俺、差入する
工房隅に設置された試着室のカーテンが、サアッと音を立てて開く。
その瞬間に俺の視線を惹きつけたのは、ネシェス周辺に広がる大草原を連想させる、目に優しいビリジアンの布。
その布がチノの小さな身体を包んでいた。
「これ、本当にクジャタの毛皮から紡いだのか? 染色する時間とかなかったろ?」
職人のおっさんは満足げに笑いながら。
「ピンと引っ張って青くして、自前の黄色に染めた羊毛とより合わせたのさ。女の子に着せるのに地味な茶色じゃ味気ないだろ?」
そう種を明かした。
一夜明けたこの日、俺はチノを連れて裁縫工房を訪れ直していた。
目的は当然ローブと三角帽の受け取りである。現物は試着室に置いてあるから早速着てみてくれと言われたのでチノを向かわせたが、こんなデザインになっていたとは。
「よった糸で編めば緑のローブと帽子の出来上がりってわけだ。徐々に緩めながら抑えた発光になるテンションを探るのは多少手間だったがね」
クジャタの毛は負担をかけると青く光るのは知っていたとはいえ、そんなふうに活用するとは予想していなかった。
オカマのおっさんも敏腕だったが、ここの職人も負けず劣らずってことか。
気前よく製作費の1万4800Gも支払えるってもんだ。
「ただ肌触りはそんなによくないかもな」
おっさんが一言だけ添える。
「クジャタの毛ってのはそのままだと硬すぎて衣料には適さない。だから他の動物繊維と混ぜてあるんだが……どうだろう。それで隠し切れるってわけにはいかないからなぁ」
分かる、分かるぞ。
俺自身クジャタの毛糸で作られた服を愛用しているからよく分かる。
念のためチノに着心地を聞いてみると。
「ゴリラになった気分」
悪くない感想だな。
チノは喜怒哀楽のうちアタマとケツの感情を滅多に発露しないからローブの出来についてどう思っているのかイマイチ読み取りにくいが、翠水晶片手に姿見を眺めて「中々のこーでぃねいと」と澄まし顔でつぶやいていたので、気に入ってはいるらしい。
後々ミミが着られるようにと大きめに発注してあるから、背の低いチノには少々丈が余っているものの、まあ許容範囲内だろう。
「でも帽子はしっくりきてるだろ? ミミは角があるからこういうのかぶれないからな。ってことでチノに合わせておいたぜ」
「ん」
とはいうが、チノは三角帽をかぶり直す仕草をやめる気配がない。これはもう本人の癖みたいなものなので今すぐに矯正できるようなことでもないし、するほどのことでもない。好きなだけぎゅむぎゅむやってもらうか。
で。
この後の予定だが、俺は暇しかない。鉱山まで貯蓄を増やしに行ってもいいし、家のリビングでまったり過ごしてもいいし、もしくは適当に町をぶらついてもいい。
一方でチノは模擬戦に出場する予定を入れている。
先にカイとヒメリが闘技場に赴いているから合流しなくてはならない……のだが。
「お兄ちゃんも、来る?」
チノはそんな提案をしてきた。
「俺が行ってどうすんだよ。見物ならもう初日に十分してるしなー」
「してないところあるよ。選手の控え室」
「そんなところに俺みたいな部外者が侵入できないだろ」
「できるよ。だってリザーブで登録してあるもん」
そういやそうだったな。
「じゃあなんだ、俺って扱い上は剣闘士ってことになってるのか……」
「そーゆーこと」
コクンと頷くチノ。
「だったらちょっと覗いてみるかな。どんな雰囲気なのか見ておきたいし」
大会が始まれば俺もスタンド席ではなく、フィールド脇に立つことになる。未体験の場所にいきなり放りこまれるよりは一回空気に触れておいたほうがずっとマシだ。
てなわけで、メイン・コロシアムまで同行することに。
手ぶらじゃなんなので、途中で焼き菓子の詰め合わせを購入。
チームのスポンサーとして差し入れのひとつくらいはしてやらないとな。うむ。
「控え室、裏手からじゃないと入れないよ」
闘技場付近に来たところで、チノが「こっちこっち」と手招きしながら先導する。
大人しくついていくと、そこには闘技場正面にドでかく据えられたメインゲートとは比較するのもおこがましいほど貧相な鉄扉があった。
慣れた様子で開閉するチノ。
オンボロで、蝶番が取れかけている。油もロクに差していないのかキイキイとうるさい。
しかしながら歴史の重みもひしひしと感じられる。
数多の剣闘士が俺の目の前にある扉をくぐってきたと考えると、途端にこのボロさが風格に様変わりするんだから不思議なものである。
それはさておき、チノを追って中へ。
……立ち入った瞬間に警備員らしき男二人と目が合った。二人して鋼鉄の鎧と槍を装備しており、なにかと物騒だが、これは入場審査を行っているようだ。
馴染みの剣闘士であるチノはあっさり顔パスをもらっていたが、俺は別。
いちいち説明しなくてはならなかった。
チノと一緒だったから話は簡単に通ってくれたが、もしこいつがいなかったら一度エントリーシートを管理している受付まで連行されていたのではなかろうか。
想像するだけでげんなりする。
「控え室はあっちだよ。ついてきて」
そんな俺の心中を察する素振りもなく、チノはマイペースに先を行く。
引き続きついていく俺。
通路もまた古びていて、しかも小汚い。床のヒビは補修されていないし、壁は石材が剥き出しだ。観客の目に触れる場所ではないのでそんなもんなんだろうが。
にしても、舞台裏を覗いているみたいで新鮮だな。スポットライトを浴びる表舞台ばかりが闘技場じゃないと身に沁みて実感できる。
やがて、木戸が見えてくる。
チノはそれを指差しながら何度も首を縦に振る。ここが控え室だと告げているらしい。
「開けていいの?」
「どうぞご自由に」
現役剣闘士の許可も降りたので、そうさせてもらった。
そこは楽屋というかロッカールームというか……とにかくそんな感じの雑然とした大部屋だった。
ベンチくらいしか置かれているものがなく、後は利用者が持ちこんだ荷物程度。
楽屋泥棒が頻発しそうな臭いがするが、常に出番というわけでもないし、待機している者も多い。これだけの数の剣士や魔法使いに囲まれた中でそんな不届きな真似を働くのは無謀ってもんだ。
出番待ちの奴らの中には見慣れた顔が混じっている。
もちろん赤いツンツンヘアーが目立つカイと、新しく用意した波濤鉱のバンデットメイルとラウンドシールドを身につけたヒメリなのは言うまでもない。
「……へっ? ど、どうしてシュウトさんがこちらに?」
カイと並んでベンチに腰かけていたヒメリは俺を見かけるなり、やけにびっくりした。なにやらあわあわと取り繕うような態度を取っている。
「チノに連れて来てもらったんだよ。見学ついでに」
俺も選手待遇を受けられるらしいからな、と繋ぐ。
その間、チノはカイに近寄ってクジャタのローブを自慢していた。「似合う?」を連呼する妹に「貸してもらったものなんだから粗末に扱ったらダメだぞ」とお兄さんらしい注意をするカイは本当によくできた子である。
「ていうかなんでそんな動転してんだよ。俺たちの見てないところでカイにお姉さんぶったことでも喋ってたのか?」
「そ、そ、そ、そんな痛々しいことするわけないじゃないですかっ!」
あ、してたなこれ。
「まあいいや。差し入れ持ってきたから小腹が空いた時にでもつまんどいてくれ」
菓子折りを渡すと、カイが一番に「ありがとうございます」と言ってきた。
「ただ気をつけとけよ。ヒメリは独占禁止のルールを平気で破ってくるから」
「私にも分別くらいはあります! ……あ、ありがたく頂戴はしますけど」
なんて取りとめもない会話をしていると。
「久しいな、旅の者よ」
不意に声をかけられた。
声の出所に目を向けると、これまた見覚えのある顔――イゾルダとクィンシーがそこに立っていた。
「そして恩義に報いよう。耐火素材の入手方法を残してくれたことへの」
イゾルダは深々と、騎士道精神に満ちた折り目正しい礼をした。
その様子にカイの表情が目に見えて驚いたものに変わる。
「イゾルダさんと知り合いなんですか?」
「知り合いといったら、知り合いになんのかな……」
狩猟区で偶然鉢合わせしただけの縁ではあるが。
なんでもイゾルダたちはあれから一晩野営し、その翌日も夜遅くまで活動して狩猟区全域を回ったらしい。
帰ってきたのは今日の午前三時だか四時だかの朝とも夜とも言い難い時間帯で、そのまま仮眠だけ取りギルドを経由して闘技場まで来たとのこと。
どういうバイタリティをしているんだ。
「謝礼がしたい。下世話な相談になってしまうが、いくら出せばよいだろうか?」
「別にいらねぇよ」
「そうはいかない。恩に不義で応えていては私の気が済まないのでな」
「こんな不毛なやり取りをしてるほうが謝礼金なしよりよっぽどきついぜ、俺の場合」
「む、すまない。善意の押しつけになってしまったか」
イゾルダは畏まってみせた。
「旅の者がそう言ってくれるのであれば、それに殉じよう。やれやれ、私も自らの狭量を恥じねばならぬな」
「そういうのもどうリアクションしていいのか困るんだけど……」
こほんと咳払いをし、俺は改めて伝える。
「そもそも隠すような情報でもないじゃん。だからギルドのおっさんにべらべら喋ったんだぜ。俺としちゃ、参加者全員が火に強い防具を揃えてジェラルド包囲網が敷かれてくれたほうがありがたいくらいだ」
「ふむ。旅の者は大局的な見地を持っているようだな」
「そんな大層なもんじゃないっての」
林の中で装備品の充実具合を称えられた時もそうだったが、こいつは妙に俺に対する評価が高い。ありがた迷惑っていうのはこういう状態を指すんだろうか。
「あと『旅の者』とかいう呼び方はやめてくれ。すげーむずむずする」
「では名前で呼ぼうか。なんというのだ?」
「シュウトだ」
「よかろう。記憶した」
腕を組んだイゾルダは、なにやら意味ありげな視線を送ってきた。
「それにしてもシュウトも意地が悪い。ここにいるということは『出場するつもりはない』という話は大法螺ではないか。先ほどの様子だと赤髪の兄妹と懇意のようだが」
イゾルダは二人(と、ついでにヒメリ)の座るベンチに目をやる。
「だとしたら侮れん存在になるな。彼らは一流の剣闘士。それが未知なる力を秘めた流浪の冒険者と組むとなれば、ふふ、面白いじゃないか」
微笑混じりのその目配せにカイは石になったように硬直する。闘技場の花形から褒められて恐縮しているのだろう。チノは平気でクッキーをかじっているが。
「選手っていうか、監督だけどな、俺は。だからそんな嬉々とされても困る」
「だが闘技大会と無関係ということもないのだろう?」
「……まあ、そうなんだが」
「せっかくだ、袖から対人戦の興奮を肌身で感じてくるといい。今も戦闘最中だからな」
ここのトップランナーから許しも得たので、クッキーを数枚手に取ったチノに案内されるがままに足を運んでみる。
行き着いたのは、入場口に続く通路。ここが袖ってことか。
「反対側にもう一個ある。こっちは今日私たちの登場するほうだよ」
チノはそう語る。
フィールドと直通したそこには多くの人間が密集していた。知人と立ち話する者、壁にもたれかかる者、対戦風景を覗き見る者、準備運動に余念がない者、チームメイトらと作戦会議を行う者、黙って瞑想する者……などなど様々である。
とりわけ目を引いたのは、黒光りする棍棒を担いだ熊みたいに大柄な男。
棍棒といっても長い柄が付属していて、そして鋲が打たれている。
こんな見た目のお菓子があったな……なんて考えながらぼんやり眺めていると。
「若人よ、棍棒に興味があるのか?」
「は?」
武器の持ち主から声をかけられた。
それからどことなく嬉しそうな顔つきで近づいてくる。
モミアゲと顎ヒゲの繋がった毛深い容貌をしていて、顔まで野生の熊みたいだ。三十代から四十代と見られる中年男性のまともに手入れされていないヒゲ面をアップで拝まされる俺の気持ちにもなってもらいたい。
「棍棒に興味がおありかな?」
「いや、そんなには……」
「やあやあ、皆まで言わずとも分かろうとも。並々ならぬ興味があるからこそ俺の棍棒に釘付けになっていたんだろうからな」
俺の棍棒っていう言い方はやめろ。
しかしその話しぶりから分かったが、どうやら棍棒のよさについて説きに来た様子。
「棍棒はいいぞ。近頃の冒険者は魔法や刃物に対する耐久性ばかりを防具に求めがちだが、そこに強烈な打撃をお見舞いしてやるんだ。流行の薄い金属板を貼り合わせるタイプの鎧なんかはひとたまりもない。つまりだ若人よ。棍棒は、いい」
「お、おう……」
返答に窮する。どうでもよすぎて。
「棍棒の長所はそれだけに留まらない。ダメージの安定性という観点で見てもだな」
……って終わりじゃなかったのかよ。
まだ続くとか拷問なんだが。
そんな危機を救ってくれたのは、群を抜いて厳つい風貌の男――クィンシーだった。
「ゴードンさん、雑談はその辺にしておきましょう。もうすぐ僕らの出番ですから」
「おや、もうそんな時間か。待ち侘びるかと思ったが案外すぐだったな」
ゴードンと呼ばれた男は空き地みたいに広い後頭部をポリポリとかく。
助かった。マジで。
それにしても、顔面の半分に凶悪極まりない刺青を入れた悪党じみたルックスだというのに相変わらず物腰穏やかな奴だ。
ん? でも待てよ、僕らってことは……。
などと思索を始めた矢先、クィンシーの後ろから堂々たる足取りで通路を歩いてきたイゾルダが顔をのぞかせ、予感どおりの言葉を告げる。
「そうだ。彼が我々のチームの三人目だ」