俺、背伸する
ネコスケの協力もあり、結局この日の稼ぎは八十万Gにまで上った。
八十万。
八十万である。とんでもない巨額だ。ネコスケが同行し続けてくれるのであれば、この土地での収入だけで一千万超えも夢ではない。
といっても、ここにいて面白い物事は何もないからな。
魔術書の権利も獲得したことだし、頃合を見て次の町に移るとするか。
帰還後、ネコスケと別れる。
「本日のご助力、心より感謝いたすであります! 自分の不甲斐なさを痛感したであります。もっと自分も精進せねば」
「にゃにゃっ。こちらこそありがとですにゃ。荷車に乗って走るだなんて初めての経験でしたにゃー」
俺の分までホクトがネコスケの労をねぎらっている。
ネコスケは薬を購入してからビザールのところに戻るらしい。
ただ、何年も自宅療養が続いているとの話だから、今更薬でどうこうなるような病気ではなさそうにも思える。
それこそ気力で補うしかないのでは。
「また次の機会がありましたら、その時はよろしくお願いしますにゃ」
ぶんぶんと手を振りながら遠ざかっていくネコスケを見送る。
それから俺は首の骨をコキリと鳴らした。
「……さてと」
図書館に行くか。
ホクトと共に訪れた王立図書館は、夕刻ということもあってか客入りはまばらだった。
入館希望者はピーク時に比べてめっきり減ってしまっているにもかかわらず、エントランスの受付嬢は気を緩める様子を一切見せないでいた。
プロ意識の高さを感じる。
「……っても、顔パスくらいはいい加減させてくれよ」
「特例はありません。審査は厳密に下させていただきます。……さ、終わりましたよ。蔵書室への入室を許可します。よき読書を」
返ってきた通行証を受け取りながら。
「実はこれで終わりじゃないんだな。まだ見せたいものがあってさ」
ごそごそとコートの内側から紹介状を取り出し、ジイさんに言われたとおりに提示する。
「これは……司書様の!?」
書面に記されているビザールのサインを目にした途端、それまでクールに徹していた受付嬢の表情がわずかに揺らいだ……ような気がした。
そりゃまあ、驚くわな。
突然長い間休んでいた本職の司書から指示が飛んできたんだから。
筆跡の鑑定がなされる。
もちろん本人のもので間違いない。俺自身の目で直接確認しているのに、これで偽物だったら白昼夢でも見てたのかって話になる。
「ジイさん……あー、いや、司書の人とちょっと縁が出来てね、土産にこの紙をもらったんだ。こいつを出せば本が一冊もらえるって聞いたんだけど」
「た、確かにそうした効力はあります。この書状は図書館からいずこかに蔵書が移譲される場合に切られるものですから……ですが……」
受付嬢はなぜか言葉を濁している。
「ん? なんか引っかかるとこでもあるのか?」
「……いえ、なんでもありません」
そう言うと受付嬢は軽くかぶりをふり、若干動揺の色が滲んでいた表情をぴしっと引き締めた。あやふやだった受け答えも前々みたいにハキハキとした……もっと言うと、ちょっとキツめの利口ぶった話し方に戻っている。
俺の苦手なタイプの口調なのに妙に安心する。
やはりキャラに合ってるからだろう。この知性と品のある外見で喋りが江戸っ子だったらいろいろと不安になる。
「お話は分かりました。あなたを図書引取の権利保有者として承認します。当館の全責任を有する司書様の判断なのですから、我々はそれに従うまでです」
すげー強権発動してるな。
ビザールのジイさんってマジで偉い人だったのか。
「希望の書籍が見つかり次第こちらまでお持ちください。受け渡しの手続きを行います」
「分かった。しばらくの間選ばせてもらうぜ」
取っ手を握り、蔵書室の鉄扉を開く。
沈殿していた空気がその隙間からいっぺんに流れ出ていった。そのほんの些細な気流にさえ呑まれそうになるんだから、どれだけここに苦手意識があるんだよ、俺って奴は。
ただ隣を見るとホクトも似たような緊迫した顔つきになっていた。肩肘もカチコチである。
なぜだろう、無性に胸を撫で下ろしたくなる。
それはともかくとして、まずはミミと合流。
三人で以前パウロに教えてもらっていた希少な魔術書の置き場に急行する。
適当に一冊抜き取ってみたのだが、力の入った表紙の装丁からしてそんじょそこらの市販品とは風格が違う。
「『地と天を繋ぐためのグリモワール』か」
おもむろにページを開く。
埃とカビと油ジミの混じった、すえた臭いが漂う。
軽く目を通す。
……よし。
分からん。
「これは無理ですわ」
なんの基礎知識もない俺が専門分野中の専門分野である文献の内容を読み取ろうという行為自体が無謀だった。
ここはミミに任せるとしよう。
ただミミも自分で選んだ本――『占砂術のグリモワール』とタイトルに書かれていた――を何ページか読み進めたところで、くらくらと気を失いそうに上半身を傾けた。
慌てて肩を支える俺。
「大丈夫かよ。そんなにややこしかったのか?」
「とても、とてもとても難しいです……頭が破裂してしまいそうです」
「うーん、勉強してるミミでも難しいのか」
「読むことはできますが、理解まではたくさん時間がかかりそうです……すみません、シュウト様」
「ま、時間はいくらでもあるけどな」
なにせ一冊丸々もらえるんだから。
「……でも難しいって言ってる割に熱中して読んでるな」
「はい。とても難解ではありますけど、その分だけ興味をそそられます。それになんだか魔法の性質もユニークですね。今まで読んできた魔術書とは全然違います」
「へえ、そうなのか」
正直、普通の魔術書がどんな具合なのかも分からないので俺には比較しようがない。
けれどミミが言うからにはそうなのだろう。
「載っている魔法の種類もあまり多くないように思います。凄く専門的な本ですね。ミミはなんだかドキドキします」
「だったら全部に目を通してみてから決めるか。明日からはここに置いてある本を順番に閲覧してみてくれ。そんでミミが一番気に入ったのを受け取ろう」
「分かりました、やってみます」
となると、今日のところは一旦引き上げだな。
ミミが魔術書を選び終わったら出発するか。それまではひたすら金策。分かりやすい滞在スケジュールができたと考えておこう。
そう決めて退室しようとしたら、書棚間の通路でパウロとすれ違った。
本日はどうしましたか、と尋ねられる。
「ちょっと魔術書の試し読みをな。レアなやつ」
「ああ、そうだったのですか。どうです、非常に難解だったでしょう?」
「まあな」
といっても読んだのは俺じゃないが。
「もしかしてだけど、パウロは使えたりはするのか?」
「まさか。恥ずかしながら、私は魔法はそれほど得意ではありませんから。通っていたアカデミーにも私より優秀な方はゴマンといましたしね」
だからデスクワーク中心の図書館に勤めているのですよ、とパウロは語る。
「上級に属する魔法というものは、独自性が高いですからね……過去の知識を活かしたりはできませんから習熟には多大な労苦がつきまといます」
「ふーん。単純に効果が凄くなっただけだと思ったぜ」
「効果だけなら中級魔法でも十分に強力ですよ。あれらを自在に扱えることができれば魔術師としてはほぼ完成形といっても過言ではないです」
確かに武器屋の店主もそんな感じのことを語っていたな。
その時はただの売り文句くらいに思っていたが、どうやら。
「上級魔法は他にない効果を持ちます。中には一見して役に立たないのでは……と感じるものもあるのですが、いざ使用するとなると他に類を見ないがゆえに甚だ困難だったりするのです」
「変な話だな。しょぼいのに難しいのか」
「例えば……そうですね、こちらを御覧ください」
パウロは無作為に本を一冊棚から取り出す。
「この書物を十秒で消失させる手段については、考えるまでもないですよね。単純明快に火をつければいいだけなのですから。ですが、百年かけて焼却させる……となればどうでしょうか? 並大抵の火では到底不可能でしょう」
「ふむ、それを可能にする火にあたるのが上級魔法なわけだな」
「そういうことです」
なるほどな。
そりゃムズい。
「それより、先日の石版の件についてなのですが」
パウロが切り出す。
「あれか。ちゃんと石版の下に地下室があったぜ。休憩所なのかまでは分からねぇけど」
「おお、やはりですか。あれから考察を重ねてみたのですが、冒険者ギルドが設置したものなのではないかと私は推測しています。木こりだけの技術では半信半疑でしたがギルド単位となれば話は別。森の地理に精通している木こりからの転向組を重用したい、という考えが、当時まだ地形把握の不十分だったギルドの面々にもあったのでしょう」
「……いや、もういいよ。その件は片付いたし」
話なげーよ。
「探してた野良猫が見つかったからそれで終わりだ」
「野良猫ですか? それに探していたとは」
「ビザールのジイさんに頼まれてな。死ぬ前にどうしてもそいつに会いたいってさ」
「お待ちください。ビザールとは当館の司書であられるビザール様のことですか?」
「ああ」
「そうですか、それは……おいたわしい」
パウロは下唇を噛んでうつむくと、思い詰めたような面持ちでじっと床の一点を見つめた。
そういう辛気くさい演出はやめろっての。
「俺が見た感じだと結構元気だったぜ。ありゃ意外と長生きして天寿をまっとうするだろうな。だからそんなに深刻に考えるなよ」
俺はそう声をかけて図書館から去ろうとする。
……と、忘れるところだった。本の受取手続きはしばらく保留にしてくれって言っておかないと。
そう思い受付カウンターまで行ってみたのだが。
「おいおい、なんでまた……どうしたっていうんだよ」
受付嬢は瞼を腫らしていた。
涙の跡がくっきりと残っている。今しがた泣き出したというわけでもないらしい。
意味が分からなかった。いつどこで泣くほどのことがあったんだ?
あったとしてもそれは涙を堪えきれないほどなんだろうか。あんなインテリジェンスの権化みたいな冷淡な面をしてたっていうのに。
「なにがあったんだ?」
「ぐすっ。すみません、お見苦しいところを……この、書状は」
鼻をすすりながら答える受付嬢。
知的さは面影すらない。怯える子供みたいな弱々しい表情をしていた。
「この書状は本来、学術機関や他の町の図書館などに本を贈呈する際に切られるものです。……その決定権は司書様にあります」
ですが、と声を一層震わせて続ける。
「個人への譲渡は明確な規約違反……つまり、それは……司書様が、司書様が……強制解雇されることを意味します」