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俺、対話する

 三度目の訪問ともなれば行き慣れたもので、ビザールの屋敷には最短経路で到着した。


「ジイさん、いるか? 俺だ。シュウトだ」


 木戸をノックしてみるが反応はない。


 だが鍵は開いている。不在というわけでもないらしい。


 寝ているんだろうか……と思い始めた矢先。


「どうしたどうした、こんな早くに」


 ようやくビザールが顔を出す。


 様子は、俺のよく知るものとは少し異なっていた。


 その顔はやつれているのに加えて、精力が随分と抜け落ちているように見えた。表情に張りがなく頬の筋肉の動きが乏しい。それこそ典型的な病人、といった感じである。


「なんの用事じゃ?」

「用事もなにも……話を聞きにきたんだよ。分かってんだろ?」


 無言で顎をさする老人。


「町中あんたの噂で溢れてるぜ。どうして突然クビになるような真似をしてしまったのか、ってな」

「ふむ、その件か。つまらぬ巷説にすら飛びつくとはここの人間はよっぽど暇なんじゃの」

「他人事みたいに言うなよ。ジイさん自身のことだろうに。なのにあんたはちっとも口も割らないじゃないか。猫にすら話してないって聞いたぜ」


 誰もビザール本人のコメントを知らない。


 だからこそ憶測が憶測を呼んでいるし、俺もモヤモヤとしている。


「せめて俺にだけでも真意を明かしてくれよ。聞く権利はあるはずだ。なんせジイさんの手の込んだ辞表を届けたのは俺なんだからな」


 その後も続いた俺のしつこい追及にビザールは観念したようで、ふうと息を吐いた後。


「……とりあえず中に入っとくれ」


 詳しい話をしてやる、とのことで、俺は室内に上げられた。


 椅子に沈みこむように深く腰かけたビザールは、今にも眠りこけてしまいそうなほど全身脱力しきっていて、呼吸の頻度も少なく、目の焦点もどこか虚ろになっている。


 見ているだけで危なっかしかった。


 俺はまず、なぜこんなにも弱っているのかを恐る恐る尋ねた。


 歳や病の割には元気なジイさんだとばかり思っていたが、それは結局ただの人前限定での強がりなだけで、これが本来の姿なんだろうか?


 だとしたら楽観的な認識を覆されたようで絶句ものなのだが、そうではないらしく。


「これは鎮痛剤が効いているだけじゃ。気にすることじゃない」

「鎮痛剤?」

「うむ。体の隅々まで麻痺させるから、しばらくの間はどうしてもこうなってしまうんじゃよ」


 薬の副作用だとビザールは説明する。


 二年前から使い始めたとのこと。


「一服で半日は持つが、最初の数十分はこうして奈落の底に叩き落されたような憂鬱さと付き合わされてしまうんじゃ」


 神経だけでなく、脳髄にまで効いているんだろうな。


 それだけ聞くと現代的な価値観ではヤバそうな薬に思えるが、れっきとした医療用の薬品として売られているのなら、俺から言えることは特にない。


「まあ、やむを得ないわい。この薬がなかければ咳払いひとつしただけで全身が千切れそうなくらい痛むからの」

「おいおい……それはそれできつい話だな」

「フフフ、心配してくれるのか? シケた面に似合わず案外かわいげのある男じゃな」

「うるせぇよ」

「じゃが安心せえ。ワシがこうなのは投薬直後のみよ」


 とはいえ、このダウナーな状態をアイシャには見せたくない、ともビザールは語った。余計な心配をかけるからだという。だから俺の手伝いに行けと命じたのか。


 普段は強がっている、というのは、あながち間違いでもないらしい。


 だが俺が気になるのは、病気そのものに効く薬ではないという点だ。


 最早手の施しようがないんだろうか。……ないんだろうな。そんなものがあったら現場に復帰できているだろうし。


 傷は治せても病気はそうもいかないみたいだから、魔法も万能ではないんだな。


「体調が優れないワケは分かったよ。本題に入ってもいいか?」

「あまり多くは話せぬぞ。教えたとおり、今のワシは口を動かすのも億劫なんじゃから」


 所在なさげに長い白髪を撫でつけるビザールに、俺は単刀直入に問いかけた。


「なぜ辞めたのか、なんてのは今更聞かない。そんなのはジイさんの気分だからな。俺が知りたいのはどうしてわざわざ遠回しなやり方で辞めようとしたのかってことだ」


 それが明かされないことには胸のつっかえが下りない。


「使いっ走りにされた俺の身にもなってくれっての。嫌でも責任感じちまってんだから」

「責任なぞお前さんには一切なかろう。全部ワシのわがままじゃ。ただただ辞めるのは損じゃから、蔵書の譲渡権を人探しの報酬にしたまでに過ぎん」

「それでもだ。直接図書館の奴らに辞意を表明しなかった理由を教えてくれ」

「ワシの口からそれを言わせるのか? 酷な奴じゃのう」

「頼むよ」

「理由なぞ、なんとなく想像できておるくせに」


 ビザールは俺の心中を見透かすように目を細める。


 想像、は俺なりにしているのは事実。それは先ほど語られた「アイシャに姿を見られたくない」というエピソードも踏まえてだ。


「仕方ないのう」


 司書だった男は自らの口で語る。


「単純な話じゃ。恥ずかしかったんじゃよ」


 赤裸々な答えだった。


「このいつ死ぬかも分からぬ体じゃ。いい加減身を引くのが妥当じゃろうて。そんなことは当人であるワシが自覚しとらんわけがない」


 だが、と続ける。


「頑固で偏屈で口の悪いジジイで通っていたワシが、どの面下げてそれまで酷評していた者どもに後を託すなどと伝えられようか。急にしおらしくなって司書を辞めると言い出そうものならワシが築き上げたイメージも形無しじゃ。最後の最後まで、憎たらしい上司でいたかったんじゃよ」


 ジイさんはそう言って、フッと自嘲気味に笑った。


「長く休んでおったから、部下たちもワシが正式に辞めることは日々覚悟していたじゃろう。いつその時が来てもいいようにと準備は怠っておらぬはず」


 その台詞がパウロのことを指しているとはすぐに分かった。


 あの完璧な仕事ぶりだからな。いつでも後継者になれるだろう。


「出しゃばる必要がなく、今生に心残りもないのじゃから、辞職するに当たってなんの不安も後悔もなかろうて」


 ひっそりと未練がないことも語られた。


 やはり恩人との再会は大きなファクターを占めていたらしい。そうでなければこの願いを辞任のトリガーに設定したりはしないから、当たり前か。


 ビザールが本を依頼達成報酬にしていたことは遅かれ早かれ、いずれ図書館の面々の耳にも届くだろう。


 彼らはジイさんが望むとおり、その身勝手さに呆れるだろうか。


 それとも持ち前の頭の冴えで規約違反の裏に隠された虚勢を読み取るのだろうか。どう転んでも、あの人らしいな、と語られるように俺は思う。


「どうじゃ、気持ち悪いじゃろう。老いぼれが意地を張っても醜いだけじゃからな」

「別にそんなふうには思わねぇよ」


 俺はビザールの選択を、茶化したり糾弾したりはできない。


 冷たく事務的な引継ぎがなされるよりはよっぽど人間味がある。こんなめちゃくちゃなジイさんがあんな堅苦しい施設のトップを張れていたんだから、その人望の厚さがうかがえる。


 でなきゃ受付嬢が号泣したりなんかしないか。


 真っ向から規則を破っているくせに町全体から惜しまれながらの解雇ってのもおかしな話だが、このジイさんだからなんだろうな。


「ジイさんの心境が聞けてよかったよ。これで無駄に罪悪感とか覚えなくて済むからな」

「つくづく性格の悪い男よな。死にかけたワシに減らず口を叩けるのはお前さんぐらいじゃぞ」

「別にいいじゃん。もう司書じゃないんだしさ」

「ふむ! それもそうじゃな」

「それにまだまだ生きるだろ」


 辞めてすぐ逝かれたら後生が悪いってもんじゃない。俺に限らず。


「でもネコスケ……じゃねぇや、アイシャには話したほうがいいぜ。薬のことも含めてな。あいつを雇っている間は好きに甘えろよ」


 あれだけ趣味を全開にして耳をモフっておきながら、それよりプライベートでない退任騒動や健康面の不具合は隠すというのもアホな話だ。


「ならば頼みがある。とあるハーブを持ってきてもらいたい」

「ハーブ? なんでまたそんなのを」

「ただのハーブではないぞ。多大な鎮痛成分を含むフレシアルバという特殊なハーブじゃ。ワシが使っている薬とは違い、精神状態の悪影響を及ぼさないとされておる。それがあればアイシャにいらぬ負担をかけずに済む」


 要注意指定されている魔物同様ピンとこない名称だが、よく考えたら一般的なハーブの名前もロクに知らないのでそれほど違和感はなかった。


 ただそれは滅多に手に入るものではないという。並の薬屋にはまず置いておらず、ウィクライフ圏内で採取もできないため、文献で確認しただけなのだそうだ。


「無論報酬は出そう。ギルドを介さないとはいえ依頼じゃからな」

「金なら興味ないからいらねぇぞ」

「ワシだってやれるほどの金は残っておらぬわ。今日からは無職なんじゃからな」


 提示されたのは、洋棚にしまわれていた白い衣類だった。


 平たく畳まれているからそれがなんなのかは一見して分からなかったが、司書に支給される専用のローブらしい。


「七期目の着任時に仕立てたものじゃが、既に療養に入っておったから一度も袖を通しておらん。これをやろう。おそらく、この町の武具店で売られているローブにこれより上質な生地を用いたものはなかろう。お前さんが先日連れてきていた山羊のお嬢さんに着させるといい」

「いいのか?」

「もう使うことはないからの」


 しんみりとさせるようなことを言ったかと思えば、「非売品だからレアじゃぞ?」なんて俗っぽくおどけてくるんだから、このジイさんは喰えない。


 しかしまあ、ローブか。


 防具屋で買うよりも上等だというなら、悪い報酬ではない。


「ローブは男女兼用だからお前さんが着ることもできるぞ。司書ごっこがしたければ存分にすればよかろう」

「誰がやるか、誰が」

「珍しい奴じゃな。司書のローブは学徒の憧れじゃというのに。もっとも任期ごとにデザインが新しくなるから、ワシの代で終わりのこれを着ていたところで権威を示すなんてことはできんがな」


 ローブをぼんやりと見つめるビザールは、改めてに辞職について咀嚼しているようだった。


 到底勇退とは呼べない引き際なのに、その表情から悔いは見当たらない。


「にしても、文献でしか見たことがない……ねぇ」

「お前さんの目的のついでで構わぬ。あればでいいから探すだけ探してみとくれ」


 と言われても、このへんで採れない素材を持ってこいなんて雲をつかむようなもんなんだが。


「でも、ハーブか」


 それならアテがなくもない。

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