俺、進歩する
魔物が出現しないポイントまで移動し、そこにテントを設営する。
晩飯は質素にパンと燻製肉だけ。
勉強熱心なミミはテントの中でもランプの灯を頼りに『初級呪術のグリモワール』という魔術書を読んでいたが、スタミナ切れを起こしていた俺はさっさと寝てしまった。
明朝、せっかくなので湖畔の探索を続行する。
レアな植物があるとのことだが、とりわけ特徴的なものは見当たらず、平凡な薬草しかない。
三時間ほど探し回っても、これといって目立った成果はなし。
「……スカだな」
俺はそう決断を下し、ミミに帰宅を促した。
徒歩で二十キロを超える道のりを進むという馬鹿げた行軍を経て、俺たちは町に辿り着いた。
とっくに夕暮れ時だ。一泊二日のキャンプだったな、完全に。
先にミミを自宅に戻らせる。
奴隷を一人にするのは逃亡のおそれがあるから避けるべき、なんてささやかれがちだが、俺は特に案じてはいなかった。
その後の生活が保証されてるわけでもないし、何よりミミがもし本気でそう考えているのであれば、俺が寝息を立てている間に首をかっ切っているだろう。
「シュウト、今回はよくやってくれたな!」
斡旋所に入るなり、おっさんが手を叩きながら俺を歓迎した。
「ヒメリは見かけたか?」
真っ先に尋ねる。
「あいつ、勝手に帰りやがったもんだから顛末がよく分かってねぇんだよな」
「営業終了間際に顔を見せに来たぜ。『迷惑をおかけしました』って頭下げたらすぐ帰ってしまったけどな」
「俺になにかしら伝言はあるか?」
「ハッハッハ、あの意地っ張りな性格でそういうのを残すと思うか?」
「……ないな」
「代わりに俺が感謝を伝えとくよ。本当に助かった。ギルドメンバーを失う辛さは何十年経っても慣れないからな」
ま、その件についてはこんなとこでいい。
「他の依頼も全部こなしてきたぞ。やること多すぎてくたびれちまったよ」
湖畔で採取してきたものをドカドカと提示する。カエルの肝も一緒に。
「おっ、こいつはゲゲナ・ギギエラの肝じゃないか」
なんとなく分かってたけどまた覚えにくい名前だな。
俺のシンプルイズベストなネーミングセンスを見習ってもらいたいものだ。
「これがまた高価な薬の材料になるんだよなぁ……ってことは、おいおいまさか、賞金首の討伐も達成してきたのか?」
「ま、そうなるわな」
「ううむ」
肝の入れられた瓶を手中で転がしながら唸るおっさん。
「湖畔でのクエストも問題なし、強敵撃破も達成している、加えてギルドへの貢献……実力、実績共に申し分ないな。シュウト」
「なんだよ」
「お前のランクをDに上げておくよ」
……お?
「マジでか?」
「本来、三ヶ月はかかるとこなんだけどな。だが能力があるならこっちとしても優先的に仕事を手配してやりたいし、お前も一段上の肩書きは欲しいところだろう」
確かに、俺が今もっとも欲しているのは地位だ。
それが与えられることに不満なんてあるわけがない。
しかしまあ、もうDランクか。二週間くらいしか活動してなくてこれは順調すぎるな。
「ってことは、これでやっと他の町にも行けるようになるんだな」
「なに先走ってんだ、通行証を発行してやれるのはCランクからだぞ」
おっさんは「寝ぼけたことぬかすな」みたいな目で俺を見る。
「は? ……おい、じゃあDランクの利点ってなんだよ」
「さっき説明してやっただろ。回せる依頼が増えるってことだ」
「そんだけ?」
「そんだけ」
おっさんはガハハと笑う。
くっ……結局まだまだ下っ端ってことかよ。
「これでも実力だけならC相当と評価してやってるんだぜ。比較的弱めとはいえ、要注意の魔物を二種類も倒してるんだからな」
「だったら飛び級させてくれよ。俺は実質上とかそういうのはいらんぞ」
「それは周りを納得させるだけの実績を積んでからだな」
コツコツ真面目になんてのはめんどくさいが、仕方ないか。
今回の遠征で新たな課題もいくつか見つかったことだしな。女神謹製のスキルがあるとはいえ着実にやっていくしかない。
「よっしゃ、だったらまずはこの名もなき町で」
「町名はフィーだ」
「……このフィーの町で俺の名前を上げてやるよ」
懸賞金の二万Gを含めた報酬を受け取り、俺は斡旋所を後にした。
多額の撃破報奨と足すと七十万弱の稼ぎにはなったが、半日移動に費やしていることを考慮すると割に合っているとは言えない。湖畔に行くならレア素材を持ち帰ってこそって感じだな。
夕陽に照らされながら帰宅。
「おかえりなさいませ」
ミミが深々と一礼して出迎える。
懐かしい自宅の匂いを嗅いだ途端、疲れが一気に倍増したように感じた。
ああ俺、この二日間ずっと冒険やってたんだな……。
そう思うと体が脱力感に押し流されて、ぐでんとベッドに横たわる。
寝転んだ姿勢のまま俺は思考する。
やるべきことが多すぎるな。
第一の目標は引越しなのだが、かまど付きの住居の購入にいくら必要なのか見当もつかない。それに立地がここでいいかどうかも保留状態だ。どうせならいろいろと巡った上で住む土地を決めたいじゃないか。この町に貸家があればベストなのだが。
となれば資金の面でも足の面でも、まずは俺のランクを上げるのが先決だろう。
「……それにしたってなぁ」
腰から外し、今はテーブルの上に置かれてあるカットラスに視線を送る。
あのゲゲ……ゲゲギギ……カエルの魔物にはちっとも通用しなかった。
ミミのおかげでなんとかなりはしたが、今後冒険者稼業を続けていくならああいった硬い敵と遭遇する場面も増えてくるはず。早いうちに戦力を伸ばしておかなければならない。
けれど俺自身が強くなるには、はっきりいってめちゃくちゃな時間がかかる。そもそもにしてイチから修行を積むような根性もない。
そろそろ買い替え時なのかも知れないな。
しかしまあ、こっち来てから働きすぎだな、俺。
生き甲斐を感じられている分、死んだ目でライン工やってた頃よりは遥かにマシだが。
「考えごとですか?」
ベッドに腰かけたミミが俺の顔を覗きこむ。
白い前髪がふわりと揺れている。
「旅路の帰りです。あまり根は詰めなさらずに」
柔らかな声音でささやきながら、俺の熱っぽい額に手を置いた。
……そうだな、ひとまずは一切合財を放棄して休むか。ただでさえ頭の回転が早いほうじゃないのに、疲れた脳で考えたところで妙案が浮かんでくるはずもないし。
俺は寝そべったままミミを抱き寄せ、その可憐な唇を奪った。
明日はゆっくりするとしよう。