俺、感謝する
「まったく、シュウトさんは本当に、デリカシーという概念が欠落してますねっ!」
会食を終えて店を出た後も、ヒメリはまだおかんむりだった。
弱めの酒を二杯飲んだだけで酔い潰れてしまったホクトを、それはそれは重そうに支えるナツメが前を行く中で、俺の鼻っ面にビシバシと人差し指を突き出してくる。
「世界屈指の剣士であるジェラルドさんの前であのようなことを……」
「綺麗な顔してるだろってやつ?」
「そうです! 目や口から火が出るかと思いましたよ、本当に」
言葉どおり、今もまだヒメリは赤面がちである。アルコールのせいだけではないだろう。
「俺は褒め言葉のつもりだったんだけどな」
「そ、そういうのは時と場合を……じゃなくてですね! 騙されませんよ!」
ヒメリは喜怒哀楽を数秒刻みでせわしなく切り替えていたが、別に俺は思ってもいないことを口にしたわけではない。
こいつはルックスだけ見ればいい線なのは間違いのない事実だ。
鈴のように真ん丸としたオレンジ色の瞳といい、健康的で瑞々しい肌といい、照れや恥じらいといった内面を素直にさらけ出す表情の豊かさといい、鎧を脱いでおしとやかにさえ振舞っていれば相当に魅力的に男たちの目には映るだろう。
問題はその『おしとやかさ』ってのが、こいつとは対極に位置する点だが。
うーむ、それにしても。
改めて気づかされるが、俺の周りにいる女は総じて容姿に秀でている。
ミミ、ホクト、ナツメ。獣人であるこいつらは、それぞれタイプは異なるが際立った容姿の持ち主だ。並の男なら同じ空間にいるだけで心臓の高鳴りを覚えるだろう。
それは俺も含めて……なのだが、仕草や表情にドキッとさせられることはあれど、三人とはそれなりに長い付き合いになるのでさすがにある程度は慣れている。
とはいえこの美人揃いのひとつ屋根の下で暮らしている男は俺だけではない。
カイもである。
十六歳といえば思春期も思春期なわけで、そりゃもう煩悶とした感情を抱えているはずなのだが、カイは意外なほどピンピンしていた。あいつの置かれているエロゲー主人公じみた状況を考えたら毎日前かがみになって過ごしていてもそう不思議ではなかろうに。
参考として俺が十六歳だった頃のことを思い出してみる。
……。
猿よりはマシ、といったところか。
かろうじて二足歩行の生き物としての威厳は保たれていたと信じたい。
合宿を開始して十七日目の朝。
そのカイに誘われて、俺は闘技場前の屋台で溢れ返った広場へとやってきていた。
既に人だかりができている。それもそのはずで――
「シュウトさん、ありましたよ。オレたちのブロックはここです」
背の足りなさをぴょんぴょんと跳ねることで補ったカイが、公に貼り出された特大サイズの紙のとある箇所を指差した。
そこに記されていたのは、カイとチノ、それからヒメリの名前に、そしてオマケのように小さく俺の名前。それらが四角で区切られ、ひとまとまりであることが明示されている。
貼り出された紙とはつまり、トーナメント表だ。
昨日で闘技大会へのエントリーは終了になり、一夜明けた今朝、『厳正な抽選』を経たというトーナメントの組み合わせが公開される運びになっていた。
エントリー総数は主催者発表で三百十一組。大体予想していたとおりの数字だ。参加者数の過去最多をまた更新したぜ、と沸き立つ声がほうぼうから聞こえてくる。
しかしまあこうして出場者一覧をざっと眺めていると、俺たちのようにリザーブメンバーを用意しているチームの少なさに気がつく。が、考えてみれば納得だ。力量の拮抗した一線級のメンバーを四人も揃えるのは困難だろうし、仮に集まったとして「じゃあ誰が控えの立場を受け入れんだ?」という議論になると、余計に話がこじれる。
それになにより、分け前が減る。
死活問題である。
もっとも俺の目的は金じゃないから関係ないが。
ただ俺が追いたい名前はそんなその他大勢の奴らではない。
俺はジェラルドの名前だけを探していた。
そして目を凝らして見つけ出したその名前は反対側の山に書き記されていた。決勝まで進まなければ俺たちと当たることはない。
読みどおり、である。
その一方でイゾルダらのチームは同じ山にいた。といっても、かなり離れたブロックにいる。こちらも相当勝ち進まなければ俺たちとの対戦にならない。
これも予測できていたことだ。
「厳正な抽選、ねぇ」
俺は鼻で笑いそうになる。
おいおい、見え透いた冗談はやめてくれよ、ってな。
以前行われたイベントの内容で分かったが、ここの運営はショービジネスというものをよく理解している。
全国各地から観光客が闘技大会目当てに遠征してきているとはいえ、それでもまだ観衆の多くは地元ネシェスの人間。となればネシェスの剣闘士の活躍を望む声が圧倒的多数派であることは言うまでもない。
特に、それが人気選手のイゾルダやカイチノ兄妹であるならば。
ここの運営がその期待の高まりを熟知していないはずがない。早期敗退する事態や潰し合いにならないよう、ある程度操作したトーナメントが組まれるとは、様々な地方の冒険者が参加したイベントでの偏ったマッチメイクを鑑みて推測が立てられた。
もし仮にナンバーワン剣闘士であるイゾルダが早めに脱落してしまったら、その後の観客数の減少、ひいては大会全体の収益にも大きく影響するわけで、運営側としてもその事態だけは避けたいと願っているはず。
俺は闘技大会を取り仕切る主催者の、その露骨な商業主義に胸の内で賛辞を送る。ありがとう。アコギでいてくれて、ありがとう。
そう俺が密かにビジネスジャッジメントに感謝を述べている横で、カイは「あっ、しかも初戦はシードですよ!」と大人の汚さとは無縁な少年らしい喜びを見せていた。
とはいえ。
ジェラルドのいる山にだけ強豪が固まっているというわけでもないだろう。そこまでやるとバレバレすぎる。公平でなくても公平『風』には見せなくてはならないのだから、当然こちらの山にも何チームかは有力どころが名を連ねているに違いあるまい。
「こいつは注意したほうがいい、みたいなのって分かるか?」
「ちょっと難しいです。同業者の人たちは分かりますけど、知らない名前がほとんどですから」
「うーん、だろうなぁ」
見守るだけの観客はともかく、出場者までも大半がネシェスの人間とはいかない。むしろ剣闘士の総数よりも腕を頼りにやってくる冒険者のほうが断然多いわけで、カイに話を聞く限り、比率でいえば参加者の八割以上は地方出身だと思われる。
カイは未知なる強者にワクワクドキドキしたものを感じているようだったが、生憎俺は備えあれば憂いなしを地でいくタイプなので、事前情報があったほうが安心できていい。
とりあえず、当たる可能性がある中で知っている名前を探してみる。
……早速見つかってしまった。割と近くに『プリシラ・レメラスース』とわざわざフルネームでばっちり書かれているのを目にした時、あの鮮やかすぎるピンク色の髪とキンキンと甲高い声を思い出して目眩がしそうになった。
お互い順当に勝ち上がっていくと三回戦で対戦カードが組まれることになる。
曲がりなりにもプリシラはBランク、最初の二戦でトーナメント表から消えることはないと考えたほうがいい。序盤の山場と見ていいな。
その次に、デヴィンの名を発見する。
チームメイトを募集していたはずだが、どうやら期日までには間に合ったらしい。
鉱山で知ったデヴィンの斧さばきは素人目線で見ても称賛に値するものがある。こいつもまた順調に勝利を重ねてくることを覚悟しておいたほうがよさそうだ。
ってか数少ない知ってる名前の奴と頻繁に当たりそうなんだが。こっちのプライベートな事情まで把握しようがないからまったくの偶然なんだろうけど、すげーやりにくいぞ。
などと駄々をこねている場合ではない。ここは慌てず騒がず、デヴィンとチームを組んでいるのが誰なのかを後々のために覚えておかねば。
だがそのうちの一人はやたらと文節が多い不親切極まりない名前だったため、まったく暗記できる気がしなかった。
仕方ないのでもう片方だけをチェックしておく。
「ええと、サリーか」
ん? と引っかかりを覚える。聞いたことのある名前だった。
しかしいつどこで耳にした名前なのかは、俺の明晰でない記憶力だと曖昧にしかならなかった。