただなんて、冗談にしてもタチが悪すぎる。
俺もまだ完全には商人の推理を受け入れられているわけではない。
奇想天外な説をかかげても、それを確定させるだけの裏づけがありはせず、状況から判断しているだけに過ぎない。
なのに、なぜだか知らないが、妙な説得力がこいつの言葉にはある。
口の上手さ以上に。
「段々死んでいく呪い、ねぇ。本当にそんなもんあるのか?」
「分からない」
「……まあ、そう答えるとは思ったけどさ」
思考の速さは本物だが、あくまでもこいつは商売人。
魔法の専門家なんかじゃないしな。
「ただ、はっきりしていることがひとつだけある。僕の考えが正しいとするなら、ビザール卿に明確な殺意をもって呪術をかけた人物がいるということだ」
信じられないような言葉の数々にネコスケは今にも泣き出しそうな顔をした。
だったら、誰がなんのために?
ジイさんが死ぬことで得をする人間がいるっていうんだろうか。
「そんな奴がどこに……」
いや――いる。
パウロだ。
その名前がパッと浮かんだ瞬間、断片的だった記憶が洪水のように押し寄せてきた。
『司書のローブは学徒の憧れじゃというのに』
『本に囲まれるだなんて夢のような職場だ』
司書こそがパウロの目標だったのか?
『ワシが死ねばその瞬間制度の力でさっくり委譲されてしまうがね』
それはビザールさえいなければ達成されるんだろう。
『並大抵の火では到底不可能でしょう』
十秒で殺せば即座に発覚する。しかし十年かけてなら――。
『ああ、また自分の世界に入ってしまいました』
『パウロはなにかに没頭すると、こうなるきらいがありますからね』
狭まった視野に良識が入る隙間はあっただろうか。
『それになんだか魔法の性質もユニークですね』
『いざ使用するとなると他に類を見ないがゆえに甚だ困難だったりするのです』
独特で難解。仮に呪いなら上級魔法の一種であろう。
『パウロは当時から優秀な学生でしたからね』
習得できたとしてもおかしくない。
『優れた学徒であるためには、上昇志向が強いことが条件として挙げられます』
優等生らしく、願望を果たすために努力を惜しまない性格をしているのならば。
じゃあどこでだ?
背表紙をざっと眺めた限り、そんなまどろっこしい呪縛を連想させてくるタイトルの魔術書は見当たらなかった。
その疑問にも記憶がささやきかける。
『この書状は本来、学術機関や他の町の図書館などに本を贈呈する際に切られるものです』
『学内に置かれていた本をすべて読み尽くしていた』
学生時代に知ったのだとすれば、図書館から証拠が挙がることもない。
『恥ずかしながら、私は魔法はそれほど得意ではありませんから』
『パウロより上と断言できる成績を残せた生徒なんて一人か二人しかいませんでしたよ』
謙遜ではなく、隠蔽だとしたら?
『そうですか、それは……おいたわしい』
あの表情は心から悲しんでいるのではなく。
本当にただの演出だったようにしか、今となっては思えない。
『上っ面はいいが腹黒い男じゃからな』
記憶は破片となって、商人から渡されたパズルの設計図を埋めていく。
そこに描かれていた絵に美しいストーリー性なんてものはひとつもない。
俺は今までは見えていた世界がガラリと姿を変えてしまったように感じてならなかった。