俺、試食する
布の使い道を思案しつつ十何体目かのアンデッドを始末した時、俺の胃袋がついに救助を求めてきた。
「やべ、これ午後からの仕事に響くやつだ。休憩しようぜ」
魔物を粗方駆除し尽くしたポイントに陣取る。
地べたに直接腰を下ろしたが、ひんやりと冷えていて尻がびっくりしていた。
確かパンの類はホクトのカバンに入っていたはず……なんてことを考えていると。
「……なにやってんの?」
転がる石を鼻歌交じりに拾うナツメの動きに気が向く。
ナツメは拾った石をてきぱきと積む。その作業に加担しているのはミミもで、輪っか状に組み上げた石の中心にかまどの火を灯していた。
「にゃにゃーん! そしていよいよこの道具の出番ですにゃ!」
じゃじゃーん、みたいなノリでナツメがリュックから取り出したのは小型の鍋。
と、水筒である。澄んだ井戸水をなみなみ鍋に注いで火にかける。
「ふっ、セッティング完了ですにゃ」
「いやいや、ドヤ顔してないでちゃんと説明してくれ」
「それはですにゃ……」
指をぴんと立てて解説しようとするナツメの台詞を、横からミミが受け継いだ。
「えと、昨日お買い物をしている時にナツメさんと打ち合わせしたんです。ダンジョンの中で料理をしましょうって」
「ほう。でもどうしてまた」
「その……第三層は気温が低くなっていますから、体を冷やさないようにシュウト様には温かい食べ物を召し上がってほしいと思ったんです」
ミミは表情に照れを浮かべて言った。
照れながらにも手には角切り肉の塩漬けが詰まった瓶を持っている。
それを沸騰した水の中にドボンと投入。
調理工程終了。
「おっ、見たことあるぞ。この前店で出てきたスープだよな?」
「はい。これでしたらミミにも作れそうかな、と」
うーむ、さもありなん。ダシも塩分も勝手に塩漬け肉から溶け出てくるので絶対に失敗しない料理といえる。いきなり難しい料理に挑戦せず、自分にできる範囲で作ろうとするのが理知的なミミらしい。
それにしても気の利いたことをしてくれるな。日頃突っ張りっぱなしの俺の頬も自然と緩んでくる。
適当にパンをかじりながら待つこと三十分。
「もう出来上がったのではないでしょうか? 鍋全体から熟成した肉の滋味深そうな香りが……いやはや、実にそそるであります」
鍋を覗きこむホクトが言うとおり、透明だった湯はほんのりと色づいていた。こんな冗談みたいに雑な作り方なのに、淡く上品な黄金色をしたスープになっている。
ミミが丁寧に白木のさじで肉の繊維をほぐし、金属製の小さなカップに注ぐ。
よし、では味見を……と思われたが、ミミは仕上げになにかをパサッと振りかけた。
この唐辛子によく似た赤い粉末はフラーゼンの店で買ったものだ。なるほど、香辛料でアレンジを加えたってわけだな。
かくしてミミ史上初の手料理が完成。
「どっ、どうぞ」
珍しく緊張した面持ちでカップを差し出してくる。
振り返ってみれば、ミミはずっと前から家事もしたいと言い続けていたな。ようやくその願いがひとつ達成できたわけだ。そう思うとミミがドキドキしながら心臓を抑えている理由も分かるし、俺からしても感慨深いものがある。
湯気の立ったスープ表面には脂の膜が張られていて中々冷めそうにない。
探索中はパンだの干し肉だの燻製だの、乾いたものしか食えていなかったから、こういう汁気のあるメニューは大歓迎である。
それにプラスしてこの温かさ。命の水と呼んでしまっても過言ではないな。
「んじゃ、いただきます」
いつもの眠たげな目とは違い、所期を孕んだ真剣な眼差しのミミが見守る中、スープに口をつける。
信じられないくらいうまかった。
冷えた体にじんわりと沁みてくる。
店で食べた味を完璧に再現している。いや、なんならこっちのほうが塩加減が優れているかも知れない。俺の贔屓目ならぬ贔屓舌である可能性も高いが。
そしてこの鼻から抜ける爽やかなスパイスの香りが……って……。
「か、かかかか、辛っ!?」
喉を通った後で凄まじい刺激が襲ってきた。
舌は痺れて喉は焼け、本気で口から火を吹きそうになる。
なんだこれ。ピリリと辛いとかいうマイルド表現で済むレベルじゃないんですけど!
「だ、大丈夫ですかにゃ?」
ナツメが慌てて水筒の残りを俺の口に突っこんだ。まだ冷たさを保っている井戸水をゴクゴクと夢中で喉を鳴らして飲む俺。
ふう、生き返った。
本物の命の水に巡り会ってしまったか。
「久しぶりに脳が破裂しそうになったわ。くほっ、まだ喉がいてぇ」
俺の胸で燦然と輝くアレキサンドライトも痛みまでは取り除いてくれない。
「申し訳ありません、シュウト様……」
山羊の耳を萎れさせてしゅんとするミミ。
一手間のつもりが余計なお世話になってしまったことを気に病んでいる様子だ。
「おいしい料理どころかシュウト様にひどいものを食べさせてしまいました……ミミは奴隷失格です……」
「いやミミはなんも悪くねぇよ……フラーゼンの奴め、やらかしやがったな」
真犯人は特定できている。
なんちゅー代物を売りつけてくれたんだ、と思ったが、よく考えたら『ひとつまみで劇的に効く』とか言ってたな。
どうやら誇大広告なんかではなかったらしい。
看板に偽りなしってことかよ。
まあ「用法用量を守ってお使いください」ってことなんだろう。量さえ間違えなければこの強烈な発汗作用が役に立つ場面もある、はず。多分。
頑張ってくれたミミにメシマズ属性をつけたくない俺はカップの残りを気合で飲み干し、それから鍋の中身も空にして――味覚が麻痺していたので俺一人だけ舌鼓を打てなかったが――汗だくになりながらも金策を再開。
地下にそびえる迷宮をひたすらに歩き回る。
剣士泣かせのレイス。タフさに自信のワイト。魔法はお手の物のリッチ。
出会ったそばから矢で射抜いて屍の山を築き上げる。まさしく死屍累々である。どれも最初っから死んでいるようなもんだけれども。
が、しかし、残念ながら聖水と聖灰の備蓄は純益七十万Gを超えたあたりで底を尽きてしまったので、途中からはゴリ押しで倒していかざるを得なくなった。
次回以降はもっと多めに持ってくるか。
そうこうしているうちに。
「おっと?」
魔法陣が配置された地点にまで辿り着く。地図の記述によれば複雑怪奇な模様で構成されたこいつは上昇用ではなく、下のフロアに繋がったものだ。
第三層には下降用魔法陣はこれを含めてたった二つしかない。
次にこの場所を訪れようと思ったら、今日と似たような手順を踏まなくてはならない。つまりは結構な量の移動が必須。
先頭を行くホクトは円の手前でぴたりと停止する。
「いかがなさりますか? 我々は主殿のご意向に従うであります」
「そんなもん決まってるよ」
この後に待ち受けているのは最難関であろう最下層だけ。
アイテムがないと第三層の魔物でさえ手を焼くんだから、持ち合わせのない今の状態でそんなリスクを負いにいくのは賢明じゃない。
叩ける石橋は限界まで叩くが吉。
「戻ろうか。今日はもう十分稼いだしさ」
濡れ手に粟の金貨に大量の布切れを手土産に、俺たちは地下層内部を逆走した。
浮上したら真っ先にギルドに足を運ぶ。
「ようこそギルドへ。コートが薄汚れているが今日も地下に潜ってきたのか?」
「まあな」
これがその成果だ、とばかりに俺は素材採集用の皮袋の口を広げる。
「おお、こんなにか! リッチやレイスをこれだけ討伐してくるとはやるもんだ」
おっさんは第三層に出現するアンデッドの傾向と戦闘力についてはよくよく理解しているようで、だからこそ俺のぶっちぎった撃破数に舌を巻いたのだろう。
「それはいいんだけどさー、この布ってなにかしら違いはあんの?」
気になっていた質問を飛ばす。
「もちろん。例えば、この赤褐色のやつは骸布だな。霊布に似ているが別物だ。それからこっちの濃い紫の素材は冥布。知ってのとおりリッチが頻繁に落とす」
「どこで見分けりゃいいんだ。色か?」
「一番の判断基準はそこになる。重量も微妙に違うんだけどな。まあ測りもなしに手の感覚で区別しろと言われたら誰にもできないとは思うが」
俺は利き布選手権をしたいわけじゃないからいらない心配だな。
「霊布、骸布、冥布ね。素材としてはどうなんだ?」
「いずれも打撃や斬撃への耐久性はゼロに等しいが、最高峰の軽さがある霊布は体さばきを助け、骸布は呪縛に抵抗を持つ。冥布は魔法に対して強いぞ」
「ほほう」
それだけ聞くと骸布は比較的有用そうに感じる。
この先呪いをかけてくるいやらしい魔物と出くわさないという保障はないからな。
防御面の終わりっぷりゆえに半歩間違えばゴミ装備になりかねないが、ひとまずは一着だけでも作っておくか。軽いなら携帯もできるだろうし。
他の素材についても納品しないで保持を決める。
教会への貢献度が欲しいなら寄付すりゃいいだけの話。どうせ明日から今日以上に聖水聖灰目当てでキャッシュを投入するのは規定路線だ。
「そうだ。ついでじゃないけど、最下層の魔物についても聞かせてくれないか?」
「最下層というと、第四層か。教えられなくはないが……Bランクに満たない腕で挑むのは無謀かも知れんぞ」
「む。そんなに強いのか」
「ああ。あそこに現れるのは、軽く挙げただけでもデュラハン、ウォーロック……特に危険なのがグリムリーパーだ。数は多くないがどいつもこいつも恐ろしく強い」
少年の心を刺激してやまないネーミングだけでやばそうなのが伝わってきた。
スルー安定すぎる。
となれば、しばらくは第三層で金を貯めるのが正解だな。
あのフロアでもうまくやれば一日につき百万Gの収益を目指せる。町を離れるまでにどれだけ稼げるか、自分のことではあるが大いに期待しておくとしよう。
俺たちはギルドを離れ、魅惑と喧騒に満ちた夜の繁華街へと紛れていった。