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俺、決心する

 ……と、後ろからグウと腹の鳴る音が聴こえてきた。


 振り向くとナツメが手持ち無沙汰そうにしている。そしてまたグルルと、さっきより大きめに鳴った。音の出所がナツメなのは言うまでもない。


「お腹空きましたにゃ……」

「ああ、すまん。さっさと飯にするか」


 本来の目的を思い出した俺はテーブル席の一角に座ろうとするも。


「ねえ、せっかくだし一緒しない?」


 にやけた表情を浮かべたアリッサがそんな誘いをしてきた。


「一人で飲んでても寂しいもん。あたしもかわいい子たちと騒ぎたーい!」

「おっさんかよ」

「お兄さんもよく見たら彫りが深くて中々イイ男じゃないか。むふふ」

「そんなの初めて言われたわ」


 痩せてるから贅肉が少なくて骨が浮き出てるだけだ。


 いや嬉しいけど。


 プラチナブロンドの巨乳の美女にそんなふうに言い寄られるのは非常に嬉しいことではありますけども。


「ってか、まだ飲むのか」


 もう大分出来上がっているように見えるが、当然俺のそんな労りが通じるはずもなく、アリッサは「コニャック常温で!」とくだけた口調で追加注文していた。


「明日に響いても知らないぜ」

「だいじょぶだってば。あたしもまだ二十八歳! まだまだ無理できる体だもんね~」

「二十八歳か……」


 めちゃくちゃリアルな年齢だった。


 いろいろと生々しい。


「こらっ、今失礼なこと考えたでしょ! お兄さんだって同世代でしょお、同世代」

「いやそれはそうだけど、俺は四捨五入してもギリギリにじゅ……」

「はいストーップ! それ以上は言わない! 禁句指定!」


 俺は唇に二本の人差し指で作ったペケ印を押し当てられた。


「まあまあ歳のことはポイ捨てして無礼講でいいじゃないの! お姉さん奮発しておごっちゃうよ~? きっちり四人前っ!」

「おごるって、教会の金でだろ……」


 口ではそう言ったが、タダ酒よりうまいものはない。


 ありがたく頂戴しておくか。



 が、しかし。


「ぐおお、気持ち悪い……」


 店を後にして夜道を行く俺の足取りはフラフラもフラフラだった。


 二杯目の時点でグラスを固辞したホクトの肩を借りていなければ、散々な羽目になっていたに違いない。


 アリッサの酒豪っぷりを甘く見ていたのは一生の不覚だった。


 一度付き合ったが最後、吐く寸前まで飲まされてしまったんだから。


 もっとも苦痛にまみれた酒の席だったのかといえばそうではない。白状するが俺はむしろ楽しんでいた。アリッサは『聖女』という肩書きを鼻にかけもしない、親しみやすい人柄をしているので、なんだかんだで意気投合してしまった。


 これがよくないんだよな。緊迫感のない宴会ほど酒が進むシチュエーションはない。


 あと美人に酒を注がれて舞い上がってたのもある。


 悲しき男のサガである。


「はー。もう一歩も動けんぞ、これ」


 宿へと戻った俺は、部屋に着くなり服を脱ぎもせずにベッドに倒れこむ。


 そんなぐったりとした姿を見兼ねてか、ホクトは「井戸の水をいただいてくるであります」と告げてフロントへと駆けていった。


 よっぽど泥酔して見えてるんだろうな、今の俺。


 レモンを絞ったウォッカをハイペースで飲んでいる現場もホクトは目にしているんだから、そりゃそうか。


 しかしただ酔い潰れていたわけではない。アリッサから第三層に出没する魔物の特徴を聞き出せたので、次回以降は役立てられるだろう。


 問題は聖水だな。


 一日一個程度しか手に入らないんじゃここぞでしか使えない。


 先行投資でいくらか寄付金を納めてもいいが、本末転倒な気がしてくる。


 大きく金を稼ごうと思ったらまずは初期資産が必要って、なんか社会の仕組みを叩きこまれているようで憂鬱になってくるな。


 まあ考え事はここでやめにしておこう。日付も変わりかけていることだし。


 寝よ。


「シュウト様、おやすみになられますか?」


 ミミがベッドに横たわる俺の顔を少し心配そうに覗きこんでくる。


 ホットミルクを腹が膨らむまで飲んで芯から体の温まってるナツメは、一足先に夢の世界に旅立っていた。


 気持ちよく寝息を立てて熟睡している。寝つきのいい奴だ。


「もう寝るよ。みんなおやすみ……」


 俺も迷わず睡魔に身をゆだねることにした。



 目を覚ました時、俺は瞼を開けているというのにべっとりと視界に張りつく暗闇が拭い去られていなかった。


 それもそのはずで、上半身を起こして窓の向こう側に視線をやるとまだ全然夜が明けていない。それどころか深夜の真っ最中といった趣がある。


 早く起きすぎたな。眠気が酔いごと消え失せてしまったのか。


「……おや?」


 ゆっくりと暗順応し始めた瞳で何気なく室内を見渡してみると、ベッドが二つも空になっていることに気がついた。


 いるのは至福の表情で眠りこけているナツメだけだ。


「ところでなんで俺は裸なんだ?」


 パンツだけは身につけているのでかろうじて放映規制からは免れている。


 その答えは、体重を預けようとベッドに右手をついた直後に分かった。びっくりしてすぐに離した手の平には柔らかな感触が残っていたが、それは布団に詰められた綿や羽毛などではなく、人の柔らかさだった。


 もっと言及すると尻だった。


 改めてベッドの中を確認してみると……そこには穏やかな寝顔を晒したミミが。


 体を横に向けて軽く膝を曲げ、俺に寄り添うように寝転がっている。


 どうやら服はミミが脱がせてくれたらしい。


 それから添い寝してくれたのか。


 ははあ、ホクトがいない理由も判明したぞ。俺を介抱するミミの様子を見て、いつものように気を遣って二人きりにしてくれたんだな。


 部屋に帰ってきた時にミミが俺の服を脱がしていたから勘違いしたんだろう。


 まあ爆睡中とはいえ猫がいるので厳密には二人きりじゃないんだけど。


「それにしちゃあ、遅いな……」


 ホクトも疲れていることだろうから、いつまでも床に就けずにいさせるのは忍びない。


 寝直す気にもなれないし、呼びに行くか。さすがに遠出はしていないはず。


 着替えを済ませた俺は部屋を出て、宿の近辺を歩き回ってみる。


 外はやや肌寒く、そして青白い月の光がよく分かる。月明かりは微量なれど、静まり返った夜の世界に他に例を見ない独自の神秘性を付与している。


 その月下の、どこにもホクトはいなかった。


「おかしいな……どこにいるんだ? 夜中だっていうのに」


 考えこむ俺。


 ホクトが行きそうな場所をあれこれ予想してみる。


 が、その推察が無意味そうなことには、割と早い段階で気がつけた。


「待てよ。そういや今の宿には屋上があったな」


 建物に戻り、他の宿泊客にどやされないよう息を潜めて階段を上がっていく。


 屋上へ続く扉を開くと――思ったとおり、ホクトはそこにいた。


 流れる汗に構うことなく、一心不乱にカットラスの素振りを繰り返しながら。


 Eラインのはっきりした横顔は鍛え抜かれた鏃のように鋭く、そして美麗だ。ホクトが持つ雰囲気とは対照的な淡い月光に照らし出されているから殊更に凛として映る。


 ただ、お世辞にも剣の作法が上出来とは言えなかった。


 三ヶ月程度しか武器を使った経験のないペーペーの俺でも分かるくらい、筋肉の使い方が下手くそで、力の入れ加減と抜き加減に苦心していそうだった。


 結果として上半身と下半身が同期せずチグハグな振り方になっている。


 風貌が騎士然している分、余計にコミカルに見えてしまう。


 それでも俺は笑えなかった。素振りに向かうホクトの姿はどこまでも真剣で、そのひたむきさを笑うことはとてもじゃないができない。


 声をかけることもためらわれたが、意を決してホクトの名を呼ぶ。


 集中が解けてようやく俺に気づいたホクトは、一瞬だけ「あっ」という表情をした後。


「……これはお見苦しいところを御覧に入れてしまいましたな」


 と、苦笑して言った。


「見苦しくなんかねぇよ。むしろ感心しかしないぜ。剣の練習だろ?」

「そうであります……いえ、唐突に思い立ったことではないのでありますが……」

「前からやってたのか? あーでも、それもそうか」


 遺跡で目にした剣を振る姿が、まるでダメダメだった以前に比べてかなりマシになっていたことを思い出す。


 あれが練習による成果なのだとしたら合点がいく。


「でもそんな時間あったっけ。探索でも町でも宿でもずっと一緒だし……あっ!」


 勘づいた瞬間に、思わず素っ頓狂な声を喉から漏らしてしまった。


 今日に限らず定期的にあったじゃないか。俺のために席を外していた時が。


「……ずっとこうして特訓してたってことか?」


 ホクトは黙ったまま首を縦に振る。


「そ、そうだったのか」


 その事実を知った途端、たまらなく申し訳ない気分になった。


 こいつ、俺がよろしくやっている間にも密かに努力してたんだな……。


 なんだか無性に恥ずかしくなってくる。


 同時にホクトへの愛おしさが急激に増した。こんなにも尽くしてくれていたとは。


 俺は感動して胸を打たれていたのだが、一方のホクトは表情を曇らせている。おずおずと「ですが」と切り出す声にも覇気がない。


「できることなら、主殿には隠し通していたかったであります……この件は」


 なぜなら、と続ける。


 語尾に少し熱気がこもっているような感じがした。


「自分の剣の技術は御覧のとおりであります。鍛えてこれでは馬鹿にされても仕方のない話。主殿、笑ってやってください。才能がないのみならず、ないなりに磨けてもいないのでありますから、自分は」


 馬の耳を垂らしたホクトは早口で、自嘲気味に語る。


「……自分は戦士としても、女としてもミミ殿には及びません。せめて、主殿を助ける刃の端くれにはなりたいと、そう常々願い続けていますのに……この有様であります」

「分かった、分かったからさ……」


 見ていられなかった。俺はホクトに手を伸ばし。


「泣くなよ」


 濡れた目尻にそっと指を当てた。


 指先にじんわりと熱が伝わってくる。実際の涙の温度以上に。


「お前がこんなに頑張ってくれてるなんて知らなかったよ。それだけで俺は嬉しいぜ。信頼できる部下が持てた、ってな。だからそんなふうに捨て鉢になるなよ」

「うう、も、申し訳ありません……」


 よく響くホクトの声が不規則に震えている。


 慰めるつもりでかけた言葉のせいか、一層感情の整理をつけられなくなっていた。


「戦えもせず、主殿の寵愛も受けられず……たゆまぬ精進をしていかなければならない立場でありますのに、自分は……主殿の前で、このような……!」


 こみ上げてくる涙をこらえようとして、それでもこらえられないホクトは見るからに自己嫌悪に陥っていた。弱く、惨めで、情けのない姿を主人である俺に晒すことがこの上ない恥辱と不義理に感じているようで、何度も何度も謝り続ける。


 ホクトは奴隷として雇用されてからずっと、俺の役に立ちたいと申し出ていた。


 俺はその気持ちだけでも満足だったが、ホクトはそうではなかった。


 だからこそ陰で剣を練習し続けていたんだろう。


 その身を砕くことを惜しまない、不断の忠誠心こそがホクトという人間の性格であり、信条であり、そして絶対の個性に違いない。


 許される範囲で怠惰に、可能な限り楽に生きていきたいと考えている俺とは真逆だ。


 だからといって。


 自分のために懸命に尽くしてくれる気持ちを無視できるほど俺が軽薄な人間だと思ったら、そいつは大間違いだからな。


「……よし、分かった」


 ここで一肌脱げないようじゃ、元々あってないようなもんではあるが俺の名が廃る。


 俺はうつむいて泣き顔を隠そうとするホクトの頭に手を置いた。


 自分より背の高い女なのに、こうしていると縮こまって見えるな。


「新しい戦術を作ってやる。お前も魔物相手に活躍できるようにだ。ただし、その分今まで以上に忙しくなるからな。覚悟してくれよ」

「主殿……?」

「そこはいつもみたいな返事を聞かせてくれよ。一発で決まるアレをさ」

「あっ……りょ、了解であります!」


 ビシッと鞭打たれたように背筋を伸ばして、ホクトは堂に入った敬礼をした。


「うむ、それでこそだ」


 大きく頷く俺。


 正直に言うと少し前からアイディア自体はあった。大変個人的な問題で実行に移すかどうか保留していたのだが……これで踏ん切りがついたな。


 任せろホクト。俺のこともお前に任せるから。


「そして女にもしてやるよ」


 あと、その場の勢いでそんなことも口走っていた。

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