俺、釣人する
「にゃあああああああああああああああっ!?」
その異様な姿を見ていの一番に絶叫したのは、ナツメだった。
もっともこいつの場合「こんな気持ち悪い魚が泳いでる水を生で飲んでしまった」というショックからなんだろうが。
まあ俺も吐きたくなる気分は理解できる。
地下層に出現する魔物はアンデッドのみ、という法則性を完全に無視した水棲生物であるものの、見た目の不気味さだけならアンデッド連中とタメを張れているからな。
茶色と緑が混ざった彩りに欠ける体色に、下膨れした無愛想なブサイク面。
水族館で不人気待ったなしなタイプの魚だ。
頭から発光体のついた触覚を生やしていなければなんの取り柄もなかっただろう。
しかしその発光体すらも、カンデラの値がでかすぎてうざったいんだから救いようがない。
だからこいつはニシビアンコウと呼ぶことにする。
「主殿、お下がりください! わざわざ水面まで浮上して姿を見せてきたということはこちらに敵意がある証左であります!」
盾を手に果敢に前に出たホクトの言うとおり、ニシビアンコウは苛立ちを露にした表情でこちらを睥睨している。
ちょっとした船くらいのサイズがあるからその威圧感たるや凄まじい。
怪魚はくるりと身を反転させると、エラの部分からジェット水流を噴射!
タワーシールドをダブルで構えたホクトがその水流に立ち向かう。
「ぐっ……これしきのことで!」
驚異的な水圧だ。必死で踏ん張るホクトが押されている。
いや、押されているだけならまだいい。
強い衝撃にホクトは顔を歪めていた。
体への負担を和らげるのはプレートメイルの仕事だが、文字が書きこまれて魔術書の代用品になっているからか、鎧としての機能がその分低下しているらしい。
「一度消去しましょう! ……苦心して準備したものではありますけど、仕方ないです」
「またあの訳分かんねぇ字を書かなきゃならないのかよ……」
だがホクトの無事が最優先。
ミミの唱えたリフレッシュによってインクが取り除かれる。
これでホクトの耐久力も元に戻ったはず。その隙に仕留めてしまわないとな。
「でも、どうすりゃいいんだ?」
アンデッドじゃないので聖灰や聖水を浴びせたところで無意味。火で攻撃しようにも、湖の中にいるから効果は期待できない。ましてや近づいて斬りかかろうなんて持ってのほかだ。あいつがプカプカ浮かんでいる位置まで泳げってか。
「頼れるのはこいつだけか……しっかり刺さってくれよ」
俺は銀の矢をスカルボウにセットした。
鏃が銀であるメリットは一切ない。この弓の真価が試されている。
「お支えします、シュウト様。フラジリティで物理耐性を下げてみますね」
「任せたぜ」
ミミは俺と肩を並べて……というか、ほとんど寄り添って呪術の詠唱に入った。
その瞬間。
「うおおっ!?」
魔物は頭の発光体の輝きを更に強めた。
光は刺激である、という忘れがちな定義を再認識させられるような、そんな眩さ。
ここまで来ると西日どころではない。双眼鏡で直接太陽を覗いてしまった少年時代の苦い記憶がフラッシュバックする。
「馬鹿のひとつ覚えみたいにチカチカさせやがって……ん?」
瞼を開けた時、俺は隣にいるミミが胡乱な表情をしていることに気がついた。
目の焦点が合っていない。普段からぽやっとした顔をしているが、それとは異なり不安そうな感情が滲んでいる。まるで世界から切り離されてしまったかのような――。
「大丈夫か?」
「はっ、はい。シュウト様、心配をかけさせてしまって申し訳ありません」
もう平気です、とミミは答えながら、祈りを捧げるように胸の前で手を組み。
「キュア!」
そう口にした瞬間、清らかな光が降り注いだ。
微光に包まれたミミは数回まばたきしてから「ほっ」と安堵の息を漏らす。
聞いたことのない魔法だった。ミミに尋ねると、ウィクライフで購入した『中級再生のグリモワール』で覚えた、呪いを解除するための魔法だという。
「じゃあなんだ、さっきのは呪いをかけにきたってことか?」
「はい。ブラインドに似た効果だと思います……極めて広範囲なことを除いて、ですけど」
ミミは慮るような目線をナツメとホクトに送った。
二人とも戸惑った様子でいる。呪いに喘いでいるのは明らかだ。
「聖水を使え、ナツメ。あれには呪縛を解く効果もあるからな」
「分かりましたにゃ! うにゃっ!」
気合の入った掛け声からして頭で瓶を割るのかと思ったが、ちゃんと蓋を開けていた。
ナツメは自分に聖水をかけて盲目の呪いを解いた後、ホクトにも分け与える。
間隔を空けざるを得ない魔法とは違ってアイテムだと一瞬だ。
まあめっちゃ高いんですけども。
さて。
なんとか戦線は立て直せたが……ニシビアンコウの光がこんなにも厄介だったとは。
だが俺の目は特に異変をきたしていない。呪縛に強いという触れこみの骸布の服を着ているおかげか。
けどこの様子だと、ミミのサポートは難しいな。
治療のためにワンテンポ遅れてしまう。
「正攻法でいくしかねぇな」
素直に矢を放つ。
矢はヌラヌラとした質感の鱗を突き破り、傷口から淀んだ黄色の血が流れ出る。痛覚を騙すためかアンコウは尾ビレを何度も湖面に叩きつけ、水が高々と舞い上がっている。
これで効いていないとは言わせない。
さすがはレア素材製のスカルボウ。単純に長弓としての性能だけで見ても一等品だな。
俺はなおも矢を撃ち続けた。
的がでかいから狙いやすい。光の妨害をものともせず、間断なく攻撃を仕掛ける。
「な、なんか想像してたより弱いな……」
水流はホクトが、呪縛は服が防いでくれている。負けるきっかけが見当たらない。
が。
矢を全身に受け満身創痍になったニシビアンコウは、ある時突然、ふっと俺たちに背を向けて湖の中に潜っていってしまった。
ん? この状況……。
「どうやって攻撃すりゃいいんだ?」
水の抵抗をかいくぐって矢が届くわけがない。せっかくここまでコツコツとダメージを稼いできたっていうのに、じっくり休憩時間を与えてしまう羽目になった。
三分ほど経って、傷が癒えた魔物は再浮上してきた。
当然俺は矢の雨で迎撃……しようとして止める。
確かにここで俺が攻撃を再開すればアンコウは瀕死に追い込まれるだろう。
で、また逃げる。逃げたら治してまた浮かぶ。それを繰り返されたら、矢の本数に制限のある俺はそのうち攻撃手段を失ってしまう。
いやこれ、負けないけど勝てないんだが。
「こっちも逃げてやるか……」
しかし、またイチから暗号文を書き写すだけの猶予はない。
「ええい、まどろっこしい! 要は水中に逃げられなきゃいいんだろ? だったらどうにかして陸まで引きずり上げてやるだけだ」
ない知恵を絞り出す俺。
導かれた答えは、至極シンプルなものだった。
「相手は魚なんだから方法はひとつしかねぇ。一本釣りだ」
とはいえ魚好みの餌なんていう便利な代物が手元にあるはずもなく。
針と糸だけの引っかけ漁でやるしかない。
「でもご主人様」
きょとんとした顔を見せるナツメ。
「針と糸もなくないですかにゃ?」
「いや、それはある。針は俺の背中に、糸はホクトの背中にな」
「背中って矢筒しかありませんにゃ……にゃっ? もしかして針って……」
「おう。矢だ。ロープを巻いた矢で撃ち抜いてやるんだよ」
時間を作るために一旦魔物を追い払ってからホクトに命じて、探索道具を入れたカバンからロープを取り出させる。
長さは三十メートルくらいか。これだけあればギリギリ足りるな。
銀の矢に縛りつける。
「シュウト様、これだと抜けてしまわないでしょうか?」
「ありえるな」
ここはナツメの出番だ。かまどの火で熱した鏃を岩場に転がっていた石で叩き、鍛冶屋仕込みのテクニックで形状を微妙に変化させ、返しを作る。
「ふっ、完璧な出来栄えですにゃ」
めちゃくちゃ不恰好な見た目だった。
まあ問題なく機能してくれるなら不満はない。
タイミングよく、傷口の塞がったアンコウが閃光を振り撒きながら再び姿を現す。
まずは弱らせにかかる。数発の矢を放ってダメージを蓄積。
潜水する素振りを見せたところで……。
「もう逃がしてやるかっての!」
不機嫌そうに開いていた口の中目がけて矢を撃ちこんだ。
絶大な推進力をまとった矢は喉の奥まで飛びこんでいった。ここまで深々と突き刺せば、そうそう抜けることはないはず。
ここからはホクトの独壇場だ。
「頼んだぞ」
俺はそう言いながらチョーカーを外し、ホクトの首に巻く。
「了解であります! で、い、やああああああああっ!」
全力でロープを引っ張るホクト。
怒涛の勢いとはまさにこのこと。
グリズリーのチョーカーの作用で、ただでさえ桁外れなホクトの怪力が更にもう一段階上がっていた。いくら常識破りの巨体を誇っていようと、矢のダメージで衰弱している魔物では到底太刀打ちできない。
途中で矢柄が折れてしまわないかと心配する間もなく、ものの二十秒足らずで、大魚ニシビアンコウは陸に打ち上げられた。
エラ呼吸がままならないのかパクパクと苦しげに口を開閉している。
まな板の上の鯉よりも無防備な状態だ。
ここに俺は「馬に引きずられた深海魚」という新たなことわざを提唱する。
「ナツメ、ブロードソードを貸せ!」
「アイアイサーですにゃ!」
そっとスカルボウを置いた俺に、ナツメからブロードソードが投げ渡される。
チョーカーを装備していないから若干重く感じるが、まあ誤差の範囲。
ライトグリーンの輝きを宿した刀身を、俺はアンコウの脳天に突き刺してやった。
それが死に至る最後のピースだったらしい。
誰に知られることもなかった地底湖のヌシの目は、急速に白濁していった。
「ハァ、ハァ……無駄に手間取っちまったな……けど手間取ってこの仕打ちかよ……」
アンコウは金貨を一枚たりとも落とさなかった。
何分ここは未踏の地だから、集めようにも集められなかったんだろう。
そのせいで実際以上に疲弊を感じた俺は、流れ出る汗をヤケクソで振り払う。無銭戦闘はご法度だと魔物界で法律を定めておいてもらいたいものだ。
にしても、たまたま発見した名所でこれだけの強敵に出くわすとはな。
あんな奴が住んでいたんじゃ、この地底湖の資源的価値にもミソがつきそうだ。
ツイてるんだかツイてないんだか……。
「わあ、素敵なドロップ素材です。見てくださいシュウト様。とてもとても綺麗ですよ」
微笑むミミが手にしているのはアンコウの頭にくっついていた発光体だ。あれだけ激しく光を撒き散らしていたのに、その面影はなく、淡い幻想的な輝きに収束している。
とりあえず、これを持ち帰ってギルドのおっさんと話をしてみるか。
魔物にしても、地底湖にしても。