俺、祝福する
翌朝。
市場で旅の補給――といっても地域限定のアルコール類の買い溜めがほとんどだが――を済ませた俺は、ミミたちにヒメリを呼びに行かせ一人教会へと出向いていた。
壮麗にして荘厳なステンドグラスがいつものごとく俺を迎え入れる。
結構な期間この施設には世話になったことだし、黙って去るのは忍びない。
袖振り合うも多少の縁。別れくらいは告げておかないとな。
まずは礼儀として、教団のトップである司祭のジイさんに。
祭壇の前には今日も数多くのシスターと神官が恭しい面と姿勢をして集まっている。その輪の中心に、真っ白い装束をはためかせた司祭はいた。
「子羊ではないか。祭壇にまで赴くとは珍しい。如何な用件だ?」
「用件、ってほど大それた話じゃねぇけどな……今日の午後にはこの町を離れるから、伝えておこうと思い立ってさ」
そう明かすと、神官連中がざわついた。
まあ多額の寄付を繰り返した俺はこいつらにとっちゃお得意先だったろうしな。
「だからもう俺をアテにしないでくれよ。この先財政が落ちこむかも知れねぇけど……」
「いや、心配には及ばん。子羊が案ずるような問題でもない。先の出来事を見通すなど、それは神にしかできぬ所業だ」
司祭は厳然として答えた。
「先を望むのは大切だ。しかし過去の価値が消えるわけではない。ゆえに子羊が過去に築き上げた功績を、我々はただただ称えよう……盛大にな」
貫禄のある声でそう言ったかと思えば、信徒一同を見渡して「送別の準備を」と告げる。
その号令を契機ににわかに慌しくなり始めた。
どうやら俺を送り出す式典を緊急で開くつもりらしい。
数人の神官がワインを取りに行っている間にサヤを含む修道女たちが急いでクリスタル細工のグラスを手配すると、しばらくして台車に乗せられた樽が運ばれてくる。
「樽からかよ。また本格的な……というかこの教会、ことあるごとに酒飲んでないか?」
「酒は百薬の長というからな」
ニヤリと笑う老人。
その大義名分めいた言い草と、サヤにワインを注いでもらっている時の嬉しそうな表情で察した。このジイさん、なんだかんだでアリッサと同類だ。
いや、そもそもアリッサが司祭に色濃く影響を受けているのかも知れない。
ものの十分ほどで臨時式典を行う用意は整った。
慣例なのかどうかは謎だが、無駄に長々と繰り広げられる教義をまずはやり過ごす俺。
本題に入ってくれたのはそれからだった。
「式を開いたのは他でもない。勇敢なる『ワイルド・フロンティア』の……」
「異名で呼ぶのはやめてくれ。死ぬほど恥ずい」
ギルドのおっさんにつけられた称号にシスターたちが失笑している。
思春期の少女のクスクス声はなぜこんなにも胸をえぐるのだろうか。
でも『ディスカバリー・ハンター』を名乗るよりはマシなんだ。あっちは衛星放送とかで過酷なロケを敢行させられてそうだし。
「では、港町より来たりし冒険者シュウトよ」
司祭が腕を伸ばし、高々と杯をかかげる。
真紅の液体がステンドグラスから漏れる日差しを透過した。
「終わりなき旅路に身をやつす汝に、戦いの神ダグラカの加護があらんことを」
神の祝福を祈られる。教団最高位の人物だけあって、一言一句に深みがある。
「そしてその新たな門出を祝して――乾杯!」
参列していた全員がグラスを持ち上げた。
神妙な面持ち、なんてものは誰の顔にもなく、むしろ明るい雰囲気に終始していた。
金にガメつい神官が、穏和な笑みを向ける熟年シスターが、威風堂々とした佇まいの神官長が、「お疲れさまでした」と一言添えたサヤが、そしてほんの少しだけ頬に朱を差した司祭が、続々と近づいてきてグラスを俺のものとぶつける。
飲んだワインの量がバラバラだから、グラスが鳴る音程もバラバラだった。一人として同じ音色がなく、それがまるで軽快な楽曲を奏でているようで、耳を飽きさせない。
別れに付きまとう物悲しさとは無縁だ。こういう送り出され方のほうがありがたい。
だが俺はそわそわと浮き足立った感覚が拭えないでいた。
この場にいない奴がいるからだろう。
俺は皆に見送られると、すぐに教会裏手にある酒蔵へと走った。
「そっか。行っちゃうんだね」
町を出ることを伝えた時、アリッサはしんみりとした台詞を口にした。
が、その手には当たり前のように飲みかけのワインボトルが握られているし、なんなら口元もだらしなく緩んでいて、要するに普段どおりの聖女様のご様子なのでまったく情感ってもんがなかった。
「せっかく仲良くなれたのに、寂しくなるね~。うっうっ」
「泣く演技をするならもうちょいうまくやれよ」
「バレた?」
「バラす気しかないだろ」
けど、それでいいとも感じる。湿っぽい別れは俺とこいつには似合わないからな。
「でも寂しいのはホントだよ」
声のトーンを少し落とすアリッサ。
「魔物もたくさん倒してくれたし、この前なんて地底湖まで見つけてくれたでしょ? おかげでお酒造りが凄いはかどったもん。お兄さんには感謝しかないよ。だから、感謝の印を渡しておきたいな」
そう言って胸元に手を入れ、ごそごそとまさぐった。
しかし「ごそごそ」という効果音が正しいかは微妙だ。手を動かすたびに胸が揺れているから「ぷるぷる」とか「ゆさゆさ」のほうが適切かも知れない。ぷるぷるとまさぐる。この表現がセーフになるか否かで国の平和さの尺度になると思われる。
俺がそんなことを考えている間にアリッサはなにかを取り出していた。
「あたしがずっと持ってたロザリオ。エルシード様の教えが刻まれたものだけどさ」
十字架つきの数珠だ。静かな銀の輝きをたたえている。
「これ、あげるね」
それが俺の手の平の中にぎゅっと握りこまされた。
アリッサの体温がほんのりと伝わってくる。俺の手に触れた指先からだけでなく、肌身離さず胸の中にしまわれていたロザリオからも。
十字架には小さく刻印が入っているが、俺にはその文字が読めなかった。
「んふふ、司祭様は真面目だからダグラカ様の薫陶を授けたと思うけど、お兄さんにはこっちのほうが似合いそうよね。なんてったってエルシード様は幸運の神様! 楽しく生きようと思ったら天に愛されてるのが一番だよ、いつでもどこでも」
「いいのか? ずっと持ってたって……貴重なものなんだろ?」
「ここだけの話、十字架って支給品だからなくしたって言えば新しくもらえるわけよ」
最後の最後まで酷いなこいつは。
「このロザリオをあたしだと思って……あっ、訂正。あたしのおっぱいだと思って」
「思うかよ」
「でも温度は近いよ?」
「いつか冷えるわ」
不毛すぎる会話が続いた後で。
「とにかくさ、忘れないで持っていてほしいな」
急にそんなしおらしいことを寂莫さの滲んだ微笑混じりに言ってくるから、こいつは男の扱いがうまいなと感服させられる。
「忘れるかよ。俺はうまい酒といい女は忘れないからな」
「それなら安心だね! うちのお酒はどこの町よりもおいしいもん!」
赤らんだ顔で「じゃあね」と言って上げたアリッサの手には特産のワインの瓶が握られたままで、中身がちゃぷんと揺れる音が響いていた。
それが、らしいな、と思う。
ここが切れ目なんかじゃないことを、言葉よりも態度で示してくれているようで。
これでリステリアでの話はおしまいです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
評価感想大変励みにさせていただいています。次話からは違う町でのストーリー(冒険者にスポットを当てた話の予定)になりますので、もうしばらくお付き合いいただければ幸いです。