俺、観取する
これまで通過してきた階層では多少なりとも人の手が感じられたのに、いきなり洞窟めいた原始的な場所に俺たちは投げ出されていた。
足元はゴツゴツとした岩場だ。
一枚のプレートめいた構造からして、岩盤、と呼んだほうが正しいかも知れない。
「あっ! シュウト様、あちらを御覧ください」
ランプ代わりのかまどの火をいくつも放って辺り一帯をライトアップしているうちに、ミミはなにかに気づいたらしく、俺のコートの裾を引きながら天井を指差す。
そんなものを見上げたところで鍾乳洞風の岩肌があるだけで……ん?
「水滴?」
数箇所からポタポタと雫が垂れていた。
風もないのに湖面が揺れていたのはこれが原因か。
ミミは解説を付け加える。
「きっと上の層から浸み出ているんだと思います。この小さな水滴が長年かけて地底湖を形成したんでしょうね。とてもとても壮大な物語性を感じます」
本当なのだとしたら呆れるほどスケールの大きな話だ。
雨垂れ石をも穿つ、とは言うが、こんなクソでかい水溜まりまで作ってしまうとはな。
「えー、と。ってことはだな……」
状況を整理する。
第四層の真下が帯水層、すなわち地下水が納まっているスペースである。そこからこの場所に向けて水が滴り落ちているということは……。
「ここはさっきのフロアより下ってことか?」
無言ながらに首を縦に振って同調するミミ。
おいおいおい、まさかここは『真の最下層』なんていうんじゃないだろうな?
「んなアホな。そんなもんが見つかってるならハナから地図に書いてるだろ」
俺は先人の知恵の結晶である地図には全幅の信頼を置いている。そこに載せられていない以上、眼前の地底湖はイレギュラーな存在に違いない。
下手したら俺たちが第一発見者の可能性もある。
全然ありがたくない名誉だった。
「そもそも第四層にある魔法陣って上昇専用じゃなかったのかよ。どういう理屈で下に降りるんだ下に」
穴が開きそうなくらい念入りに地図を見直しても、俺たちが使ったと思しき魔法陣はちゃんと書き記されている。隠しスポットという感じではない。
考えられる要因はひとつ。
バグったな。
じゃあなんでバグったんだって話になる。
ここまで別段問題もなく利用できてたから人数オーバーというのはありえないし、時間帯がよくなかったというのも考えにくい。となると。
「もしや重量超過か……?」
持参した袋類はすべて、ぎっしりと中身が詰まっている。一度に転送できる許容量を超えてしまっていたとかそういうことなんだろうか。
やるせなさを覚えた俺はハァと息を吐き、波紋の広がる水面に視線を投げ打つ。
地層で濾過されているせいか湖の水は透き通っていて、こんな緊急事態に放りこまれているにもかかわらず、思わず美麗だと賞したくなる。
これだけ澄んでいても底が見えないから恐ろしい。ミミの灯火しか明かりがないから光が届きにくいとはいえ、水深何メートルあるんだよ。
水滴だけで削られたとはちょっと信じ難いな。
これが大自然の神秘なのか。
「ど、どうすればよいのでありましょう? このままでは生き埋めであります!」
狼狽するホクトが口にした心配はもっともだ。バグ(推定)で飛ばされた場所だから帰還用の魔法陣なんてあるはずがない。
テレポートで代替しようにも、ミミもナツメも魔術書なしで唱えることはできない。
つまり、詰み。
「……じゃないんだな、これが」
まあそう焦るなよ、と俺が颯爽とカバンから取り出したのは、ウィクライフ地方にある『白の森』の地図。
裏面には石版文字――テレポートを唱えるための暗号の書き写しがある。
図書館で調べるためにメモしたものだが、こいつが後々になってこんなところで窮地を救ってくれるんだから、まったくもって人生ってやつは予測不能だ。
「それで、なにゆえに自分の鎧に文字を書くのでありますか!?」
「だってコピーで魔法発動しようと思ったら元から魔力のある素材に書いてないとダメらしいし。帰ったら消すから気にすんな」
「しかしこの意味の通じぬ文字列だらけ外装は、その、世間巷間で叫ばれるところの『ダサい』というものなのではありませぬか?」
「大丈夫。いずれオシャレと呼ばれる時代が来る」
かくして光銀鉱のプレートメイル(グリモワールエディション)が出来上がる。
早速ナツメに読んでもらうとするか。
「おーい、ナツメ……って……」
名前を呼んだ時には、ナツメは岸辺できゃっきゃと水と戯れていた。
オモチャの王冠をかぶったままやけに心地よさそうな表情を浮かべて、両手でパシャパシャと水飛沫を跳ねさせている。
あまりにも楽しそうなので俺も軽く手をつけてみたが、ナツメが笑顔になるのも納得の清涼さだ。サラリとした水質で、ひんやりしていて気持ちがいい。加えて先述したとおり抜群の透明度も完備しているから名水百選に選ばれていてもなんら違和感はない。
「だからって飲むなよ。得体が知れないし」
「の、飲みませんにゃ」
飲んだ顔をしていた。
ただミミも地底湖の生活用水としての価値には目をつけているようで。
「これだけ綺麗ですと、浄水すればおいしいお酒が造れそうですね」
「うーむ、確かにな」
汲み上げる装置がどこにも設けられていないから、この隠された水資源が井戸に繋がっていないのは確定的。地上に戻ったら教会に報告するか。
教会というか、酒造事業を任されているアリッサにだな。
おっぱいポイント……じゃなくて信仰心の足しにさせてもらおう。
それにしても、偶然とはいえ貴重な発見をしたもんだ。
災い転じて福となす。俺の好きな言葉だ。結果オーライ。こっちは俺の頭でも分かりやすいからもっと好きな言葉だ。
「それじゃあ第四層まで移動しますにゃ。そうそう、大雑把にしか移動できないから戦闘の準備をお願いしますにゃ」
「無論であります。主殿と、そしてもちろんミミ殿とナツメ殿にも、何人たりとも近づけはさせぬであります」
「あ、でも、もしかしたら第四層は二十メートルより上かも知れませんにゃあ。もしそうだったら帯水層を挟みますにゃ。水の中だからご注意よろしくお願いしますにゃ」
「み、水でありますか……それは沈んでしまうであります……」
テレポート前にそんなくだらないやりとりをしていると。
フロア全体が急に明るくなった。
……明るい、の一言で済むならまだ許せた。まだ辛抱ができた。
実際に行われていたのは光による侵略活動である。
「なんだ!?」
視神経への暴力に、俺はたまらず腕をかざしてガードモーションを取る。
「わっ、分かりません」
ミミの火が理由ではない。地底湖周辺を淡く照らしていた小型の灯火はすべて、突然世界を無秩序に覆い尽くした強い光の中に紛れてしまっている。
薄暗い景色を洗い流しているというのに、俺はそのまばゆさを微塵も歓迎できなかった。光は夢や希望の象徴みたいにとらえられがちだが、この目を狂わせる白熱を見てもまだそんなことが言えるだろうか? こんなのはもう悪質な嫌がらせと変わらない。
発光を起こした犯人は――水の中に潜んでいた。
だから『犯人』というのは誤りだ。
犯魚に訂正する。のっそりと浮上してきたそいつは巨大な図体さえ除けば、限りなくチョウチンアンコウなどの深海魚に近い、グロテスクなフォルムをしていた。