俺、移行する
目当ての品を手中に収めた今、俺がこの町に滞在する理由はなくなった。
名残惜しい……というほどでもないので、迷わず明朝すぐの出発を決める。
ホクトが荷馬車に物資を積みこんでいる間、俺は世界地図を広げて『ジェムナ』の町を示す黒点の真下に、小さく三十点と記入した。
世話になっておきながら情の欠片もないシビアな評価だが、それはそれ。
ここに家を建てるか? となれば話は別だ。
物価も高く、金も得にくい。とてもじゃないが一生住み続けるのに適しているとは言えない。
いくら町が栄えていようとそこは譲れないんでな。
「主殿! 荷造りが完了したであります!」
ホクトから報告が入る。
「よし。そんじゃ、次の場所に行くとするか」
地図に落としていた目線を少し横にずらす。
ここからすぐ近くに『ウィクライフ』という町がある。以前ヒメリから聞かされた話だと、確か、学問で有名な町だったはずだが……。
「俺に縁がなさすぎて震えてくるな」
というか俺に限らず、ヒメリも割とアホ寄りだし、ホクトは言うまでもなく肉体派だ。
となればここではミミくらいしか馴染めそうな奴がいない。頼りない我々の分まで是非とも頑張っていただきたい。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもねぇ」
不思議そうに小首を傾げるミミ。
無意識のうちにそっちに視線を送っていたらしい。
しかしまあ、町の雰囲気に呑まれる呑まれないに関係なく、ミミには努力してもらう予定ではある。
高度な魔術書がゴロゴロ転がっているそうだからな。どれかひとつくらいは町を去る前に身につけてもらいたいところ。
「ま、一度行ってみてからだな」
具体的なスケジュールは着いてから考えればいいや。どうせ皮算用にしかならないし。
俺の胸で輝いている治癒のアレキサンドライトを入手するまでの道筋にしたって、想像以上に経費と知恵と、なによりも根気が要求された。
もうクズまみれの石ガチャを回すのはこりごりだ。
ギルド前の大通りまで移動する。
そこでは別行動を取っていたヒメリが俺たちの到来を待っていた。
昨日のうちに旅立つ旨は話してあったからな。ここで約束をすっぽかされたら遠慮なく置いていくつもりだったんだが、どうやらヒメリはまだまだ同行を続ける意志は固いらしく、むしろ俺を「遅いじゃないですか」と何度見たか分からない指差しポーズで咎めてきた。
「ウィクライフまでは五十キロ弱しか離れていません。特に問題が起きなければ、今晩は宿の暖かいベッドで寝られるかと」
「だから急ごうってか?」
「そのとおりです。早く出発しましょう。……ここを離れるのは少し残念ですが、やるべきことは概ね達成したので不満はないですね」
この町での活動内容について振り返っているらしいヒメリは、目を閉じてふふんと満足げな笑みを浮かべている。
「念願の魔力効果付きのアクセサリーも手に入れられましたし、他に原石を三つ見つけましたからお財布にも余裕ができましたよ。それになにより! 特級の魔物の討伐作戦に参加したことで私の評判も高まりましたからね。実りある二週間でした」
喜んでいるところに水を差すようで悪いので内緒にしておくが、討伐隊を自ら結成した上で任務を終えた俺のほうが遥かに多くの名声を得ている。
果たしてこいつの「俺を超える」という目標はいつ成就するんだろうか。
いちいち張り合われるのも疲れるのでさっさと抜いてってほしいんだが。
……不意に。
「おっ! シュウトじゃねェか!」
上のほうから馬鹿でかい声が飛んできた。
目線を上げて見えたのは、二階席の窓から上半身を乗り出したガードナーのおっさんの姿。顔全体が茹でられたように赤く、相当朝酒を浴びていることが一瞬で分かる。
厚みのある図体のせいもあって、鬼に見下ろされているかのような気分になるな。
「その荷物の量ってこたァ、ジェムナを出ていくんだな」
「ああ。他の町も巡らないといけないんでね」
「まだまだ旅の途中ってことか。俺はこの町を離れたことがないからなァ。また立ち寄ることがあれば旅の話でも聞かせてくれ」
「多分だが、もう来ないぞ。ここはモノの値段が高くてやってらんねぇ」
「ガハハハ! そりゃ違ェねェな!」
なにがそんなに面白いのかは謎だが、おっさんは愉快愉快とばかりに大笑いした。
「兄ちゃんたちには随分と助けられたからなァ。ここのギルドを代表して、ってわけじゃねェが、別れる前に俺から礼を伝えておくぜ」
大男は両手の親指をグッと立てる。
隣にいるヒメリは「いえ、こちらこそ」と頭を下げていたが、俺の頭は成長不良の稲みたいに持ち上がったままだ。
「別にあんたらのためにやったわけじゃないけどな」
操業再開を一週間も待たされるのが嫌だっただけだし。
「グッフッフ。結果を出してくれりゃ動機なんてどうでもいいのさ。俺がデカブツ退治に向かうのだって似たようなもんだからよ」
どこが似てるんだよ、と俺は自嘲気味に苦笑いしそうになるが、しかし。
結局はおっさんも、決して自己犠牲の精神ではやっていない、ということだろう。
金や名誉といった見返りを求めもせず、ただ、最も戦える者が大仕事を請け負うのが自然だと考えている。それはむしろ自己満足の部類なのかも知れない。
あれだけの実力と実績がありながらジェムナに留まり続けているのは、そういった考えが根底にあるからじゃなかろうか。
俺はおっさんに、苦笑の代わりに念押しを返す。
「自分のやりたいようにやってるだけってか?」
「そういうこった。結果として町が発展するんなら、願ったり叶ったりってやつだぜ」
まったく自慢げな感じを滲ませずにさらっとそう語るおっさん。
それほど尽くしてもまだ、完璧には人心掌握できていないってんだから、世は非情だ。
事実、情で動く冒険者よりも、金で動く冒険者のほうが多かった。
それはごくごく普通の思考ともいえる。誰だって自分の生活が第一。俺にしたってそうだ。
敬意なんてフワフワしたものはいざって時に信用できないしな。
おっさんの目が届かないところでその実力にケチをつけていた奴のことを思い出す。
憧れと妬みは表裏一体で、誰もが同業者の活躍を素直に喜べるような優れた人間性を持っているわけじゃない。
けれどガードナーはそれすらも気に留めないだろう。
他人の評価を気にするような男が大勢の前で見知らぬ輩の奴隷を同卓させるだろうか?
「いや、ねぇな」
知らずのうちに俺はそんなことをボソッと呟いていた。
おっさんは飽きもせずにジョッキを傾けながら、この高低差でも分かるくらいに酒臭い息で俺に語りかけてくる。
「お前さんの名前は町の歴史に長く刻まれるぜ。なにせ二日であの厄介者を退けた部隊を作り上げた張本人なんだから。忘れようったって忘れらんねェよ」
「へえ、そうかい。なら一応光栄には思っておくか」
「そうしてくれるなら俺としても誇らしいぜ。んじゃ、達者でなァ」
手を振るおっさんに向けて、俺は一言「おう」とだけ返して置き土産とした。
次の行き先へと続く道を進む。
俺もやりたいようにやるだけだ。方針を変えたりなんかしない。
ただし、やれる範囲で、な。