俺、会食する
合宿十三日目の夜。
俺は酒場の隅の席で、酸味の角が取れたワインをキュッと一杯引っかけていた。
寂しい一人酒……というわけではない。香草がふんだんに使われた料理が所狭しと並ぶ円卓を囲んでいるのは、ミミ、ホクト、ナツメの三人もだ。
だが料理にはまだ手をつけていない。フォークとナイフがフテ寝する中、うまそうな匂いに鼻を誘惑されながらも、渇いた喉に酒を流しこんでいるだけに留めていた。
もっとも、その段階でも楽しみがなくはなかった。
たとえば隣の席に座るミミ。
甘い蜂蜜酒を飲むミミの、ほんのりと赤く色づいた頬はいつ見ても艶かしい。
「ふっ、このキレのある後味がたまりませんにゃ」
とナツメは負けじと決めてみせたが、こいつのカップに注がれているのは膜の張ったホットミルクなので、キレとかそんなものがあるはずもない。むしろあったら怖い。
それにしても、凄い客数である。
全席満席なんてそうそう見れたもんじゃない。
カイが言っていたが三日後には闘技大会の事前エントリーが打ち切られるとのことなので、町に詰めかけた冒険者の数がピークに達しているのだろう。
「今が一番人の集まるシーズンだからね。かき入れ時ってやつさ!」
とは、先日緋銅鉱のタワーシールドを買い直しに行った防具屋店主の弁。
で、なぜこんなところにいるのかというと。
人を待っていた。具体的に名前を述べると、カイ、チノ、それからヒメリ。
カイとチノはこの日、闘技場で行われるイベントに参加していた。
といっても前回のような出場選手の入り乱れた中規模イベントではなく、ランキングマッチといって、ネシェスで活動する剣闘士内の序列を決める試合とのこと。
言うなれば闘技場の平常営業である。
そんなわけでカイとチノは朝から出かけていたのだが、二人の様子が気になるのかヒメリも観戦に行っていた。
まあそのおかげで俺も馴染みのメンツで鉱山での金策に励めたんだが。
ってな具合に、全員が全員外出するということで、どうせなら晩飯も外で済ませようと今朝七人揃っているうちに話し合って決めたわけだ。
スポンサーらしく、豪気に俺のおごりで。
店はカイが行きつけの酒場を紹介してくれた。
本人は一滴たりともアルコールを口にしないが、出す料理が絶品だという。
問題はヒメリが食う量に伴う手痛い出費だが、今日は四人で出稼ぎに向かえたこともありノルマを超える資金を得られている。そのくらい屁でもないだろう。
「いや、そこまで無茶苦茶な金額にはなりませんからね!」
なにやら必死に訂正してくる声が聞こえてきたので顔を上げると、ビシッと指を差すお決まりのポーズを取ったヒメリがいた。
すぐ後ろにカイとチノの小さな姿が見える。三人一緒に入店してきたのか。
「あれ、もしかして声に出してたか? あいつの食費を貯金に替えたら四ヶ月目で家が建つな、みたいに」
「一字一句違わず覚えてるじゃないですか! 完全に意図的でしょう!」
からかうと毎回ムキになってくるから、こいつは落ち着きがない。
精神的な成熟度でいうとカイのほうがよっぽどだ。
「すみません、遅くなりました」
到着時刻が伸びたことを律儀に謝るカイと、兄を真似して軽く頭を下げるチノ。
「別にそんな待ってないけどな」
「自分も主殿に同じです。それよりも今日はお疲れ様であります、お二方とも」
かろうじて呂律を保てている赤ら顔のホクトが空のカップにハーブティーを注ぎ、二人の席の前に置いた。柑橘類に似た匂いが湯気に乗って漂ってくる。
「全然甘くない……」
チノ的には好きな味じゃなかったらしい。
一方のカイは乾杯後、疲労回復作用のあるハーブティーをすすってほっと一息つくと、今日の結果を報告してきた。
「オレとチノも勝つことができました! なんとか降格しないで済みましたよ。これで報酬の大きな後半の試合を次からも任せてもらえます」
嬉しそうに紅色の瞳を輝かせて語るカイ。
俺は「へえ」とか「ほう」とか適当に相槌を打ちながらそれを聞いた。
ところで、今日のカイが身につけているのは自前の皮鎧と鋼鉄製の剣である。
なんでも闘技場界隈におけるランキング維持は、それが剣闘士の日常である以上自分の実力だけで勝ち取りたいんだとか。
志の高い奴だな。
しかし妹のほうはそんなことはお構いなしに、新品のローブに袖を通していた。
多彩なハーブをまぶした骨付きのチキン(らしき肉)に夢中でかぶりついているから、口の周りが脂でベトベトになっている。
それをいちいち濡れた布で拭き取る兄。随分と慣れた手つきだったので、ここで肉料理を頼んだ時は毎回こうして世話を焼いているのだと思われる。
ただまあ、チノがこの香草焼きに首ったけになるのも分からなくはない。
全員分注文しているから俺も味わっているが、なんといっても焼き加減が最高で、パリッとした皮面を歯で突き破った瞬間に肉汁がこぼれ出し、そしてしっとりとした柔肉の質感に得も言われぬ歓喜を覚えさせられる。
ただ若干塩味がきつい。一日汗をかく剣闘士向けの食事ってことか。
冒険者らしき連中がこの店に押し寄せているのも、なるほど理解できるな。
しかしながらヒメリが早くもおかわりを頼んでいるのは、まずもって理解しがたい。
「食うのはえーよ」
「ふっふっふ。今晩はシュウトさんにご馳走に与れるということで、たくさんお腹を空かしてきましたからね。完璧な受け入れ体勢を整えています」
そう澄ましてワイングラスを傾けるヒメリ。本人の中ではエレガントに振る舞っているつもりなんだろうが、背伸びしているだけにしか見えなかった。真の淑女は空になった皿なんて積み上げないからな。
……と、ここで新たな来客が現れた。
テーブル席は満杯なのでカウンター席へと案内されていく。
三人連れのそいつらは格好を見ただけで冒険者だと判別できる。中心には俺とそう歳の変わらない男がいて、両隣を若い女二人が固めている。一人は青紫色のローブを着こんだ「いかにも」な魔術師で、もう一人は剣を腰に差したショートカットの戦士。どちらも相当の美人で、店内を歩くだけで男性客の視線を引き寄せるほどである。
なにがアレって、その両方の腰に真ん中の男は手を回している点だな。
席に着くとそのスケベさは更にエスカレートし、不適な笑みを浮かべて女魔術師の顎の下を指先ですっと撫でたり、かと思えば女戦士の肩を抱き寄せ、必要以上に密着してメニュー表に目を通すなど、大胆な行いを臆面もなく取っている。
「相変わらず、柔らけぇ胸だな」
隙間なくひっつきながら、そんな発言もしていた。
どこをどう切り取って見てもセクハラ紛いの行動なのだが、されている女は嫌がるふうもなく、むしろ嬉しそうにしているもんだから、酒場に集った男性諸君は嫉妬の涙を噛み殺していた。なにより男のほうが自信にみなぎった表情を貫き通しているので、いやらしくはあるが不思議と不快感はなく、いっそ痛快なオーラを漂わせてすらいた。
まあ傍目に見ている俺からすれば、人前でご苦労なこったという感想だ。
羨ましいという感想はないぞ。決して。
が、ヒメリはカウンター席の光景にわたわたと慌てた反応を示している。
カイとチノの視線を遮るように手をかざしながら。
「お、お二人とも、見てはいけません。シュウトさんでもギリギリなんですから!」
「俺が情操教育に悪いみたいな言い方はやめろ!」
ってか、お前が一番赤面してるじゃねーか。
というか。
「あいつ、一回見たことあるじゃん」
俺は改めて『その男』の外見的特徴を抜き出す。
男のくせに小洒落たリボンを巻いた栗色の長髪に、背中にくくりつけてある目が痛くなるくらいに真っ赤な剣。魔術師にお酌してもらっている時の余裕に溢れた表情。
ヒメリも察したのか「あっ」と声を漏らした。
間違いない。
ジェラルドだ。
「成功者みたいな雰囲気出してると思ったら、そういうことかよ」
転生直後の夜、モテる冒険者の条件というものを身に沁みて学ばされた。Aランクにまで到達しているというあいつがハーレムを築き上げていてもおかしくはない。
「富と名声の次は女って、分かりやすい行動原理だな」
分かりやすすぎて逆に好感が持てる。
「し、しかしです、世界に十一人しかいないAランク冒険者の方が……あのようなただれた私生活を送っているとは……」
一度頭の整理をさせてください、とヒメリは申し出る。
恐らくだが、闘技場で目にした憧れの剣士が、こんな女好きだとは想像していなかったのだろう。どこまで純真なんだこいつは。俺から言わせてもらえば、男という欲と本能に忠実な生き物になにを期待しているんだという感じだが。
そうやって呆れていると。
「勝手に幻滅されても困るな。俺は皆の模範になったつもりなんかねぇぜ」
こちらの会話が聞こえていたらしい。
自信満々の顔つきを微塵も崩すことなく、ジェラルドが視線を向けてきた。