俺、疾走する
決戦当日の朝。
「眠たそうだね」
「何時起きだと思ってやがる」
山道の入り口前で、あくびする俺と純白の鎧で決めたヤンネが肩を並べていた。
ヤンネは結局ローブを着た魔術師っぽい役割の女をパートナーに選んだらしい。前衛タイプである自分の欠点を補うことが狙いか。
一方の俺は、もちろんホクトとタッグを組んでいる。
「コンディションは十全であります! 迅速に頂上まで駆け上がるであります!」
気合も満タンだ。
パドックでこれを見かけたら追加で単勝買っちゃうな。
「あー、それではルールの再確認を行うが」
見届け役として立ち会っているギルドマスターのおっさんが説明を始める。
もっとも山道前に来たのはおっさんだけではない。多くの町民が押し寄せてきていた。
雌雄が決する瞬間を見に来たらしいが、どっちかが蝶を捕まえて戻ってくるのはおそらく日没後になるだろうに、よく待とうと思えるな。俺なら絶対お断りなんだが。
当然ヤンネファンクラブの連中も集まっているし、別に宿で寝てていいと言ったのに律儀にミミもついてきている。
「先にヒスト・ラクシャリアを捕獲して帰還したほうを勝者とする。魔物の討伐数や被害の大小は評価に含めない。アイテムは使用可、装備は自由。唯一禁止なのは対人攻撃だけだ」
こんなのは事前に知らされている。今更姿勢を正して聞くようなものでもない。
市場の面々が全員ヤンネに与して俺には回復薬を売らない、なんてこともあるかと思ったが、おっさんが依頼の受注を止めないのと同様に、売買に私情を差し挟んではこなかった。
備蓄は万端。
それにしても、虫取り網なんて握ったのはいつぶりだろうか。ヤンネ側も持参しているからなんか夏休みっぽくて今ひとつ緊迫感がない。
「……ただなぁ、シュウト」
出走間際になっておっさんが心配性な口ぶりで話しかけてくる。
「なんだ?」
「本当にその防具でいいのか?」
「いつもの服装だけど」
「お前じゃない、お前の相方だよ。随分と軽装じゃないか」
「ああ、そっちか」
クジャタの服にレザーベストといういつもの格好に剣を背負った俺とは違い、ホクトはプレートメイルではなく、新たに購入した皮鎧を着こんでいる。
「軽くて走りやすそうだったからな」
「軽いったってなぁ。皮革は刃物に対してはまずまず耐性があるが、ここの魔物がしかけてくる攻撃は体当たりだぞ?」
「まあ結果を待ってなって」
俺はそうとだけ返答した。
「いよいよだね。正々堂々戦おう」
手を差し伸べてくるヤンネ。
だが俺は握手を拒んだ。
「お前のそういう行為が勘違いを生むんだぜ」
「勘違い?」
「周りをその気にさせるってやつだよ。これといった思惑なんてなくとも、王様みたいな振る舞いをするから皆そうだと思っちまうんだ」
自然に出てしまう所作なんだろうが、だからこそ危うい。知らず知らずのうちに女を虜にし、民衆を扇動し、話題の中心にい続ける。それがこいつの特性だ。
相手のペースに呑まれてたまるか。
「時間だ。始めるぞ!」
響き渡る大声と共に、おっさんが手に持っていた鐘をガランガランと鳴らす。
ついに開始か。
颯爽とスタートを切るヤンネ組。一方で俺は剣と交差させるように虫取り網を背負い、ホクトの背中へと飛び乗った。
「行くぜ、ホクト」
「了解であります! 一世一代の大勝負、支えさせていただきます!」
ホクトが疾駆を開始する。
素晴らしいスピードだ。あっという間にヤンネを抜き去り、どんどん差を離していく。
「うおおおお! 全速全開であります!」
坂道をものともせず駆け上がっていくホクトの足腰は強靭極まりない。装備も軽量級で統一してあるから、走る妨げになるものはなにひとつとしてない。
問題は……。
「主殿! 斜め前方に魔物の影をとらえたであります!」
魔物の出現地帯にさしかかったようだ。
数にして二体。例によって真っ黒ボディの鹿と猪である。
どちらも俺たちの方向へと突進してきている。防御面の乏しいホクトに命中すればかなりのダメージを負うことになるだろう。
しかしそれは命中すればの話だ。
さらに言うならば、戦闘に及びさえしなければ何も不都合は起こり得ない。
向かってくる魔物を視界に収めた俺は、それでもホクトの背中からは降りなかった。
動ずることはない。
俺は背負っている剣を――『鞘から』引き抜いた。
「吹き飛べええっ!」
淡いエメラルド色の輝きを帯びた刀身から、勢いよく暴風が放たれた。
「僕の父は鉱夫でした。まだ鉱山に魔物が跋扈していなかった頃のことです」
俺を自宅に招いたリクは、唐突に身の上話を始めた。
それにしても、質素な家だ。木造建築の時点でかなりボロいことがうかがえる。これだったら最初に女神にもらった家のほうがずっとマシだな。
「この地方の鉱山はそれほど貴重な金属は取れませんから、苦労の割に大した稼ぎにはなりませんでした。それでも父は採掘に行ってくれたんです……僕と母を養うために」
神妙な顔つきをするリク。
「魔物が出るようになってからは鉱夫を引退せざるを得なくなりましたが、ツルハシひとつで出かけていく父の大きな背中を、僕はまだ忘れられません」
「急に来てくれなんて言うかと思ったら、親父の話かよ」
まさか亡くなったとかいうんじゃあるまいな。
そういえばこいつには以前から鉱山に潜り続けてるという伏線もあった。お涙頂戴なストーリーが展開しそうな予感がする。俺はそういう湿っぽい話を聞かされるのは苦手だぞ。
「いえ、父も母も健在です。今はアセル郊外でのんびり過ごしてますよ。別に遺志を継いで鉱山に通っているとかではないです」
「おどかすなよ。なんだったんだよさっきの意味深なエピソードは」
「えと、父が関係することですので、一応話はしておこうかと」
俺はお前の家庭環境に興味なんてないっての。
早く本題に入るよう催促する。
「わ、分かりました。あのですね、僕が冒険者になると伝えた時に、父から教えてもらった情報があるんです。長く鉱夫として勤めていた父は鉱山に関してはエキスパートでしたから」
「まあ地形とかそういうのは詳しいだろうな」
「それだけじゃありません。もっと重要な……秘密の事実を教わりました。僕が鉱山に通い続けている理由は、これです」
リクは床板を外して、そこに隠していた布袋を引っ張り出した。
黒ずんだ袋の紐を解き、ザッと床の上に広げられた中身は……一見すると、青サビが浮いているようにしか見えない銅鉱石だった。
一個一個は小粒だが数がやたら多い。
「なんだこれは。こんな錆びてる石を隠す意味あるのか?」
「シュウトさん、これはサビなんかじゃないです。金属自体の色ですよ」
鉱石のひとつをつまみ上げながらリクが解説する。
「これは征鳥鉱……風属性の魔力を宿した金属です。微量な上に見た目も地味だから見逃してしまうだけで、この土地の鉱山にはレアメタルが含まれているんです」
「マジか。ギルドのおっさんですらそんなこと知らなかったぞ」
「父が偶然発見したみたいです。ただ、本当に少しずつしか取れませんから、武器に仕立てられるまで溜めるのは骨が折れましたが……」
「ふーむ、だとしたら今から俺が集めるのは厳しいか」
人員を割けばできなくもないが、俺にだけ話すってことは内緒にしてくれってことだろうからそうするのもはばかられる。
俺は素材にはうるさいから手に入れたいところだが、時間的な制約で無理そうだな。
「大丈夫です。本当は僕が鍛冶に用いるつもりでしたけど……これをシュウトさんに使ってもらいたいんです」
「へ? いいの?」
「シュウトさんの大事な一戦を応援しようと思ったら、僕にはこのくらいしかできませんから。冒険者ギルドをここまで育ててくれたお返しがしたいんです」
願ってもない申し出だが、いやいや、だからって苦労の証をそう易々と受け取るわけには。
まあめっちゃニコニコしてしまってるんだが。
「いいんです。シュウトさんはいずれいなくなってしまいますけど、僕はまだまだこの町に留まりますから。また一から集めなおします。修行にもなりますしね。その代わり」
絶対に勝ってください、と力強い言葉で少年は結んだ。
な、なんていい奴なんだ、リクよ。俺は今猛烈に感動している。
「お前の心意気は伝わったよ。ありがたく受け取っとくぜ」
「えっ、あげませんよ。十五万Gでお売りしようかなって」
リクは感動を一瞬で台無しにした。
「おいおい、今のは『是非お納めください!』でプレゼントの流れだろ」
「イーブンな取引をしろというのが、シュウトさんから教わった心得ですから」
ちゃっかりしてやがる。
けど、それでいい。
「やるようになったじゃねぇか」
このたくましさなら俺が町を去った後もなんの問題もないだろう。
成長の記念に、俺は一万Gを上乗せしてやった。
「吹き飛べええっ!」
ようやく秘蔵の武器が実戦投入となったことでテンションが上がっていた俺は、柄にもなくドヤった台詞を吐いてしまっていた。
とはいえ剣先から渦を巻くようにして放たれた風は、二体の魔物を台詞どおりに吹き飛ばしてくれたため、俺としても溜飲が下がるところだ。
新たな剣、ブロードソードの効力は、どうやらケチのつけようがないようだな。
リクから買い取ったレアメタルをベースに鍛冶屋に委託したこの幅広の剣は、切っ先を前にしてかざすことで突風を起こす追加効果が発生する。
風自体にはほとんどダメージはないが、その風圧をもって対象を吹き飛ばし、大きくノックバックさせることができる。
強制的に戦闘を離脱させられるわけだ。
緑がかった外観も中々よろしい。ただのサビにしか見えなかった状態の時はどうなることかと思ったが、いざ合金にしてみると非常に格調高いカラーリングになっている。
「順調でありますな、主殿!」
「うむ」
戦わないから防具も最低限でいい。
魔物との交戦をすべて回避しながら俺たちは突き進む。
目指すは頂上。