俺、困惑する
これで地下室の存在はほぼ確定か。
そうと決まればこんなおちおちクシャミもできないような場所にいる義理はない。すぐに森へと再出発しようとするが。
「ふむ、古来語か……しかし……地下室建造における技術的課題以上に不可思議だな。すべてひっくるめて当時の木こりたちの文化レベルについて再考してみなければ」
パウロはまだ考察を続けていた。なぜ木こりがそのような設備を用意できたのか、なぜ原住民族の言語を操れたのかと、しきりにブツブツ独り言を口ずさんでいる。
正直、俺にとってはどうでもいい。
今そこに入っているであろう人物のほうが断然重要なわけで。
「なにかと世話になったな。用事が済んだから帰るよ」
魔術書のレンタルをして図書館から離脱する。
一気に解放された気分になった。危機的状況を知らせるかのごとく文字通りのレッドゾーンに突入していた胸元のアレキサンドライトも、今では落ち着き払った緑の輝きを放っている。いや別に俺の精神状況を反映しているわけじゃないけども。
やはり風格ある学術的な建造物なんてものは、俺には窮屈らしい。
「さて、と」
首の骨を鳴らしつつ、頂点をやや過ぎたばかりの太陽を見上げる。
まだ時間的には真昼間の範囲。捜索を明日に先延ばしにしたんでもいいが、この中途半端にできた暇を簡単に埋めてくれるほどこの世界は娯楽で溢れていない。
ましてやここは学問の町。
俺向けの退屈しのぎがあるはずもなく。
それだったらもう一働きしたほうがいくらかマシだ。その辺のパン屋で腹ごしらえをして、再び『白の森』へ。
「ホクト、ミミをおぶってやってくれ。それでミミはその間に読書だ」
移動の時間を使ってミミに魔術書をざっと流し読みさせる。テレポートとかいう魔法が成功するかはぶっつけ本番になるが、素養は十分にあるからな、ミミは。朗読でなら大丈夫だろう。
森にはおよそ一時間で到着した。
にしても、この町に滞在してから移動はずっとホクトに頼りっきりだったから、まともに歩くと時間を無駄にしたように思えて仕方ないな。
朝以上に木漏れ日が満ちた森林内部は、白樺の玄人ウケするゴシックな色調も相まって幻想的な印象が強まっていた。
見飽きた雑魚をスルーして中心部を目指す。
前もってつけておいた目印があるから迷いなく進める。
大きな波風が立つこともなく、石版の置かれた地点に辿り着けた。
埋め直していた石版をホクトが掘り起こし、土の中からこんにちはしたそれをミミがじっくりと観察する。
「これが例の暗号文ですね」
「おう。ま、読む必要はないけどな」
魔術書そのものがあるから読み解く手順をざっくり省略できる。
「ミミ、唱えてみてくれ」
「分かりました。でも、その前に……ホクトさん」
「ええっ、自分でありますか?」
手についた腐葉土を払っていたホクトは、まさかここで自分の名前が呼ばれるとは思っていなかったようで、若干狼狽した様子を見せた。
「自分になんの用でありましょう。協力できることなら、なんでも申しつけてほしいであります」
「その、手を繋いでいただけますでしょうか」
「なっ!? 手でありますか!?」
「はい」
突然始まった百合展開に鼻血が出そうになった。
つい「待て」と言おうとして「続けて」と喉から出そうになる程度には慌てている俺をよそに、もじもじしながらミミはこう続ける。
「テレポートは自分自身を対象にした魔法ですから、ぴったりくっついていないと他の人を運ぶことができません。ですからシュウト様もお願いします」
ああ、そういうことですか。
なんだろう、この安堵とも残念ともつかない複雑な感情は。
「いやはや、そんな真意でありましたか。了解したであります。こちらからしっかりと握っておくので、ミミ殿は魔法に集中しててくだされば」
ホクトがミミの手を握る。
しかしミミは無意識なのか知らないが指と指を絡めるような繋ぎ方をするので、そこはかとなく背徳的な雰囲気が漂っている。
そしてミミは反対の手で俺にも同じ繋ぎ方をした。
しなやかな指がソフトな感触で絡みついてくる。
不真面目な生徒である我が息子はこれだけで起立しそうになる。ちゃんと着席しろ、授業参観中だぞ。
「いきます」
俺がまったく生産的でない葛藤をしている間に、ミミはいよいよ詠唱に入った。ホクトに支えてもらった魔術書のページを目で追いながら。
「テレポート。到達地点は地下のニル・カウラ――小部屋へ」
いつもと変わらない、砂糖菓子のように甘い声が響く。
耳に優しい、安心感すら覚える声音だったが、そこで世界は一度暗転した。