俺、接触する
「何者だっ!」
唐突に女剣士――イゾルダが振り返り、こちらに鋭角な眼光を飛ばしてきた。
枯れ枝を踏むかすかな音を聞き分けて俺たちの接近を察したらしい。
魔物と間違われては敵わんと、俺は「通りすがりの労働者だよ」と一声かけて姿を見せる。
「……人か。脅かすな。危うく斬りかかるところだったじゃないか」
「イゾルダさん、そういう物騒なことはあまり面と向かって言わないほうがいいですよ。昨日もそうやって他の冒険者の方を萎縮させてしまったじゃないですか」
「むっ、そこを掘り返されると苦しいな」
剣を下げたイゾルダは、隣にいる細身の男に諭されてバツが悪そうにした。
男はこちらにも話しかけてくる。
やけに申し訳なさそうな顔で。
「すみません、こちらこそ脅かしてしまって」
「お、おう」
微妙に困惑する俺。
外見からしてクィンシーなのは明らかなものの、記憶の中にあるキャラと違いすぎてて一瞬「誰だこいつ」と思ってしまった。
その間にもイゾルダは俺たちをじろりと見渡し、そして不審でないと断定できたのかおもむろに口を開く。
「ところで見ない顔だな。旅の者か?」
イゾルダの口調はいちいち屹然としている。
なんかホクトと話しているような気分になるが、それよりも更に堅苦しく、そして仰々しい。
俺はイゾルダを舞台女優のようにとらえていたが、ステージから降りた姿をこうして眺める限り、闘技場で感じたイメージはあまり本人の性格とかけ離れていないらしい。
それとは逆なのがクィンシー。
闘技場での悪漢めいた振る舞いはどこへやら。スキンヘッドに顔面のタトゥーという厳つい風貌はそのままだが、表情は穏和だし腰も低い。というかこの見た目で「僕」とか言われると戸惑うんだが。
うーん。
色々と感じ入るものがあるな。観客の心をつかむためにはあそこまで徹底してキャラクターを演じなければならないのか……。
さておき、質問に答える。
「そんなところだ。先に言っておくけど、この時期に来てるからって別に闘技大会に出場する予定はないからな。あまり警戒しないでくれよ」
「む、そうなのか。それは惜しい。その整った装備、配下の数、そして狩猟区に足を運んでいる事実。これらを踏まえると旅の者が相当の練達だとは容易に推測できるからな」
「はあ、どうも」
「強敵と戦えぬということは残念極まりないよ」
全部マネーパワーだと知ったらもっと残念がるに違いない。
「俺のことをこれ以上詮索したって埃くらいしか出てこないぜ。それよりだ、あんたらはイゾルダとクィンシーだよな?」
「僕たちを存じているんですか?」
「有名人だったから知ってるよ。この前のイベントも観戦しに行ってたし」
ありがとうございます、とクィンシーは朗らかに言う。
「けど恥ずかしいですね、こうしてオフの姿を見られるのは」
「俺も最初驚いたよ。素はこんな好青年だったのかって」
「そんないいものじゃないですよ」
そう謙遜してから。
「メイン・コロシアム付近では、なるべくファンの方々のイメージを壊さないように応対するよう心がけているんですが……参ったな。油断していました」
照れの滲んだ苦笑いを浮かべた。
こいつから漂う苦労人臭は凄いな。
「……で、その貴重なオフの日になんで狩猟区で探索してんの?」
「火に強い素材を探しているんだ」
クィンシーに代わって即答するイゾルダ。
「でなければジェラルドのレーヴァテインに対抗できん」
「レーヴァテイン? なんだそれ」
「奴が握っていた剣だ。秀でた火の性質を持つ金属で作られた剣だけが、レーヴァテインの銘を名乗ることができる」
「ふーん」
火だけ特別扱いとはずるいな。もしかしたら他の元素にも同種のケースがあるのかも知れないけども。
「今回、私はこのクィンシーとチームを組んでいる。旅の者も観戦に来ていたのであれば知っているだろうが、彼はジェラルドが放つ焔に太刀打ちできなかった……二の轍を踏むわけにはいかない。私は鎧をまとうから多少なりとも無理は利くが、軽装で戦うクィンシーのためにも火に耐性のある服を作るのは急務だ」
それがこの地を訪れている目的らしい。
要は俺と似たような理由だ。
「それにしても、前回のトーナメントから武器を変えてきてくるとはな。ジェラルドの奴も中々味な真似をする。それでこそ我が宿敵だ」
熱をこめて語るイゾルダは、そこで拳を力強く握り締めた。
なにをそんなに熱くなることがあるのかと思っていたら、クィンシーの耳打ちでその事情が知れた。
「イゾルダさんは二年前、ジェラルドさんに敗れて大会から脱落しましたからね。『打倒ジェラルド』に燃えるのも当然です」
「へえ。そうなのか」
「だから先日のイベントでジェラルドさんとイゾルダさんがマッチアップは実現しなかったんですよ。それは本番のお楽しみってやつです。……まあ、僕が勝てれば万々歳だったんですけどね、本当は。中々うまくいかないもんです」
苦笑しつつクィンシーはそう説明したが、おそらく、心の底では剣闘士業界のスターであるイゾルダの地位を保護するために自分が捨て駒にされたことを分かっているだろう。話を聞いてる感じだと察しのよさそうな性格をしてるし。
それを表に出さないあたりマジで人格者だな。
彼には報われてもらいたいものである。
……なんてことを考えていると、突然。
「ハッ!」
前触れもなく、イゾルダが長剣を振るった。
なにもない虚空を切り裂いている。そこだけ見ると頭がおかしくなったとしか思えない行動だが、無論イゾルダの気は確かである。多分。
でなければ目の前で起きている現象を『たまたま』で片付けなくてはならなくなる。
斜めに斬り下ろされた若紫の刀身から――稲光が走っているというのに。
「うおおっ!? な、なんだ!?」
当たり前だが俺を狙ったものではない。
イゾルダの剣の切っ先は見当違いの方角に向けられている。
しかしながら、あまりに突拍子もないので俺は肝を冷やす。目を覆うべきなのか、それとも伏せるべきなのか咄嗟には判断できなかった。
ミミにしても同じようなもので、ホクトはその場に立ち尽くすのみ。ナツメは耳を押さえながらしゃがみこんでいる。平静を保っているのは稲妻を放った張本人と、そしてそれを見慣れていそうなクィンシーくらいだ。
紫電は無作為に立ち並んだ幹の間をぬってジグザグに疾走し、やがて雑木林の一角に突き刺さる。
この間五秒ほど。
「あ、危ねぇな……本気で冷や汗かいたぞ。急になにやってんだよ!?」
「危ないだと? あやつを放置しておくほうが余程危険だ」
イゾルダがまっすぐに人差し指を伸ばす。
示された方向を目で追う俺。
その先では一体の狼に似た魔物が仰向けにひっくり返っていた。狼といっても俺が森で見かけたことのある個体とは違い、大型な上に筋骨が発達している。
それだけの体躯の持ち主がただの一発で行動不能に陥っているのだから、イゾルダが放った雷撃のダメージは推して知るべし。
「ま、魔物を狩ったのか」
無言で首肯するイゾルダ。
感電しているのか魔物は小刻みに痙攣しており、数秒後には煙となって消滅する。
パーティーを組んでいるわけではないので俺のスキルが効果を発揮することもなく、数枚の銀貨だけが狼の毛皮に乗っかっていた。
「頼むから事前にちゃんと説明してくれって。びびるから」
「そんな暇はなかったのでな。許せ」
涼しい顔で言いながら剣士は撃破報奨を拾い上げる。
「この毛皮も入手済みだな。違うものを落とすかとも予期したが、そう易々と狩猟の神ヘンデルシクは微笑んではくれないか」
一応持っていてくれ、と拾った素材をチームメイトに渡すイゾルダ。
そのかたわら、俺はようやく落ち着いてきた頭で先ほどの光景を振り返る。
あの雷は闘技場では目にしなかった。
今のは魔法だろうか? それとも武器の追加効果か?
いずれにしても凄まじい威力と射程、そして精度だ。じゃじゃ馬のように折れ曲がって進む電撃でピンポイントに標的を撃ち抜くとは。
なにより、この距離から敵の接近を察知したイゾルダの直観力に驚く。
伊達に闘技場の看板を張っちゃいない。
「にしてもなぁ」
「どうした? 不可解そうな顔をして」
「いや、闘技場みたいにカッコよく叫ばないんだなって」
俺の素朴な疑問に、イゾルダは微塵も表情を崩さず平然と答える。
「当たり前だ。本能に突き動かされた魔物相手になにをアピールする必要がある」
そこは演技の部分だったらしい。
ですよね。