俺、到達する
ミミを従えて館を去ろうとする俺に、奴隷商人が見送りについてきた。
「お客様、満足いただけましたか?」
「あ、ああ、そりゃもう」
俺は隣に立つミミをちらちら脇見しながら答える。
「それは幸いでございます。ミミは聞き分けのいい娘ですし、魔法だけでなく家事をしこむのもよいでしょう。お客様の生活が一層豊かになることを願っております」
と、ここで商人は声のトーンを下げ、俺のすぐそばに近寄る。
特に重要な話だ、と前置きして。
「しかしミミは生娘です。夜の相手を任せるには力不足かと」
耳打ちする商人。
「それと獣人は種の異なる人間との間にはめったに子を成しません。世継ぎを残すような用途には即しませんので、くれぐれもお忘れにならずに」
まとめると、最高ということらしい。
なんとも落ち着かない心地で自宅に帰る俺だったが、ミミは遠慮してか主従関係を重んじているのか、その三歩後ろに付き従っていた。
「横にいていいんだぞ」
「ですが」
「ていうか、いてくれ。話がしたいんだ」
とりあえずコミュニケーションを取らないことには始まらない。
歩きながら親密さを深めようとする。
しかし何を話せばいいのだろう。奴隷商人にさらわれる前のことを聞くのはさすがにデリカシーがなさすぎるし。当たり障りのない質問くらいしかできないんだが。
「歳はいくつなんだ?」
「先日十九を迎えました」
十九……分かっちゃいたが俺よりまあまあ年下だな。
「ミミはマスターのお名前が知りとうございます」
会話の続かない俺を見かねて、逆にミミから聞き出してくる。
「シュウトだ。シュウト・シラサワ。今気づいたけど、こっち来てから苗字で呼ばれたことねぇな、そういや」
「それでは、シュウト様とお呼びいたします」
なんてもどかしい呼ばれ方なんだ。
ミミはいちいち語尾にハートマークが似合いそうな甘い声で話すので、脳を溶かされないようにするのに精一杯だ。
「シュウト様は冒険者とお聞きしました。ミミに力添えできることはありますでしょうか」
「そりゃもう、魔法やらなんやらでサポートを……」
「ですが、ミミはひとつも魔法を扱えません」
「えっ、マジで?」
そういえばあの商人、適正があるって紹介しただけで今すぐ使えるとは言ってなかったな。
「……じゃあまずは覚えてもらうとこからだな」
武器屋や魔法屋で表紙は目にしたことがあるが、ああいった魔術書でも読ませればいいんだろうか。何冊か買ってみるか。
とはいえ今の俺は奴隷の購入に全財産を注ぎこんだせいで素寒貧だ。
金貨と銀貨が数枚しか残っていない。
……とりあえず明日もオークを狩りに行って当座の資金を作っておくとしよう。
「あっ、ついでに気づいたことなんだが」
「いかがなさいました?」
「一緒に探索するなら、ミミの分の装備も揃えておかないとな」
ミミはごくごく普通のチュニックを一枚着ているだけで、転生直後の俺と同様、村人A感が強い。
バカンスじゃあるまいし、魔物の蔓延る危険な場所に連れて行くのにこの服装は論外。
「そんな上等の服をミミなんかにくださらなくとも……」
「違う違う。ミミがどう思うかだけじゃなく、俺がそうしたいんだよ」
やっとの思いで手に入れたミミを万が一にも失おうものなら、俺はしばらくショックで立ち上がれなくなるに違いない。
「シュウト様は優しいお方なのですね」
ミミが頬を染めて微笑む。表情が乏しい分、たまに見せる笑顔の破壊力が異常だ。
俺が更にいいものを買って今使用している衣類をおさがりとしてミミに渡す、というのも考えたが、服にしてもベストにしても男モノなのでサイズが合わないだろう。特に胸の辺りは窮屈そうだ。俺は一体何を言っているんだ。
それに魔法を担当してもらうのに、武器が剣というのもチグハグである。
「明日の午前中に俺一人で稼いでくるから、その後でいろいろ買い物に行こうか」
「承知しました。素敵な服を楽しみにしています」
服を着ていないミミが一番素敵だけどな。
俺の頭にはそんなアホみたいな口説き文句が浮かんでいた。
そんなこんなで自宅に到着。
ドアをくぐって中に入ると、ミミは少しだけ表情に戸惑いの色を滲ませた。
「どうかしたか?」
「いえ、その」
言いにくそうにするミミ。
「ミミを雇ってくださるほどなのですから、立派なお屋敷かとばかり」
うっ。痛いところを……。
確かに俺が初日から住んでいる家は、寝泊まりするくらいのことしかできない。最低限の家具に最低限の敷地。安い宿みたいな部屋だ。
客観的に考えると、四畳半のアパートに住んで外車乗り回してるようなもんだからな、俺。
「今はこんなんだが、そのうちいい暮らしができるようにしてやるよ」
俺は見栄を張った。
自分の特質を考えれば、決して無謀ではない、はず。
「本当でしょうか? でしたら、ミミはその日を心待ちにしたいと思います」
どうやら期待させてしまったらしい。
元々奴隷を買うのが最大の目的で、俺を突き動かす原動力だったが、こうなったら明日からもサボらず金策に努めないとな……。
「まあ、ここが狭苦しいのは間違いないからな……その上今日からは二人で住むわけだし」
「はい。それにしても……」
妙に気まずい空気が流れる。
それもそのはずで、ミミが見つめているのは一つしかないベッド。
正直、そういう根幹に関わる反応はやめてほしい。女一人部屋に連れこんでる時点で俺の内側には真っ黒い感情が渦巻いているんだから、なんというか、こっちも、いろいろと困る。
「もう夜も遅いですけど、ミミはどちらで眠ればよいのでしょうか」
視点をベッドから動かさないまま聞いてきた。
ど、どう答えればいいんだ。
床で寝ろとは言いづらいし、俺が床で寝るというのもどっちが主人だよって話になる。
ミミは市場で見かけた時から変わらない惚けた表情のままだ。やや焦点を下げると、滑らかな腰のラインが目に入る。
本音を言わせてもらうなら、この腕に抱きたくて仕方がない。
一緒に寝ようよとか誘うべきなのか? 俺はそんなスケベ親父みたいな台詞は吐けんぞ。
強権発動で命令するか? ただこの世界の奴隷は必ずしも性奴隷ってわけじゃないみたいだし、拒まれたらそれまでになってしまいそうだ。
ここは男らしく、手は出さないと宣言すべきでは。そして好感度を上げて向こうから心を開いてくれることを待つ。平和的解決に見えるが、こんなのは机上の空論。我慢できるかっての。言っておくけど俺はフルチャージ状態である。
もう欲望に任せて有無を言わさず押し倒すのが……いやいや待て待て、嫌悪感を持たれるのも今後に響くし……。
「そ、添い寝してくれ!」
悩みに悩んだ挙句俺が口走ったのは、童貞みたいな妥協点だった。
ミミは一瞬目をぱちくりさせた後。
「承知しました」
と少しだけ照れた表情で返事した。
「……えっ? いいの?」
「シュウト様の申し出であるなら。それに床で寝るように指示されるよりは、ずっと嬉しいお言葉ですよ」
こんな次第で。
消灯後、俺とミミは一枚の布団にくるまった。
久々のぬくもりやら自分の甲斐性のなさやらで無性に気恥ずかしくなった俺は、あろうことか背を向けて寝るという大失態を演じてしまったのだが、ミミはぴったりと寄り添っている。
寄り添っているということはすなわち、俺の背中に柔らかいものが当たっているわけでして。
ミミのかわいらしい寝息がかすかに聴こえてくる。
緊迫感が半端ではない。
俺の心臓は休まることなく収縮してフィーバー状態になっている。
まったく寝られないんだが。
「シュウト様、どうかなさいましたか?」
「お、起きていたのか」
「マスターが安心してお休みになるまで、眠るわけにはいきませんから」
ああ、なんてかいがいしいことを言ってくれるんだ。そういう発言のせいでますます興奮して目が冴えてしまうんだけども。
「もしかして、シュウト様は緊張して寝つけないのでしょうか……ミミがいるから」
「そういうわけじゃ……いやそういうわけではあるけれど!」
全身をもぞもぞさせながら慌てる俺の様子で、ミミは何かを察したらしい。
ふふ、と笑う声が聴こえた。
「ミ、ミミ?」
うろたえる俺の心をミミは知ってか知らずか……いや確実に知っているのだろう、ぎゅっと距離を詰めてくる。
体温がはっきりと伝わってくる。
細くしなやかな髪が俺の首筋をくすぐった。
ミミは俺の腰の辺りに腕を回した。密着の度合いは増し、ふよふよとした胸が触れているどころか押しつけられているかたちになる。
絡ませた腕で、ゆっくりと俺の下腹部を撫でるミミ。
「いいのですよ」
耳元でささやかれる。吐息が崩壊寸前の俺の耳に吹きかかり、ますます劣情をかきたてる。
より一層甘く儚げな声で、ミミはトドメを刺しにくる。
「ミミは既にあなたのものなのですから」
さらば理性。こんにちは本能。
ここが俺の臨界点だった。