俺、操作する
まあ、詮索しなくてもいいか。
思い出せない事柄を思い出そうとすることほど脳ミソに送るエネルギーを無駄にする行為はない。
それよりだ。
大会開催まではまだ十日少々あるとはいえ、時間は有限。
対戦カードが決まったことで発奮しているカイも含めて最終調整を行っておかねば。
……と、カイのやる気にあてられてか珍しく気を引き締める俺だったのだが、群衆の中を掻き分けてくる人影を目にするとスッと力が抜けていった。
しなやかな黄金色の髪がなびいている。ヒメリだ。
抽選結果は俺とカイの二人で確認してくる、と告げて屋敷を出たのだが、どうやら自分自身の目で見ておきたいと思って闘技場前まで駆けてきたらしい。
こいつの性格を考えるとなんら奇抜な行動ではないけれど。
「お前も見に来たのか?」
「ええ。恥ずかしながら、浮き足立ってしまっていてもたっていられず……って……一体なんですか、その服?」
ヒメリは俺のまとっている『深緋の』レザーコートをじろじろと見ながら言った。
「あー、これか? イメチェンに気づくの遅ぇな。このタイミングかよ。いやさ、ちょうど今日出来上がるっていう話だから、ついでに朝一番で受け取りに行ったんだよ」
俺はへたっていた襟を正しながら答える。
革細工職人に預けていた火牛の毛皮は見事に加工されて戻ってきた。
触れただけでも頑丈さが伝わってくるほど硬く厚い生地だが、計算され尽くした絶妙な縫い合わせのおかげで体の動作を阻害しない、満足のいく出来栄えである。
にしても、元々はよく言えば情熱的な、悪く言うと目がチカチカしてくるようなドギツい赤色だった毛皮が、釜で塩茹でされるとこんなふうに落ち着きのあるワインレッドに様変わりするんだから不思議なものだ。
それと中に着ている紫と黒の中間のような色合いのシャツは、リステリア地下で手に入れた冥布――ボロ切れ同然だが魔法にだけは強い素材――で作られてある。
こっそりと裁縫工房で仕立ててもらった一品だが、軽くて肌触りがよく、着心地の面でも申し分ない。
「つまり、火への抵抗は抜群ってわけだ、この装備は」
「はあ、ジェラルドさんに対抗できる防具を揃えたってことですか」
「そういうことだ」
「……それをシュウトさんが着る意味とは?」
「真新しい服には一回袖を通してみたくなるだろ?」
要は気分の問題である。
「それに火以外なら他の装備でも十分だしな。これはジェラルド相手のとっておきだ」
「シュウトさんの格好は理解できましたよ……でもカイくんはおかしいですよね?」
ヒメリの目線が俺から下方向に移る。
その視線の先にいるカイは、俺がそれまで愛用していたカトブレパスの毛皮製のコートを羽織っていた。
とりあえずで貸したものだが、俺が着ていてさえ丈余りを感じていたくらいだから、小柄なカイだとそれはより顕著になった。具体的に言うと、裾が地面スレスレになっている。
「どう見ても合ってませんよ!」
「そうか? カワイイって評判だったんだけどな」
「た、確かに愛らしさはありますが……」
もっとも、カイ本人はまったく不服そうではない。
「別に動きにくいわけじゃないから大丈夫ですよ。それよりヒメリさん。ひとつお願いがあるんですけど」
「え? なっ、なんでしょうか」
まっすぐに見つめてきた少年の瞳に、意味もなくドキッとして尋ね返すヒメリ。
「少しだけ手合わせを頼んでもいいですか? 今日は闘技場の営業は休みですけど、中の施設は使えますから」
「な、なんだ、練習のことですか……それでしたら、私こそ是非」
意見が一致した二人は選手用の入り口へと歩いていった。
「……で、残された俺はどうすればいいんですかね」
待ってろってことなのか、先に帰っていいのか。
どっちにしても手持ち無沙汰なので、ひととおり目を通し終えたトーナメント表の前を離れて適当に広場をぶらつく。
とはいえ一人で屋台巡りをしたところで虚しい。数十分歩き回ってみたが特に面白くもなかったので、これだったらトーナメント表の折れ線でも眺めてた方がまだマシだったな……と思いながら掲示板前へと戻ろうとしたのだが。
「ん?」
広場の隅……というより最早裏路地と呼んでしまってもいいようなひっそりとした場所に、もう一枚貼り出されていることに気がついた。
ただそれは俺が見ていたものよりも随分と小さく、字も汚かった。これが正規のトーナメント表だとしたら手抜きもいいとこなのでおそらくは誰かが書き写したものだろう。
興味を引かれたので近づいてみる。
コピーに集まっている人間は、ぶっちゃけると大分ガラが悪かった。見た目もそうだが会話する口調からして荒っぽい。
だがその会話の内容自体は、俺の関心をグイッと引き寄せるものだった。
「いよいよ組み合わせが発表されたが……どうよ? 誰が勝つと思う?」
「んなもん決まってる。ジェラルドって奴を買っておけばいいんだろ?」
「二年前の優勝者と準優勝者が出てねぇんじゃ、ジェラルドのいるチームがダントツの本命に決まってらぁ。俺はここに3000Gぶっこむ予定だぜ」
「同意見だな。俺は2000G賭けるぞ。追加で買うかも知れんが、まずは様子見でこの額で」
「俺もジェラルドにだ」
「バカヤロウ、全員ジェラルドに張ったんじゃロクな配当にならねぇだろ!」
口悪く言い合いながらも、それぞれが宣言した金額を羊皮紙に書きこんでいる。
どうやら優勝者を当てる賭博をやっているらしい。
表の書き写しは、こうしてじっくりと仲間内で検討するために作ったのだろう。
ってか、やっぱあるんじゃん、賭け。それも話の内容からして、個人間のみみっちいやり取りではなく、胴元の存在する大規模なブックメーカーのようだ。
話している連中の風体を見る限り、明らかに非合法っぽいが。
果たしてどこのどいつが取り仕切ってるのやら。
しかしまあ薄情な連中だな。せめてこんな時くらい応援の意味を込めて地元の参加者に賭けるくらいしとけよ……と言いたいところだが、金が掛かってるんだからそんな情で動くわけにはいかないという気持ちも分かってしまうのが辛いところ。
それにしても、こいつらの賭け方はなってない!
ド素人じゃあるまいし、そんな儲からない買い方をしてどうする。一番人気のジェラルドに張るにしても、倍率の低い一点買いは高リスク低リターンのご法度で……。
……ん? 人気?
「なるほど、その手があったか」
邪魔者(と書いてヒメリと読む)もいないことだし、久しぶりに汚い大人の部分を出していくとするか。
「チンケな賭け方してんなぁ。稼ぎたかったらそのやり方じゃダメだってのに」
俺はわざとらしく、ギャンブルに興じる連中に聞こえるように言い放った。
当然のように集まる注目。その中の一人が含み笑いを浮かべながら聞いてくる。
「兄さん、その口ぶりじゃ賭けには相当うるさそうだな。ひとつご高説頼もうか」
俺はその言葉に「待ってました」とばかりに。
「金を増やしたいなら大穴にもいくらか振るべきだ。安定の本命に八割、夢を託した数チームに二割。これが定石だぜ。そして一攫千金を目指すなら、大穴にでかく張る。俺が好きなのはこの賭け方だな。ギャンブルの醍醐味を存分に味わえるからさ」
「けどよぉ、そうは言ってもどこが買う価値のあるチームかなんて分からねぇよ」
「そうだそうだ!」
話に加わる数が増え始める。
「あれか、イゾルダのチームか?」
「寝言は寝て言え。そこも結構人気が集まりそうだから穴ってほどじゃねぇだろ」
「じゃあどこだよ? よそから来てる連中の強い弱いなんてよく分からんぞ」
あれこれ議論される中。
「俺が勧めるのはカイとチノのところだな」
満を持してその名前を出す俺。
「カイとチノ~?」
「おう。この町の剣闘士なんだし聞いたことくらいはあるだろ」
「そりゃ俺たちもその二人のことは知ってるよ。確かにあいつらは若いのにいい腕してるようだが、まだまだ経験の浅いガキんちょだ。さすがに優勝は厳しくねぇか?」
「甘い、甘いな。二人だけでは厳しくても、組んでる奴が生半可じゃないんだよ」
その場にいる全員から、なんだそりゃ、みたいな顔をされる。
「二人と組んでるっていうと……このヒメリって奴か」
書き写しのリストから名前を探し当てるギャンブラーご一行。
控えにもう一人いる件についてがナチュラルにスルーされているのは寂しかったが、これはまあ好都合ともいえる。
「名前の響き的には女か? 初耳だぞ、こんな奴」
「そりゃそうだ、潮臭い田舎町から出てきたばかりでまだ名前の売れていない冒険者だからな。しかしながら剣の腕はジェラルドやイゾルダにも匹敵する……いや、もしかしたら凌ぐかも知れないという、とんでもない大物だぜ、こいつは。ずば抜けた技術もさることながら全身をレアメタルで固めたとんでもない化け物だ」
俺は堂々とフカした。
もっとも「全身をレアメタルで固めた」の部分は俺の援助が真実にしている。
その後もいかにヒメリという女が怪物であるかを語る、というか、騙る。
「ちょっとした魔物の一種みたいなものだと考えてくれ」
ややヒメリちゃんに失礼な発言も交えて。
「ま、これはとある信頼できるスジから仕入れた極秘情報なんで、一般には出回ってない裏ネタではあるが」
「おいおい、胡散臭い話だな。そんな眉唾モンの話を聞いたところで『はいそうですか』って賭けられるほど俺たちゃアホじゃないぜ」
「信じるか信じないかは自由だよ。ただひとつ言えるのは――」
一瞬のタメを作ってから、俺は決定打を与えにかかる。
「俺がそいつらに三十万G預けてもいいってことだ。その用紙に書いておいてくれ」
全員が全員唖然とした表情になった。
「……は? 三十万?」
「正気か? この紙出しちまったらもう胴元の集金からは逃げらんねぇんだぞ?」
「んなアホみたいな金額賭けるって……いや面白いは面白いけどよぉ」
やめとけ、と口々に諭されるが、俺は逆に持論を強調する。
「当てる自信があるから三十万G入れるんだよ。今の風潮じゃ大穴だが、俺にとっちゃ本命みたいなもんだ」
びびった様子を見せず、むしろ自信過剰なくらいの態度で応じた。
若干のざわつきの後。
「……そんなに自信満々なら、俺もちょっと買ってみるかな」
「はあ? お前、こんな与太話を信じるのか?」
「そりゃそうだろ! これだけの額を賭けられるだなんて、よっぽど裏づけになる情報がなかったら無理じゃねぇか! 外聞とか知るか、俺はこの兄さんの後を追うぜ」
「じゃ、じゃあ俺も500Gだけ……」
「試しに200G賭けるくらいなら大丈夫だよな……外しても一食抜けるだけだし……」
よし、よし、よし。
どうやら口先任せのイメージ戦略と大金が持つ説得力によって印象操作はうまくいったらしい。次から次にチノとカイ、そして港町を食い荒らす暴食怪獣ヒメリで結成されたチームへと賭け金が移動する。
あくまでジェラルドを外した時の保険、といった程度ではあるが、それで十分だ。
「……最後に聞くけど、本当の本当に三十万賭けたんでいいんだよな?」
顔の各所に傷のあるおっさんに、念を押されながら一枚の小さな地図を握らされた。
後日ここに行って金を納めろ、ということらしい。
「二言はないぞ」
「分かった。なら名義を教えてくれ」
「シュウイチ・クロサワだ」
こんな時、顔と名前の知られていない立場は便利である。
これで配当は大きく変動し、そうなれば口コミが広がって更に俺たちのチームの馬券、ならぬ剣闘士券を買い求める声も増すだろう。
正直な話、三十万Gが膨れ上がって返ってこようがこまいがどうでもいい。
人間誰だって金が掛かれば必死になって応援する。
大会当日の声援による後押しを買ったと思えば安いものだ。