俺、来場する
その日、剣闘士の兄妹は眠たげな目をこすりながら朝一番に出発していった。
出番は昼からと言っていたが、早めに現地入りしなければならないらしい。
剣闘士というのも楽じゃない職業だな。
で。
時刻は午前十一時。
俺たちは今、町の中心で悠々あぐらをかくメイン・コロシアム周辺に来ている。
初日にも訪れたがその活気は健在。むしろイベントの開催に合わせてか、より一層屋台の出店数が増えているように思える。軽食類はもちろんのこと、土産物やパンフレットまで売られているから、この町の人間も商魂たくましい。
「なんともはや……さながら祭典のようでありますな」
ガヤガヤとした雰囲気に包まれ、ホクトが困惑気味にそんなことを口にしていた。
当たり前だが人足も多い。全員が観戦目的だろうな。
「盛り上がるに決まってるさ! なにせ今日のイベントには、よその町の冒険者も何人か大会に向けた調整のために出場するんだからな。燃えないはずがないよ!」
持参のジョッキにエールを注いでくれた商人が理由を明かした。
なるほど、って感じだ。
腕自慢の連中の試合が見られるとあらば、普段より客が集まるのは道理である。
「お二人の出番はタイムスケジュールどおりですと、チノちゃんが十三時、カイくんが十五時半ですね。健闘を祈って見守りましょう……と冷静に言いたいところですが、私までなんだかドキドキしてきましたよ。他人事ではありませんからね」
ヒメリが飲食費の余りで購入したパンフレットを眺めながらつぶやく。
ちなみに入場料金を除いた本日の予算は2000Gだったらしい。これでパンフレットが買えるギリギリの端数しか残らないんだから、どれだけ食ってんだって話だ。
「それにしても、このマッチアップ……作為的なものを感じます」
「どのあたりがだ?」
横から覗きこむ俺。
「見てくださいよ。名前以外にも出身地と年齢が載せられているんですけど、半分以上の対戦カードがネシェス対その他の地方になっています。町外の出身者同士で当たる組み合わせは一つもありません」
「うお、マジだ。対抗戦状態じゃん」
「これが仕組まれたものでないのだとしたら逆に怖いですね」
武の聖地に集った強豪たち。そこを迎え撃つホームの剣闘士。
確かに血が沸騰してくるシチュエーションではある。ここの運営、エンターテイメントってのをよく理解してやがるな。
「ネシェス同士で当たってるのは、実力順であぶれたってことか」
「でしょうね。……カイくんとチノちゃんがそうなっていないのは、なんとも複雑な気分にさせられます。誇らしくもありますが、不安にもなりますから」
「うーむ。ま、武器も一新したことだし、そんな惨めな試合にはならないだろうさ」
「だといいですけど」
十時開演なので既に序盤の試合は進行している。
地元対地方のカードは後半に固まっていた。ここが本日の山場と見て間違いない。
「そっちもいいけど、こっちも楽しまないとな、どうせなら」
俺は視線をパンフレットから屋台に移した。
そうした瞬間にナツメの表情が急速に明るくなったのが見えた。
「ごはんですかにゃ? ごはんなのですかにゃ?」
瞳の輝きはそれ以上だった。
そもそもなんで十一時とかいう微妙極まりない時間に来ているかといえば、昼飯代わりに屋台を巡ろうという計画を立てていたからである。
バジルを使ったピザを小手調べに分け合って食ったが、まだ小腹が空いている。
ここは追加でなにかもう一品買っておくか。
といっても迷いはしない。初日から気になっていた屋台がある。
肉。
簡易の窯でひたすらに肉を焼きまくっている屋台だ。
立ち寄ると、まず最初に軒先に吊るされた肉のローストに目を引きつけられるが、そこから嗅覚がぐぐっと串刺し肉の焼き場に俺の関心を誘導する。
いてもたってもいられず、俺はおっさんに売り物の詳細を尋ねる。
「ここはなんの屋台なんだ」
「パン屋だ」
どこがだよ。
「いやいや、めっちゃ肉が前面に出てるじゃん」
「おっと肉はあくまでオマケだぜ。うちの自慢は古来から伝わるピタってパンだ。肉はピタを味わうための土台だと思ってくれ」
土台の解説を始めるおっさん。
「何枚も重ねた薄切り肉の炙り焼きがギロス、小さくぶつ切りにした肉の串焼きがスブラキだ。どちらかを選んで、広げたピタにぶちこんで食べる。最高にうまいぞ」
そりゃあそうだろう。この調理工程でまずいわけがないわな。
「好きな野菜も二種類までトッピングできるぜ」
「ほう。どんなものがあるんだ?」
「定番は玉ねぎとヒヨコ豆。あとはまあ、グリーンレタスや揚げイモだな。それと若い子向けにトマトもある。かつては観賞用だった植物を平気でかじれるんだから最近の子は怖いもの知らずで驚くよ。俺が若かりし頃のトマトといえば……」
「ギロスとスブラキを二つずつ頼む。トッピングはお任せで」
ウンチクと昔話をセットで語られそうだったので、さっさと購入を決めた。
さっきから肉の焼ける匂いに俺の内臓たちが絞り上げられていることだし。
「かけるソースはどうする? ホットソースとサワーソースがあるが」
「違いは?」
「辛いか酸っぱいかだ」
「分かりやすいな。だったら俺はサワーソースにしとくか」
アンケートを取ったところ、ミミとホクトはホット、ナツメはサワーを選択。
四つ分の代金480Gを支払い、適当に頬張りながらぶらつく。
しかしこのギロピタとかいう料理は味も手頃さも最上級だな。余分な脂が落ちてるから案外あっさりしてるし、爽やかなヨーグルトのソースもしつこさのない後味に貢献している。片手で持てる割に手が汚れにくいのもスポーツ観戦的にはポイントが高い。
ミミがホットソースがふんだんにかけられたスブラキ入りピタを一口くれたが、こっちも大変おいしゅうござった。
チノの試合が始まる前にもう一回買いに来るか。
手ぶらで観戦しても味気ないからな。
あとエールの二杯目も飲みたいし。
「いやもうジョッキ空じゃないですか」
ヒメリが冷然なツッコミを入れてきた。
「仕方ねぇだろ。飯を食えば喉が渇く。これ人体の常識な」
というか今も結構渇いている。パンと焼肉という、共に口の中の水分を奪っていくことに定評のある両者がタッグを組めばこうなるのは自明か。
てなわけで、俺だけ一人おかわりをもらいにいく。
エールの樽を設置した屋台はいくつもある。せっかくだし次は別の銘柄にするか。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと、他の店とはまったく趣の異なる、しかしながらどこよりも人だかりのできた屋台を見かけた。
「さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。大人の遊戯の始まりだ。白勝て黒勝て? そうじゃない。俺の魂震えりゃいい。そんな諸君にご朗報。鉄板情報教えます」
小気味のいい調子で弁舌をふるうダミ声のおっさんはどうやら、客引き代わりに今日のイベントの見所解説をやっているらしい。
一応ドリンク類を売っているようだが、どっちがメインなんだか判別つかなくなる。
予想屋みたいなもんだな。
賭けられないから魅力も半減だが。
とはいえ面白そうなので、覗くだけ覗いてみる。
「まずは開幕一戦目。みんなのアイドルチノちゃんだ! 背は小さくとも魔力は強大、同じく人気のカイとは兄妹。彼女と対する戦士も名手。異名はなくとも腕は本物。一ヵ月後にはヒーローか、それとも今日でヒーローか。蓋を開けてのお楽しみ!」
チノも見所に入っているのか。なんか嬉しくなるな。
ところで、おっさんはあえて『開幕』という表現をしていたが、ここからネシェス対その他の試合がスタートするということだろう。
「そこから少し時間は飛んで、十五時からの好カード、三つ一気にご紹介」
つらつらと淀みなく、面白そうなマッチアップを語っていくおっさん。
その中には。
「……三連戦の最後を飾るは、ネシェス期待の若武者カイ。身の丈近い大剣で、バッタバッタと薙ぎ倒す、正統派の剣闘士。相手もこれまた剣使い。技の光る剣豪だ。運がどちらに転んでも、勝つも一瞬、負けるも一瞬! ゆめゆめ目を離したりせず」
俺が特に目をかけているカイも含まれていた。
チノの時もそうだったが、二人が紹介されると野次馬が沸き立つのが分かった。二人のこの町での信望に疑う余地はない。これがプラスに運べればベストなんだが。
俺が思考する間にもおっさんの独演は続いていた。
徐々にクライマックスに近づいているのか、語調もますます熱くなっている。
「次なる試合はお待ちかね、現役最強の剣闘士、『戦姫』イゾルダの登場だ! ご存知ネシェスの大スター、闘技場のアーティスト。なにも知らずに美貌に惹かれて、贔屓を決めた旅の方、あんたはそれで大正解。決して損はさせません」
な、なんか凄そうな奴が出てきたな……。
「巧みな剣技と凄烈な魔術、その鮮やかな調和こそ、イゾルダ女史の代名詞。しかし彼女の本当の、魅力はそう華やかさ。一挙手さえも艶やかで、紡ぐ呪文はリリカルだ。観客沸かす戦いぶりは、まさに剣闘士の鑑でしょう」
おっさんはイゾルダとかいう奴のことばかり喋っていた。
対戦相手が哀れになってくる。聴衆もまたそっちには興味なさそうなのが切ない。
まあこいつの試合は相手が誰だろうと見る価値ありってことだろう。
「そして大トリ務めるは! トリックスターのクィンシー! 目にも止まらぬ早業で、幾多の難敵超えてきた、ファンの間じゃちったァ知られた、変幻自在の剣闘士。流麗なる剣さばき、心ゆくまでご堪能を」
ついに最終戦の解説が始まった。
ん? でもさっき、剣闘士で最強はイゾルダとか言ってたよな。
なんでこいつがラストなんだ?
……だが不思議がる余裕は俺や他の客には与えられなかった。
「相対するは辣腕ジェラルド!」
その名前が出た時点で周囲にざわめきが広がり、些細な疑問がすべて有耶無耶になってしまったせいで。
付け加えると、先ほどまでカイやイゾルダでやんややんやと騒いでいた連中ほど大きくうろたえているように見えた。
「彼の強さを語るには、言葉の数だけ無粋になる。あえて説明省きましょう。たった一言あればいい。個人戦での前回大会、三位入賞の実力者!」
それはつまり、この町を象徴する文化である闘技大会をよく知る地元の人間のほうが、その名の意味を深く受け止めているということに他ならない。
「Aランク冒険者ジェラルド! なにがなんでもお見逃しなく!」
おっさんはそこでバンバンと、二回屋台の側板を叩き鳴らした。